↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/51

第6章:想いを告げる -5


 ……いったい何が、ネリネを駆り立てたのだろう。

 真夜中がもたらす暗闇の深さか。それとも、はるか遠く、星の一つも見えない暗い空。そこで冴(さ)え冴(ざ)えと灯る月の姿に、言い知れない孤独の影を見たせいか。


 冷静に考えれば、そんなことはありえはしないと、子どもでもわかるはずなのに。


「姫様……?」


 頭上から、激しい動揺のにじむダリルの声が聞こえてくる。


 彼からしてみれば、当たり前のことだろう。

 ネリネは自分自身ですら説明のできない衝動に駆られて、ダリルを抱きしめてしまっていたのだから。


 ……そう。そんなことは、ありえはしない。説明なんて、できるはずもない。

 こうしなければ、このまま彼が暗闇の中に薄れて消えてしまうのではないかと、そんな恐れに駆られてしまったなどと――


「……私は」


 今すぐに、ダリルから離れなければいけないことは、わかっていた。

 今すぐに離れて、突然はしたない振る舞いに出たことを謝って、許しを請(こ)わなければならないと。


 それなのに。


「私は、あなたがそんなふうに悲しそうにしているのは、嫌だわ」


 離すことは、できなかった。

 それどころか、背に回した手にそっと力を込めてしまう。

 無遠慮な問いだとわかっているのに、それでも、ダリルに尋ねてしまう――


「教えて。あなたがそんなにも恐れているのは、なぜ? あなたは何をそんなに、ひどく恐れているの……?」


 深く、長く、息を吸う音が聞こえる。

 永遠に続くかと思われるほどの、沈黙があった。

 その沈黙の末に、ダリルはようやく口にする。

 ネリネが求め、彼がくれた答えは、まったく思いがけないものだった。

 彼は吐露する。血を吐くように。許されざる罪を告白する罪人のように。


「俺はやっぱり、あなたの騎士にふさわしい人間ではありません。主(あるじ)の幸福を厭(いと)う従者などありえない。従者として、最もあるまじきことだというのに……それなのに、俺はあなたが幸せになるのを心から望むことができない。……あなたの、幸福を。何よりも恐れてしまうからです」

「え……?」

「姫様。俺は……あなたを、愛してしまいました。主(あるじ)としてではなく、一人の女性として。だから、あなたがこの先、他の誰かと愛し合い、その誰かに微笑む姿を間近に目にするのが、たまらなく恐かった」


 ――一切の、音も、光も、何もかも。

 この世界から、消え去ったかのような錯覚(さっかく)に襲われた。


 やがてやっとネリネを現実に立ち返らせたのは、ダリルが目の前で崩れ落ちる音だった。彼はネリネの前に跪(ひざまず)き、額を地に擦(こす)りつけんばかりに、深く、深く頭を垂(た)れている。


「俺はもう、あなたへの想いを抑(おさ)えることができない。あなたにとって害悪をもたらす存在でしかないんです。ですから……どうか、誓いを破ることをお許しください。俺を、あなたの騎士としての任から下ろしてください。もう二度と、この姿があなたの目に映らないように……永(なが)の暇(いとま)を頂きたく存じます」

「――――……っ」

「ネリネ・リーリア・ラウステラ王女殿下」


 ダリルの声が、ネリネの名を呼ぶ。

 それから彼は、ネリネの前に跪いたまま、最後の言葉を告げようとする――


「わずかな間でしたが、あなたの騎士でいられたことは、至上の誇りであり幸福でした。あなたと出会えて、本当によかった。これからはどうか、あなたのことを遠くから――」


 遠くから。

 ダリルは、その先にどんな言葉を続けようとしたのだろう。

 けれどもう、その言葉の先を聞くことはかなわない。

 それ以上は、黙って彼の言葉を聞き続けることができなかったからだ。

 気づけば、ネリネは、


「ごめんなさい。そのお願いは、聞けない」


 腕の中で、ダリルが身をこわばらせたのが、わかる。

 地に膝(ひざ)をつけて座り込み、目を閉じて。

 ダリルの背に手を回し、無我夢中で彼の身体を抱きしめていた。


「だって、あなたと二度と会えなくなるのは嫌だもの。あなたが、好きだから。私だって、あなたと同じ……ダリル、あなたのことを、特別に好きになってしまったから」


 言ってしまった、と思った。

 もし、ダリルにこの想いを告げるなら、その時はきっと、計(はか)り知れないほどの勇気と引き換えになる。だから、そんな日が来るとするなら、それはもっとずっと先のことになるだろうと、そう思っていたのに。

 こんなに早く、彼に自分の気持ちを伝える日が来るなんて、思ってもみなかった。


 けれど、もちろん後悔はない。

 抱きしめたまま顔を上げれば、ダリルは放心しきったような表情でネリネを見つめている。


 どれくらい、互いに黙し続けた時間が流れただろう。

 やがて、ダリルが言った。

 掠(かす)れ、震えた声で。


「姫様。俺は、何か……自分に都合のいい夢でも、見ているのでしょうか」

「いいえ」


 ネリネはゆっくりと首を横に振って、揺らぐ赤い瞳を見つめ返す。

 ……言葉だけでは、信じてもらえないというのなら。

 ダリルの頬に、そっと手を添える。

 それから、薄く開いた彼の唇に、そっと自分の唇を重ねた。

 名残惜(なごりお)しく思いながらも唇を離して、ネリネはもう一度、告げる。

 互いの吐息がかかるほどの距離の近さに、今さらながらに心臓が跳ねた。


「夢じゃないわ。私は……ダリル、あなたが好き。あなたも同じ気持ちを持っていてくれたことが、すごく嬉しい」

「姫、様」


 唇が奪われたのは、その瞬間だった。

 いつの間にか背に回っていた腕によって、深く、深く抱きすくめられる。

 やむなくネリネに触れる時には、繊細(せんさい)な壊れ物でも扱うようにためらいがちに触れていた、そんな今までのダリルとは思えないくらい、それは強く、どこか荒々しさすら感じるほどの抱擁(ほうよう)だった。


「……っ、ダリ、ル。……、んっ……!」

「ひ、めさま。……姫様……!」


 互いを呼び、息を弾(はず)ませながら、何度も何度も夢中になって唇を重ねた。その口づけの痺(しび)れるほどの甘さに、くらくらと目眩(めまい)がする。身体が打ち震えるほどの歓喜に、頭がどうにかなってしまいそうだった。


 角度を変えて、深みを増して。

 ……どれほどの間、口づけを交わし続けていただろう。


 どちらからともなく、ゆっくりと唇を離していった。それでも顔は寄せ合ったまま、潤(うる)んで熱を孕(はら)んだ互いの瞳をじっと見つめる。


「……愛しています、姫様。あなたのことを、誰よりも……」

「私もよ。ダリル、あなたが好き……」


 そうしてもう一度、深く、長く、唇を触れ合わせた――





 気づけば真上にあったはずの月は、庭園の木々の樹冠(じゅかん)に差し掛かるほど傾いたところから光を降り注いでいた。

 言葉もなく、ネリネはダリルに抱かれたまま、彼の胸に身を預けたままでいた。


 ダリルもまた、時おり愛おしげに亜麻色の髪に触れ、指先で梳(す)くほかは、何を話すこともなくネリネを抱き寄せたままでいる。


 数え切れないほど口づけを繰り返し、息は上がって、いつしか言葉は絶え果てた。


 朝になればまた、たまった執務を二人で片付けなくてはならなくなる。

 忙しくなるだろう。だから早く、ダリルには部屋に戻って休んでもらわなければならない。


 そんなことはもちろんわかっていても、それでも、互いに離れがたかったのだ。何か、互いに仕方ないと思えるほどのきっかけが掴(つか)めるまでは、身を寄せ合ったままでいたかった。


 せめて、深夜の闇が地上を覆(おお)い、その陰でもって二人を隠してくれる、その間だけは。

 ダリルもおそらく、似たことを思っていたのだろう。彼もまた、ネリネと同じように、その視線を遠く東の方へと向けている。


 どこからか、かすかに小鳥の声がした。

 空はまだ、暗いままだ。けれど目を凝(こ)らせば、東の空のきわがうっすらと白み、もうじきに夜が終わることを示している。


「……姫様」

「ええ」


 もう一度だけ強く抱きしめ合ってから、ダリルの手を借りて立ち上がる。

 自室には、あっという間にたどり着いてしまった。

 ここまで送り届けてくれたダリルに向き直り、ネリネは言った。まだ寝静まっている王宮をはばかって、ひそかな声で。


「ありがとう、ダリル。もうじき明るくなるから、護衛はもう大丈夫。だからあなたも、部屋に戻ってゆっくり休んで」

「わかりました、姫様。そうさせていただきます」


 ようやく休むと言ってくれたダリルに、ネリネはほっと胸を撫で下ろす。

 おやすみなさい。

 そう言って、別れ際、最後に長く触れ合う口づけを交わした。


 ……去っていくダリルの背が暗闇にまぎれて見えなくなる、その時まで部屋の前に立って、見送って。


 中で眠っているはずのプリシラを起こさないように、なるべく音を立てないように扉に手をかけた、


「お姉様!」

「……っ!? プリシラ……?!」


 その気遣(きづか)いがまったく無用のものだったと思い知らされたのは、扉を開けたほんの直後のことだった。


 プリシラは眠ってなどいなかった。

 扉のすぐ近くに立っていたプリシラは、ほの白い薄闇の中でもわかるくらいに目を輝かせながら、ネリネの前に迫ってくる。


「お、起きていたの……?」

「お姉様が部屋を出て行ったのなんてすぐにわかったわ。それより、お姉様ったらやるじゃない! ねえねえ、なんて言ってダリルを口説(くど)き落としたの? もう待ちきれないわ、早く教えて!」

「く、口説き……!? それより、どうして知って……!?」


 それからというもの、空が白み、朝日の明るさに夜の闇がほとんど薄らぐまで、プリシラの質問攻めは留まることを知らなかったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。