第4章:戦場の記憶、瀕死の少年 -5
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洞窟の外で、雨が勢いを増していく。
無数の雨粒が木々の葉や地面の上で散る音が、冷えた風に乗って、寄せ来る水波のように連鎖して聞こえてくる。
けれど今、ネリネは風の冷たさも雨の音も、少しも気にかける余裕はなかった。
じっと、目の前にいるダリルを見つめる。
はっきり言って、今、ネリネの目の前にいるダリルに、十一年前の彼の面影など少しも残ってはいない。
あの時、ネリネが助けた少年が、彼なのだと。
やっと気づくのにこんなに時間がかかったのも、正直なところ、仕方ないと思えるほどに。
だって、あまりにもダリルは、見違えてしまっていたのだ。
十一年前、あんなにも痩せこけ、蛆が湧いていた小柄な身体は、今やたくましく鍛え上げられ、ネリネをはるか高みから見下ろせるほどだ。
穴だらけのぼろ服は、ラウステラ国の民の誰もが憧憬の眼差しを向ける、騎士の装いへ。
美しい宵闇を思わせるような漆黒の髪は、あの頃、ぼさぼさに乱れ、汚れ切ってしらみがたかっていたのと同じ髪だとは思えない。
唯一変わっていなかったのは、その赤い瞳だけだ。
強く揺るぎない光を宿した、紅玉の瞳――
そっと、ネリネは手を伸ばした。
そのまま頬に触れると、ダリルは少しだけくすぐったそうに、けれど深く安らいだ表情を浮かべて目を細め、ネリネを見つめ返してくる。
「本当に……あなたなのね」
「はい。姫様」
「病気は、治ったのね? もう、痛いところも、苦しいところもないのよね……?」
ダリルはもう、とっくに病から回復している。見ればわかることだ。
それでも問わずにいられなかったのは、初めて出会った時の彼の病状が目に焼きついているせいだ。
――十一年前。
瀕死のダリルを診てくれた軍医によれば、彼の身体に表れていた症状は、ラウステラ国では貧民街のほか、不衛生な戦地ではしばしば見られる病によるものらしかった。
悪い黴が増えて腐った水を飲むことで発症し、遅効性の猛毒を口に含んだ時のように、次第に体内が脅かされていく。やがて身体を動かすことができなくなり、血を吐きながら死んでいくのだと。
治療によってダリルはかろうじて命をつなぎ止めたが、それから何日もの間、彼は目を覚まさなかった。恐ろしいほどの高熱はほとんど下がらず、彼はそのまま苦しみ続けたのだ。
ネリネは傷病兵の世話をしながらも、朝と夜、必ずダリルのもとへ行った。彼を介抱しながら、ひたすら回復を祈り続けたのだった。
(どうか……どうか、フィリス様。この人の命を取らないで。お願いです、どうか、この人を助けてください)
……けれど、ネリネがダリルの回復を見届けることは、叶わなかった。
もうずっと長い間、慣れない環境でほとんど休まず働き続けたネリネの身体は、とっくに限界に達していて。
体調が崩れるのは、あっという間だった。
ついに起き上がることもできなくなったネリネは、急遽、王城へと帰らなければならなくなったからだ。
(そして、私は後から聞かされた。ダリルの病気は無事に治って、ヴェリアにいた大勢の孤児達と一緒に、教会に預けられることになったと……)
その知らせを聞いて、ひどく安心して。
時が流れるうちに、いつしかネリネは、幼かった頃のその記憶をすっかり忘れ去ってしまっていた――
ネリネの問いに、ダリルはうなずいて言った。
「あなたのおかげです。あの時……あなたが俺を見つけ、背負って、あの裏路地から助け出してくれたから……だから俺は、死なずにすんだ。悪事から足を洗って、こうして騎士にまでなることができたんです。こんなこと、貧民街にいた頃は想像すらできなかった。……何もかも。姫様、あなたのおかげなんですよ」
しばらくの間、言葉を見つけることもできずに、ネリネはダリルを見つめ続ける。
けれどやがて、首を横に振って答えた。
「いいえ、違うわ。確かに私は昔、あなたを見つけたわ。だけど、それだけよ。あなたの病気を治したのは軍医の先生だし、それに何より……今のダリルがあるのは、あなた自身が努力をしたからだわ」
貧民街に生まれ育ち、何の教育も受けてこなかったであろう彼が、王族に仕える騎士として認められるまでに日夜どれほどの努力をしてきたのか。考えもつかないほどだ。
騎士を目指す前に、それが途方もなく険しい道のりであることは、ダリルにだって充分わかっていたはず。
……かつてネリネがダリルにしたことは、本当に大したことなんかじゃない。
彼はもう多くの苦しみを耐え抜いてきたのだから、命が助かった後はネリネのことなど忘れて、平穏な暮らしを求めることだってできたのだ。
それなのに、ダリルはネリネの騎士になる道を選んだ。
どんなに言葉を尽くしても、足りない。
だからネリネは、何度だって彼に伝えるしかないのだ。
「ダリル。……私の騎士になってくれて、ありがとう。私の騎士が、あなたで本当によかった。……どうかこれからも、よろしくね」
「姫様……」
ネリネの言葉に、ダリルは呆気に取られた顔をしていた。
けれどまもなく、彼は心から嬉しそうな、優しい表情をして答えるのだった。
「もちろんです、姫様。どうかこれからも、ずっと……あなたのそばで、お仕えさせてください」




