第77話『A Night Draped in Pretense』虚飾に揺らいだ夜
──ったく、アイツら……一体いつ帰ってくるんだ!?
玲音はため息をつきながら時計を見上げた。
ジェンミからは、午前中にディズニーホテルのチェックアウトを済ませ、今日はパークには寄らずに『アムトラック』に乗って帰宅すると聞いていたはずだったが、時計の針はもうすぐ深夜0時を指そうとしていた。
昨夜、自分がこの家に帰宅したと伝える為にジェンミに電話をしたが、何度かかけたものの、ジェンミは電話に出なかった。
司に頼まれていた " エプコットでの一件を事情聴取する " という名目もあったが、それよりも、司と話して以来ずっと頭を占領する不可思議な出来事を早く解明したいという思いもあった。
そして、二人の様子も気になっていた。
門扉の解錠ランプが点灯し、ほどなくして車のエンジン音が玄関の外で聞こえた。
──やれやれ、ずいぶんと遅いお帰りだな? どこで油を売ってたんだか……
車が走り去った音が聞こえても、なかなかドアの開く音がしない。
玲音は玄関に向かった。
ドアノブに手を伸ばした瞬間、ガチャリと開いた扉の向こうには有紗を抱き上げたジェンミが立っていて驚く。
「え……?!」
言葉を失う玲音を気にとめる様子もなく、ジェンミはにっこりと笑った。
「レオ、ただいま! ああ……アリサ、寝ちゃったんだ。ちょっと先に部屋に連れて上がるね」
「あ、ああ……」
「悪いけど、外にある荷物さ、中に入れてといてくれない?」
「ああ……わかった」
ジェンミは手慣れた様子で有紗を抱き上げたまま階段に向かう。
目を閉じて健やかな表情でジェンミの胸に頬を預けている有紗を遠目に、彼らの姿が階段から消えるのを見送ると、玲音は玄関ドアの外に置いてある小さな荷物を引き上げてドアを閉めた。
なかなか降りてこないジェンミを不審に思い、玲音は重い足取りで二階へ向かう。
ドアが開いたままの有紗の部屋の中に目をやると、ベッドの脇にしゃがみこんだジェンミの背中があったので、玲音は遠巻きに声をかけた。
「どうした?」
「ああ。アリサがさ、またメイクしたまま寝ちゃって……ちょっと起こしてみたんだけど、まったく目を覚まさなくてさ。お風呂にも入れないから、ボクがメイクを落としてあげるしかないじゃん?」
「はぁっ?!」
玲音は思わず出た自分の大きな声に口を押さえる。
「ハッ! ヤベっ!」
「大丈夫だよ。そのくらいじゃ全然起きないからさ。それより、どうしよっかな……さすがに女子の部屋の洗面所に勝手に入るわけにもいかないし……ねぇレオ、向こうのバスルームにさ、なんかアリサのコスメって置いてなかったっけ?」
「ああ……洗面台にあったんじゃねえか?」
「そっか! じゃあ取ってくる!」
そう言って自分の横をすり抜けてドアから出て行くジェンミに代わって、玲音はゆっくりと有紗のベッドに近づいた。
スヤスヤと寝息を立てて眠る有紗の様子は、この家で泥酔した時とまるで変わりはなく、以前は自分の前でしか見られなかった現象が、今はジェンミと二人の時にもこうして起きている。
その変化に、二人の関係性に何らかの変化があったのだろうと悟った。
ジェンミがバタバタと部屋に戻ってくる。
「あったあった! ねぇレオ、そこのダストボックス、取って!」
「え? ああ……」
ジェンミはコットンにリキッドを染み込ませ、口紅とアイメイクから順に丁寧にメイクオフしていった。
「お前……さすがに手慣れてんな」
「どういう意味だよ! イヤ味、言ってる?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「ちょっとアリサには釘刺しとかなきゃなぁ。せめてお風呂に入ってから寝てもらわないと……ボクも毎回この役をさせられるのはちょっと大変かも」
「……毎回?!」
「うん。昨日の夜もこうやって眠りこけちゃってね」
「昨日……?」
ジェンミは忙しそうに手を動かしながら独り言のようにつぶやく。
「もう、全く! メイク落とすのも服を脱がせるのも、大変なんだから!」
「ふ、服?!」
また大きな声をあげた玲音の方をくるりと振り向いたジェンミは、バチッとウインクを投げる。
「野暮なことは聞かないでよね!」
「え……」
「さぁ、でーきたっと! ティッシュオフして……うん! まぁ今日はTシャツだから、このまま寝てもらっても大丈夫かな。ほらレオ、行こう! ボク、もうちょっと飲みたいし、付き合ってよ」
「あ、ああ……分かった」
二人して階段を降りる。
ダイニングに向かったジェンミは冷蔵庫から飲みかけのワインとチーズを出してきた。
「やっぱりなぁ。また一人で飲んでたんでしょ? そんなことだろうと思ったよ。で? どうだった? |ニューヨークの煌びやかな夜と、一人っきりのこの家は」
玲音は面倒くさそうな表情で席につく。
「あのな! 普通は俺の方からバカンスに行ったお前らに " どうだったか?" って聞くのが筋だと思うけどな?」
ジェンミはにっこりと笑う。
「まあいいじゃん、楽しくないわけないんだから。そんなにボクらの " ノロケ話 " が聞きたいワケ? なら、明日たっぷり話してあげてもいいけど?」
「いるかよっ!」
「あはは。で? レオの方は?」
「まぁ、ニューヨークは相変わらず刺激的な街だった」
「そっか。ボクがいないから羽目も外しやすかっただろう? ふふ、一体どんな刺激を受けてきたんだか……?」
玲音は抗議の眼差しを向ける。
「はぁ! お前らみたいに 遊びに行ったわけじゃねぇんだぞ!」
「わかってるって! 冗談だよ。電話でも " 仕事に目覚めた " って言ってたじゃない? それって " 本来の自分を取り戻せた " って感じ?」
「まあな。活性化されたって思えた」
「わかるよ。確かに、この家は 平和すぎるから……」
そう言ってジェンミは首の後ろで手を組みながら、椅子にもたれる。
「ずっとここに居たら、自分の中にあった展望も、角がなくなるほどに丸く削られてさ……いつの間にか " なくてもいいや " なんて思うほどに削ぎ落とされちゃいそうだもんね……」
玲音は首をかしげながらジェンミを覗き込んだ。
「ん? なんだ? お前は何か大きな野望でも抱いてるのか?」
ジェンミは肩をすくめながら、眉をあげる。
「さあ、どうだろう? それよりも、あまりにも楽しかったからさ、Post-vacation bluesにならないようにしないとね!」
玲音はフッと笑いながら、大袈裟に言った。
「そうだな。せいぜい五月病のごとくポンコツになんないでくれよ。お前らと違って、俺は遊びにもかまけず仕事一色の日々だったんだから」
ジェンミは口を尖らせる。
「はぁ?! このボクがボケるとでも?」
「どうだか? なんせストーカーから始まった旅だからな? 骨抜きになってるかもしんねぇだろ?」
ジェンミは玲音をチラッと睨み付け、ニヤリと口角を歪める。
「そう? もしそれが……アリサの方だったとしたら?」
「……え?」
ジェンミは挑発的な表情をフッと緩め、屈託のない笑顔を見せる。
「じゃあ! そろそろボクも休むね。連日の夜更かしで、すっかり寝不足なんだ。アリサがさ、なかなか寝かせてくれないから。じゃあね、おやすみレオ!」
「え?! あっ、え……」
不可解な顔をした玲音を気にも留めず、ジェンミは軽快に階段を上っていった。
「なっ、なんだアイツは……チッ、ああ! また肝心なことを聞きそびれちまった」
玲音は首を振りながら大きくため息をついた。
階段を上りきったジェンミは、ポカンとした玲音の表情を思い出しながら、自嘲的に笑う。
有紗が自分を寝かせてくれなかったのは嘘ではなかった。
清らかで気の置けない彼女の存在が、ジェンミの心を占領し、蝕んで、夜通し責め続けていた。
ジェンミは大きくため息をつく。
──ふぅ……さすがに疲れてるかも
有紗の部屋のドアを横目に、直接バスルームに入ったジェンミは、頭の先から一気にシャワーを浴びる。
体中に打ち付ける水滴の音の中で、あらゆる場面の有紗の顔が浮かんでは消え、それによって心が疲弊していくのを感じた。
バスルームを出たジェンミは、頭からタオルを被ったまま洗面台に両手をつき、問いただすように鏡を見つめる。
ふと落とした視線の端にジュエルの形をした深紅のBoxがあった。
そっと手に取ってその箱を開いた瞬間、ダマスクローズの芳醇な香りが部屋中に広がって、またジェンミの心を締め付ける。
慌ててそれを閉じ、再び鏡に視線を向けると、そこにはホテルの窓に映っていたのと同じ歪んだ表情があった。
また下を向き、目を瞑る。
──きっと疲れてる……それだけだ
ジェンミは自分に言い聞かせるようにそう言葉を放ち、サッと踵を返すと、足早に自室に戻っていった。
第77話『A Night Draped in Pretense』虚飾に揺らいだ夜 - 終 -




