第3章:記憶の欠片、忠誠の理由 -7
ダリル・オルブライト。
彼はそう名乗り、ネリネに忠誠を誓ったのだ。
ネリネの疑問をいち早く察し取ったのだろう。
ダリルは過去を懐かしむような、そんな静かで温かな口調で語ってくれる。
「オルブライト家の今の当主――トウェイン様に目をかけていただいたんです。あの方には、感謝してもしきれません。貧民街出身の俺を……無謀にも、姫様の騎士になりたいと望んでいた俺を、養子として迎えてくださったんですから」
「トウェイン様が……」
トウェインの人となりはネリネもよく知っている。
名門オルブライト家の当主にして、孤児院を営む教会に支援を惜しまない、フィリス教の敬虔な信徒。寄進ばかりでなく、彼は自ら進んで貧民街にも足を向け、人々と直接言葉を交わし、彼らを助け励ましていると聞く。
そうした中で、ダリルはトウェインに見出してもらえたのだろう。
ネリネの騎士になりたい、と。
その強い意志を、ダリルの中に見て取って――
「……ダリル」
名を呼ぶネリネの声色が、急に切実な色合いを帯びたことに、ダリルは気がついたに違いない。
重々しい声で、彼は尋ねてくる。
「……どうしたのですか?」
「どうしても、聞きたいことがあったの。私はずっと、私の騎士になってくれる人なんて、誰もいないと思っていたわ。けれどあなたは、そんなにもずっと前から、私の騎士になることを望んでくれた。弱虫姫と馬鹿にされてきた、この私の騎士に……。それが、どうしても、わからなくて」
「違います」
「え……?」
ネリネの言葉を遮る、ダリルの声。
その強くきっぱりとした言葉に、ネリネは驚いて口を閉ざす。
ダリルは、言う。それは、いつも年齢に見合わないほどに落ち着いている彼らしくもない、必死に訴えかけるような声で――
「違います、姫様。あなたは決して、弱虫姫なんかじゃない。俺はそれを、身をもって知っています。……もうずっと昔のことですから、あなたはきっと、覚えていらっしゃらないのでしょう。けれど俺は忘れたことなどありません。俺は……、俺はかつて、あなたに――」
ダリルの言葉がそこで途切れる。
気づけば、先ほどまで軽やかに進んでいた馬も、今やその足取りは遅くなり、慎重な歩様になっていた。耳を後ろに倒し、周囲を警戒しているのがネリネにもわかる。
「……姫様」
ひそめた低い声で、ダリルが名を呼んでくる。
その声音だけで、今、何かが起きているのだと察する。
ぐっと、ネリネを抱くダリルの腕の力が強くなった。
「必ずお守りします。ですから、どうか、俺に御身を預けていてください」
そう言い終わるのと、近くの茂みががさりと動いたのとは、ほぼ同時のことだった。
話に集中していてネリネは今さらになって気づいたが、周囲の様子は先ほどとは打って変わっていた。風景は草原から森へと切り替わる、まさにその時で。
ネリネとダリルが来るのを待ち構えていたかのように。
木々の陰から飛び出してきたのは、夜よりも暗い靄を立ち上らせながら牙を剥き出しにする、四つ足の魔物の群れだった。
「魔物……!?」
ぞくりと背筋が冷え、肌が粟立つ。
けれど、恐怖に打ちのめされている余裕などなかった。
馬が空気を切り裂くような声でいななき、前肢を高く跳ね上げる。
キィン、と刃を抜き放つ鋭利な音が響いたのはその直後のこと。
左手にネリネを抱き、右手に剣を握ったダリルは、両足だけで馬を操り、襲い来る魔物を次々と斬り伏せていく。
その手際はあまりにもあざやかで。
魔物はネリネはおろか、ダリルにさえ傷一つつけることはできない。
やがて……
このままダリルと戦ったとしても勝ち目はない。
倒れ伏した仲間を前に、魔物はそう判断したのだろうか。
一瞬の睨み合いの後、残っていた魔物がいっせいにその場から走り去っていく。
ダリルはそれを追うことはしなかった。
馬首をめぐらし、路をそれて森の中へと分け入っていく。
「ダリル……!」
「すぐにここから離れます。馬を全速で走らせますので、舌を噛まないように、しっかり口を閉じていてください」
ネリネにそう告げるやいなや、ダリルは馬を叩いて指示を出す。
馬はダリルの指令によく応えた。ドドッ、ドドッ、と地を穿つかのごとき剛脚で、一瞬たりとも力を抜くことなく、木の根の張り出した地面をつまづかずに駆け抜けていく。
(ダリルがいなかったら。私は今頃……)
あまりにも容易に想像できた最悪の顛末に、さあっ、と血の気の引くような心地に陥る。
そうして、完全に危機から逃れたとダリルが判断し、馬の速度を緩めるまで。
ただただ、ネリネは馬の背に揺られ、ダリルに身を預けているほかなかったのだった。




