第76話『The Last Miles』旅の終わり
アムトラックに乗車した二人は食堂車で昼食を終え、戻ってきた自分達の席で心地よい振動を感じながら、しばらく静かに時を過ごした。
この旅行の最終日となる昨夜は、消そうとしても消えないあらゆる光景が、夜通し胸の奥を占領して、ろくに眠れなかった。
有紗が書類をめくる音を聞きながら、ジェンミはそっと目を閉じる。
遠い意識の中で有紗の声がした。
「ジェンミ……? ジェンミ!」
目を開くと、視界いっぱいに有紗の顔があって驚く。
「……ああ、寝ちゃってたんだ……?」
「大丈夫?!」
「え……なにが?」
「なんか……うなされてるみたいだったから。せっかく寝てるし、起こすのもどうかって迷ったんだけど」
「ホント? 夢見てたのかな……覚えてないや。大丈夫だよ」
「そう? それならいいけど……」
有紗は安堵するように自分の席にもたれ掛かった。
「あ……ボク、なんて……言ってた?」
有紗は首を振る。
「いいえ。言葉は聞き取れないけど、唸るような声が聞こえて……」
ジェンミは少し恥ずかしそうに笑った。
「そっか、心配してくれたんだ? 大丈夫! 浅い眠りだから色々な夢を見てたのかもね。なんせ連日スリリングなライドで刺激を受け続けてアドレナリンが出まくってる状況だったからさ。覚醒状態が続いてるのかも?」
有紗が申し訳なさそうな表情で覗き込む。
「私のせいで……あんまり眠れてなかったのよね? 昨夜だって散々ご面倒をかけた上に、ベッドまで占領しちゃったんだもん、絶対疲れてるよね……ああ! ホントに私ったら……ごめんなさい!」
ジェンミは首を横に振る。
眠れなかったのは確かだったが、その理由はもっと複雑なところにあった。
「ううん、大丈夫だって! 気にしなくていいよ。それよりさ、喉乾かない?」
「あ、じゃあ他の車両に行って、何かもらってくるわ。何がいい?」
「いや、ボクも行くよ。少し小腹が空いたしさ。おやつもいいよね?」
「うん!」
個室を出た二人は、廊下からの景色を眺めながら『スナックカー』へ向かった。
「わぁ!」
ブッフェ形式の棚いっぱいに、色とりどりのスナックが、まるで小さな宝石のように並んでいる。
甘いお菓子のみならず、酒のあてにもなりそうな凝ったスナックも多く、二人を唸らせた。
「アリサ、どれにする?」
写真を撮りながら、有紗が目を輝かせる。
「あ、これがいいわ!」
地中海沿岸諸国で親しまれている " フムスのクラッカー添え " を手にした有紗に、ジェンミが提案した。
「じゃあもう、ワインしかないね!」
二人はプラスチックカップに注がれたワインを追加して、それらを持ったまま自分達の席に戻った。
再びゆったりと落ち着いた空間で、お互い車窓を眺める。
「陽が暮れてきたね」
「うん。ディズニー・ワールドみたいなイルミネーションがないから、" 夕日が主役 " って感じ。きれいね」
有紗の頬が夕焼けに照らされて赤身を帯びてくる。
「アリサ……」
「ん?」
有紗の瞳がジェンミを捉える。
無意識にそう呟いたことに自分で驚いて閉口するジェンミに、有紗は気付く様子もなくグッとにじり寄った。
「ジェンミ! 何でも言ってよね!」
「え……それはどういう?」
たじろぐジェンミに、有紗は恥ずかしそうな笑みを見せる。
「だって、この旅行ではジェンミに沢山の借りを作っちゃったんだもん、ホント何でも聞くからね!」
そう言ってクラッカーにひよこ豆のクリーミーなディップをのせて幸せそうに頬張る彼女の姿に、ジェンミはフッと頬を緩めた。
「ふふ」
「なに? なんで笑うの?!」
有紗が不可解な顔をする。
「ああっ! やっぱり私、とんでもない失態を犯してるんでしょ?! どうしよう……ねぇジェンミ、どうして何も言わないの?! もしかして……私が傷付くと思って黙ってくれてるとか?!」
表情をくるくる変えながら不安そうに捲し立ててくる有紗を見て、ジェンミはまた吹き出した。
「あはは。よっぽど心配なんだ? じゃなくて! フムスをあまりにも美味しそうに食べるからさ、よっぽど好きなのかなって感心して見てただけだよ」
「なんだ……ホントにそれだけ?」
「うん、それだけ。フムスがそんなに好物なら、作り方を調べなきゃ」
「ふふっ。ギリシャにいったときにね、初めて食べてハマっちゃったの」
「へぇ、ギリシャか。ファッション雑誌の編集長ともなると海外を飛び回るわけだ?」
「ヨーロッパが多かったかな。まぁその時はまだ編集長じゃ……なかったけど」
「そうなんだ。じゃあその時もまた、例のカメラマンと?」
「あ……いえ、その時の……編集長だった人と一緒にね」
有紗はワインに手を伸ばす。
「ふーん。その人ってさ、アリサに編集長を譲ってどんなポジションに着いたの? 『ファビュラス』のお偉いさんとか? それとも親会社の……」
有紗がその言葉を遮るように、ガタッと立ち上がった。
「あ、あの……ちょっと電話してくる」
ジェンミは驚いたように有紗を見上げる。
「え……どうしたの急に」
「あ……来週『ランドルフ』の撮影があるから、ブッキングしたスタジオに確認の電話をいれなきゃって……」
「え……今?」
「ああ……忘れないうちにって思って。" カメラマン " ってワードで思い出したから」
「……そっか」
「じゃあちょっと外で話してくるね」
「ああ」
ぎこちなく見送るジェンミを置き去りに、有紗は後ろ手でドアを閉め、その場から足早に立ち去った。
――電話をかけるあてなんてなかった。
思わぬ方向に向いた話から、一刻も早く逃れたかった。
はぁ……なにしてるんだろ
私……
有紗は、逃げ込むように辿り着いた『ラウンジカー』の椅子に浅く腰掛け、そのままテーブルに突っ伏す。
目を閉じると記憶の渦に飲み込まれていった。
思い出をたどる旅……
あの日の、あの人との、あの時を……
再度この目に焼き付けて……
そして、これから前進するためにきっちり封印しようと、ここフロリダに降り立った瞬間から始めたことだった。
そう言いながらも、振り返れば心を乱すばかりの自分に困惑していた。
何を成しても取り戻すことは出来ない絶対的な過去に、封じ込めようとするほど、過去が波のように押し寄せてくる恐怖が常に心を占領する。
このままではダメ。
翻弄されてる場合じゃない。
もしも『ファビュラス』を立て直すことが出来なければ
もともこもない……
そんなことになったら、
顔向けできない……
肩に触れられた感触がして、慌てて体を起こした。
「ハッ!」
「……アリサ、大丈夫?」
視野に入ったそのしなやかな腕の先を見上げると、心配そうな表情をしたジェンミが立っていた。
「戻ろう」
その静かな声に、有紗は観念したように俯いたまま、立ち上がる。
「……うん」
肩に手を置いたまま個室までエスコートしたジェンミは、部屋に戻った後もなにも聞かなかった。
「もうすぐ『ウェストパームビーチ駅』だね。夕食の時間だけど、フレンチレストランとダイニングバーと、どっちがイイ?」
スマホに視線を向けながらさりげなく聞くジェンミの気遣いを感じ、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「じゃあ……そうね、『クレマチス・ストリート』の……」
「City Cellar Wine Bar and Grill!」
「City Cellar Wine Bar and Grill!」
二人の声がぴったり重なる。
「あはは、そう!」
有紗は嬉しそうに身を乗り出した。
「すごい! どうしてわかったの?!」
「確か、『クレマチス・ストリート』には夜も行きたいって言ってたなぁって、思い出してさ」
「うん! 前に司と行ったときはランチタイムだったし、夜ならもっといい雰囲気なのかなって。その話、覚えてくれてたんだ?」
「まあね」
ジェンミは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ今夜も、必然的に飲んじゃおうか?」
有紗は肩をすくめる。
「あ……でも、玲音に怒られるかな……」
「そんなのいいじゃん! 帰るだけなんだし。レオもきっと毎晩飲んでるに決まってる」
「そうよね?」
にっこりと笑いかける有紗に頷きながら、ジェンミは予約をいれた。
ウェストパームビーチ駅で降りた二人は、夕暮れに色づいた街並みを練り歩き、日がくれるまでショッピングを楽しんだあと、お目当てのダイニングバーへ向かった。
旅の終わりを惜しむかのように話すジェンミとは反対に、有紗は " FG " と刻印された白い『Frances Georgette』の手帳にペンを走らせながら、これまでの取材行程をおさらいするかのようにジェンミから沿革を引き出す。
「ホントにアリサってさ、ボクをフル活用するよね? さすが敏腕編集長だ」
「あはは……頼ってばかりでごめん」
「いやいや、嬉しいよ。光栄だと思ってる。ただ、ボクの仕事っぷりについては評価してほしいよね! なんなら『月刊ファビュラス』の取材後記にボクの名前も載せてほしいくらいだよ」
「ホントよね!」
そう笑いながらインタビューを進める有紗のグラスが、時と共に、また何度も空になっていった。
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