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忍務 —SHINMU—  作者: 虫松
第二部 忍者は仲間を殺す

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第7話 影綱の刈手衆

梔子は囲炉裏の火を消した。


 小屋の中が暗くなる。


「声を出さないでください」


 女の声は、先ほどまでとは別人のように冷静だった。


 朔は窓際へ身を寄せた。


 外には四人の男がいた。


 黒い頭巾。


 黒い装束。


 それだけなら、普通の影綱の忍びと変わらない。


 しかし、朔はすぐに違いに気づいた。


 四人は互いに目を合わせない。


 言葉も交わさない。


 それなのに、まるで一人の人間のように動いている。


 一人が正面の戸口。


 一人が裏手。


 残る二人は小屋から少し離れた位置で、逃げ道を見張っていた。


 包囲されている。


「……影綱に、あのような者たちがおったとは」


 朔がつぶやいた。


 与七も窓の外を覗いた。


「……刈手じゃ」


「何?」


「影綱の刈手衆。噂だけは聞いたことがある」


「何者でござる」


 与七は唇を噛んだ。


「忍びを始末する忍びじゃ」


 朔は顔を上げた。


「忍びを?」


「裏切った者。任務に失敗した者。余計な秘密を知った者。そのような者を処分するための専門部隊だと聞いておる」


 与七の声が震えていた。


「まさか、実在したとは……」


 梔子は何も言わなかった。


 その沈黙が、かえって朔を不安にさせた。


 この女は、刈手衆の存在を知っていたのだ。


 しかも、彼らの強さまで理解している。


「四人ならば、それがしと与七で――」


「無理です」


 梔子は即座に遮った。


 朔は眉をひそめた。


「戦ってもおらぬうちから、なぜ分かる」


「あなた方は下忍でしょう?」


「……そうでござるが」


「向こうは忍びを殺すことだけを学んできた者たちです」


 梔子は小さく息を吐いた。


「戦いになれば、あなた方は勝てません」


 朔は何も言い返せなかった。


 実際、剣の腕前には自信がない。


 与七も肩を負傷している。


 四人の熟練した忍びを相手にするなど、あまりに無謀だった。


 そのとき。


 トン。


 戸口が、小さく叩かれた。


「薬売りの女」


 低い男の声だった。


「いるのであろう」


 梔子は答えなかった。


「鴉羽朔を引き渡せ」


 朔の身体がこわばった。


 やはり、自分がここにいることを知っている。


 男は続けた。


「その者は影綱の機密を盗んだ罪人だ。かくまえば、おぬしも同罪となる」


 梔子はゆっくりと戸口へ近づいた。


「何かの間違いではございませんか」


 女の声が変わった。


 先ほどまでの冷静な口調ではない。


 怯えた町娘のような声だった。


「こちらには、怪我をした旅のお方しかおりませぬ」


「その男の名は?」


「存じませぬ」


「ならば、戸を開けよ」


 梔子は朔へ目配せした。


 動くな。


 そう告げているようだった。


 朔は小刀を握りしめた。


 与七も身を低くする。


「……今、開けます」


 梔子は戸のかんぬきを外した。


 そして、わずかに戸を開いた。


 隙間から黒装束の男が見えた。


 背が高い。


 顔には深い傷があり、目つきは鋭かった。


 男は梔子を見下ろした。


「中を改める」


「怪我人がおりますので、乱暴なことは――」


 男は女の肩を押し、強引に戸を開いた。


 朔はとっさに構えた。


 しかし、男の動きのほうが早かった。


 足元に置かれた薬箱を蹴り払い、間合いを詰める。


 朔が小刀を抜いた瞬間、男の左手が手首をつかんだ。


「ぐっ!」


 小刀が床へ落ちた。


 続いて腹へ強烈な一撃。


 朔は息を詰まらせ、その場に膝をついた。


 速い。


 あまりにも速い。


 何が起きたのか、ほとんど分からなかった。


「……これが、黒瀬の弟子か」


 男は朔を見下ろした。


「弱いな」


 朔は歯を食いしばった。


「……おぬし、何者じゃ」


「知る必要はない」


 また、その言葉だった。


 男は朔の胸元へ手を伸ばした。


「密書を渡せ」


 朔は抵抗しようとした。


 しかし手首を強く押さえられ、身体を動かせない。


 与七が立ち上がった。


「朔から離れよ!」


 左手で短刀を抜き、男へ向かって踏み込む。


 だが男は一歩退いただけで刃をかわした。


 次の瞬間、与七の足を払う。


「うわっ!」


 与七は床へ倒れた。


 負傷した右肩を打ち、苦悶の声を上げる。


 わずかな時間だった。


 二人の下忍が、たった一人の男に制圧された。


 朔は愕然とした。


 これが実力の差か。


 今まで戦ってきた忍びたちとは、まるで違う。


 男は朔の懐から竹筒を抜き取ろうとした。


 そのときだった。


「そのお方を離してください」


 梔子の声がした。


 男が振り向く。


 梔子は薬箱の前に立っていた。


「……邪魔をするな」


「ここは私の小屋です」


「命が惜しくないのか」


 梔子は答えなかった。


 代わりに、床へ倒れていた燭台を拾い上げた。


 男が眉をひそめる。


「何をするつもりだ」


「灯りが消えてしまいましたので」


 梔子は燭台を囲炉裏の残り火へ近づけた。


 小さな炎が上がる。


 その瞬間。


 梔子は燭台を、吊るしてあった乾燥薬草の束へ投げつけた。


 ぼっ!


 乾いた草に火が移る。


 大量の煙が立ち上った。


「何っ!」


 男が一瞬怯んだ。


 梔子はその隙に朔の襟をつかんだ。


「立って!」


「し、しかし……」


「今すぐ!」


 朔は必死に立ち上がった。


 梔子は与七へ駆け寄り、無事な腕を肩へ回させる。


 煙が小屋の中に広がっていく。


 刈手の男は袖で口元を覆った。


「逃がすな!」


 外から足音が近づいてきた。


 梔子は薬棚の裏へ走った。


 棚を横へずらす。


 その後ろには、小さな木戸が隠されていた。


「こちらです!」


 朔は驚いた。


「抜け道があるのでござるか!」


「薬売りにも、逃げ道くらい必要です」


 梔子は木戸を開けた。


 外には狭い山道が続いている。


 朔は与七を支え、木戸から這い出した。


 しかし、背後から男の声が響いた。


「裏へ回れ!」


 すでに見つかった。


 梔子が最後に木戸をくぐる。


 三人は山の斜面へ走り出した。




 小屋から離れるにつれ、夜の山は深い闇に包まれていった。


 月は雲に隠れ、足元もよく見えない。


 朔は与七の身体を支えながら歩いた。


 肩を痛めた友は、先ほどの戦闘でさらに傷を悪化させていた。


「与七、歩けるか」


「……どうにかな」


「無理をいたすな」


「無理をせねば死ぬであろう」


 確かに、そのとおりだった。


 背後からは追っ手の声が聞こえてくる。


 刈手衆は、煙に巻かれた程度では諦めない。


 梔子は先頭を歩きながら、何度も地形を確認していた。


 朔は彼女に尋ねた。


「どこへ向かっておられる」


「西です」


「西?」


 朔は思わず足を止めた。


「霞ヶ城は東にござるぞ」


「存じております」


「では、なぜ西へ」


 梔子は振り返った。


「東の街道は、すでに封鎖されています」


「……何?」


「あなたを捕らえるために、影綱の忍びが各地へ配置されています。特に霞ヶ城へ続く道は危険です」


「それならば、山を越えて――」


「山にもおります」


 梔子の声は冷たかった。


「あなたが山道を得意としていることくらい、影綱は知っているでしょう?」


 朔は口を閉じた。


 そうだった。


 自分を育てた組織が相手なのだ。


 逃げ方も、変装の癖も、得意な道も、すべて知られている。


 だからこそ、影綱は先回りできる。


「しかし、西へ向かえば屋敷のある山に近づいてしまう」


「そこまでは戻りません。西へ折れた先に古い炭焼き道があります。その道を南へ進めば、影綱の街道の見張りを避けて、八重市という宿場へ出られます」


「八重市……」


 朔は記憶をたどった。


 古い交易路が交差する宿場だった。


 商人や旅人の往来が多く、さまざまな国の者が集まる。


 身を隠すには悪くない。


 しかし、一つ気になることがあった。


「梔子殿。おぬし、なぜ影綱の配置まで知っておられる」


 梔子は答えなかった。


 朔は続けた。


「密書の朱印も、暗号も、刈手衆のことも知っておる。それでいて影綱とは無関係と申す」


「無関係ですよ」


「信じられませぬ」


「では、信じなくて結構です」


 梔子は平然と言った。


「ただし、今は私の道案内が必要でしょう?」


 朔は黙った。


 確かに、今の自分たちだけでは追っ手を振り切れない。


 与七は負傷している。


 自分も、先ほどの刈手衆との戦闘で腹を強く打たれていた。


 しかも相手は、自分たちよりはるかに強い。


 梔子の協力がなければ、生き残ることさえ難しい。


「……承知いたした」


 朔は小さく頭を下げた。


「今は、おぬしの案内に従おう」


 梔子はうなずいた。


「賢明な判断です」


 そして、再び歩き始めた。


 朔はその背中を見つめた。


 信用してよいのか。


 今はまだ、分からない。


 しかし、少なくともこの女は自分たちを助けた。


 それだけは事実だった。



つづく

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