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忍務 —SHINMU—  作者: 虫松
第二部 忍者は仲間を殺す

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第10話 薬箱を背負った女の秘密

同じ頃。


 薬売りの小屋があった山道では、刈手衆の四人が集まっていた。


 小屋の火はすでに消されていた。


 焦げた薬草の匂いだけが、夜風に漂っている。


 先頭の男は、谷から回収された竹筒を見つめていた。


 封を切る。


 中身は空だった。


「……偽物か」


 男は竹筒を握りつぶした。


 部下の一人が頭を下げた。


「申し訳ございませぬ」


「謝罪などいらぬ」


 男は冷たく答えた。


「逃げた方向は?」


「西へ向かったものと思われます」


「西?」


「はっ。古い炭焼き道へ抜けた足跡がございました」


 男はしばらく考えた。


「……なるほど」


 そして、低い声で笑った。


「東へ行けば待ち伏せがあると悟ったか」


「追跡いたしますか」


「無論だ」


 男は空の竹筒を地面へ投げ捨てた。


「ただし、あの薬売りの女には気をつけろ」


 部下が顔を上げた。


「女でございますか」


「普通の薬売りではない」


「何者でござりましょう」


 男はしばらく黙っていた。


 そして、静かに答えた。


「……わしにも分からぬ」


 部下たちが顔を見合わせた。


 男は続けた。


「だが、あの女はわれらの動きを知っていた。逃げ道も、間合いも、追撃の癖もな」


「では、忍びでござるか」


「そうかもしれぬ」


 男は小屋の奥を見た。


「それに、あの女はわれらの姿を見ても驚かなかった」


 部下が尋ねた。


「なぜでござりましょう」


 男は答えた。


「……刈手衆が来ることを、知っていたからだ」


 夜風が吹いた。


 男は腰の短刀へ手を当てた。


「鴉羽朔だけではない。あの女についても調べよ」


「はっ」


「名は?」


「梔子と名乗っております」


 男は小さくつぶやいた。


「……梔子」


 その名を覚えるように、何度も口の中で繰り返した。


   


 翌朝。


 西へ続く山道を、三人の旅人が歩いていた。


 一人は炭売りの姿をした若い男。


 一人は肩を痛めた旅人。


 そして、薬箱を背負った女。


 鴉羽朔。


 日向与七。


 梔子。


 三人は八重市へ向かっていた。


 山の向こうには朝日が昇り始めている。


 朔は振り返り、東の空を見つめた。


 霞ヶ城は、あの方角にある。


 自分を殺せという命令の真相も、そこに隠されているはずだった。


 しかし、今は近づくことさえできない。


 刈手衆の実力を思い知った。


 今の自分では、あの者たちに勝てない。


 逃げるしかない。


 だが、いつまでも逃げ続けるわけにはいかなかった。


「……必ず戻ってまいる」


 朔は東の山々へ向かってつぶやいた。


 梔子が振り返った。


「何かおっしゃいましたか?」


「いずれ霞ヶ城へ参ると申したのでござる」


「危険ですよ」


「承知しておる」


「それでも?」


「それがしは、理由も知らずに殺されるつもりはござらぬ」


 朔は静かに答えた。


「何者が命じたのか。なぜそれがしを殺そうとするのか。必ず突き止めてみせる」


 梔子はしばらく朔を見つめていた。


 そして、わずかに微笑んだ。


「……そうですか」


 朔は歩き始めた。


 与七も後に続く。


 しかし梔子だけは、その場に立ち止まっていた。


 朔が振り返る。


「梔子殿?」


「先に進んでいてください。すぐに参ります」


 朔は少し不思議に思ったが、それ以上は尋ねなかった。


 与七を支えながら山道を下っていく。


 その姿が木々の向こうへ消えたのを確かめると、梔子は懐から小さな紙片を取り出した。


 昨夜、薬箱の底へ隠しておいたものだった。


 そこには、短い文章が記されていた。


 ――霞ヶ城、密書受領済み。


 ――輸送担当、鴉羽朔。


 ――受領確認、城代家老三枝信親。


 その下に、もう一行。


 ――到着せし鴉羽朔、本人確認済み。


 梔子は紙片を見つめた。


 やがて、小さくつぶやいた。


「……本人確認済み、ですか」


 その声には、かすかな怒りが混じっていた。


 彼女は知っていた。


 霞ヶ城へ密書を届けた男が、何者なのか。


 そして、その男がなぜ鴉羽朔の名前を使ったのかについても、ある疑いを抱いていた。


 だが、今はまだ朔へ告げるわけにはいかない。


 確かな証拠がないからだ。


 梔子は紙片を折り畳み、懐へしまった。


 そのとき、遠くで朔の声がした。


「梔子殿! 何をしておられる!」


「今、参ります!」


 梔子は声を返した。


 そして、何事もなかったかのように歩き始めた。


 だが、その表情からは笑みが消えていた。


 彼女は小さくつぶやいた。


「……鴉羽朔殿」


 その声は、誰にも届かなかった。


 「あなたを殺そうとしている者は、あなたが考えているよりも、ずっと近くにおりますよ」



第二部 ・完

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