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忍務 —SHINMU—  作者: 虫松
第二部 忍者は仲間を殺す

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第8話 与七の覚悟

だが、追っ手は予想以上に早かった。


 三人が山の尾根へ出ようとしたとき、背後の木々から黒い影が飛び出した。


「止まれ!」


 刈手衆の一人だった。


 朔は与七を支えたまま振り返った。


 男が短刀を抜く。


 さらに左右の林から二人の忍びが現れた。


 挟まれた。


「……なんということじゃ」


 朔は唇を噛んだ。


 梔子も立ち止まった。


 刈手衆の男は、ゆっくりと近づいてくる。


「逃げ足だけは達者なようだな」


 小屋で朔を制圧した男だった。


 男は梔子へ目を向けた。


「薬売りの女。おぬしも捕らえる」


 梔子は表情を変えなかった。


「困りましたね」


「抵抗するな」


「私はただの薬売りですよ」


「ならば、なぜ影綱の逃亡者を助けた」


「怪我人でしたので」


 男は鼻で笑った。


「くだらぬ言い訳だ」


 朔は小刀を抜いた。


 だが、先ほどの戦闘を思い出し、すぐに理解した。


 勝てない。


 この男一人にも勝てなかった。


 三人を相手にすれば、間違いなく殺される。


 しかも、与七を守りながらでは逃げることさえ難しい。


 朔は周囲を見渡した。


 右は急な斜面。


 左は深い谷。


 後ろには追っ手。


 前方には、崩れかけた細い山道が続いている。


 逃げられるとすれば、前だけだ。


 しかし、走り出せば背中を狙われる。


 朔は歯を食いしばった。


 どうすればよい。


 そのとき、与七が小さく言った。


「朔」


「何じゃ」


「わしを置いてゆけ」


 朔は目を見開いた。


「何を申す!」


「この身体では足手まといじゃ。おぬしらだけなら逃げられよう」


「ならぬ!」


「朔!」


 与七が声を荒らげた。


「わしは、おぬしを殺そうとした男だぞ!」


「それでも友にござる!」


 朔は即座に答えた。


 与七は言葉を失った。


 刈手衆の男が小さく笑った。


「美しい友情だな」


 そして、短刀を構えた。


「だが、忍びには不要なものだ」


 男が踏み込もうとした。


 その瞬間。


 梔子が一歩前へ出た。


「少々、お待ちください」


 男の動きが止まった。


「何だ」


 梔子は朔へ手を差し出した。


「密書を」


「……何?」


「今は命のほうが大切でしょう?」


 朔は女の顔を見た。


 まさか


 この女は、自分を売るつもりなのか。


 だが梔子は、朔にだけ見える位置で小さく目を動かした。


 前方の山道。


 そして、朔の懐。


 何かを伝えようとしている。


 朔は一瞬だけ考えた。


 それから、懐へ手を入れた。


 竹筒を取り出す。


 刈手衆の男の目が細くなった。


「それだ」


 朔は竹筒を握った。


「この密書が欲しいのでござるな」


「そうだ」


「ならば、受け取られよ!」


 朔は竹筒を、男たちの右側へ大きく投げた。


 竹筒は夜の闇へ弧を描き、谷の斜面へ落ちていく。


「何っ!」


 男が反射的に振り向いた。


「密書を回収せよ!」


 一人の忍びが斜面へ走る。


 その瞬間、朔は梔子へ叫んだ。


「今じゃ!」


 梔子は与七の身体を支え、前方の細い道へ走った。


 朔も後に続く。


 刈手衆の男が怒鳴った。


「逃がすな!」


 残る二人が追ってくる。


 だが、朔たちはすでに狭い山道へ飛び込んでいた。


 そこは一人ずつしか通れない、崩れかけた尾根道だった。


 梔子は迷わず進む。


 与七が続く。


 最後尾の朔は、何度も振り返りながら追っ手との距離を確かめた。


 速い。


 刈手衆の動きは、自分たちよりはるかに速かった。


 もう少しで追いつかれる。


 そのとき、与七が朔へ声をかけた。


「朔! 先へ行け!」


「しかし――」


「わしに考えがある!」


 与七は左手で腰の縄を取り出した。


 朔はすぐに理解した。


 与七が得意とする、足止めの技だった。


 朔はうなずき、梔子とともに先へ進んだ。


 与七は狭い道の途中で立ち止まった。


 追ってきた忍びが短刀を構える。


「退け!」


「断る!」


 与七は残った左腕で縄を振った。


 縄の先に結びつけられた小石が、忍びの足元へ飛ぶ。


 男は反射的に跳び退いた。


 そのわずかな間に、与七は道の脇へ身を寄せた。


 続く忍びも、狭い道で足を止めざるを得なかった。


 朔は振り返った。


 与七が追っ手の前で一瞬動きを止めたのが見えた。


「与七!」


「早う行け!」


 与七は叫んだ。


 その直後、刈手衆の男が短刀を振り上げた。


 朔の顔から血の気が引いた。


 助けに戻らなければ。


 しかし梔子が朔の腕をつかんだ。


「戻ってはいけません!」


「与七が!」


「あの方の覚悟を無駄になさるおつもりですか!」


 朔は動けなかった。


 与七は振り返らず、左手だけを大きく振った。


 行け。


 そう告げているようだった。


 朔は唇を噛んだ。


 逃げるしかなかった。


 自分には、刈手衆を倒す力がない。


 それが、今の現実だった。


 朔は梔子とともに、細い道を走り続けた。


 与七が足止めしていたのは、ほんのわずかな間だった。


 追っ手に斬りかかられ、縄を捨てて脇の斜面へ転がり込んだ与七は、どうにか刃をかわした。


 だが、それ以上は戦えなかった。


 刈手衆の男は短刀を向けた。


「終わりだ」


 与七は肩で息をしていた。


 右腕は動かない。


 左腕も疲労で震えている。


 それでも、男を睨みつけた。


「……好きにいたせ」


 男が踏み込んだ。


 その瞬間、谷の下から大きな音が響いた。


 ガラガラッ!


 小石と枯れ枝が崩れ落ちる音だった。


 男は一瞬、谷へ視線を向けた。


 与七はその隙に身を伏せた。


 刃が頭上を通り過ぎる。


 続いて、上から声がした。


「与七!」


 朔だった。


 いつの間にか、少し先の道から戻ってきていた。


「何をしておる!」


 与七が叫ぶ。


「逃げろと申したであろう!」


「それがしは、友を置いて逃げぬ!」


 朔は道の上から手を伸ばした。


「つかまれ!」


 与七は一瞬だけ迷った。


 しかし、すぐに左手を伸ばした。


 朔が腕をつかむ。


 必死に引き上げる。


 梔子も手を貸した。


 三人は転がるように尾根道の先へ逃れた。


 刈手衆の男が追おうとしたが、崩れかけた道へ足を踏み入れるのをためらった。


 無理に追えば、足場ごと谷へ落ちる危険があった。


 男は舌打ちした。


「……小賢しい連中め」


 その目は、闇の奥を冷たく見つめていた。



つづく

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