第3章:記憶の欠片、忠誠の理由 -9
……改めて。
ダリルが持ってきたのは、びっしょりと濡れた薪だ。
この状態で火などつくのだろうかとネリネは思ったが、心配はいらなかった。
「雨が降り出してから時間が経っていなければ、表面は濡れていても中の方までは湿っていないことが多いんです」
そう言って、ダリルは短剣を取り出し、次々と薪の樹皮を剥いでいく。彼が言った通り、内側から現れたのは乾いた木目だ。
すばやく薪を組み、あっという間に火を立ち上らせたその手際に、ネリネは感心するほかない。
「何でも知っているのね、あなたは」
「いえ、このくらいは騎士としては当然です。これで少しは暖を取れるといいんですが」
「ええ。暖かいわ、とても。ありがとう……ダリル」
そう、答えつつも。
ネリネはダリルに気づかれないようにひそかに腕をさすり、肌の震えを抑えようとした。
確かに、焚き火のそばは暖かい。
ぐっしょり濡れそぼっていた髪や衣服も、火に当たることで少しずつ乾きつつある。
それでも、一度芯まで冷え切ってしまった身体は、思うように温まらない。外の雨風がさらに強く、寒さを増してきていることもあって、体温がなかなか戻らないのだ。
(寒い……)
くしゃみが出そうになるのをどうにか我慢する。何もない洞窟の中では、火を焚く他に暖を取る方法なんてないのだ。これ以上、ダリルに気を遣わせるわけにはいかない。
そう思って、ネリネは努めて平気なふりをし続けようとした――
ダリルから声をかけられたのは、そんな時のことだった。
「すみません、姫様。……先に、非礼をお詫びします」
「え……? …………っ」
横合いから腕を引っ張られる。
驚く間もなかった。
ほんの一瞬のうちに、冷え切ったネリネの身体は温かな腕に包まれていて。
少し遅れてようやく、ダリルに後ろから抱き寄せられたのだと気づく。
「ダ、リル……?」
心臓が襟元から飛び出しそうなほどに跳ね上がる。
思わず掠れた声が出てしまうが、ネリネに負けず劣らず、後ろから返ってきたダリルの声も少し上ずっていて、明らかな動揺が滲んでいた。
すみません、ともう一度謝って、彼は焦ったように続けた。
「寒そうにしていらしたのが、見ていられず。ですがこうするほかに、姫様の寒さを和らげて差し上げる方法が、思いつかなかったので……」
「…………」
「……すみません。やはり、嫌でしたよね。今すぐに離れますから――」
「あ……、い、いえっ! ごめんなさい、黙ってしまって。少し、驚いてしまっただけなの。だから、あの……離れないで。このままでいてくれたら……、嬉しい」
「姫、様……」
ぶしゅう、と顔から火が出そうになる。
……こんな顔、ダリルに見られるわけにはいかない。
ネリネはできる限り顔を俯けて、真っ赤な顔を彼に気づかれませんようにと必死な思いで祈り続ける。
しばらくの間、互いに何を言うこともできず、沈黙の時間が過ぎる。
けれどどれほど時間が過ぎたとしても、熱を帯びた頬も、痛いほどの速度で鼓動を刻む心臓も、少しももとに戻りそうにない。
だって……
(だって、こんなに近い。肌だって……これでは、ほとんど直接触れているようなものだわ)
雨水を吸って重くなった衣服は容赦なく体温を奪う。
かと言ってまさか、衣服をすべて脱ぐわけにもいかない。だからネリネもダリルも、上着だけは脱ぎ、身につけているのは夏用の衣一枚というありさまだった。
薄い布越しでは、あまりにもはっきりとわかってしまう。
ダリルの固く鍛え上げられた腕や胸の筋肉の感触も、彼の心臓がネリネに負けないほどに激しく鼓動を打っているのも……
……心臓の、音。
(ダリルも、私と同じなの? 私と、同じで……)
甘やかな気持ちが、胸の中いっぱいに広がっていく。
頭がくらくらして、酩酊したような気分になっていくのを、堪えることができなかった。
ダリルがネリネを抱く力が、強まったような気がした。外気に晒されて冷え切っていた手首にそっと触れられると、その部分が瞬く間に熱を持つ。……もっと、触れていてくれたらと。震える呼気が、こぼれ出てしまう。
疼く胸を押さえながら、顔を伏せる。
普通に息をするのすら、ままならなくなる――
(……どうして、私、こんな気持ちになってしまうの? ダリルに、もっとそばにいてほしいと、どうしても、そう思ってしまう。私は……、私は、ダリルのことを……)
ぎゅっと目を閉じて、必死に考えを振り払おうとする。
これ以上、深く考えてはだめだ。考えるのをやめなければ、決して抱いてはいけなかったその感情の正体に、ネリネはきっと気がついてしまうのだから……




