第5章:飢え渇いた王女の追想 -11
それから、どれほど時が流れただろう。
王女となり、王宮で暮らすようになってから、いつのまにか五年の時が過ぎていた。
鏡台の前で髪をとかし、近頃お気に入りになった、真珠をあしらった紫色の耳飾りを身につける。
耳飾りは最近、プリシラが十六歳になったお祝いにと、大勢の人々から贈られてきたものの中にあった一つだった。贈り主の名に覚えはなかったけれど、淡く優しい色合いとつややかな真珠が可愛らしく、ここのところは毎日のように身につけていた。
(あたしももう十六歳か。それなら……)
窓の外、庭に咲く色とりどりのコスモスを眺めながら、プリシラは物思いにふける。
すでに季節は秋の終わりに差し掛かっていた。これから長い冬が訪れて、雪が王宮を白く染めぬいていくだろう。そして、その雪が解け、春の花が咲き初める頃……プリシラより一つ年上のネリネは、王族ならば皆が受ける儀式を経験することになる。
王族にとって、十八歳になる年というのは、特別な意味を持つものだ。
(お姉様に、騎士がつけられる……)
十八歳になる年の春を迎えると、王族は選ばれた一人の騎士と、特別な絆を結ぶ儀式を執り行う。
それが、はるか古の建国の時代からラウステラ国に根付く、王族と騎士の伝統だった。
次の春まで、あと半年。
もうそろそろ、騎士団の上層部では、ネリネの騎士となる者の選定が始まっていてもおかしくない頃のはずだが……
ふと思い出したのは、かつてプリシラが自身でしようと決めていたことだった。
(あたし……お姉様の騎士にふさわしい人を見つけるって)
……なぜ、今の今まで、忘れてしまっていたのだろう。
短く息を吸い込み、プリシラは慌てて立ち上がる。
(……確かめないと)
もしすでに騎士の選定がすんでいて、その騎士が信頼に足る人物ならば、それでいい。
けれど、まだ決まっていないのなら――
扉が叩かれて、侍女のアナベルが顔を出す。
「あら、姫様。頼まれていた歴史書をお持ちしましたのに、そんなに急いでいったいどちらへ――」
「少し出かけてくるわ。勉強は後でするから!」
居ても立ってもいられなかった。
逸る心のままに、騎士寮と訓練場のある方角へと急ぐ。
王宮の敷地の中でも騎士のいるこのあたりに足を向けたことはほとんどなかったが、威勢のよいかけ声が聞こえてくるおかげで、訓練場の場所は自然とわかった。
騎士達がとうに出払い、すっかり静まり帰っている騎士寮の前を通り過ぎる。
秋風に揺れる木立の中の道を進んでいくと、その先に広がっていたのは――
(あれが……)
広大な訓練場で、剣や槍を携え騎乗した騎士達が、訓練試合に励んでいる。
目印にするためか、訓練場のあちこちに立てられた棒にそって複数の区画にわかれ、同時にいくつかの試合が行われているようだった。
騎士ばかりがひしめくこの場所で、ドレスをまとったプリシラの姿は否が応でも目立ってしまう。
騎士達に見つからないように木立の陰に身を隠し、プリシラはこっそりと試合の様子を窺った。
王宮に勤めることができるのは、王国を守る屈強な騎士の中でも精鋭として認められた者達ばかりだ。
騎士達は皆、馬や武器の扱いに優れていて、どの試合に目を向けてもその武芸に見入ってしまう。
やがて、プリシラの視線はある一点に吸い寄せられた。
「あの騎士……」
プリシラの目を奪ったのは、栗毛の馬に乗って剣戟を繰り出す一人の騎士の姿だった。
その騎士は先ほどから何人もの騎士を続けざまに地に伏せ、試合を勝ち抜いているようだ。
けれど何より、ひときわ目を引いたのは――
宵闇を思わせるような黒髪と、強い信念を感じさせる真紅の瞳。
(お姉様が好きなお話に出てくる王子様にそっくり……)
見れば見るほど、本当にあの物語の中から現れ出てきたかのようだ。
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
今やもう、騎士達は他にも大勢いるにもかかわらず、その騎士しか目に入ってこなくなってしまった。
「ずいぶん熱心に見てるね。そんなにあいつが気になる? プリシラ王女」
「……っ! 誰!?」
出し抜けに背後から飛んできた声に、プリシラは弾かれたように振り返った。
そこにいつのまにか立っていたのは、ベージュの髪をした、見慣れない青年だった。騎士の訓練着を着ているから、彼もまたこの王宮に勤める騎士の一人なのだろう。
明るく陽気な口調に、いかにも軽く、遊び好きそうな雰囲気。
プリシラが警戒心もあらわに身構えていると、青年はふと目を丸くして、まもなく嬉しそうに微笑んだ。
「その耳飾り、つけてくれてたんだ。嬉しいな、やっぱりきみに似合ってる」
「は……?」
「ああごめん。突然びっくりさせちゃったよね。オレはアドニス。アドニス・リューディア。ここの騎士の一人だよ。だいぶ前だけど、少しだけきみと話したことがあったんだ。まあきみはきっと覚えてはいないと思うけどね」
「アドニス・リューディア……?」
ようやくその名に思い至る。
そうだ。プリシラが気に入ったこの耳飾りを贈ってきた、覚えのない青年の名。
確かそれが、アドニス・リューディアだった。
会ってみれば、やはり知らない青年だ。
とはいえ、かつてのプリシラは数え切れないほどのパーティに招かれ、名を記憶しきれないくらい大勢の人々と言葉を交わしていた身だ。このアドニスとも、忘れているだけでどこかで知り合っていたのだろう。
アドニスはじっとプリシラを見つめてくる。親しげな眼差しなのにたじろいでしまったのは、その視線の奥底に、強固な意志があるのを感じたからだ。
事実、アドニスは決して笑ってはいなかった。
よくよく見れば、微笑んでいるのは目もとだけだ。表情全体はこわばっていて真剣で、何か、とても強い切実さを帯びている――
「……何? あたしに何か用でもあるの?」
「用、というほどのことでもないんだけどね。きみ、さっきからずっとあいつの――ダリルのことを見ていたなって思ってね」
「それは……」
ダリル。
それが、あの騎士の名なのか。
その名をしっかりと記憶に留める。
アドニスの問いは、続いていた。
「きみが十八歳になった時、自分の騎士にしたいと思ったとか?」
「違うわ」
間髪入れずに答えながら、プリシラもまた、探るようにアドニスを見つめ返す。
(この人……)
アドニスが何を考えているのか、わからなかった。
ただ、彼がプリシラの真意を推し量ろうとしていることだけは、はっきりとわかった。
「回りくどいのは、嫌いだわ」
探られるように視線を向けられるのは、いい気分ではない。
プリシラは一つ嘆息すると、アドニスに向き直って言った。
「あたしに何か、言いたいことがあるんでしょ? だったらはっきり言って。そうやってじろじろ見られるの、気分がよくないの」
「…………。ごめん。できるだけきみの気分を悪くさせないためにはどう伝えたらいいのかって考えていたんだけど……。そうだね、きみの言う通りだ。じゃあ、単刀直入に言わせてもらうよ。プリシラ王女、もしきみが、ダリルを自分の騎士にって考えていたのなら……どうか、お願いだ。あいつだけは、その候補から外してほしいんだ」
「……どういうこと? それに、あなたはいったい……」
ますますもって、アドニスの考えがわからなくなった。
戸惑いもあらわにアドニスの言葉を待つと、やがて彼は言った。
「オレはリューディア家の人間だ。ダリルはオルブライト家に引き取られて育ったから、騎士の家系の者どうし、長い付き合いでね。だから、あいつが今まで血の滲むような努力をしてここまで来たのを、ずっと見てきた。ネリネ王女の騎士になる……そのために」
「お姉様の騎士に……?!」
こんなにも、驚いたことが。
驚きのあまり言葉も続かなくなったことが、これまでに一度としてあったか。
これは、何なのか。
こんな運命の巡り合わせが、本当にあるものなのか。
喉がからからに渇いていく。
「……あたしは、自分の騎士を探しに来たのではないわ」
努めて平静を装い、アドニスに向き直って言った。
「あの騎士のこと、もっと教えて。あたしはここに、お姉様の騎士を探しに来たの」




