昔の少し苦い記憶と、しゅわしゅわ弾ける緑。 桜side
綴の表情が穏やかなものへと変わり、安心していた折――。
「うん、もうだいじょうぶ。それに一件だけだし、調査案件だから戦闘にはならないよ」
綴は平然とそう、言ってのけた。
「そう……ならいいけど……」
どこか納得のいっていなさそうな和に気付いたのか、綴は少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。
和も綴の表情に気が付いたのか、それ以上……追求することはなかった。
昨日の弥のこともあったし、少しでも綴の気分転換になればと、無理のないお願いと言う名目の「気晴らし」を頭の中で模索する。
そうして思いついたのが、ここ最近よく綴が行っているというカフェへ一緒に行くこと。
見たところ顔色は悪くない。それに僕も今日は任務が入っているけれど、順調に行けば綴と同じくらいの時間に終わるはず。
それに、絶好の綴をひとりじめできるチャンス。
和にそんな事を考えているのがバレれば、絶対にまた誂われる。
だから表情にださないよう自然に言ったはずなのに、こちらを見ている和の口角は、弧を描いていた。
――ぜったい、バレてる……。
僕は逃げるようにリビングを後にして、綴より先にアジトを出た――。
◆
九時二十七分――。
僕の右手にあるスマートウォッチは、そう表示していた。
この小さな端末は、リヒト所属のギフトが任務時の着用を義務化されているもの。
数年前に新たに導入されたシステムで、心拍や呼吸、能力出力時の異常や意識消失時など……異変を検知した時、任意の相手に連絡がいくようになっている。
今では当たり前みたいに装着しているけど、最初からこれがあったわけじゃない。
このシステムが導入されたのは、ある監禁事件がきっかけだった――。
◆
それは僕がギフト資格適格性審査を受けて、結果を待っていた頃。
突然リヒト所属のギフトが任務中に消息を絶ち、行方不明になった。
当時はまだ、せいぜいスマホのGPS機能を使ってる人もいるくらいのレベル。
スマホの位置情報だけが唯一、頼りだった。
だけどそのギフトの位置情報は共有されておらず、見つかったときにはオメガの施設に監禁されてたらしい。
任務中の通信装置自体は、昔からあった。イヤホン型のヘッドデバイスで、小型軽量の音声通信と簡単な生体モニタができるやつ。
今使ってるのとは、比べ物にならないくらい簡易的なもの。
だけど事件が起こったあの頃はそれよりも、さらに性能は最低限。
年々改良されていて最新型は通信精度も上がり、ログも取れるようになって「今のは最先端のテクノロジーを利用した性能になってる」って、前に和が言ってた。
僕は機械には詳しくないから、説明を聞いても全くわからないが、使っていてとにかく凄いことだけはわかる。
件の事件では装着していたヘッドデバイスの通信が切れてしまってから、見つかるまでに数日掛かったらしく、発見時辛うじて生きてはいたけれど、かなりひどい状態だったって聞いた。
あの事件のあと、リヒトの組織管理体制は一気に変わり、任務中だけじゃなく日常的に位置も状態も把握できないと意味がない。
そう結論づけたらしい偉い人たちが、専用端末を作るってなって、常時装着の管理デバイスが導入された。
それが今の、この腕時計型の端末。これも日々改良され続けていて、今のは確か……三代目くらい。
今では当たり前みたいに全員が装着してるけど、最初からこうだったわけじゃない。
導入当初は、位置情報の提供に否定的な声もあったらしいけれど、僕が所属する今のアジトでは、その前から普通にやってたスマホのGPS共有。
リヒト内の正式なシステムじゃなくて、僕たちが勝手にやってただけのもの。
だけどそれは監視のためじゃなく、誰かが倒れたときすぐ見つけられるように……帰ってこなかったとき、居場所を探せるように。
そういった、守るための目的のもの。
僕や悠が任務に同行し始めた頃には、すでに普通にあって、GPSを導入したきっかけは和を守るためだったと昔一度だけ、和本人が教えてくれた。
「治癒」という貴重な能力を持つ和が、危ない目にあったりしないように。安全で自由に行動ができるようにと、綴と調が発案したらしい。
だから僕は位置情報の提供に対して、特に抵抗もなかった。
別に見られて、やましいこともなかったし。
紆余曲折あって生体情報や能力反応に至るまで全てを管理されるようになり、位置情報も常時システムへ共有はされているが、簡単にそれを閲覧することはできない。
それに個人情報保護の観点から閲覧には制限が設けられ、閲覧権限は限られた人にしか与えられていない。
そしてそれを持つギフトはほんの僅かしかおらず、僕の身近で言えば、医療班のシステム管理などを担っている和や、翠等級である調なんかはその権限を持っている。
だけど持っていても日常的に見ているわけではなく、異常を検知した時のみだという。
所属するアジトによっては、ひとりもその権限を持っていないというのも特段珍しいことではない。
つまり、権限を持っている人は規格外ということ。だけど、調も和もそれを鼻にかけたりせず誠実なところを僕は凄く尊敬してる。
ふたりには恥ずかしいから、面と向かって言ったことはないのだけれど……。
そしてこれによって、僕たちは安心して任務に出ることができるようになった。
だけどそれ以前に僕は一度だけ……スマホによるGPS機能が切れてしまい、位置情報を共有できず、アジトのみんなに心配をかけてしまったことがある。
それはスマートウォッチが実装される少し前――。
◆
そこまで大きい案件ではなかったけれど、相手が思ったよりしぶとくて……少し長引いてしまった制圧任務。
能力を使いながら建物の中を動き回って、戦闘で壁をぶち抜いたりしているうちに画面が割れてしまい、電源が入らなくなってた……。
スマホの故障に気付いた時は、すでに任務で組んでいた人とも別れた後。
ヘッドデバイスは付けていたけれど、あの頃のは位置追跡なんてほとんど出来なかったから、連絡のしようがなくて。
――あー、やば……どうにかして連絡取らないと……。
そうは思ったけれど、深夜の住宅街に公衆電話なんてないし、少し郊外まで来ていたから、コンビニも簡単には見つからなくて。
なんとか記憶を呼び覚ましながら、徒歩で最寄りの駅まで辿り着き、終電に飛び乗った。
――はやく帰りたいからって、送ってもらうの断らなければよかった。
とても有難いことなのだが、初対面のギフトの人だったというのもあり「後始末を終えてからでいいなら送るよ」って言ってくれていたのを、僕は丁重にお断りしていた。
――綴、心配してるかな……。
アジトの最寄り駅について、足早に帰路を辿る。遅い時間だからと、できるだけ音を立てないように鍵を開けて中へ入ると、少し慌てたような足音。
リビングへ繋がる扉がいつもより少しだけ勢い良く開いて、心配そうな表情の綴が現れる。
認識した瞬間、僕の体は温かい体温に包まれた。小さい頃から大好きな甘い匂いが香ったことによって、綴に抱きしめられたことに気付く。
僕が想像してた数倍心配されていて、大人になって久々に綴の方から抱きしめられた。
「……ほんとに、心配した」
ただ、一言だけ。いつもの優しく穏やかな声音ではない、静かな声。
――あれは、ちょっとこたえた。
「ごめんなさい、連絡できる手段がなくて」
スマホの位置情報が途中で止まったまま、連絡もつかないから、本気で探しに出ようとしていたらしい。
怒られると思っていたけれど、綴は怒らなかった。
「……よかった……それにわざとじゃないんだし、桜は悪くないよ。頑張ったね」
そんな綴の声と頭を撫でてくれる温かい手に、僕は目の奥が熱くなって、視界が滲んでしまう。
その声音は本当に心配してくれてたんだなって、分かるもので。
綴の背中の服を掴んで、泣くのを我慢するのに必死だった――。
◆
今の専用端末になってから壊れにくくなって、位置情報も正確になり、異常があればすぐ通知が飛ぶようになった。
システムには三人まで登録できるから、僕の一番最初は綴。その次が調、燎の順番で設定している。
その設定にするのに、特に迷いはなかった。
通知の宛先は直接、医療班に通知がいくようにすることもできる。だからそうしている人は、結構リヒトの中では多いと思う。
だけど僕には綴や調にするのが、当たり前みたいに思えて。
貰ってからずっと今も、同じまま。変える理由もないし。
手首の端末を軽く叩いて、画面を消す。
僕は別に、心配されたいわけじゃない。
何かあったとき、一番最初に知るのが僕の大切な人たちであってほしい。
ただ、それだけ――。
◆
そして今日の任務は、保護――。
対象は、十代後半の男性。能力は報告によると、物質に干渉できる系統である可能性が高いらしい。
事前に共有された情報を頭の中でなぞりながら僕は、合流地点へと向かう。
「……早く終わらせよ」
小さく呟いて、 気合を入れる。
――これが終われば、綴とカフェに行ける……頑張ろ……。
自らの暴走を恐れて自主的に対象が逃げ込んだという郊外の古い倉庫の付近には、 先行して潜入調査をしていた別アジト所属のギフトが待っていた。
その人は、僕が少しだけ苦手な先輩。等級は同じ紅だが僕より少し年上で、女好きのちょっと面倒くさいやつ。
戦闘センスもあって悪い人ではないのだが……任務で一緒になるたびに、やれ彼女はできたのか、好きな子はいないのかと、高校生みたいなテンションで話しかけてくる。
「……お疲れ様です」
「お疲れ様、ちょっと遅かったね」
「……時間通りです」
適当に軽く返しながら、軽くストレッチをして体をほぐす。
「相変わらず、つれないなぁ……」
「……状況を教えてください」
「今は落ち着いてるけど、人が来るとだめそうだね」
「説得はできそうですか?」
「……うーん、微妙かな」
つい、ため息がこぼれる。
――まあ、こういう任務は大抵……予定通りにはいかない。
「とにかく二手に分かれて、制圧しましょう」
「りょーかい」
軽薄そうな声を背中に受けながら、とにかくこの人から離れるため、侵入地点へと向かう。
到着し、耳に装着したヘッドデバイスへと触れる。
「こちら桜、B地点より侵入成功しました」
「了解、こちらも侵入成功」
短い返答だけが、聞こえた。今回の対象は暴走の兆候こそあるけれど、重症例じゃない。
だから説得で済む可能性が高い……パニックを起こさなければ、だが……。できれば、穏便にすませたいところだ。
そう思っていたのに、建物内へと足を踏み入れた瞬間――。
キンッ――。
僅かな風圧。
視線だけ動かすと、僕の顔の少し横のところに見覚えのある短剣が突き刺さっている。刺さった場所からは大きく亀裂が入り、さっきまで形を保っていた刀は、砂のようにさらりと崩れた。
「……最悪」
もうひとつ、ため息。
――これ、あの人の剣だよな。
薄――。武器生成能力である「刹那千刃」を所持するギフト。
綴が持つ「物質形成」に近いが薄の場合は、ひとつひとつの武器の生成スピードも早く、一度に大量に出すこともできるが、強度があまりない。
薄の出す剣や刀は、数回の攻撃を受けると折れてしまう。
それに対して綴のものは強度も高く、半永久的に残り続ける。
近い能力を持つ同士、よく意見交換したりしているらしいが、僕にとってはそれが少し面白くない。
僕の「血花操術」と薄の「刹那千刃」は、戦闘においての相性はいいから、こうしてよく同じ任務にあたる。
――これがなんで、僕の方に飛んでくんだよ……。
さらにもうひとつため息をこぼしてから、頭を切り替える。
――普通にミスってこっちに飛んでくるはずはないから、中にいる子の能力が関係してるはず。
――だとしたら、なんだ……はじく? それとも受け流す?
僕は足音を殺して、走り出す。最深部へと向けて、踏み込んだ先は埃が舞っていて、床中には細かいひび。
歪んだ棚を避けて、粉みたいに崩れた硝子を踏んでしまわないよう気をつけながら進む。
そうして辿り着いた、僕が侵入した反対地点の入り口付近に、対象を見つけた。その奥には、薄の姿もある。
対象の少年は、こちらに背を向けている状態。負傷しているのか腕を押さえていて、そこからは血が滴っている。
――息を荒くしてはいるけれど、まだ完全に暴走しているわけではなさそう。
でも制御レベルとしては、かなり危ない。
「……俺たちは、君を保護しに来た」
薄が手を上げて降参の意思を示しつつ、ゆっくりと声をかける。
「来るな……!」
背後にいた僕の存在に気付いた瞬間。彼は顔を歪め、自らの腰元を探った。その手には、拳銃。
振り返った、その目は揺れていて。
反射的に距離を取ったが、銃口は僕の方へと向いた。
「来るな!!」
――まずい、撃たれる……。
発砲音が空気を震わせ、その衝撃が波のように肌へと伝わってくる。
弾道を避けるように動いた瞬間、飛んできた弾が突然軌道を変えた。
体を捻り、間一髪のところで弾をよける。
――弾が……それた?
壁に当たる音が遅れて響き、コンクリートの欠片が床に散る。
――何だ今のは……これがあの子の所持能力なのか……?
必死に頭を回転させ、考える。もしあの子が物理的に干渉して軌道を逸らせるのなら、短剣が僕の方に飛んできたのにも説明はつく。
とにかく……今は動きを止める必要がある。そのためには、気絶させるほかない……。
向こうがその気なら、やるしかない。
――格闘戦は、苦手なんだよな……。
この辺は確実に、燎や湊の得意分野だ。僕も最低限の訓練は積んでいるけれど、あのふたりみたいには絶対になれない。
それに僕は体質的にも、筋肉がつきにくい。同じ細身の小柄でも、実は脱いだらめっちゃ筋肉がついてる悠とは違う。
――もっと真剣に近接の稽古つけてもらってたら、よかったかなぁ……。
そんな後悔をしても今更だけど、考えずにはいられない。
――今は余計なことを考えず、シンプルにいこう。
僕がひとりそんなことを考えているうちに、また対象の少年は引き金に指をかける。
――来る……。
「来るなって言ってるだろ!!」
叫び声と同時に、引き金が引かれるのが見えた。発砲音が鳴るより先に足が動き、踏み込む。
横に逃げるんじゃなく前へ出て、距離を詰める。懐へと入れる位置まで行くため、床を蹴った。
一歩目――。視界の端に、弾道を捉える。
一直線の弾道が、ほんの僅かに曲がった。さっきと同じで、避けた方向に寄ってくる。
「……っ」
体を捻り、頬の横を風が裂く。
――思っていたよりも近い……大幅な感覚をあけて、避けたはずなのに。
次も曲がる前提で動き、踏み込みを深くする。角度を大きく取って、避ける分を予め作っておく。
二歩目――。さらに床を強く蹴り、重心を前に落とす。
距離が一気に縮まって、少年の目が大きく開く。
銃口はまだこちらを向いてる。
三歩目――。ここで止まれば、撃たれてしまう。迷ってはいけない。だからそのまま飛び込み、振りかぶる。
それだけなのに……足の位置が、ほんの少し狂う。重心が流れ、拳の軌道がずれる。
「……くそ」
狙いを修正せず、引いた腕をそのまま振り抜くが、拳は空を切り、対象を掠めた。
その拍子に少年はよろけ、バランスを崩す。
刹那、僅かにずれが小さくなるのがわかった。
――今。
僕はもう一歩、踏み込む。
銃が持ち上げられ、僕の方へと向けられた。
近すぎる距離――。
――撃た、れるか……も……。
相手が引き金を引くより早く、拳銃を手で払うようにして叩く。
照準が逸れ、天井に向いた銃口から発砲音――。
僕のすぐ横で音が弾け、耳が鳴った。そのまま肩で押し込み体重をかければ、少年が後ろに倒れかける。
僕はそのまま、脇腹を狙う。
強くやらないよう、あくまでも落とすだけ。
どすっ――。
そんな少し重めの音がした直後。息が詰まる音が聞こえて、目の前の体から力が抜ける。
力が抜け、手から落ちた銃が床へと落ちた。
遅れて静けさが辺りには戻ってきたが、自分の呼吸だけがやけにうるさい。
手が少し震えてしまうのを、ぎゅっと握って隠す。
――はぁ……近接、ほんと向いてない。
「さすが桜くん、鮮やかだねぇ……」
薄が少年の腕を拘束しつつ、けらけらと笑いながら腰のポーチを開ける。
「……どうも」
僕は一言だけ返してから、その光景を見ていた。
小さなケースを取り出した薄は、手慣れた手つきで見慣れた形の注射器を準備する。
「押さえといて」
軽い声で言われ、僕は黙って少年の肩を押さえた。
薄が袖をめくり、上腕の外側を指で軽く叩く。それは普段、和がやるような血管を探す動きじゃない。
キャップを外し、薄は迷いなく刺す。上腕外側へ押し込むと、薬液が入っていく。
抜いたあとは、ガーゼを軽く当てるだけ。少し雑だけど、無駄はない。
「はい、これでしばらくは眠っていてくれるでしょ」
ケースを閉じながら薄は、笑う。
僕は少年の呼吸を確認するために、首元へとふれた。
落ち着いてるし、脈も安定している。
「桜くんの血花、久々にみたかったのになぁ……」
少しだけ笑ってから僕を見た薄の声は、聞こえなかったふりで通す。
「もぉ、聞こえないふりしないでよ」
僕はそれにも聞こえないふりをして、床に落ちた銃を拾い、安全装置を確認してから、懐へと仕舞う。
――ほんと……こんな危ないもの、こんな子がどうやって手に入れんだよ……。
「……桜、状況教えて」
耳につけたヘッドデバイスから、聞き馴染みのある声が聞こえた。
「無事確保。鎮静剤、使用しました」
短く答える。
「わかった。救護用の車両がもう少しで、そっちに着くと思うよ」
「了解。ありがと、和」
十分ほどで到着する見込みらしく、それまで少し待機することになった。
手首の端末を見ると、十三時二分――。
――やばい……。
思ったより時間を食ってる。
慌ててスマホを取り出すと、綴から「終わったよ」と連絡が入っていた。
もう少し長引きそうな旨を伝えると、カフェの位置情報と「のんびり待ってるから、ゆっくりおいで」とのメッセージ。
ここからカフェの最寄り駅までは、電車で二十分程かかる。
救護用の車両が来るまでは、たぶん五分くらい。最短で出たとしても、一時間近く待たせてしまう。
――早く行きたいのに……。
「桜くん、この後予定でもあるの?」
「……まぁ」
この人にこれ以上追求されると面倒だから、当たり障りなく返す。
「へぇー珍しいな……もしかして彼女?」
「違います」
「そんな即答しなくても……」
薄はわざとらしく肩をすくめ、へらっと笑いながらも続ける。
「まぁ、桜くんのおかげで無事制圧できたし、あとは俺に任せて行ってきな」
「いや……報告が」
「俺がやっとくから、大丈夫。約束なんでしょ?」
「……でも……」
――本当は今すぐにでも行きたいけれど、任務中に抜け出すのは……。
「どうせ、その様子だと綴くんとの約束なんでしょ?」
「……何で、知ってるんですか?」
「あ、やっぱり? 桜くんスマホ見すぎだよ」
図星すぎて、何も言えない。
「ほら、行きな」
「……すみません」
「謝らなくていいよ。今日は本当に助かったからね」
「……ありがとうございます、お疲れ様です」
「はーい、またね。桜くん」
薄が軽く手を降ってくる。僕は軽く頭を下げてから、背を向けた。
――普段デリカシーないくせに。
――こういうときだけ、ちょっと良いやつなのが……むかつく。
普通に考えたらありがたいはずなのに、素直にそう思えないのが、自分でもよくないところだというのはわかっている。
――嫌いだけど……何だかんだ、嫌いになりきれないんだよな……ほんと、調子狂う。
自分で考えながら、少しだけ眉を寄せる。こういうところが、自分でもほんと面倒だと思う。
足を速め、信号を渡り、ここから一番近い駅を目指す。
ICカードを使って、改札をくぐり抜ける。
カフェまでは、もう少し――。
◆
時刻は、十三時三十八分。
――甘いの食べたい。
そう思いながらカフェのドアを押し開けると、ベルの音が小さく鳴った。
店内は思ったより静かで、お客さんも少ない。軽く息を整えつつ中を見回すと、日の当たる窓際に綴が座ってる。
だけどそのそばには、店員さんらしき女の子の姿。
――珍しいな。
最初は、単純にそう思っただけだった。綴はみんなに優しいけれど、いつだってアジトメンバーを最優先にする。
昔から基本的に何でも話してきた方だとは思うけれど、リヒト関連の知り合い以外の交友関係はあまり見たことがなくて。
近付こうと、一歩踏み出した瞬間。言いようのない……違和感のようなものを感じ、足が止まる。
――なんだろ……別に変じゃない。
よくある光景のはずで……端から見れば、客と店員が話してるだけ。
綴も普通に返してるから、別におかしくないはず。
なのに、目が離れない。女の子の顔じゃなくて、雰囲気。
纏ってる空気が、少しだけ変……強いわけじゃないし、威圧感もない。
能力の気配とも違う。だけどさっきまで任務で感じてた感覚に、少し似てる。
距離感が、ずれるような……近いのに遠くて、そこにいるのに……輪郭がぼやけるみたいな。
女の子がこっちを見て、視線が合う。一瞬だけ、目が止まり、それから……ふっと笑った。
初対面のはずなのに、知ってる人を見るみたいな笑い方。
胸の奥がざわつく。理由が分からないのが、一番気持ち悪い。
能力の反応はなく、敵意もない。なのに……何かが引っかかる。
――何だ?
本能的に今すぐ綴と引き離さなければと考え、歩き出す。
「おまたせ、綴」
内心の焦りを抑えて声を掛けると、僅かに俯いていた綴の視線が僕を捉えて、ほっとする。
「おつかれさま、桜」
いつものふわりとした笑顔につい頬が緩み、緊張が少し抜けた。
綴の向かいの席に近づきながら、もう一度だけ女の子の方を見る。
やっぱり少しだけ変……なのに、何が変なのかは分からない。
僕が椅子に腰を下ろすと、女の子は軽く頭を下げてから厨房の方へと戻っていった。
「……店員さんと仲良くなったの?」
言った後で、変な聞き方をしてしまったことに気付いたけれど、ここで引っ込めるのも変で……。
「うん。注文とってくれる時に、少し話すくらいだけどね」
見ている限り綴に、不自然なところはなく……いつも通りで。
「ふーん……」
◆
理由は分からないが、どこか気味の悪い違和感が消えない。
綴とあの店員さんは初対面じゃないはずなのに、だからといって仲がいいとも言い切れない……妙に曖昧な距離感に見えた。
運ばれてきたパフェを食べるスプーンを止めて、考える。
――綴はこの店が好きで、何度も来てるって言ってた。
それなのにあの店員さんの話は、綴から一度も聞いたことがない。
綴は相手のことちゃんと覚えてるタイプだし、気に入った店のことはよく話してくれる。
なのに僕が覚えているなかで、あの女の子のことが話に出てきたことはない。
――僕の……考えすぎなのかな。
少し離れたところから見えた綴は、困った顔をしていたようにも見えた。覚えてないような、でも否定もできないような曖昧な顔。
あの表情には覚えがあって……体調が悪い時、たまにああいう顔をすることがここ最近で増えていた。
熱がある時のはっきりせず、焦点の合わない感じに少し似ている。
もう一度、カウンターの方を見ると、女の子は普通に仕事をしてる。
ただの大学生っぽいし、危険な感じもしなければ、変な気配もない。
だからこそ、余計に引っかかる。確実に何かがおかしいのに、どこがおかしいのかが分からない。
「桜、どうしたの?」
その声ではっとして、顔を上げると綴は穏やかな表情でこっちを見ていた。
「……いや」
少し迷ってから、首を振る。その瞬間……綴の瞳には僅かに、心配そうな色が滲んでいて。
「なんでもないよ」
そう言って、誤魔化すようにもう一口パフェを食べると口の中に甘さが広がる。
美味しい……でも、少しだけ胸の奥がざわつく。
だけど今、ここで言うほどのことでもない。
せっかくの綴と過ごせる時間なんだから、楽しまないと。
そう思って綴の方へと視線を向けると、ふわりと柔らかく笑ってケーキを味わっている。
僕がずっと変わらず、大切にしている穏やかな時間――。
「桜もケーキ食べる?」
小さい頃から変わらないそんな甘やかしが嬉しくて、僕は思わず頷いた。
差し出されたケーキを迷わず食べると、綴が僕の大好きな笑顔を浮かべる。
この人の周りで変なことが起きてるなら、見過ごしたくない。
大好きな綴を、守りたい――。
この人には、ずっと笑顔でいてほしい――。
帰ったら、調に相談してみよう。気のせいかもしれないけれどあの人なら、ちゃんと聞いてくれる。
そう決めると、さっきまでうるさかった胸のざわつきが少しだけ静かになった。
僕はしゅわしゅわと弾けるクリームソーダに手をのばし、綴との大切な時間を満喫するためにひとくち飲んだ――。




