第67話『Shadows in the Moonlight』交錯する声と影
NY、マンハッタンのミッドタウン『タイムズ・スクエア』から数ブロック北に入ったところにある豪華なホテルの一室で、玲音は一人、パソコンを閉じた。
開けっ放しのカーテンの向こうには極彩色の縦長い街並みがそびえている。
向かい側のガラス張りのビルには下界のネオンが万華鏡のように反射し、窓の下には気ぜわしくいかにもニューヨークらしい光景が広がっていた。
――眠らない町は落ち着かない。
ニューヨークに来るのは久しぶりだった。
以前は、ジェンミと一緒だった。
ここしばらくはずっとあのランドルフの家に半ば潜伏状態だったせいで、バカンスすらもない生活ではあったが、それでも快適に暮らせているのは妙な同居・人たちのお陰かもしれない。
――ま、確かに退屈はしねぇけどな。
玲音はおもむろに時計を見上げる。
心に隙間ができると、ふと彼らがどうしているのかと考えたりもするが、妙な気分になる前に切り替えるようにしていた。
とにかく忙しいが、バリバリと仕事をこなしていた時のマインドが甦ってくるような充実感に、やはり自分は仕事人間なのだと実感する。
不意にスマートフォンが鳴った。
「おいおい……どうせまたジェンミだろ。昨日もかけてきて……アイツ、毎日電話してくる気か?」
そうぼやきながら面倒くさそうにスマートフォンを持ち上げると、そこには予想外の名前が表示されていた。
「え?」
玲音は慌ててタップする。
「もしもし……司? どうした?」
「ああ、こんばんは。急に……ごめんなさいね。いつもだけど……」
今夜は " 無駄に察しのいい同居人 " がいないことで、安心して話せる。
「いや、別に構わないけど、俺、今ニューヨークに来ててさ」
「知ってる。さっき聞いたわ」
「え? 有紗と話したのか? こんな時間に?」
「ええ。ディズニーワールドは広大だから、ある程度セーブしなさいよって言ってたのに……あの子、取材にかまけて本気で毎日遊びほうけてるから、かなり疲れてるみたいでね」
「あはは。ガキかよ! アイツらしい。はしゃいでる姿が目に浮かぶな」
「フッ、ホントね。今夜はジェンミさんが、有紗をアロマ スパに誘ってくれたらしくて」
「ああ、ジェンミはそういうのが好きだからな。ったく、スパなんかでホントに疲れが取れんのか? 酒飲んで寝ちまった方がいいような気がするけどな?」
「フフッ。珍しく、あの子がお酒の誘いを断ってるみたいでね」
「へぇ……」
「どう? ホッとした?」
「はぁ?! なんで俺がホッとするんだ? 司まで変なこと言うなよな!」
「あら? 私までって? ひょっとして " 誰かさん " から報告が行ってるとか?」
「べ、別に……ってか、アイツは、なんで旅先から司に連絡を?」
「ああ、あの子ね、初日のエプコットにはカメラマンと二人で取材に行ったんだけど、その時彼から " 翌日からはどうするんだ?" って聞かれて、とっさに " ウォーレンファミリーと同行する " って言っちゃったらしいのよ」
「あ……そっか、カメラマンにはジェンミと行くとは言えないか」
「そうよね。当然彼は、ジェンミさんを知らないはずだから」
玲音はジェンミがカメラマンに声をかけられたことを司に話すか迷う。
「……だな?」
「だからアキノブさん……あ、カメラマンね? 彼からもし連絡があったら話を合わせてほしいって言うのよ? 全く、世話の焼ける子でしょ?!」
「はは、ホントだな」
「で、あなたはどうなの? ホントにニューヨークで美女に囲まれながら楽しい夜を? あ、もしかしてお邪魔だったとか?!」
「おい! 司までなんなんだよ! それって、ジェンミが有紗に吹き込んだんだろ!?」
「あはは。ということは、やっぱりあなたも親友からこまめに連絡を受けてるんだ?」
「……ま、まぁ」
「ホントに仲良しね なんなら私たちと " 親友対決 " でもしてみる?」
「するかよっ!」
「フフ。それでジェンミさんは、なんて?」
「ああ……実は、さ……」
玲音はジェンミから電話で聞いた通り、カメラマンの方から声をかけられたことを話した。
「あ……いやぁ " 尾行するなんて、ストーカーみたいだからやめろ " って、俺も散々ジェンミには言ったんだけどさぁ、アイツ聞かなくて……あれ? 司? 聞いてるか?」
電話の向こうから深い吐息が聞こえてきた。
「司……? どうした?」
「……それって、アキノブさんの・方から、ジェンミさんに接触したってことよね?」
司の声はわずかに震えていて、その言葉からはかなりな動揺が窺えた。
「まぁ……そうなるな」
「どんな様子だったか聞いてる?」
「あ……そのカメラマンが、なんか支離滅裂な態度だったって……そう言ってたけど」
「そう……なるほどね」
玲音は首をかしげる。
「司? どうした?」
司は息を整え冷静な声で言った。
「あなたって、まだ『ランドルフ』には自分の所在を告げていないのよね?」
「あ……まぁ」
「アキノブさんは『ランドルフ』と繋がってるわ、ジェンミさんの存在を知ったら、『ランドルフ』にあなたたちがあの家にいることがバレるかもしれない。しいては、有紗が嘘をついていたことが、あなたの叔母様とお母様にバレることになるかもしれないわ」
「あ……そうだよな」
「アキノブさんの様子も気になるわね……わかったわ、私からタイミングを見て聞き出してみる。有紗は二人がニアミスしてることを知らないはずよ。その辺りも踏まえて、ジェンミさんにもう一度詳しく聞いてもらえないかな? 有紗の様子とか、特にアキノブさんがジェンミさんに声をかけたときの様子について」
「ああ、わかった」
通話を終えて、玲音は首を捻る。
ジェンミから話を聞いたときから違和感があった。
なぜ、尾行がバレたのが有紗ではなく同行者の方だったのか。
そして、なぜカメラマンはその事を有紗に話さなかったのか……
再び振動したスマートフォンがジェンミの通知とわかって慌てて出る。
「もしもし!」
「レオ、どうしたのさ?! そんなに焦って……まさか、ボクの電話待ってたとか?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「あ! わかった! ニューヨークガールの連絡を待ってたんだな?! 悪かったね、ボクで! フフッ」
「だから! 違うっつってんだろ!」
「はいはい」
「で、お前はなんで電話してきた? 今日もアイツが疲れて晩酌に付き合ってくれなかったからか?」
「……なんでそう思うのさ?」
「えっ? 別に……お前がヒマそうに電話なんかしてくるから……」
「そう? アリサが酔いつぶれて部屋に運んだあとかもしれないだろ? もしくは……」
「はぁ?」
司の話では、有紗はとっくに自分の部屋に入って、今頃は寝息を立てているはずだった。
「ははは、ウソウソ。『アニマル・キングダム』は思ったより広くてさ、アリサはすごく楽しんでたんだけど、さすがに疲れてみたいだから早めに休ませた」
「へぇ……あ、あのさ、お前が尾行したエプコットの日だけど」
「ちょっと! " 尾行 " って言い方やめてよね! あくまでも見守りなんだから!」
「見守りだと?! あの状況でなかなかそう受け取るヤツもいないと思うけどな。で、あの日は結局、お前はどこに泊まったんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ?『オールスター・ミュージック・リゾート』だよ。アリサがフロリダに来たときにも泊まってたって、初めて会った日に聞いてたんだ。結局アリサ、今回もそこの七階に泊まってた。だからボクもそこに。当日でも空きがあって助かったよ。カメラマンはシャトルバスに乗ったから別のホテルだったみたいだけど。ねぇレオ、そんなこと気にしてたの?」
「いや、素朴な疑問だ」
「ふーん。でもやっぱり、アリサと過ごすなら断然『グランド・フロリディアン』だね! このホテルにして大正解だったよ! 今日もさ、アリサが疲れてたからスパに誘ったんだ。極上だって評判のスパだからさ」
「へ、へぇ……」
玲音は白々しく聞こえないように咳払いする。
「でさ、アリサが出てくるのを待ってたら、昔にレオと見たドラマに出てきた銭湯のことを思い出してさ」
ジェンミは有紗に伝えたように、昔ドラマで見た銭湯のイメージを話した。
「はは、そりゃ笑われるだろ。俺らの母親の時代の話だからな」
「そうなの?! 日本に戻ったら一度行ってみたいと思ってたのに」
ジェンミは残念そうな声を出す。
「いや、浅草や巣鴨に行きゃあまだあるんじゃねぇか? 俺も昔、親父と世田谷にある銭湯に行ってさ……まるで映画のセットって感じで、タイムスリップしたみたいな……まだあんのかな?」
「ふーん、会長がレオをそんなところに連れていってくれたなんて……意外だね?」
「そんな時代もあったな……今じゃ考えられねぇけど。昔は親子っぽいこともしてた気がする。基本、興味のない顔されてたけどな」
「そんなことないと思う!」
ジェンミは声をあげる。
「子供の頃のキャンプでさ、ボクらの帰りが遅くなって遭難したって思われて……」
「ああ、あの時も俺らを心配してたのは母親だけだった。仕事しか頭にない父親だったからな」
投げ捨てるように玲音が言った。
「いや……」
ジェンミは思わず口にしそうになるのを押さえた。
昔のことを思い出す。
もう二十年近く前のあの日の翌日、まだ身体が回復していないのにも関わらず秘密裏に呼び出され、玲音の父親に酷く叱られたことを……
「ん、なんだ?」
玲音の声にハッとする。
「ああ……いや、そういえばさ、さっきアリサにキャンプの話もしてたんだ。ここから見る月が綺麗でさ、ボクたちも月の光だけで夜を凌いだことがあったなぁって、感慨深く思い出しながらね?」
「は? そんなことあったっけ?」
それは玲音の記憶の扉に響いていないような、冷淡な声だった。
「えっ? ほら! まだエレメンタリースクールの時でさぁ……」
「ん……? 覚えてねぇな」
玲音は更に気のない返事をする。
「キャンプファイヤーのないキャンプなんてあったか? そりゃ醍醐味に欠けるだろ」
「え……」
玲音の投げ捨てるような言葉に、ジェンミは愕然とした。
ジェンミはスマートフォンを耳に当てたまま窓に向かうと、静かにカーテンを開ける。
明るい室内の手前に、なんとも生気を失った表情をした自分が映った。
「……ねぇレオ? 今、月は見えてる?」
静かにそう言ったジェンミに、玲音は呆れたように返す。
「は? なんだ急に!? ここをどこだと思ってんだ? 高層ジャングルのマンハッタンだぞ!? 月なんてどこにあるんだかわかりゃしねぇ。なぁそれよりさ、ここに来てだいぶ仕事の感覚が取り戻せたんだ。まぁフロリダのあの家にいる間は、軟禁状態に等しいからな。下手すりゃアイツの言うように、ニートみたいな生活になっちまう」
ジェンミは深く息をついた。
「そっか。そうだよね? 仕事をバリバリしてる方がレオは幸せなんだね。じゃあさ、ずっとそっちにいればいいじゃん。奇遇だよなぁ、ボクも帰りたくなくなってるんだ。アリサと過ごす毎日は充実しててさ、ボクらの距離も縮まってる。レオの邪魔も入らないわけだしね!?」
「おい! いつ俺が邪魔したって?!」
「フフッ。お互い楽しい場所で残り少ない充実した日々を過ごそう! じゃあね!」
「あ! おい……」
玲音は力なく、途切れたスマートフォンを下ろす。
「チッ! ジェンミのヤツ、いつも先に切りやがって! しまった……肝心なこと聞きそびれちまった……」
玲音はため息をつきながらソファーにシャツを放り投げると、バスルームに向かった。
同じころ、『ディズニー・ワールド』のイ・ジェンミは、見上げた月の手前に映る敵意の混じった自分の表情に目を剥く。
まるで知らない誰かのような歪んだ顔から眼をそむけるように、大きな月に向かって深く呼吸を整えた。
第67話『Shadows in the Moonlight』交錯する声と影 - 終 -




