第78話『The Morning After the Spell』酔いの残り香
翌朝、玲音は顔にかかる陽の光に目を覚ます。
──うっ、眩しっ……チッ、カーテン開けたまま寝ちまったのか
なかなか寝付けず、しばらく窓辺で月を眺めていた光景を思い出す。
昨夜バスルームから出てきたジェンミとすれ違ったとき、自分の知っているジェンミとは顔つきが全く違って見えた。
これまで日本とアメリカで数ヶ月間離れて過ごすことは何度もあったが、一瞬であっても他人のように見えたのは今回が初めてだった。
胸の奥に浮かんだ何かが軋み始める予感を振り払うように、玲音はベッドから身体を起こす。
ゆったりとした足取りで階段を降りていくと、カチャカチャという食器の音とともに、懐かしいような香りが漂ってきた。
踊り場で足を止めた玲音は、手すりに触れながら、そっとキッチンを覗き込む。
「レオ、なにしてーんの?」
後ろからジェンミの声がして、ハッと慌てて立ち上がる。
「あ、いや……」
「ああっ! この匂い!? アリサ、起きてるんだね?」
そう言ってジェンミがバタバタと階段を降りていった。
「アリサ、おはよう!」
有紗がキッチンで振り返る。
「この匂い、玉子焼きでしょ! 嬉しいなぁ、食べたかったんだよね! アリサの甘ーい玉子焼き!」
玲音がゆっくりと歩いてきてジェンミの隣に並んだところで、有紗は慌てたように深々と頭を下げた。
「あ、あの……昨夜もやってしまったようで……ごめんなさい! それと玲音……あの、たっ、ただいま……」
「プッ!」
その言葉にジェンミは吹き出す。
玲音は呆れたように空を仰いだ。
「は! ドラマティックな再会だったよな? ホント、節操のないご帰宅で」
有紗が困り顔のまま、苦笑いをする。
「あ……つい、その……飲みすぎてしまって……」
「ああっ?! つい だとォ?! 飲み過ぎっつっても限度があんだろうが!」
声を荒げる玲音をジェンミが柔らかな笑みでそっと制する。
「まぁまぁレオ! 昨日はさ、ちゃんと連れて帰るボクが居たわけだし」
「はぁ? コイツが安全だって保障は?!」
玲音はジェンミを指差しながら有紗の方を向いた。
「ちょっとレオ! それどういう意味だよ!」
「信用とか大丈夫だとか、何とでも言う男は五万といる。それを鵜呑みにしてたらいつか痛い目に遭うぞ!」
有紗は縮《ちぢ》こまるように俯いた。
「ほらレオ! アリサが萎縮してるじゃない! 『ディズニー・ワールド』の魔法から解けきってなかっただけだって。アリサだって反省してるんだし、そんなに怒んなくても。あ! もしかしてアリサのことめちゃめちゃ心配してたんじゃない?」
茶化すジェンミを睨み付けた玲音は、憮然とした表情でまた声を荒げた。
「ああ、心配してるよ! 悪いか!」
「え……」
有紗が顔を上げる。
ジェンミも眉を上げて玲音の方に視線をやると、繕うように笑いながら玲音の肩に手をかけた。
「は、ははは……ねぇアリサ、ダッサいけどこれは不器用なレオなりの愛情表現みたいだよ? だからさ、本気で怒ってないから気にしなくていいよ」
「おいジェンミ! お前な……」
その手を振り払う玲音に、ジェンミはわかったと言わんばかりに頷きながら微笑む。
「ねぇレオ、ボクたちは家族みたいな間柄だから、そういうのもありだとは思うけど、本命の女の子にはそんな物言いしちゃダメだよ? 『北風と太陽』の話、知ってるだろ? レオみたいな北風タイプより、ボクみたいな太陽タイプの方が、女の子の心もコートも、すぐに脱がせることができるってワケ!」
玲音が眉をひそめた。
「なんか……」
「なに?」
「いや、お前が言うと……なんつーか」
ジェンミが首をかしげる。
「は? なに? イヤだなぁレオ、アリサのいる前で朝っぱらから妙な妄想しないでよね?! こんなときに " エロレオ " を出してこられても……」
ジェンミの微かな囁きが耳をかすめ、玲音は反射的に顔を上げた。
「は!? エ、エロ……?!」
「あっ! 聞こえちゃった?! ははは、なんでもないって!」
「て、てめぇ! さてはそのワード、日常的に使ってんな?!」
「えー、口に出したことないんだから、別にいいじゃん」
玲音が目を見開く。
「……ずっとそう思ってたんだろうが!」
「まぁ……ね」
とぼけた顔で易々と答えるジェンミに向かって、玲音が突進してジェンミをひっ捕まえた。
「てめぇ……今日という今日は、許さねぇ!」
「わあっ! ち、ちょっと! 技かけるのはやめてよね! もう! だからぁ! あ……イテテテテテ! ギブアップ!」
玲音に羽交い締めにされたジェンミは、必死で有紗に向かって手を伸ばす。
「ううっ……アリサ……ボクがこうして……レオのうっぷんを引き受けるから……ボクが死んでも……アリサはこれからも幸せに……」
「この野郎! つまんねぇことほざいてんじゃねぇ!」
「わぁイテテテテテ! ギブアップ! ギブアップ!」
技と鉄拳を食らうジェンミを気の毒そうに見つめながらも、有紗は吹き出した。
「あははは」
有紗がしゃがみこんで笑い出すのを見て手を緩めた玲音から、ジェンミがササッと逃げ出す。
「はぁ……生還したぁ!」
「チッ! 二度と口にするんじゃねぇぞ!」
「え? なにを? " エ・ロ・レ・オ " って言葉!?」
「おんまえーーっ!」
とぼけた顔のジェンミをまた玲音が追いかける様子に、有紗はしゃがみ込み、涙が出るほど笑い転げた。
「あははは、お腹いたいよ」
有紗の方に逃げ込んだジェンミが、玲音を牽制しながら、有紗の肩を抱いて立ち上がらせる。
「助かったよアリサ! アリサは戦友だね! ボクを救ってくれたんだから」
有紗は笑いながら首をかしげた。
「お前、大袈裟か!」
玲音が呆れたように睨む。
「だって、アリサの笑顔は無敵じゃん? アリサに笑顔のままでいてほしくて、玲音もあんなに怒ったんだろうからさ。しかも、いつになく素直に認めたし?」
ばつが悪そうな顔をした玲音に、ジェンミがウインクを投げた。
「くっそ……」
「それより! 見てよレオ、この黄金に輝く厚焼き玉子! アリサの甘い玉子焼きがようやく食べられるんだからさ、ほらほら席について!」
渋々椅子を引いた玲音の前に、玉子焼きと味噌汁が並べられると、玲音の表情に幾分穏やかさが戻った。
隣でそっと親指をたてるジェンミに微笑みながら、そっと和食の小鉢を並べる。
和やかな朝食が終盤に差し掛かったとき、ジェンミのスマートフォンが振動した。
ジェンミはにこやかにその通知を有紗に向ける。
「ねぇ見て見てアリサ! " 荷物が届く " って連絡が入ったよ!」
「え? そ、そう……私たちのスーツケースよね? でもジェンミ、どうしてそんなに嬉しそうなの?」
「だって! お土産も届くんだよ?!」
「え、まぁそうね……スーツケースに入れたんだし……」
有紗が首をかしげると同時にインターホンが鳴る。
「あ! 来た来た!」
ジェンミが走り出さんばかりに玄関に向かった。
驚く有紗に、玲音も呆れ顔で肩をすくめる。
「なんだあれ? 小犬かよ」
「フフッ、ホントに」
有紗は微笑ましく、ジェンミの後ろ姿に視線を送った。
久しぶりのゆったりとした朝の風景にほっとしながら、玲音の柔らかな表情を覗き見た有紗は、陽の光が差し込む天井まで届く窓を見上げて、静かに深呼吸した。
第78話『The Morning After the Spell』酔いの残り香 - 終 -




