第5章:飢え渇いた王女の追想 -7
それから時は、流れるように過ぎた。
ネリネと決裂し、同じ王宮にいながら顔を合わせることもなければ一言も言葉を交わさなくなってからも、プリシラの暮らしぶりは少しも変わらなかった。
いや、変わらなかったというのは、違う。
それまで以上に、プリシラは目についたドレスや宝飾品を見境なく買いあさり、昼夜を分かたずパーティに明け暮れるようになった。
プリシラの評判は、いよいよ増すばかりだった。
誰よりも華やかなドレスをまとい、くるくると表情を変え、いつでも楽しげに明るく笑うプリシラを、人々は妖精姫と呼んで愛してやまない。
どこへ行っても、何をしていても、プリシラは人々から熱狂的な歓待を受ける。
――幸せ、だった。
プリシラは今、この国の誰よりも輝いていて、幸せであるはずだった。
誰もが羨む、煌びやかで豪奢な日々。
美しい容貌も、注目も、賞賛も、他人が欲しがりそうなものは何だって、余さず手に入れていて。
けれど。
いったい――どうしてなのだろう。
……パーティの終わった、ある日の夜更け。
会場を飛び出すやいなや、プリシラは転げるようにして自室へと向かい、勢いよく扉を閉める。
そこは誰もいない、光も灯っていない、真っ暗な空間。
ドレスを脱ぐ暇もなく、窓から差し込む月明かりを頼りにおぼつかない足取りで向かったのは、自室の隅にある洗面用のボウルのもとだ。
ボウルを引ったくるようにしてつかみ、そこに顔を突っ込んだところで、もう限界だった。背を折り曲げ、嘔吐の強烈な衝動に耐えきれずに、胃の中のものをすべて吐き出す。
「はあ、はぁっ……、う……うぇっ、うぅ、げほっ……!」
全部出し切り、咳き込んでも何も出なくなった後も、吐き気はなかなか収まらなかった。
気持ち悪い。頭が痛い。
胸が、苦しい。
まるで身体の中に何か悪いものが棲んでいて、内側からずたずたに食い荒らされているかのようだった。
ボウルをごとりと床に取り落として、よろよろとベッドに身体を投げ出す。
堰を切ったように溢れ出したのは涙だった。一度溢れた涙は自分の意思では止められず、ぼろぼろと流れ出して枕に染みを広げていく。
こうなるのは、初めてではなかった。
このところは、パーティが終わって一人になると、いつもこうだ。
どうしてなのかは、プリシラ自身にもわからない。
たびたび、前触れもなく気分が悪くなり、食べたものを吐かずにはいられない。
急にひどく悲しい気持ちになって、はっきりした理由もないのに、後から後から涙が溢れて止まらなくなってしまうのだ。
「……ふ、うっ……うぅっ……!」
苦しくて、つらくてたまらない。
ベッドのシーツを皺が寄るほどきつく握りしめて、堪えがたい痛みを必死に凌ぐ。
(あたしは……王女よ。みんなから愛される王女。……この国で、一番幸せな王女)
それなのに。
身体のどこかから、声がする。
プリシラをせせら嗤う声。
それは、聞き間違うはずもない、プリシラ自身の声だった。
――救いようもないくらい愚かね、プリシラ。あんたが愛されるのは、ただ単に、あんたが妖精姫だから。無理して、みんなから好かれる可愛い可愛い妖精姫を演じ続けてるからでしょ。ほんとのあんたは、お馬鹿で見栄っ張りで、何一つ取り柄のない、石ころみたいにくだらない娘なのに。
「違うっ……違う違う違うっ! あたしは……、あたしはっ……!」
耳を塞いで、うずくまって、黒々とした悪意のこもったその声から、必死に自分を守ろうとする。
けれどそれは、他の誰かが言っているのではない。他ならない、プリシラ自身の内側から聞こえてくる声だ。
だから、何をしたとしても、聞きたくなくても――聞かずにいることなど、できるはずもなく。
声は嗤う。
狂ったように、嗤い続ける。
――あはははっ、馬鹿みたい。あんたが王女じゃなかったら、綺麗なドレスや飾りがなかったら、誰もあんたのことなんか気にかけやしないわ。だって、そうでしょ? 妖精姫でもない、本当のあんたは……
「やめて、もうそれ以上言わないで! い、や……嫌……っ、嫌、嫌、嫌あぁ! お願い、もうやめて……、やめてぇえ――っ!」
――一生、誰からも愛されない。
世界で一番、みじめで価値のない女の子なんだから。
「あ……」
ぷつり、と。
身体の中で、何かが千切れ、壊れていく。
その音が、今、はっきりと聞こえた気がした。
意識が、どす黒い色に塗りつぶされていく。
果てのない暗闇の奥底まで、呑み込まれていく――
そうして、完全に意識を手放す、その直前、
「――プリシラっ!」
よく聞き知った声がプリシラの名を張り裂けんばかりに叫ぶのを、聞いた気がした――




