第3章:記憶の欠片、忠誠の理由 -2
「やっ! はあっ! せえええいっ!」
気勢とともにこちらへ向かって鋭い剣戟が繰り出される。防ぐことはしない。寸前まで引きつけてかわし、ダリルは相手の横合いへと素早く移動した。
「うわっ!?」
「終わりだ」
剣の切っ先を、狙いあやまたずに相手の喉へひたりと当てる。
試合はそれで終了だった。
「あ、はは……」
敗北した相手は持っていた剣を地面に下ろすと、肩をすくめて弱々しく笑った。
「やっぱり何度やっても、ダリルには勝てないなあ」
ここは王宮の敷地内にある、騎士寮の近くの訓練場。
ダリルは今日、数日ぶりに騎士達による合同訓練に参加していた。
平地での個人戦闘の訓練で最初に相手をしたのは、かつての部下の一人だ。ネリネの騎士になる以前、ダリルは隊を任されていて、この部下は訓練時以外にも幾度となくダリルに手合わせを申し込んできたものだった。
剣を部下の喉から離しながら、ダリルは答えた。
「あんたはいつも、やみくもに突っ込みすぎるな。もう少し攻めに移る瞬間を見極めてから動いた方がいい」
「はいはい、わかってますよ。簡単に言ってくれるけど、その見極めってやつが難しいんだよな。あーあ、最近お前、訓練にもほとんど出ないで、姫様を手伝って執務ばっかりしてたみたいだし、ひょっとしたら勝てるかなと思ったんだけど」
「いやいや、まさかぁ。だってダリルだよ? 合同訓練には出てなくても、自主鍛錬の方はさぼるわけないでしょ」
部下との会話に割り込んできたのは、聞き慣れた声だ。
声の聞こえた方へと顔を向ければ、ひらりと手を振りながら近づいてくる青年の姿がある。
日差しを浴びるとかすかに金色を帯びるベージュの髪に、夏の森を思わせるような緑色の瞳。
そして何より特徴的な、他人に一見お気楽そうな印象を与えるへらっとした笑顔。
「……アドニス」
嫌な予感がしたので警戒しながら名を呼べば、やはりと言うべきか。
彼は待ってましたとばかりに目をきらめかせ、憎らしいほどに楽しげな声音で尋ねてくるのだった。
「やあやあダリル、久しぶり。で、どうなの? 念願の、ネリネ王女の騎士になった感想は!」
*
まったく、きみが面倒見ていた隊まで任されるようになって、オレは今めちゃくちゃ大変なんだよ? 今日だって日が昇る前から仕事してたし、団長達は相変わらず人使いが荒すぎるしさ。少しは親友の頑張りを褒めてほしいくらいだなあ……
……などとアドニスが軽妙に話す一方で、ダリルは、
「そうか。それは大変だったな。ご苦労なことだ」
と、反応は素っ気ない。
ダリルとアドニスは年頃も騎士になった時期も同じ、騎士としての実力も拮抗している者どうしながら、その性格は正反対だとよく言われ続けてきたものだ。けれど話すと不思議と馬が合い、気づけば戦友、親友とでも呼ぶべき間柄になっていた。
ダリルがこれまで騎士団で担ってきた役割は、そのほとんどがアドニスに引き継がれることになった。そのため近頃のアドニスは、朝から晩まで慌ただしい日々を送っているらしい。
……そのまま、ひたすら日々の愚痴を話し続けてくれていたらよかったのだが。
個人戦闘訓練に続き、騎乗での訓練も終えて休憩の時間に入るなり、一目散に駆けつけてきたアドニスが、そのまま何も追及せずにすませるはずもなく。
「……で、さっきはうまいことかわされちゃったから、もう一回聞くけど? この間の舞踏会の時なんか、ネリネ王女とすごくいい雰囲気だったって本当?」
あやうく飲んでいた水で噎せかけて、ダリルは無言でアドニスを睨みつける。
しかしアドニスはますます愉快そうに笑みを深めるばかりだ。
「あ、今噎せそうになってたでしょ? あーあ、やっぱりオレも舞踏会出たかったなあ。ダリルが王女の前でどんな顔してたのか、ぜひ見物してみたかったよ」
「……アドニス。お前が何を聞きつけたのか知らないがな。姫様は俺にとってお仕えする主だ。お前が考えるようなやましい感情を抱いていい相手じゃない」
「またまたぁ、無理しちゃってさ。だいたい、ダリルのこと傍から見てたら誰だってわかることだよ? きみのネリネ王女に対する気持ちってさ、たぶん、従者が主を純粋に慕うっていうよりは――」
「やめろ。……その先は口にするな」
途中で遮れば、アドニスはさすがに懲りたのか、それ以上続けようとはしなかった。
肩をすくめ、小さく息をついてから、彼は言う。
「ほんと、きみは大変なんてもんじゃないよね。……王女様と騎士、か。オレがダリルの立場で、きみが前に話してくれたみたいに姫様に救われたんだったら。このまま騎士として仕えていたら、たぶんいつか、限界が来る。まあそれでも、きみは何があろうと、姫様の騎士として仕え続けるんだろうけどさ。出自だけで他人を見下してくるような連中もいる中で、きみがどれだけ努力してきたのか、オレはよく知ってるよ。だから……報われないっていうか、なんというか」
「そんなことはない。俺は充分に報われている。姫様の第一の従者として仕えることができるのなら、それだけで充分だ」
それはダリルにとって、まぎれもなく本心からの思いだった。
ネリネ・リーリア・ラウステラ。
いずれラウステラ国を継いで女王となる、高貴なる王女。
――それが、十一年前、誰からも見捨てられ、顧みられないまま、路傍で死ぬはずだったダリルを救い上げてくれた、少女の名前。
もうずっとダリルは、彼女を自分の命なんかよりも大切に想い続けてきた。
ネリネにもう一度、会いたい。
彼女がかつてダリルを救ってくれたように。
今度はダリルが彼女を守りたい、と。
それだけを胸に、毎日誰にも負けないほどの努力を重ね続けてきたのだ。
(姫様のことを思い返さなかった日なんて……ない)
だから当然、アドニスに指摘されなくとも、ダリルだって自覚していた。
ダリルのネリネに対する感情は、ただ単に主に対しての敬愛だけにとどまらない。
ネリネに対するこの想いはもうとっくに、敬愛などをはるかに通り越していることくらい、自分でだってわかっていたのだ。
……本当に、ネリネのそばに騎士としていられるだけで、ダリルにとっては充分幸せで。
けれど、アドニスが言う〈限界〉が来ること――いずれ身体を切り刻まれるよりつらい局面に立ち会わなければならなくなることも、覚悟していたことなのだった。
いずれ。
いずれネリネは、家柄も性格も彼女にふさわしい青年と結婚するだろう。そして彼女はまだ見ぬその誰かと愛し合い、幸せになっていくのだろう。
ネリネの騎士を続けるというのなら、そのさまを、ダリルは一番近くで見ていなければならないことは、明らかで。
その光景を。
彼女がまだ見ぬその伴侶に優しく微笑みかけるそのさまを、ありありと想像してしまった途端。
じくじくと、古傷が熱を持った時のような痛みを胸に感じる。その痛みは血が布に滲んでいくようにじわじわと広がって、最後には強く締めつけるような痛みとなって、胸を苛む。
もうすでに、慣れた痛みだ。
その時が来たとしても、耐えられる。いや、耐えてみせると、ダリルは心に固く誓っていたのだった。
これ以上は、望んではならない。絶対に。
そもそもネリネの騎士になること自体、もとは貧民だったダリルにとって、あまりに身の程知らずな望みだったのだから――
「あ、ネリネ王女だ」
唐突にアドニスが声を上げたのは、その時だった。
この厄介な親友はまだ人をからかいたいのかと、ダリルは呆れてため息をつく。
「見え透いた嘘をつくな。こんなところまで姫様がいらっしゃるわけがないだろう」
「いや嘘じゃないって。本当だってば。ほら見て、こっちに来る。ダリルのこと捜しに来たんじゃないの?」
「まさか……」
顔を上げてまもなく、ダリルは目を瞠る。
慣れていない場所を一人で歩く不安からなのか、ためらいがちに目を伏せ、あたりを窺いながら慎重に歩いてくるその姿は。
慌ててダリルが立ち上がれば、不安そうにさまよっていたネリネの視線は、すぐにこちらへと向けられた。
ダリルの姿を見つけられた安堵からか。
固くこわばっていたネリネの表情が、一気にほどけた。
「ダリル」
はにかみながらそう呼んで、彼女は駆け足でダリルのもとへと近づいてくる……




