↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忍務 —SHINMU—  作者: 虫松
第一部 密書の差出人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/18

第9話 密書の差出人

屋敷の奥には、影綱の密書を管理する書庫があった。


 下忍の立ち入りは禁止されているが、朔は以前、書庫の修理を手伝ったことがある。屋根から雨漏りがした際、権六に命じられ、数日かけて板を張り替えたのだ。


 そのため、建物の造りをよく覚えていた。


 朔は裏庭から廊下へ忍び込み、書庫へ向かった。


 目的は一つ。


 自分に渡された密書の差出人を調べることだった。


 影綱では、重要な密書を出す際、命令の記録を残す。


 誰が受け取り、いつ出発し、誰に届けるのか。


 内容そのものは記さなくとも、輸送の記録だけは必ず残す決まりだった。


 書庫には、その記録をまとめた帳面がある。


 それを調べれば、密書の差出人が分かるかもしれない。


 朔は書庫の前へたどり着いた。


 普段は錠がかかっている。


 今日も扉には太い錠前が下がっていた。


 朔は腰の道具袋から細い針金を取り出した。


 忍びの修行では、こうした錠を開く方法も教わっている。ただし、実際に成功するかどうかは錠の造りによる。


 朔は耳を扉へ近づけ、慎重に針金を動かした。


 しばらくして、小さな音がした。


 カチリ。


 錠が外れた。


「……よし」


 朔は扉を開け、中へ入った。


 書庫には大量の帳面が並んでいた。


 木札で分類され、それぞれの棚へ収められている。


・兵糧輸送。

・人員配置。

・任務報告。

・密書記録。


 朔は密書記録の棚へ向かった。


 最新の帳面を取り出し、日付を確認する。


 三日前。


 自分が伊織から竹筒を渡された日である。


 朔は頁をめくった。


 何件もの輸送記録が並んでいた。


 南国へ送られた密書。


 北の国境へ運ばれた軍令。


 そして。


 『東国、霞ヶ城』


 朔の目が止まった。


 あった。


 自分が運んだ密書の記録だ。


 朔は胸の鼓動が速くなるのを感じながら、文字を追った。


 ――輸送担当。


 鴉羽朔。


 ――届け先。


 天城領霞ヶ城、城代家老三枝信親。


 ――輸送開始。


 三日前。


 ここまでは間違いない。


 朔は次の欄へ目を移した。


 ――命令承認。


 影綱上位評定。


 朔は眉をひそめた。


 上位評定。


 聞いたことはある。


 影綱の重要な任務を決める最高位の評定である。


 しかし、その実態は下忍には知らされていない。


 朔はさらに下を見た。


 ――差出人。


 そこには一つの印が押されていた。


 黒い円の中に、三本の線が交差する印。


 朔は懐から密書を取り出した。


 同じ印だった。


 寸分違わぬ形をしている。


 偽物ではない。


 少なくとも帳面の記録上は、正式な命令として扱われていた。


「……まことの命令であったのか」


 朔は震える声でつぶやいた。


 影綱の誰かが、正式な手続きを踏んで自分の処刑を命じた。


 では、誰なのか。


 上位評定とは何者なのか。


 朔は帳面のほかの頁を調べた。


 すると、不思議なことに気づいた。


 上位評定から出された密書は、この一年でわずか七件しかない。


 しかも、どれも重要そうな届け先だった。


 大名の居城。

 国境の要塞。

 大寺院。

 有力商人の屋敷。


 その中に、一介の下忍を処分するための命令が含まれている。


 なぜだ。


 下忍一人を殺すだけなら、直属の上忍が命じれば済む話だった。


 わざわざ上位評定が命令する必要などない。


 朔は寒気を覚えた。


 自分は何か、とんでもないことに巻き込まれている。


 しかも、本人にはまったく心当たりがない。


 そのとき、廊下から足音が聞こえた。


 朔は慌てて帳面を閉じた。


 誰かが近づいてくる。


 一人。


 いや、二人。


 朔は書棚の陰へ身を隠した。


 扉が開く。


「……妙だな」


 聞き覚えのある声だった。


 宇佐見半兵衛である。


「錠が開いておる」


 もう一人の男が答えた。


「誰か入ったのでござろうか」


「調べろ」


 朔は息を殺した。


 半兵衛が書庫へ入ってくる。


 足音がゆっくりと近づいてくる。


 朔は書棚の隙間から様子をうかがった。


 半兵衛は棚に置かれた帳面を見た。


 そして、すぐに何かに気づいたらしい。


「……密書記録が動かされておる」


 朔の心臓が大きく跳ねた。


 しまった。


 帳面を元の位置へ戻したつもりだったが、ほんの少しだけ向きが違っていたのだ。


 半兵衛は静かに言った。


「鴉羽朔」


 朔は動かなかった。


「そこにおるのであろう」


 返事をしない。


「おぬしの癖は知っておる。調べ物をするとき、必ず帳面を元の位置へ戻す。だが、急いでおると背表紙の向きまで気が回らぬ」


 半兵衛は小さく笑った。


「昔から変わらぬな」


 朔は観念した。


 書棚の陰から姿を現す。


「……半兵衛殿」


「やはりおったか」


 半兵衛は驚いた様子もなく、朔を見つめた。


「よく戻ってこられたものだ」


「お尋ねしたいことがございます」


「何じゃ」


「それがしに下された処分命令についてでござる」


 半兵衛の表情が変わった。


「その話か」


「はい」


 朔は密書を取り出した。


「この命令は、何者かが偽造したものと考えておりました。しかし帳面には正式な記録が残っております。これは、どういうことでござるか」


 半兵衛は密書に目をやった。


 そして静かに答えた。


「偽造ではない」


 朔は息をのんだ。


「まことに……?」


「そうだ。影綱から正式に下された命令だ」


「では、なぜそれがしを殺そうとなさる!」


 朔の声が震えた。


「それがしは八年間、命令に背いたことなどござらぬ! 影綱のために働き、命じられた任務を果たしてまいった! 何ゆえ、そのような命令が下されたのでござる!」


 半兵衛は黙っていた。


 しばらくして、低い声で言った。


「朔。おぬしは、まだ忍びというものを理解しておらぬ」


「何?」


「忍びは命令に従う者だ。命令の理由を知る者ではない」


「それは承知しております。されど、命まで奪われるとなれば話は別でござる!」


「別ではない」


 半兵衛の声が冷たくなった。


「任務で死ぬこともあれば、命令によって死ぬこともある。それが忍びの定めだ」


 朔は言葉を失った。


 これが、かつて自分に変装術を教えてくれた男の言葉なのか。


 半兵衛は腰の小刀へ手をかけた。


「おぬしの処分は、すでに決まっている」


 朔の背筋が凍った。


「……半兵衛殿」


「恨むな。わしも命令に従っておるだけだ」


 半兵衛はゆっくりと小刀を抜いた。


 朔も腰の小刀へ手を伸ばした。


 しかし、抜かなかった。


 目の前の男は、かつて自分を助けてくれた人だった。


 初めて敵国へ潜入したとき、失敗して泣きそうになった朔を励ましてくれたのも半兵衛だった。


『忍びは一度の失敗では死なぬ。二度目も失敗したら、そのとき考えればよい』


 そんな冗談を言って笑わせてくれた。


 その男が、今は自分の命を奪おうとしている。


「……半兵衛殿。それがしには、どうしても刃を向けられませぬ」


「ならば、おとなしく処分を受けよ」


「それもできませぬ」


「わがままな男だ」


 半兵衛が踏み込んだ。


 朔はとっさに書棚を蹴った。


 重い帳面が何冊も崩れ落ちる。


 半兵衛の足元へ紙と木札が散らばった。


「何っ!」


 朔はその隙に窓へ走った。


 しかし、背後から半兵衛が迫る。


 刀が振り下ろされた。


 朔は身を低くした。


 刃が肩先をかすめる。


 鋭い痛みが走った。


 それでも立ち止まらず、窓枠へ飛びついた。


「逃がすか!」


 半兵衛が叫ぶ。


 朔は窓から庭へ飛び降りた。


 着地した瞬間、左足に激痛が走った。


 膝が折れる。


 それでも立ち上がり、裏庭を走った。


 背後から半兵衛の声が響く。


「鴉羽朔が戻っておる! 逃がすな!」


 屋敷のあちこちから人が飛び出してきた。


 朔は歯を食いしばった。


 最悪だった。


 自分が育った場所で、自分を育ててくれた人々に追われている。


 しかも、相手は影綱の忍びだ。


 逃げ道も隠れ場所も、すべて知られている。


 朔は裏庭の物置へ向かった。


 しかし、その前に一人の男が立ちふさがった。


「……朔」


 声を聞いた瞬間、朔は足を止めた。


 権六だった。


 朝になるといつも怒鳴り、麦飯を食わせてくれた老人である。


 権六は朔を見ると、目を細めた。


「戻ってきたのか」


「……権六殿」


「馬鹿者が」


 権六は小さくため息をついた。


「戻ってくるなと言いたかったわい」


 朔は驚いた。


「何を……」


「ここへ戻れば捕らえられることくらい、分かっておろう」


「しかし、それがしは何も悪いことをしておりませぬ!」


「分かっておる!」


 権六が怒鳴った。


 朔は息をのんだ。


 老人はしばらく黙っていた。


 そして、小さな声で言った。


「わしは、おぬしが裏切り者だとは思っておらぬ」


 朔の胸が熱くなった。


「権六殿……」


「だがな、朔。わしにも命令が下されておる」


 権六は腰の小刀に手を当てた。


 朔は動けなかった。


 まさか、この人まで。


 しかし権六は刀を抜かなかった。


 代わりに、庭の奥へ視線を向けた。


「今なら裏の竹林へ抜けられる」


「……何?」


「行け」


 朔は目を見開いた。


「しかし、権六殿は……」


「わしは何も見ておらぬ」


 権六は背を向けた。


「ただ、物置の戸が風で開いておっただけじゃ」


 朔は唇を噛んだ。


 礼を言おうとした。


 しかし、何を言えばよいのか分からなかった。


 権六は背を向けたまま続けた。


「朔。おぬしは昔から頭の回る男じゃ。ならば、考えよ」


「……何をでござるか」


「なぜ、おぬしほどの下忍を、わざわざ上位評定が処分しようとするのかを」


 朔は息を止めた。


 権六も知っているのか。


 上位評定の命令だということを。


「権六殿。上位評定とは、何者でござるか」


 権六は振り返らなかった。


「わしにも分からぬ」


「では、誰が……」


「ただ一つ、言えることがある」


 老人は低く答えた。


「影綱の中には、わしらが知らぬ影綱がある」


 朔は言葉を失った。


 権六は最後に一言だけ残した。


「生き延びよ、朔。そして、二度とここへ戻るな」


 朔は深く頭を下げた。


「……かたじけのうございます」


 そして竹林へ走った。



つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。