第58話『Drunkenness in the night』眠り姫と二人の男
毎日のように出かけるジェンミとは違うが、玲音は週に二回ほど『矢神ホールディングス』のフロリダ支社に出社するようになった。
玲音の出勤日の朝は、毎度慌ただしい。
本人は至ってマイペースで行動しているが、何故かジェンミは気忙しい様子で、朝食が済むと更に甲斐甲斐しく玲音の身の回りを整えはじめる。
「アリサ、ボクはレオの出勤に付き合わなきゃならないから、その朝ごはん食べたら、遅刻しないように行くんだよ!」
「はいはい、わかりました。うふふ、ジェンミったらママみたい」
「そんなところさ。じゃあママはこの " 可愛げのないでっかい息子 " の送り迎えをしてきますからね!」
玲音がしらっと横目で見る。
「はあっ? お前も " でっかいママ " だろうが」
「ああ! レオが " ママ " って言ったぁ! 久しぶりに聞いたよ。ジュニアハイスクール以来だよね?!」
「チッ、あーもう! つまんねぇこと言ってねぇで! ほら! 行くぞ!」
「全く! ウチの子は最近反抗期で困るわぁ……じゃあアリサ、いってきます!」
「あはは、いってらっしゃい!」
有紗がクスクスと笑いながら手を振ると、二人は揚々とドアの向こうに消えていく。
ジェンミの冗談をかわしながらも、玲音の表情はいつもよりもグッと引き締まって見えた。
かすかに聞こえるエンジン音が遠退いていくのを聞きながら、有紗はゆったりとジェンミが淹れてくれたばかりのジンジャーティーのカップを持ち上げ、ふぅと息をかける。
天井まで切り立った窓から燦々と降り注ぐ朝日に目を細めた。
だだっ広いリビングには静寂が立ち込め、目に映る高価で美しい調度品の数々が、それぞれに調和をなしていることに気が付く。
「たしか……著名なアーティストがコーディネートしたって言ってたわね」
有紗はまたゆっくりとティーカップを傾けた。
日本にいるとき、自分は一人が好きなタイプなのだと思っていた。
誰かにもたれたり、もたれ掛かられたり、そういった関係に依存せずに生きていくのだと。
そう無意識に思うようになったのは、やはり " あの出来事 " があったから……
そうに違いない。
でも今は、彼らとの日常に笑顔をもらう生活に、潤いを感じていた。
慣れない土地に居ながら、こんなにもリラックスした時間を過ごせているのは、彼らのお陰だと思う。
「わ、もうこんな時間!」
慌ててカップをキッチンに戻し、バッグの口をしっかりと閉じながら玄関に向かう。
一気に体温が上昇するフロリダの日差しを手で遮り、ガレージの方に目をやると、中央のシャッターが開け放たれて空になっていた。
「えっ! まさか今日はグリーンのJAGUARで出社したとか?! 通勤には不適切にも思えるけど……」
灼熱に目を細め、取り出しておいた扇子を片手にヒラヒラさせながら、有紗はいつものようにワースアベニューに足を向ける。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
陽が傾いた『ランドルフ』のオフィスで翼に声をかけられた有紗は、以前よくジョギングを共にした『Adorabile』のオーナーがイタリアから帰国したので食事に行こうと誘われ、仕事を早めに切り上げたフィリシアと翼と有紗とでダウンタウンに向かった。
豪華なディナーを堪能し、ほろ酔い気分のままハイヤーに乗せられる。
有紗の住むランドルフ邸の門扉からその中の玄関先まで車が入っていくと、有紗は一気に酔いが覚めた。
建物から光が漏れていないことを祈りつつ顔を上げると、玄関先のセンサーライトだけで、中は真っ暗に見えてホッとする。
車を降り、フィリシアと翼に挨拶をしてそのリムジンを見送ってから玄関ドアに手をかけた。
その瞬間、以前のように本当に留守なんじゃないかと不安になったが、空を見上げるも、大きな月が優しく頬を照らし、今夜はハリケーンが来そうにないことに安堵する。
" 仮にリビングに漆黒の闇が待っていようとも大丈夫 " と唱えるように頷きながら、有紗はドアに手をかけた。
ドアを開け、身体を中に滑らせた途端、すぐ傍に人影があって、有紗は驚きのあまり大きくよろめいた。
「わっ!」
「おっと、アリサ、大丈夫?」
暗闇に目を凝らすと、真上にジェンミの顔がうっすらと浮かんだ。
「びっくりした……あ、ただいま」
「おかえり!」
パチッと照明が点いて、ジェンミの腕の中に居ることに気付いた有紗は、慌てて身体を離す。
「なんだ? そのでっかい紙袋は」
そう言った玲音がジェンミの肩越しに見えて、有紗は更に一歩、後ずさった。
「あ……あの、今夜は『Adorabile』のオーナーとのディナーだったんだけど、お土産にシャンパンを頂いて……」
「ランドルフのハイヤーで帰ってくるなら、そう連絡しろよ!」
玲音の言葉にハッとする。
「え……」
ジェンミは噛み砕いて説明した。
「いつもより遅いしさ、どうせ接待だろうって思ってたけど、門扉の解錠に気付いて外を覗いたらランドルフのリムジンが見えたんで、慌てて照明を落としたんだ」
「そうだったの……ごめんなさい。これからは気を付けるわ」
「いや、大丈夫だよ。ほら、この前さ、家じゅうのカーテンを遮光カーテンに替えただろ? だから普通にしてても外からはわからないようになってるんだけど、もしハイヤーが行き過ぎる前に有紗が玄関ドアを開けちゃったら、中の明かりが見えるかもと思ってさ、それで玄関の照明を慌てて消したんだ。それだけだよ」
「そっか……私ったら、気付きもしなかった……」
ジェンミが首をかしげる。
「ん? アリサ、もしかして酔ってる?」
その言葉に玲音が反応して有紗の前までやって来た。
「なにぃ?!」
「え……酔ってるって程じゃないけど、出されたシャンパンがあまりにも美味しくて……それで、そう言ったら……お土産にもらっちゃって」
恥ずかしそうに苦笑いして紙袋を持ち上げる有紗を、玲音は冷ややかな目で睨み付ける。
「お前、外で飲みすぎるなって……」
玲音の苦言を遮るように、ジェンミが提案した。
「じゃあさ! 今からそのシャンパンを開けようよ!」
「はぁ?」
「ちょうど飲みたい気分だったし! そんなに美味しいならボクも試してみたいな」
有紗は嬉しそうに紙袋を手渡す。
「そう? じゃあ!」
「おい! もう既に出来上がってんじゃねぇのか? やめといた方が……」
「いいじゃんレオ! レオだってワインセラーに行こうとしてたじゃない?」
「そうなの? だったら開けちゃおう!」
玲音が額に手を当てる。
「あ……もう……聞いちゃいねぇ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一時間もしないうちに、有紗は机に突っ伏して、伸ばした腕を枕に、静かな寝息をたてていた。
「ふーん、これがレオがよく言ってる " 死体状態 " なんだ?」
「ああ、ピクリとも動かねぇ。マジで死んでんのかって、何度も思った」
「へぇ……」
ジェンミが観察するように近付く。
「おまえ! ベタベタさわるな」
「別に変な意味で触ってるんじゃないって! 解ってるでしょ?」
「まぁ……で、何してるんだ」
「ああ、血流を確かめてる。この意識を失ったような状態が、危険かそうでないかを見極めないとね」
「飲んだらいつもこうだぞ」
「いつも……ねぇ。ボクは初めて見たけど」
ジェンミは玲音を一瞥し、再び有紗の方を向いてその手を取った。
「うん……大丈夫みたいだね。アルコールが入ってるわりには脈も落ち着いてるし、手も火照ってない。正常範囲だよ」
「じゃあこの死体みたいな状況は一体なんなんだ?」
「ん……多分……精神的に安定してるってことかな。要するに眠りが深い。安心してるんじゃない?」
「司にもそう言われた。飲んで寝ちまうって話したら、" あり得ない " って、驚いててさ」
「ふーん、司がねぇ……レオは信頼されてるってことか。でもそれって、いいこと? ボクなら彼女にとってスリリングな存在でいたいけど? こんなに泥酔されちゃあ、なんにも始まらないわけだし?」
「お、おまえ……」
「なんだよ今さら。あのさ! レオはいつもボクのこと " wolf in sheep's clothing " て言うけど、ボクは断じて、女の子を襲ったりしてないから! たださ、女の子に興味のない顔をするのは失礼だろ? 結果がどうなるかなんていうのは、トライしてみなきゃわからないじゃない?」
「はぁ……ト、トライって!? そんな顔してよくも……そういやぁおまえ、中学の時から " The love experts " って言われてたよな?」
「心外だけどね。せめて " |Relationship master " って呼んで欲しかったよ」
「はぁ?! 言ってろ!」
「レオの方こそ、そんな顔して意外と恋愛に慎重だろ? なんで? そっちの方がわからないよ」
「別に慎重な訳じゃねぇよ、面倒くさいだけだ」
ジェンミは大袈裟に腕組みして見せた。
「あのさ! ボク相手にモテ自慢はいらないだろ?」
「してねぇわ!」
ジェンミはクスッと笑う。
「ふふ。わかってるよ。で、アリサのことは? どう思ってんのさ?」
「何を今さら……」
「この前ボクが " アリサにアタックする " って宣言したから、実は気にしてるんじゃない?」
「なんで俺が気にするんだ!? ただのビジネスパートナーだって何度も言ったろ!」
「へぇ、だから一つ屋根の下に暮らしててもなにも起こらなかったわけ? 妙だな。まるで自分で足枷を着けてるみたい」
「はぁ?!」
「なんかさ、崇高な理由つけて、言い訳してるようにしか思えないんだよね。あ! もしかして自分に言い聞かせてるとか?」
「お前なぁ! みんながみんなお前みたいにギラギラしてると思うなよ!」
「ボクのどこがギラギラしてるのさ? ただね」
ジェンミが有紗の手を取る。
「こんなに華奢で美しい手が近くにあったら、触りたいと思うのは当然だろ? ボクは素直なだけだよ」
「おい! やめろ!」
「はいはい、レオの強がりはいつまでもつんだか」
「なに言ってる! 勘違いだ!」
「ねぇ、念押ししてるみたいで悪いんだけどさ、ホントにアリサは恋愛対象じゃないの?」
玲音は声を荒げる。
「だ・か・ら!! ビジネスパートナーだって、何度言わせるんだ!」
「じゃあ仮にさ、今後ボクがアリサと付き合うとして、シミュレーションは出来てるの?」
「シミュレーション?! べ、別に……本人がそう望むなら……」
「へぇ……ボクが本気だしてもいいんだ?」
「俺に聞くなっ! おまえらしくねぇなぁ、そんなにコイツのことが?」
「うん。かなりタイプなのは、わかるだろ? 親友なんだからさ!」
「知るか!」
ジェンミは有紗の寝顔を見つめる。
「アリサはセンスがいい。ファッションは当然だけど、言葉も発想も洗練されてる。そのくせ真面目でさ、まっすぐで賢いところも、意外とおっちょこちょいなところも、スタイルも、全部ボク好みなんだ」
「うわ……よくもまぁそんなにつらつらと……そりゃそんなことを言われりゃ誰でも喜ぶだろうな。そうやってオンナを次々と落としてきたのか?」
「人聞きが悪いなぁ! ボクは素直なだけだって言ったろ? 思ったことを言ってるだけだよ。ボクからすればさ、レオみたいな無愛想でぶっきらぼうな物言いの、なに考えてるかも全く分からない男に、どうして女の子が群がるのかって事の方が、ずっと謎だけどね」
「は? 意味わかんねぇ」
ジェンミは目を丸くする。
「もしかして……自覚ないの?!」
「興味ねぇことには関わらない主義なんだ」
「じゃあよっぽどなんだね、アリサのビジネスプランは。だって自分の居住スペースを共有するなんて、今までのレオじゃ考えられないよ」
「ああ、そうだ! 俺と『ランドルフ』の未来が掛かってる」
「ふーん」
ジェンミは伏し目がちに一人頷いた。
「ねぇ、アリサをどうする?」
「どうするって? だから今後も……」
「違うよ、今。ほら、寝室に連れていくんだろ? ジャンケンにするか、それとも今後はボクが担当していいなら……」
「Rock Paper Scissors!!」
突然の玲音のその言葉で、ジェンミは思わず握りこぶしを出した。
「えっ!! あっ……」
まるでピースサインのように、二本の指を立てた玲音は、すかした表情で視線を上げる。
「フン……俺が負けたから俺が担いで上がる」
「……わかったよ。じゃあ任せるね」
玲音は有紗を抱き上げた。
「うっ、やっぱ重っ! この " 死体 "、うちに来て太ったか?」
ジェンミが顔をこわばらせる。
「うーわ……起きてるときに言ったら、さすがに殴られるんじゃない!?」
「お前こそ、起きてるときにさっきの " 歯の浮くようなセリフ "、言ってやりゃあ喜ぶんじゃねぇか?……ただし」
有紗を持ち上げたまま階段を上る玲音が、足を止めて振り向く。
「下手なことすんなよ。何度も言うが、大事なビジネスパートナーだ。お前とこじれて、出て行かれでもしたら困る」
「わかってるよ」
「ならいい」
玲音は再び、一段一段踏みしめながら階段を上がっていった。
ジェンミは見えなくなった玲音の背中に向かって毒づく。
「ったく……素直じゃないんだから。これじゃぁボクもどう勝負していいかわかんなくなるじゃない。もう! レオ!」
第58話『Drunkenness in the night』眠り姫と二人の男 - 終 -




