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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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35/38

番外編 淡い色が降る日。 弥side



 三月の後半、穏やかな木曜日の昼下がり――。


 ここ数日で一気に気温は上がり、ぽかぽかとした陽気が窓から差し込んでいた。


「弥、おいで」

 お昼ご飯を食べた後。抱っこでソファまで運んでもらって、膝にブランケットまで掛けられてしまえば、眠気は一瞬で僕のすぐそばまでやってくる。


「寒くない?」

 そっと覗き込まれて、穏やかな声が耳をくすぐった。


「大丈夫、さむくないよ」

 僕がそう答えると、にこりと微笑まれる。


「すぐ横になるのはあまり良くないから、少しだけ頑張って座っててね」

 綴さんの優しい声に、小さく頷く。 

 

「今朝、桜の開花が発表され、来週には満開になる見込みです」

 ぼんやりと見ていたテレビの中で、お天気を教えてくれるお兄さんが、そう言ってた。

  

「ねぇ、つづり。ことしは、おはなみいける?」

 桜くんが、隣りに座った綴さんの袖を引っ張りながら、聞いたのが耳に届く。


 ――おはなみ……?


 学校も春休み? を迎え、お家には桜くんも、悠くんもいる。

 そして桜くんは、今日お休みだという綴さんのそばから全然、離れない。


 平和で穏やかに流れる時間の中、僕の視界にはふわりと揺らめくカーテンが映る。

 冬の間、殆ど閉められていた窓が最近は、昼になると少しだけ開けられるようになった。

 吹き込んでくる風はまだ少し冷たいけど、前よりやわらかい。


「弥、これを着て暖かくしてね」

 綴さんはいつもそう言って、僕の事を気遣ってくれる。 

 冷たい空気は体に悪いからと、もこもこした部屋着とふわふわのブランケットが、僕の最近のお供。


「冷えちゃうから、これ掛けるね」

「暖かくしてないとだめだよ」

 他にも調さんや和くんの手によって、僕はいつも包まれていた。


 アジトのみんなは、すごく優しい。調さんは、僕に合わせた美味しいご飯を作ってくれるし、燎くんも怖いことがあれば、守ってくれる。

 和くんは僕の体調をよく気にしてくれて、湊くんはかっこよくて憧れの存在。

 悠くんは仲良くしてくれて、よく一緒にテレビを見たりする。

 葵くんは最初ちょっとだけ近寄りがたかったけど、色んなお話を聞かせてくれて、僕に色々な世界を教えてくれた。

 

 桜くんとは、まだ少しだけ距離があるけど……いつか仲良くなれたら嬉しい。

  

 食べ物も……外の気温も……季節だって、僕はここに来るまで何も知らなかった。

 

 春が来ているらしい、と和くんが昨日言ってたけど、僕は春がどんなものなのかよくわからない。

 ここに来てから知らないことは増えるばかりだけど、それを知れるのは純粋に楽しくて。

 

 リビングでは今日もいつもみたいにみんなが、自由に過ごしていた。

 窓際に置かれたソファでは、葵くんが本を読んでいて、悠くんはその隣へ座り、時々ページを覗き込んでいる。

 

 和くんはテーブルで時折、難しそうな表情を浮かべながらノートに向かっていて、調さんと燎くん、湊くんは任務に出ているから今はいない。

 

 桜くんは綴さんの横に座って、何かを見せながら楽しそうにお話している。


 騒がしくはないけど、音の多いこういった時間の心地よさを初めて知れたここは、心を落ち着けられる初めて貰えた安心できる場所。

  

 施設にいた頃を思い出して、怖くなることもまだまだ多いけど、ここにいると不思議と息がしやすい。


 段々と頭が軽く船を漕ぎ始め、あったかくて穏やかな空気に、瞼が勝手に下がってきちゃう。

 

「ふふ。弥、横になる?」 

「……ぅん、ねぇ……つづりさん」

「なぁに?」

 綴さんの声は、やっぱりすごく優しい。


「……おはなみって、なに?」

「んー? お花見はね、桜を見に行くことだよ」


「……さくら?」

「そう、ピンク色の綺麗なお花だよ」


「……きれいな……おはな……ぼくも、みてみたい……」

 綴さんが優しく笑ってくれたのは聞こえたけれど、僕の意識は、そこで途切れてしまった――。




 ◆

  

「ただいま」

 そんな声が、意識の遠くで聞こえた。それから次に分かったのは、頭にふれられている感覚。


 ゆっくりと撫でられ、優しい指先が髪をなぞっていく。

 大切なものを扱うときのような、繊細な手付き。


「おかえり、燎」

 それから穏やかな声音が、僕のすぐ近くで聞こえた。


「ただいま。あ……ちびちゃんたち、お昼寝してるんだね」

「そう、ちょっと前に最後まで起きてた悠も寝ちゃった」

 二人の密々と話す声には、僕が知らなかった「愛」というものが、含まれているような気がして。


 それは目には見えないけど、確かにそこに存在している、とてもあたたかいもの。

 

「みんな、かわいいね」

「ふふ。ねー」

 どこか夢見心地な気分で、そんなふたりの話を聞いていた。

 

 徐々に意識がはっきりとしてきて、静かに目を開けてみると、視界は少しぼやけてしまう。


 ようやく視界が、景色を結び始めた時。ソファに横たわっていた僕のすぐ隣へ、綴さんが座っていることに気付く。

 

 そして……その膝の上には、桜くん。

 

 眠っているのか、綴さんの肩へ顎を乗せて全体重を預けているその背中は、ゆっくりと上下していた。

 

 時々、綴さんの手が桜くんの背中をゆっくりと往復している。

 

 それがすこしだけ、うらやましくて。

 

 あの腕の中がこの世界のどんな場所よりも安心できるのを僕も知ってる。


 じっと見ていた僕の視線に気が付いたのか、綴さんの不思議な魅力を持つ瞳がこちらを向く。

 

「……あ、おきたね」

 少し目を丸くしたあとすぐに、ふわりと笑みを浮かべ、温かみのある甘くて優しい声が聞こえる。 

 ここにきて「安心」という概念を、僕に教えてくれた声。 

 それだけで、胸の奥が少しだけゆるむ。

 

「……うん」 

 小さく返すと撫でる手が少しだけ止まって、それから綴さんは徐に桜くんを抱えたまま立ち上がり、反対側の空いてるソファの方へと向かう。

  

 そっと桜くんを寝かせ、ブランケットを首元まで掛けてから、また僕の横へと戻ってくる。

 

 桜くんが起きる気配は、全くなくて。

  

「気分はどう?」 

 綴さんはそう言いながら、ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれた。無理に起こされたりしないし、急かされることもない。


「だいじょうぶ」

「そっかぁ、よかった」

 ふにゃりと笑って、頬を撫でられる。温かい手に、とても安心した。

 

「こっち来る?」 

 そう短く言われて、少し迷ってしまう。


 ――抱っこしてもらえるのは、嬉しい。

 

 でも……どうすればいいのか、なんて答えればいいのか分からなくて。

 だけど、さっき見た光景が頭に残ってる。

 

 こくり。と小さく頷いてから体を起こすと、そっと脇の下へと手を入れられ、そのまま僕の体は軽々と持ち上げられた。


「ふふ。弥、寝起きだから体温高いね……あったかい」

 ぎゅっと優しく抱きしめられると、助けてもらったあの日にも感じた、お花のような優しい匂いが香る。

 それは僕にとって「安心」の証明みたいで。


 とくとく――。

 

 伝わってくる規則正しい心臓の音が、とても落ち着く。

 それから燎くんの大きな手も、僕の頭を撫でてくれた。


「あ、そうだ。いい場所見つけたよ」

 ふたりがくれる安心にうっとりとしていると、燎くんの声が耳に届く。


「ほんと? 燎、やるじゃん!」

「やるじゃん……って」

 燎くんは大きめの袋の中身をテーブルの上に取り出しながら、笑う。


「あとは、みんなの休みが揃えば完璧だね」

 僕の背中をとんとん、と優しく叩きながら綴さんは言った。

 

「……おやすみ? どこかいくの……?」

「お花見だよ」


「……さくら?」

「そう。みんなで桜を見ながら、お弁当食べたり遊んだりするんだよ」

「……ぼくも、いっていいの?」

「当たり前じゃん。弥もいてくれないと、俺がさみしいよー」

 うりうりーなんて言いながら、綴さんにちょっとだけ雑に頬を撫でられる。


「調が作ってくれるお弁当は豪華だから、楽しみにしてたらいいよ」

 燎くんもソファの背もたれに肘を置き、僕の方をそっと覗き込んできてから、にっこりと笑う。


「だから、一緒にいこうね」


 僕の中で、楽しみが増えた瞬間だった――。



 ◆


 

 全員の休みを上手く調整できたのは丁度、満開の予定日。

 桜くんは前日からそわそわとしていたし、悠くんも楽しみにしているのが、隠しきれていなくて。


「ふたりとも早く寝ないと、明日起きれないよ」

 前の日の夜にふたり揃って、調さんに窘められていた。

 

「だって……ぼく、まだねむくないんだもん」

「はーい……」

 眠くないと言う桜くんと、素直に寝るための準備を始める悠くん。


「桜が明日の朝に起きられなかったら、置いてっちゃうよぉ」

「それは、やだ。ぼくちゃんとねるから、つづりだっこして!」

「ふふ。はいはい……」

 桜くんは抱っこしてもらうために手をのばして、綴さんもそれを自然に受け入れて、軽々と持ち上げた。


「おやすみ、弥」

「おやすみ……」

 そんな挨拶をした後。僕も寝る前の準備を終えて、調さんと一緒に部屋へ向かう。

 

 僕がここにきてから必ず、眠る時は綴さんか調さんがそばにいてくれて、怖い夢から守ってくれるおまじないをかけてくれるんだ。

   

「ちゃんと、暖かくして寝てね」

 首元までお布団を掛けられて、お腹の辺りをぽんぽんと軽く叩かれる。

 それから調さんの大きな手が、僕の頭を優しく撫でてくれた。


「おやすみ、弥。また明日」

 そのおかげで、僕は朝まで怖い夢を見ることなく、ぐっすりと眠れるんだ――。



 

 ◆


 

 燎くんが見つけてくれたという公園は、少し山を登ったところにあるらしい。

 今の僕の体では軽いハイキングコースだといっても、自力で登りきるのは難しいかもしれないと、和くんに言われた。

 だから今回は無理のない範囲で歩いて、少しでも辛さを感じたら報告すること。

 

 それがみんなとの約束――。

 

「辛くなったら、俺がおんぶするからね」

 燎くんの運転で登山口の手前まで来て、車を降りた時、湊くんがそう言ってくれた。

 

「じゃあ、出発ー!」

 そこから少し歩く。少しひんやりとした透き通ってるみたいな空気が、胸を満たす。


 初めての感覚に気分が高揚して、足取りもいつもより軽いような気がしていた。

  

 なのに本当に僅かな距離を進んだだけで、息が上がってきてしまう。


 ――まだ、がんばらないと……。


 そんな思いとは裏腹に、僕の体は全然言うことを聞いてくれない。

 

 歩くことができない情けなさと、迷惑をかけてしまう悔しさに押し潰されてしまいそうになる。


「無理はしちゃだめ、だからね」

 その時、綴さんに言われた言葉を思い出す。


「……みなと、くん……」

 隣を歩いてた湊くんの袖を小さく掴むと、優しい眼差しがこちらを向く。


「ん、どうしたの?」

「……あの」

 声をかけたのはいいけど、何ていうかは考えてなくて。

 

「ん、俺の背中乗って」

 湊くんは持っていた荷物はそのままに、それ以上は何も言わず、僕の目の前でしゃがみ、大きな背中を向けてくれた。


「……ありがと」 

 その背中におそるおそる乗ると、視界が高くなる。


「……わぁ……」

 湊くんの視線の高さから見える景色と、初めて見る木やお花が僕にとっては、すごく新鮮なことで。


「……ぼく、おもくない?」

「むしろ軽すぎるくらいだよ」

 身体がくっついたところから、低い声が流れ込んでくる。

 

「もうちょっとでつくよー!」

 しばらく湊くんに体重を預けて揺られていると、先頭にいた燎くんの声が、聞こえた。


「弥、ここからは目を閉じててくれる?」

 和くんがそう言ったから、僕は素直に目を閉じる。


 湊くんが歩いている緩やかな振動が、心地良い。鳥の声や、木々が風で揺れる音。

 僕にとって、初めてのものばかり。

 

「湊ーこっち、こっち!」

 綴さんの楽しそうな声に、つい目を開けてしまいそうになったけど、直前で和くんのお願いを思い出して、我慢した。


「……弥、目を開けてごらん」

 湊くんがぴたりと止まった時、そう声をかけてくれる。


 ふわりと風が、体を包む――。

 

 おそるおそる目を開けた僕の視界は、一面の淡いピンク色に包まれる。

 

 小さな花びらが風によってふわふわと揺れていて、見えている世界いっぱいに、空を隠すように広がっていた。


 風が吹くと花びらが舞い落ちて、空中をひらひらと漂う。


「……きれい」

 

 この美しい光景を、僕は忘れない気がした――。



 ◆


「よし、準備するから手伝って」

 燎くんのそんな声と共に、みんながそれぞれ動き始める。


「弥、下ろすからね」 

 その中で僕は公園にあったベンチへと、下ろされた。


「和くん、あとお願いできる?」

「大丈夫だよーありがと、湊」

 そんなやり取りの後。湊くんは、準備しているみんなのもとへと向かっていった。


「ちょっとだけ体調、見させてね」

「……うん」

 目の前にしゃがみ込んで、和くんは視線を合わせてくれる。

 

「顔色は、問題ないね」 

 そう言いながら頬に優しくふれられて、その手はそのまま首元へと移動した。


「熱もないね」 

 そのまま、手首のところに軽く指を当てられる。

 

「……うん、脈拍も大丈夫そう」 

 少しだけ間を置いて、そう言った。

 

「息は苦しくない?」

 それから今度は、軽く首を傾げながら顔を覗き込まれる。

 

「苦しくないよ」 

 そう答えると、にこりと笑われた。

  

「少しでも体調に違和感がでたら教えてね、約束」

 和くんはそう言ってから、小指を差し出す。何か約束事がある時に、必ず行う仕草。


「うん、ありがと……和くん」

 僕はその小指に、自分の小指を絡める。

 

 ここに来てから初めて知ったその仕草には、優しさがたくさん含まれていて、いまだに僕は胸がきゅうっとしてしまう。


「よし、じゃあみんなの方行こうか」 

 そのまま和くんと手を繋いで、シートの方へと向かう。

  

 調さんはシートの上で湊くんと一緒にお弁当を広げていて、燎くんは飲み物を準備してくれてる。

 

 公園内の少し離れたところにはブランコやシーソーなんかもあって、綴さんはそこで桜くんと、悠くんが遊んでいるのを見守っていた。

 そしてそのそばで葵くんも本を読みながら、様子を見ている。


「大丈夫そうだね」 

 和くんに手を引かれるまま、シートのそばまで近寄ると、調さんが微笑んでくれた。


「お、来た。弥、りんご……オレンジ……ぶどう……あと炭酸とお茶もあるけど、どれがいい?」 

 燎くんはクーラーボックスの中から、色々取り出して見せてくれる。


 ――僕が、一番に選んでもいいのかな。


 こういうとき、どうすればいいのかわからない。


 ――間違えたら、どうしよう。

 

 殆ど無意識に、指先へと少し力が入ってしまう。


 そんな時。不意に大きな手が、僕の頭に乗っかった。

 

「弥が、好きなのでいいんだよ」

 燎くんの優しい声に力んでしまっていた肩の力が緩んで、選ぶ勇気が出る。


「……オレンジがいい」

 そう言うと、くしゃりと目がなくなる笑顔を燎くんは浮かべてくれた。


 燎くんは流れるような手付きで、紙のパックにストローをさしてから手渡してくれる。


「……ありがとう」

 受け取ってからひとくち飲むと、僅かな酸味。その後に、ふわりと甘みが広がっていく。

 

 オレンジジュースはここに来てから、何度も飲んだ。

 

 僕がご飯を食べられるようになって、しばらくしたときに、調さんが出してくれたのが最初だった――。


 


 ◆

 

 ここに来るまで「食べる」ということが、僕はよく分からなかった。

 施設にいた時は栄養剤の点滴が主で、固形のものなんて殆ど食べたこともなくて。

 

 口に入れて、噛んで、飲み込む。それが最初は、違和感でしかなかった。 

 それに「お腹が空く」という感覚自体を、僕は知らなくて。

 

 だけどここへ来てごはんというものが、温かいことを知った。

 食べるとお腹がほわっと温かくなって、とても幸せな気分になる。

   

 だけど、どうしても……全部は食べられなくて。


「弥、食べられる分だけでいいからね」

 綴さんや調さんだけじゃなくて、みんなそう言ってくれる。


 そんな頃――。いつからか、オレンジジュースを調さんが出してくれるようになった。


 食べる前にそれを少し飲むと、不思議と魔法みたいに食べやすくなる。

  

 理由は分からない。


 だけどそれがいつの間にか当たり前になり、食べることが僕の中で自然なことになっていったんだ――。



 ◆


 

「弥、こっちおいで」

 調さんに呼ばれて小さく頷いてから、隣にそっと座ると、僕を挟むようにして綴さんが横に座る。


「お、弥ーいいの飲んでるね」

 綴さんはそう言って、頭を撫でてくれた。

 

 なんて事ないことでも、こうして褒めてくれる。それがまだ少し落ち着かないけど、全然嫌じゃない。

 

「ごはんは、食べられそう?」 

 僕が座った位置から少し離れたところにあるお弁当箱の中には、色とりどりのおかずが入っている。

 

 包み紙にくるまれたものや、見たことのない色や形のもの。

 どれから食べればいいのか、分からなくて。

 

「色々取って、食べてみる?」 

 横から調さんの声がして、こくんと頷くといくつかおかずをお皿に乗せてくれた。


「これが、枝豆とコーン。それからこっちが、南瓜の煮付け。それとこれが卵焼き……あと唐揚げもあるからね」

 全部にお星さまの棒が、ささっている。

 

 ひとくちで食べられるように、小さく切られた卵焼きをそっと口に運ぶ。


「……おいしい」

「でしょー!」 

 綴さんは、そう言って満足そうに笑った。


「ねぇ、つづり」

 その隣で桜くんが、綴さんの袖を引く。

 

「それ、もう一個ちょうだい?」

「からあげ?」

「そう」

 綴さんは自然にお弁当箱の中からひとつ取って、桜くんの口元まで持っていってあげる。


 それを桜くんも当たり前みたいにそのまま、ぱくりと頬張った。


「ん、おいしい」

 満足そうなに言った桜くんに、綴さんはにこりと微笑みかける。


 そんな一連の流れは、特別なことには見えなくて。


 向かいにいた悠くんに対しても、湊くんがおにぎりをとってあげたりしていたし、調さんは和くんの分を盛り付けてあげている。

 少し離れたところでは、葵くんが本を片手にしながらおにぎりを食べていて、そのそばで燎くんがたまにおかずを差し出していた。

 


 みんな行動は、ばらばらなのに同じ場所にいて、お互いのことを思いあっている。

 

 それがここでは、普通のこと。僕がいた冷たい世界にはなかった、あたたかさ。

 

「弥も、唐揚げ食べてみる?」

 そう言った綴さんの箸の先には、小さめの唐揚げ。

 

 ――さっき、桜くんにやっていたのと同じ。

 

 僕はどうすればいいのか分からなくて、一瞬止まる。

 

 でも「嫌」とは、全然思ってなくて。返答の仕方に少しだけ迷ってから、小さく頷いた。


「はい、あーん……」 

 僕はおずおずと口を開けると、箸がゆっくり近づいてくる。 

 初めて食べた唐揚げは、外がカリッとしていて、中はやわらかい。

  

「おいしい?」

「うん、おいしい……」

「そっか、よかった」 

 僕が答えると、綴さんは優しく笑ってくれた。

  

 あたたかくて、柔らかい風が体を包む。その風に乗って、花びらがひとつ落ちてくる。

 ひらひらと舞う花びらは、弁当の端にそっと乗った。

 続々と桜の花びらが降ってくるような、美しい光景が脳裏に焼き付く。

 

 人が少なくて、静かで、のんびりできる場所。


 僕はここで、幸せを噛み締めた――。



 

 ◆

 


 ご飯を食べて、しばらくしてから。


「腹ごなしに、ちょっと動いてくる」

 そう言って、燎くんは立ち上がる。


「あ、じゃあ俺も行きます」

 湊くんもそれに倣って、立ち上がった。


「ぼくもブランコいきたい!」

 桜くんが座っている綴さんの肩に手を置いて、ぴょんぴょん飛び跳ねる。


「……おれもいってきてもいい?」

 悠くんも調さんに、声をかけていた。

 

 結果的に遊具の方で遊ぼうと言うことになり、みんな靴を履いてそちらへ向かう。

 

「ねぇ、あまねもいっしょにいく?」

 立ち上がった悠くんに、声をかけられる。


「……うん、ぼくもいきたい」

 少しだけ迷ったけど、僕もブランコに乗ってみたくて。


「弥、楽しんでおいで」

 綴さんと調さんに、笑顔で送り出される。


「いこ……」 

 悠くんに手を引かれ、風でゆっくり揺れているブランコに向かう。


「あまね、すわってみて」 

 そのまま少し冷たい座面に座って、両手で鎖を握る。

  

「押しても大丈夫?」

 燎くんに声をかけられた。

  

「うん……」

「いくよ」

 ぎゅっと鎖を握り直すと、軽く背中を押される。


 体がふわりと浮いて、前に動く。僅かな緊張で一瞬だけ息が止まったけど、すぐ戻ってきた。

  

 そしてもう一度、また体が浮遊感に包まれる。

  

 その繰り返し。

  

 燎くんがそっと背中を押してくれるたびに揺れは少しずつ大きくなって、風が顔に当たってくる。

  

 ――全然、怖くない……たのしい。

  

 空を飛んでるみたいな、少しだけ不思議な感覚。 

 

 鎖を握る手に、少しだけ力が入る。気付くとほんの少しだけ、口元がゆるんでいた。

    

 しばらくブランコで遊んで、次に止まったとき。

  

 こっちに来ていた綴さんのもとへと向かおうとしたら、足に力が入らなくて、その場で少しだけよろける。

  

「おっと……」 

 すぐに体を支えられたから、倒れることはなかったけど、視界が少しだけ揺れてしまう。

  

「ふふ。いっぱい遊んだね」  

 そんな優しい声の後。そのまま、抱き上げられる。

   

 背中にふれられる感覚がして、ふわっと地面から足が浮く。そのまま、綴さんに運ばれる。

 

 揺れがさっきのブランコに少し似ていて。だけど今はもう、目を開けていられない。

  

 眠気はすぐそこまできていて、柔らかいところに下ろされてからふわりとブランケットを掛けられた僕は、少しだけ体を丸める。

  

 吹き付けてくる風が、心地よくて。

  

 少し離れたところで、楽しそうな声が聞こえる。

 

 誰かが笑っているけど、よく分からない。

  

 まぶたが重くて……そのままゆっくりと沈んでいく。

  

 あたたかくて、心地の良いここは怖くない。


「楽しかったんだね、よかった」

 すぐ近くで、綴さんの優しい声が聞こえた。次に頭へ、そっとふれられる感覚。

 

 僕は、そのまま穏やかに眠りの世界へと落ちた――。



 ◆


 

 目を開けると見慣れた天井が見えて、少しだけぼんやりとする頭を起こす。

 

 体は僅かに重いけど、苦しくはない。

  

「あ、起きた」

 声の方を見ると、綴さんがすぐ近くにいた。

 

「よく、眠ってたね」

 綴さんは僕の前にしゃがみ込んで、僕の首元に手を当ててくる。


「そうだ、桜茶あるけど飲んでみる?」

「……うん、のんでみたい」

「ふふ。ちょっと待っててね」

 ふわりと綴さんは微笑んだあと、マグカップを手に戻ってきた。


「熱いから、気をつけてね」 

 そっと、マグカップを渡される。僕は小さく頷いてから、両手で受け取った。

  

 ほわほわと湯気が上がっていて、そこには今日見た桜の花が浮かんでる。

 

 口をつけると、ほんのり塩の味。

 

 それから、ふわりと花の匂い。

 

 ゆっくりもう一口飲むと、体の中が少しずつあたたかくなってくる。

 

 周りには話している声や、笑っている声。それが妙に落ち着く。


 僕の手元のマグカップの中では、桜がゆっくり揺れていて――。

  

 今日のことをふと、思い出す。

  

 淡い綺麗な、桜の色。


 木や土が放つ、自然の匂い。

 

 心地よく柔らかい風。

 

 みんなが楽しそうにしている声。

  

 全部、僕の中に残っていて、大切な思い出として消えない気がした――。

  

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