第68話『The Tear Beneath the Moon』月影に落ちる涙
Walt Disney World Resortを堪能した二日目の夜、宿泊先『|Disney's Grand Floridian Resort & Spa』の自室でNEWYORKにいる玲音との通話を終えたジェンミは、窓に映った冷淡な自分の表情をじっと見つめていた。
「はぁ?! " 覚えてない " だって……? 笑えるよな……」
ジェンミは窓を拳で打つ。
幼い頃からいつも一緒にいて、
いつも一緒のものを見て、
いつも一緒に感じてきた。
だからあらゆる思いに対する熱量も、同じなのだと思い込んでいた。
大切な思い出なら、互いの心に同じ濃度で刻まれているはずだと……
あの頃は邪念もなく、心を通わせながら親友との大切な時間を紡いでいたはずだった。
いつも一緒に居たから、玲音とはわざわざ気持ちを確認する必要もないと、そう信じていた……
ついさっき湖畔で有紗と肩を並べ、月を見上げながら切々と話した子供の頃の思い出たちは、ジェンミにとって、大切な宝石箱のような存在だった。
――しかし……
買い被っていただけかもしれない。
そう思っていたのは、自分だけだったようだ……
「そりゃそうだよな? 玲音とボクとじゃ、立場も育ちも違いすぎるわけだし……」
ジェンミは辟易としながら、窓をザッと閉めた。
玲音と離れて解放された気持ちになっているはずなのに、どうして毎夜こんな複雑な思いに陥るのかと、恨めしく思いながらも半ば呆れる。
――なに言ってる?! 今更だろ……?
もはや自分のことですら、どこまでが本当なのかも
わからなくなってきてるのに……
ジェンミは自嘲的に笑いながら時計を見上げた。
「まだこんな時間か……? なんて健全な……」
プラトニックなど幻想だと思っていた今の自分の状況に、肩をすくめる。
眠れそうにないと感じて、リビングに向かうため部屋を出ようとドアに手をかけた。
「ん……?」
ドアを少し開けたところで気配を感じたジェンミは、音を立てないように真っ暗なリビングにそっと出てみる。
「はっ!」
閉めたはずのカーテンは開け放たれていて、大きな窓から差し込んだ月光の手前に、影となった有紗がシルエットとして浮かび上がっていた。
切り絵のようなその姿をしばらく見つめていると、だんだん目が慣れてきて、月光に縁取られた彼女の蒼白い横顔が確認できる。
声を掛けそびれたまま、月の光に照らされた有紗にそっと近付いていくと、その頬から一筋の雫がスッと伝い落ちた。
「えっ……」
思わず息を飲んだジェンミの方を、有紗は驚いたように振り向く。
「ジェンミ……」
濡れた頬に月光が反射し、有紗はそれを隠すようにジェンミに背をむけてサッと拭ってから、もう一度こちらに顔を向けた。
「あ……ここから見える月が本当に綺麗でね。湖面に映って、まるで月が二つあるみたいなの。ほら」
滑稽なほど瞬時に切り替えられた表情は痛々しいほど儚げで、憂いを帯びた頬は痛みを伴うほどに美しく、ジェンミの心を揺らす。
「ジェンミも……見てみない?」
そう言ってまた月を見上げる有紗の後ろに歩み寄ったジェンミは、無意識に彼女の肩に伸ばそうとする自分の手を、慌てて止めた。
今ここでもしも自分が彼女を抱きしめたらどうなるだろうかと想像してみる。
とたんに胸が熱くなるも、瞬時に氷のような現実が頭に浮かんだ。
きっと彼女は拒絶するだろう。
一人でもの思いにふける彼女の視界に自分が映ったとき、彼女にとってはほど遠い場所にいるのだと、その視線の温度で思い知らされたばかりだった。
彼女が流す涙の原因は、決して自分ではないとわかっている。
こうして同じ空間にいるというのに、果てしなく遠くにいるように思えた。
引っ込めた手を強く握りしめながら、息苦しさを逃す。
そしてスッと有紗の横に並んだジェンミは、彼女の頭の上の窓ガラスに手をついた。
「ほんとだね、綺麗な満月だ」
彼女の横顔を上から見下ろす。
月に向けて見開かれたその目元に、疲れを感じた。
「アリサ、眠れないんでしょ。ちょっと待ってて」
ジェンミは落ち着いた声でそう言うと、自室から小さなパッケージを持ってミニキッチンへと向かった。
しばらくすると、清涼感の溢れた爽やかな香りが部屋中に立ち込める。
「ほら、アリサ」
有紗がその声に振り返ると、ジェンミがティーカップを差し出した。
「疲れてるのに眠れない時はこれ。ボクがブレンドしたハーブティー、試してみて」
「ありがとう」
ティーソーサーを受け取った有紗はそのままカップを持ち上げる。
「わぁ、いい香り。ほんのり甘く感じる。美味しい」
「よかった。精神安定作用のある『バレリアン』っていうハーブに、安眠効果がある『オレンジ・ピール』をブレンドしてみたんだ。これなら意識がほどけるように眠れるはずだよ? もう何も考えられないくらいにさ」
「何も……考えられないくらい?」
有紗は大きな瞳でジェンミを見上げた。
「そう。何もかもから、解放されて」
有紗の頬に安堵の笑みが差す。
「うん……いい夢が見られそう」
「見られるさ」
ジェンミは空になったカップをスッと取り上げて笑顔を向ける。
「おやすみアリサ、いい夢を。また明日を楽しもう!」
「うん、おやすみ」
パタンとドアが閉まると、ジェンミは小さく上げた手を力なく下ろした。
――何度こうして彼女を見送ったことか……
大きなため息をつくも、これまで自分の回りを取り巻いていた他の女たちと有紗との違いをあからさまに感じた。
――そういうところにハマってるっていうのか? このボクが?!
マジかよ……?!
天井を仰ぐように笑いながら部屋に戻ると、テーブルに置いたままのスマートフォンに通知が来ていた。
「ん、なんだ?」
着信履歴を見て目を見開いたジェンミは、瞬時に肩を落としてまた大きく息をついた。
その通知は当然、玲音からのものではない。
「チッ……」
見上げた時計は深夜を指している。
「あっちは……昼下がりか? なるほど、ちょうど会議が終わったってとこだな」
ジェンミは深呼吸をしてからスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし。あ……すぐに出られず、申し訳ありません。はい……順調です。あ……その件についての懸念点は、今のところ問題はないかと……ええ。大丈夫です。もう少し時間を下さい……ええ、必ず。では、失礼いたします」
ジェンミはスマートフォンを耳から外すと、腕を振り上げてソファーに投げつけた。
「フッ……滑稽なのは――きっと自分の方だ。でも……今はこうするしか、ここにいられる方法は、ない……」
力なくそうつぶやいて再び空を仰いだジェンミは、グッと目を瞑る。
そして、瞼の奥に浮かぶMoon lightに手を伸ばし、そのシルエットを強く引き寄せた。
第68話『The Tear Beneath the Moon』月影に落ちる涙 - 終 -




