第60話『Memories Etched Here』ここに刻まれた記憶
一人でランドルフ邸を発ってから一晩が明けた朝、有紗は『ディズニー・ワールド』の直営ホテルの一室で目覚めた。
思い起こせば、日本からヒューストン空港を経て、ここフロリダに一人で到着した夜も同じこのホテルに泊まったが、この部屋は空いてはいなかった。
今回、幸運にもこの部屋の予約が取れたのは、今自分自身がフロリダを拠点に活動しているのと同じくらい、運命的に感じる。
起き上がってみると、ふくらはぎに重さが残っていた。
「う……昨日はけっこうな移動距離だったから、仕方がないか。ま、今日は今日で、頑張らないとね」
有紗は簡単に身支度をして、モーニングブッフェに降りていった。
あの日と同じ様に、家族連れの多いブッフェでフランス人形のようなプラチナブロンドの可愛い子供たちに目を細め、あの日と同じテラス席で、有紗はミッキーの顔の形をしたワッフルとエッグベネディクトを手短にストレートティーで流し込む。
徐にバッグから、『Frances Georgette』の手帳を取り出した。
純白の革にFGと刻印された表紙の横には、ロンドンで一目惚れして買った真鍮で作られた天体モチーフの栞が静かに挟まれており、今回は紛れもなく有紗自身のものだとわかる。
以前、ここで " 偽物 " を開いたときの衝撃を思い出して、思わず吹き出す。
あれは今でも忘れられない。
自分のものではないという絶望感ももちろんあったが、それを上回るほど、手帳の中身に興味をそそられ、実際に活用した局面すらあった。
それが、今があるすべての由縁の始まりであったのだ思うと、本当に不思議な気持ちにり、こうして再びここで手帳を開いている時間さえ、胸に沁みるほど尊く思えた。
「守られてるのね……私はきっと」
有紗はスッと立ち上がり、部屋に戻ると早々に着替えて、小型のキャリーバッグを転がしながら『エプコット』行きのシャトルバスに乗った。
エントランスに彰信の姿を見つける。
「おはようございます」
「おお、霧島! おはよう!」
「アキノブさん、昨日までNYだったんですって? 私、知らなくて……もっと遅い時間に待ち合わせたらよかったですよね。すみません」
「いや、急に打ち合わせが入っただけで、昨日の夜は酒も飲まずに早寝してるから大丈夫! こっちこそ、今日一日しか時間が取れなくて悪かったな」
「とんでもないです。お忙しい時に無理してスケジュール空けて頂いて、ありがとうございます」
「水くさいこと言うなよ! 古巣のファビラス、強いては霧島のたっての頼みだぞ! 飛んで来ないわけないだろ? しかも公認でデートも出来るわけだし」
彰信の呟きに耳を傾ける。
「え? 何ですか?」
「いやなんでもない。もっと早く来たかったくらいだ。霧島も大変だっただろ? ここまでどうやって来たんだ?」
有紗は少し俯いた。
「あ……いえ、私は " 前乗り " してたんですよ」
「なんだ! そうなのか? じゃあオレもそうすりゃ良かったな」
「いえ、一日いただけるだけで充分なんで」
「じゃあ早速、行くとするか。ま、今日は『エプコット』で手一杯か……」
彰信は残念そうに辺りを見回す。
「ホントは霧島となら、『マジック・キングダム』に行きたかったけどな……そっちは撮影しなくていいのか?」
有紗は少し焦ったように声をつまらせた。
「あ……それは明日、司がここに来るので」
「え? 川原が?! ウォーレンファミリーと合流すんのか?」
「まあ……そんな感じです」
「それも楽しそうだな! 羨ましいよ。にしても、なんだその荷物? まさか、衣装とか?」
有紗は照れくさそうに頷く。
「あ……今回はモデルを呼べてないんで、あくまでも " 編集長 霧島有紗のレポート " というコンセプトにしてくれって、江藤さんが……」
「へぇ? そっか。ホント、霧島ならではだな?」
有紗は恥ずかしそうに笑う。
「なので場面に合わせてちょくちょく着替えたりしますけど……よろしくお願いします」
「わかった。しかし……編集長自ら一肌脱ぐとは、ファビュラスも深刻なわけだ」
「そんなこと言わないでくださいよ! 好きでやってるんですから」
「ハイハイ! とびっきり美人に撮ってやるよ!」
「あはは、よろしくお願いします」
彰信は予めポケットに忍ばせていたマップを開いた。
「じゃあ……そうだな、昔みたいに Future WorldのWestを攻めてからEastに行くか!」
「ええ、そこから『スペースシップ・アース』の中を見学しましょう!」
「うん。そのあとの『ワールドショーケース』は、『メキシコ館』から順番に回るか」
「あ、それって……」
「そう! あの時のルートだ。ま、あの時はかなりの大所帯で動いたから時間もかかったけど、今回は二人だしコンパクトに回れそうだな。アトラクションの中は撮影禁止の場所も多いし、それぞれのシンボル的な撮影を中心に風景を入れ込んで行こうと思うんだけど……どうかな?」
「アキノブさん、プランも考えてきてくれたんですね!」
「まあな……って、実は昔ファビラスのみんなで回った時の取材日記も見返してきたんだけどな。それに霧島とのデートでもあるわけだから、年甲斐もなく張り切ってるわけよ!」
「また! 残念ながらそんなムードもないくらい、私、バタバタと着替えたりしますよ!」
「あはは。まあまあ、楽しんでいこうぜ」
事前に用意したファストパスも駆使し、撮影しながらも、幾つかライド系アトラクションも楽しんだ。
ゆったりと『スペースシップ・アース』の中を散策しながら、上機嫌で歩く有紗の後ろから、彰信がぼやきながらついてくる。
「っていうかさ! なんでそんなに平然としていられるんだ?!」
「え?」
「だから! なんで『ミッション・スペース』のあのキョーレツな " G " に耐えられるんだって聞いてるんだ!」
小首をかしげて聞いていた有紗がにっこりと微笑んだ。
「ああ! そういうことですか。私ね、『ミッション・スペース』が今回一番乗りたかった乗り物なんですよ。ホントにスリリングでしたよね!」
「いや……スリリングっていうのとはちょっと違うな……オレ、つくづく宇宙飛行士を目指さなくて良かったって……心の底から思ったもん。ウェ……まだ気分悪い……」
「大丈夫ですか?」
覗き込む有紗を、彰信は恨めしそうに睨む。
「わかったんだ、霧島が鋼のような強さなのは " ハート " だけじゃなかったってね!」
その言葉に有紗は口を尖らせた。
「またそんなこと言う! すぐ私に強靭なイメージつけるんですから!」
「あ……悪いが、もはやイメージじゃない。霧島は強靭だ!」
「もう! 失礼しちゃう! ほらアキノブさん! この角度から撮ってください。しっかりお願いしますよ!」
「はいはい……オニ編集長……」
「なんか……言いました?!」
「い、いや? し、仕事熱心だし、頭が下がるなって」
有紗はカラカラと笑った。
有紗が彰信を脇のベンチに促す。
「ちょっと待ってて下さい、お水を買ってきますから。そこ座っててくださいね」
「おい! またもやジジイ扱いするんじゃねえよ!」
「あはは! いいからいいから」
有紗の背中を見送ってふと振り返ると、何やら視線を感じた彰信は、周囲へそっと視線を巡らせた。
「さっきからなんか気になるんだよな……けど、まぁオレ、今は弱ってるからな。カンもなんも、働くハズねぇか」
『ワールドショーケース』にさしかかると彰信の具合も幾分回復してきた。
「ああ……あのまま気分が悪かったらどうしようかと思った!」
「良かったです。まぁ、私はもう一回乗りたかったくらいですけどね?」
彰信は首をすくめるように有紗を仰いだ。
「やめろ! また気分が悪くなる」
「あはは」
彰信は何気なく辺りを見回す。
「だんだん人、増えてきたなぁ」
「そうですね。早いうちに『フューチャー・ワールド』を撮影しておいて正解でしたね!」
そういった有紗の肩越しに、ある人影を見た気がして、彰信はサッとそっちに身体を向けた。
「アキノブさん、どうしたんですか?」
「今! あそこに……」
「何ですか?」
「な、なんでもない……」
それから彰信は、歩きながらキョロキョロ辺りを見回すようになった。
「あの……さっきから、何か探してます?」
「い、いや! ぜ、全然? そんな風に見えるか?」
「見えますけど……誰かお知り合いでも?」
「ないよ! そんなの……あるわけないんだ!」
ラグーンを右手に、テーマ館毎に撮影しながら、『イタリア館』の前まで来た。
「このベネツィアを思い出す風景、私好きなんですよね!」
イタリアンブランドのビビッドカラーの服に着替えた有紗を、街並みに馴染ませて写真を撮る。
「このレストラン、本場のナポリピザが出てくるんでしたよね? ちょっと先に取材交渉してきていいですか?」
「ああ」
彰信は有紗が店内に入ったところで再び辺りを警戒した。
やっぱり、さっきから視線を感じる。
ふと背後の『トレビの泉』に目をやると、不自然なほど目深にキャップを被った人物がスッと背中を向けた。
彰信はゆっくりと近付き、その腕をつかむ。
「あの……ちょっと……君」
その人物は腕を振り払った。
「놀랐어.!」(ビックリした!)
若い声だった。
「え? 韓国……人……?」
彰信はたじろぐ。
「あたりまえだよな、いるわけないし……でも……」
「|실수입니다.《silsu-ibnida》」(人違いです)
「あ……そりゃそうだ、人違いも甚だしい。なにやってんだオレは! でも……似てる……」
「뭐야?」(なに?)
「あ……知り合いに似てるナンテ言ってもしょうがねぇな。ん……とりあえず謝っとくか。|죄송합니다.《joesonghabnida》」(すみません)
「그래?」(そうですか)
そう言ってその青年は踵を返し、早々に立ち去ろうとする。
「アキノブさーん」
立ち去る彼の後ろ姿にファインダーを向けるも、有紗に呼ばれて振り返ったためにブレてしまう。
「ああ、クソッ!」
彰信は諦めて、自分の名を呼ぶ有紗の方に歩いていった。
「ビックリするじゃないですか! ホントに迷子になんないでくださいよ!」
彰信は肩を落とす。
「お前ねぇ……人を徘徊ジジイ扱いするな!」
有紗はその言葉に吹き出した。
「あはは、してませんって。で、どうしたんです?」
彰信は白々しく、来た方向を指差す。
「いや……あ、あの……『トレビの泉』の前でも撮ろうかなと思ってさ」
「ああ、そうですね! 食事が終わったらこの辺でもう少しテイクを重ねましょう」
午後からは効率よく『ワールドショーケース』を回り、陽が落ちたタイミングでラグーンに浮かぶ赤い大鳥居の前に戻って、イルミネーションの幻想的なショーを堪能した。
「圧巻のショーでしたね!」
「ああ。なかなかいい写真が撮れたぞ、ほら!」
彰信はカメラのビューパネルを有紗に差し出す。
「わぁ! どれもいい写真ばっかり! やっぱりアキノブさんに来てもらってホント良かったです!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「もう誌面の編集が大変になりそうなくらい」
「ははは、そりゃ頑張ってもらわないとな。気に入ってもらえて良かったよ。なぁ霧島、晩飯は……」
そこまで言って彰信は頭を抱える。
「あ、しまった! いい店は予約がいるんだったよな?! クッソ……またしくじってんじゃんオレ……」
「いいですよ! 撮影のためにあれだけのパークフードを買ったんですよ!? 私、まだお腹いっぱいですもん」
「あはは。確かに! どれもこれもアメリカンサイズだったもんな」
「もう食べきるのが大変で……」
「オレはカップルみたいに霧島とシェアしながらベンチで食べたりして楽しかったけどな。それに、なんか懐かしかったなぁ……昔さ、ここに来た時も、みんなそんな感じだったよな?」
「ええ」
「ほら確か、やたらと広いフードコートのみたいなレストランがあっただろ? あん時はモデルを何人も引き連れてて、大所帯で入れるところがあそこくらいしかなくてさ。今もまだあるのかな? えっと……『オールスター・ミュージック・リゾート』だっけ? なんかホップなホテル」
有紗は少し俯きかげんで言った。
「あ……実は私、昨日からそこに泊まってるんです」
「え、マジ?! もっと高級ホテルに泊まってるんだと思ってた。ならさ、これからあのフードコートに行かないか?」
「あ……でもアキノブさんのホテルからは、遠くなりますし……」
「いや、遅くまでシャトルバスもあるし大丈夫だ。行こう!」
第60話『Memories Etched Here』ここに刻まれた記憶 - 終 -




