私の前世は
ユリウス様が帰り、ビビが眠ったあと、私はストックしていた手袋を洗い始めた。
ユリウス様にひとつ渡したので、新品を卸す。
薬草液でもみ洗いして乾かし、革が硬くならないよう油を塗る。
洗い終わった手袋を布の上に広げる。
これは『他の世界で言うところの』、ビニール手袋だ。
この世界にはそんな便利なものはないので、私が手作りした。
ビニール手袋があれば、私は親友を失わなくて済んだ気がする。
私は、この世界に生まれ変わった「転生者」だ。
私が前世の記憶を取り戻したのは、魔法学校に入学する前夜……高熱で寝込んだ時だった。
私は夢の中でひたすら手術をしていた。
どうしてこんな変な夢をみるんだろう……うなされて、それが前世の自分だと知った。
私は日本という国で、立川里緒奈として生まれ育ち、獣医として働いていた。
幼い頃から犬や猫が好きで、獣医として就職。
働き始めて10年……事故で死んで、こっちの世界にきた。
熱が下がって、すべて納得していた。
私は立川里緒奈として生きて死に、この世界のヘイスティン子爵家の次女として生まれ変わっていた。
領地は王都から遠い農牧地帯で、兄が家を継ぐので、私自身は比較的自由に進路を選べた。
そして農地にいる馬や、牛、牧羊犬を全力で可愛がって生きていた。
前世が獣医なのだから当然だ。
人間の腎臓横には魔法核原基がある。
私のそれは6歳の時点でかなり発達していて、すでに魔法核ができつつあった。
この世界では、魔法核原基を魔法核に育てられる者だけが、王立魔法学校への入学を許されていた。
このまま領地に残り、動物たちと暮らしていく生活も魅力的だと思ったが、魔法を使うと動物の手術や治療が楽に出来ると知り、そのまま入学を決めた。
この世界には、前世の世界には居なかった魔法獣が多く住んでいて、その生態に興味を持ったのだ。
前世でも手術好きの変わり者獣医で、手術ばかりして寝不足で、運転をして事故にあった。
今世では魔法獣に興味を持ち、魔法獣について学んで獣医の資格を取り、首席で魔法学校を卒業した。
希望は王立魔法獣研究所だったが、動物の治療ができて、魔法陣で仲間を守れる私を王立魔法騎士団が逃がしてくれるはずもなく、そのまま就職。
戦地で騎士たちを守る魔法使いとして仕事をした。
仲間もたくさんできて、親友もいた。
でも親友は、ずっと魔法核のある脇腹に強い痛みを訴えていた。
その後、戦場で私を治して死んでしまった。
皮膚も、魔法核がある周辺のみ、打撲のように青黒く変色していた。
けれど戦場では打撲として扱われて、原因までは調べられなかった。
魔法核は、ふつう触れても害はない。
死んだ獣から取り出した魔法核を、誰もが素手で扱っている。
でも親友は治癒魔法の使い手で、死にかけた仲間や敵兵に素手で触れることが多かった。
もし、何かに汚染された魔法核を持つ人間に触れていたとしたら……私はそれを疑っている。
人間を解剖して調べる技術がないこの世界では、何も分からない。
でもあれ以来私は、死んだ生き物に触れるときは必ず手袋をしている。
親友は料理が好きで「王立魔法騎士団を引退したら一緒にもふもふカフェしよう」と言っていた。
私は月を見ながら、
「……カフェを開くには最高の場所なのに、ごめんね。結局獣医しかできない」
ビビは亡き親友が飼っていた猫だ。
倒れて死んだ親友の横にいたビビの顔を私は一生忘れない。
あの子は泣きも怒りもせず、ただ立っていた。
この世界にきてまだ34年。
分からないことばかりだが、前世の知識があるからこそ出来ることがあるはず。
「おはようございます、朝ご飯です」
「パンパンパンパン、パンじゃないか、兄ちゃん!」
「ビビ、おはよう。町で買ってきたよ」
「うおおおお!! ローストビーフもあるのか、兄ちゃん!!」
「今日は頼むよ、ビビ」
「仕方ないなあ。バター塗ってくれ。たっぷりこんもりと頼むよ」
「ビビはグルメだねえ」
朝、家に再びきたユリウス様は、町のパン屋で買い物をしてきてくれたようだ。
香ばしい匂いが漂ってきて、
「クロワッサン!」
私はそれをみて目を丸くした。
私はクロワッサンに目がない。とにかくサクサクしていて手間がかかっていて、何個でも食べられる。
それを見たユリウス様が、
「お好きなんですか?」
「ええ、サクサクしてるところが。王都にいた時はクロワッサンを机横に積んで仕事してました」
「アルディナは、ハマるとそればっかり食べる。それに付き合わされる俺の立場にもなれ」
ムシャムシャ食べているビビの言葉を無視して、私はクロワッサンに手を伸ばした。
「頂いても?」
私が聞くとユリウス様は笑顔でそれを渡してくれた。
サクサクしていて、まだ温かくて、表面がパリパリしていて最高だ。
そして紅茶も持って来てくれた。
私はそれを飲みながら、
「昨日食事時に頂いたお茶もとても美味しかったです。あれは?」
「グリーンティーです。紅茶とは違って、発酵させずに作るもので、ミーアの特産品なんです。王都には卸せない等外品ですが」
「ああ、なるほど」
昨日飲んだ時になんだか懐かしいと思ったが、前世で私は緑茶を好んで飲んでいた。
だからそう思ったんだ。
私はユリウス様を見て、
「すごく美味しかったです」
「アルディナさんは作ることに興味は無いけど、美味しいものは好きなんですね。腕のふるいがいがあります。」
そう言ってユリウス様は微笑んだ。
美味しいご飯は大歓迎だ。
ただ作る時間より動物を見たいだけで。
私たちは満腹になり、町外れの皮膚炎の白狼が居るという場所に向かった。
「……あっちだな」
馬の頭の上に立っているビビが耳を動かした。
魔法猫は遠くにいる獣の気配を感じられる。
ビビは耳をピクピクさせて、
「……待て。鳴いてる。死にかけだな」
そう言ってビビは馬の上からピョンと下りた。
ここは町外れから山道を少し登った、段々畑と農家が点在する斜面だ。
畑が広がり、農家がポツポツとある開けた場所だ。
ビビはトコトコと歩き、農具が置いてある家の裏に向かった。
そこには、身体中を爛れさせた白狼の子どもが横になっていた。
私はユリウス様を見て、
「この症状?」
「ああ、これだ」
「たしかにこれは……かなり重い皮膚炎ですね。診ます」
私は手袋をして持って来た机にシートを広げて白狼の子ども……子白狼を置いた。
何かに触れて炎症しているのか、身体のどの部分が炎症しているのか、全体をくまなく診る。
あまりに苦しそうなので、軽く麻酔魔法をかけると、苦しげな声が少し和らいだ。
横で見ていたビビが、
「生まれたばっかだな、コイツ」
「そうね、一ヶ月くらいかな。皮膚炎が酷い……何かに触れたのか、魔草を食べたのか、寄生虫なのか……全身と特に肛門付近が爛れてる。糞が欲しいわ。中に虫がいるかもしれない」
ユリウス様が立ち上がり、
「付近を見ます」
「白狼なら、獣道の端や少し目立つ場所に糞を残してる可能性があります。周辺を見てみてください」
私は子白狼をしっかり観察する。
イヌ科の皮膚疾患は原因が多い。
軽い炎症なら洗浄や軟膏で改善することもあるが、これは明らかに違う。
ところどころ不自然に盛り上がり、一部は破れて小さな穴が開いている。
そこから透明な汁が滲んでいた。
中に何かある。
「膨らんでいる所を切開して、中を確認しないと無理ね」
この世界には、日本にはなかった魔草も多い。
魔法獣が死んで残した魔法核に触れた植物が、変化したものだ。
そもそも魔草なのか、何か食べたのか、それは糞を見れば分かる。
私は子白狼の顔を見た。ここまで弱っていると、原因が分かる前に死んでしまうかもしれない。
「糞があった」
ユリウス様が持って来た糞は、
「これは猫。こっちは牧草牛、こっちは狸のものです。あ……これは白狼の糞の欠片かもしれない。持って帰りましょう」
「分かった」
私たちは弱った子白狼と糞を持って家に帰った。




