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第4章:戦場の記憶、瀕死の少年 -7


 その翌朝は、昨日の雨が嘘のような晴天になった。


 日の光を浴びた木々の葉の緑が、きらきらと目に眩(まぶ)しい。

 葉末(はずえ)から滴(したた)る透明な雫が、光を弾いて七色に輝いていた。


 雨上がりの森の朝は爽やかで、空気も甘く、もうしばらくここにいて、はたはたと枝葉から水滴が落ちる音に耳を傾けていたいくらいだった。


 でも、いつまでもこうしてはいられない。


 ……結局、昨日は夜通し雨が降り続いたために洞窟の外に出られず、王宮に帰ることができなかった。


 ダリルに聞けば、彼は薪(たきぎ)を拾い集める時に、王宮にいる騎士達に居場所と無事を知らせるための特別な目印を森の各所に残してきたという。


 だが、一晩の間、二人が帰らなかったことで王宮が騒ぎになったであろうことは、考えるまでもなく明らかなことなのだ。


 だから、早く戻らなければ。

 今朝早く森の中の状況を確認してきたらしいダリルによれば、魔物が身をひそめているような気配もなく、雨で地面はぬかるんでいるものの、比較的乾いている道を選べば問題なく王宮へ帰り着けるということだった。


 ヘリアンサスに馬具を取りつけ終えたダリルが、ネリネに声をかけてくる。


「姫様、お待たせしました。これから、王宮へ戻ります。――手を」

「ええ。ありがとう、ダリル。…………」


 ネリネをヘリアンサスに乗せるため、ダリルが手を差し出してくる。

 その手を取ろうとして、またしても思い出してしまったのが、昨夜遅くの出来事だった。


 急に手を止めてしまったネリネに、きっとダリルは怪訝そうな表情を浮かべたことだろう。


 けれど、ぶり返してきた羞恥のせいで、その顔をどうしてもまともに見ることができないのだ。


 ……昨日の夜。

 とうに日も落ち、あたりは完全に真っ暗になった頃。


 ネリネはふと、自分が眠ってしまっていたことに気づいた――ネリネが少しでも温かくしていられるようにと、ダリルが抱き寄せてくれた、その時の態勢のままで。


 しかも、目覚めた時のネリネは、まるでダリルが離れていくことを許さないとでも言うように、彼の服を握っていて。


 ダリルが長い時間動けず、ひどい迷惑を被ったであろうことに思い当たった途端、ネリネは全身に冷や水をかけられたようにまどろみから目を覚ましたのだった。


『ご、ごごごご、ごめんなさいっ! わ、私……、私、あ、あなたにとんでもない迷惑を……!』

『姫様! 落ち着いてください、俺は、迷惑だなんて思っていませんから……!』


 あまりに恥ずかしくて、居たたまれない。

 それからネリネは、ダリルに対してえんえんと、何度も謝らずにはいられなかったのだった。


 ダリルの手に触れようとした途端、ネリネが何を想起して固まったのか、彼にも察しがついたのだろう。


 あの、とおもむろに口を開いて、ダリルは言った。


「昨夜も言いましたが、もう謝らないでください。俺が姫様のことを迷惑に思うなど、絶対にあり得ませんから。それに……その、昨夜は遅くまで冷えていましたし。お互いに暖を取ろうとするなら、あの態勢でいたのはかえってよかった、かと。それに……それに、本当は……」

「…………?」


 ダリルの声が急に細く小さくなって、ネリネは思わず顔を上げる。それからすぐにはっと息を詰めた。


(ダリル……?)


 彼の様子がいつもと違うことには、すぐに気がついた。


 ……顔色が、悪い。

 ダリルの表情はどこかつらそうで、まるで何かを堪えているかのようだった。


 すぐに彼に尋ねようと思った。体調が悪いのではないか。それとも、何かを我慢しているのではないか。


 けれどそれよりも早く、ダリルはほとんど聞き取れないくらいの不明瞭な言葉を口走る。今にも消え入りそうな、掠れた声で。


「申し訳ありません、姫様。本当は……本当に謝らなければならないのは、姫様ではないんです。俺は……俺は、姫様に、決して許されないことを……」

「え……?」


 言葉の続きを聞くことは、できなかった。


 突然、ヘリアンサスが耳をぴんと立て、洞窟の外の方へと向ける。

 小さくいなないたその様子に、ダリルも異変を感じ取ったらしい。

 ネリネも、それからまもなく、森の向こうから近づいてくる音に気がついた。


 それは、泥混じりの地面を蹴立てる、複数の蹄の音。

 思わずダリルに目を向けようとしたネリネだったが、ダリルの方がいち早くその音に反応を示した。


「安心してください、姫様」


 ヘリアンサスも、警戒するような仕草は見せない。むしろ長い尾を上下させ、機嫌がよさそうだ。

 ダリルは洞窟の外に出ながら、後ろに立つネリネに言った。


「あれは騎士団です。この場所にいることを知って、迎えに来てくれたんでしょう」


 彼が言い終わるのと同じくらいに木立の向こうから聞こえてきたのは、ネリネの知っている人達の、馴染(なじ)みある声だった。


「ああちょっと、プリシラ王女! 一人で先に行っちゃだめだってば! みんな来るまでもう少し待っててくれないと――」

「待ってなんかいられるわけないでしょ!? お姉様はどこなの! お姉様! 近くにいるなら、早く返事をしなさいよ!」



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