第6章:想いを告げる -3
「どうして王女が騎士を好きになっちゃいけないの? お姉様には負けるけど、あたしだってちゃんと勉強しているのよ。そんな決まり、この王国には存在しないって知ってる。歴史をさかのぼれば、騎士と結婚した王女だっているわ。命がけで自分を守ってくれる騎士のこと、好きになったって少しもおかしなことではないものね。それとも、ダリルが普通の騎士じゃないから? ダリルが昔は貧民街に住んでいて、どこで誰から生まれたのかもわからない孤児で、貴族達の中には今も悪口を言い続けている人がいるから。だから巻き込まれたくなくて、お姉様は――」
「違うわ!」
思いがけず迸り出た自分の声の大きさに、ネリネ自身ですら驚く。
頭をよぎったのは、初めて出会った日の夜、生まれを恥じて表情を翳らせていた、ダリルの姿だった。
「巻き込まれたくないから、なんて……そんなこと、考えるわけがない。そんなことが理由で、この気持ちを否定しているのではないわ。ただ、私は……私のこの気持ちは、ダリルの迷惑になってしまう。だってダリルは、弱虫姫の私が好きになっていい人じゃ――むぐっ!?」
話している途中でネリネの口を封じたのはプリシラの手だった。プリシラは両手を伸ばしてネリネの口を覆い、ネリネが言葉を続けるのを阻止しようとしてくる。
「――っ、……、――……!?」
「それ以上は言ったらだめ。その先はもう言わないって、約束してくれる?」
「~~~~っ……!」
こくこくと何度もうなずくと、プリシラはやっと手を離してくれた。
(息……止まるかと思った……)
呼吸を整えていると、プリシラは口を尖らせて言ってくる。
「お姉様が自分で自分のこと弱虫姫だなんて言うからよ。お姉様のこと、弱虫だとか内気すぎるとか、そんなふうに言う貴族がいるのは知ってるけど、でも、あたしはそうは思わないわ」
「プリシラ……」
「あたしの知ってるお姉様は、優しくて温かい人だわ。曲がったことが嫌いで、誰かが困っていたら迷わず手を差し伸べずにいられない。みんなお姉様のこと、大人しいとか地味だとかって言うけど、打ち解けたらたくさんしゃべってくれるし、笑うとびっくりするくらい可愛くなるの、あたしはずっと前から知ってるもの」
「…………」
どんな反応をしたらいいのか、わからない。
それはあまりにも真っ直ぐで、嘘偽りのない言葉だった。
プリシラがそんなふうに考えてくれていたなんて思いもよらなくて、せっかく赤みが引いていた頬に、またしても朱が差していくのを感じる。
「そんなに褒められたら……どうしていいか、わからないわ」
「どうしたらいいかって? そんなの、一つに決まってるじゃない」
ぴったりと額の上に、プリシラの額が重なる。
ネリネの手をそっと握って、目を閉じて、プリシラは言った。ひそやかな声で、まるで絹糸を大切に紡ぐように、ゆっくりと。
「自信を持って、お姉様。あたしの大好きなお姉様はとても素敵な人よ。……それとも、このあたしの言うことより、お姉様のことをよく知りもしないで適当に言ってる、他の貴族のことを信じるの?」
「…………。……いいえ」
弱虫姫。退屈な王女。ラウステラ国の恥さらし。
そう何度も囁きかけられて、長い間ずっと胸の奥底に淀んでいた卑屈な思いが、霧のようになってどこかへ溶け消えていくのを、ネリネは感じていた。
もう一度、首を横に振る。
「いいえ。そうね……私が、間違っていたわね。ありがとう、あなたの言葉は、とても温かいわね」
「ふふ。元気が出たならよかった。これでやっと、お姉様は何も気にすることなくダリルに恋することができるわね」
「プ、プリシラっ、その話はもう……!」
悪戯っぽく、それでいて心から楽しそうに笑うプリシラに、それ以上抗議することもできなくて……
*
すうすうと寝息を立てて、プリシラはあまりにも気持ちよさそうに眠っていた。
本当だったら、プリシラを起こして、彼女の部屋で休んでもらうのが一番なのだろう。けれどもう夜は遅く、廊下の灯りはとっくに消されているだろう。それに何より、こんなにも安らいだ表情で眠っているプリシラを起こしたくはなかった。
プリシラの手の下で開いていた本をそっと拾って脇のテーブルに置き、心の中でだけ呟く。
(……おやすみ、プリシラ)
昼間に充分休息を取っていたせいか。
疲れはほとんどなく、深夜にもかかわらず目が冴えてしまっていた。
眠れない夜は、いつもだったら、眠くなるまで本を読んで過ごす。
とはいえ今夜は、プリシラがここで眠っている。灯りをつけるわけにはいかず、ネリネはふと思いついて起き上がると、かすかな光の差している窓辺に寄った。
薄くカーテンを開くと、バルコニーと室内を隔てる窓の向こう、その先に見えたものに、思わず目が吸い寄せられる。
(大きな月)
ネリネの、真上。
空に昇っていたのは満月だった。
空には雲一つなく、月明かりを遮るものは何もない。
音もなく降り注ぐ澄んだ光は、深い闇に沈む地上を優しく抱いているかのようだ。
(今夜は、満月だったのね)
……もう少し。
眠気が襲ってくるまでは、もう少しだけ、空を見上げていたいと思った。
音を立てないように窓を開き、バルコニーの手すりのところまで歩み出る。
涼やかな夜気を胸いっぱいに吸い込んで。
やがて、月を見つめているうちに思い出したのは、寝る前にプリシラと交わした言葉だった。
『……彼は騎士よ。主君としての私を、慕ってくれている。それなのに私が、こんな気持ちを抱いていい相手じゃない……』
『どうして王女が騎士を好きになっちゃいけないの? お姉様には負けるけど、あたしだってちゃんと勉強しているのよ。そんな決まり、この王国には存在しないって知ってる』
『ふふ。元気が出たならよかった。これでやっと、お姉様は何も気にすることなくダリルに恋することができるわね』
それまでしんと静まって凪いでいた心が、瞬く間に波立っていく。
もう、いつのまにか胸の奥底から芽生えていたその想いに、気づかないふりをし続けることはできなくなっていた。
胸がどうしようもなく、苦しくなる。
これ以上、ごまかしようもない、この気持ちが――
(私は……ダリルのことが、好きなのね)
初めて知った、恋というものなのだと。
……でも。
でも、だからといって。
(私は、いったいどうしたら……)
深く、深く、ため息をつきかける。
――視界のすみに、何か動く影を見て取ったのは、ちょうどその時のことだった。
(あれは……)




