第55話『When Lightning Strikes』気ぜわしい一日
数年ぶりに再会したその相手は、有紗が編集長を務めるファッション誌『月刊ファビュラス』の元専属で、今や世界的なカメラマンとして有紗よりもずいぶん前に渡米した三宅彰信氏だった。
懐かしさに顔を輝かせ、お互い久しぶりに和を織り成す上質な料理を堪能しながら、二人は当時に戻ったような心境で話を弾ませる。
三宅彰信カメラマンの提案で中庭に降り立つと、ここがフロリダであることを忘れてしまうほどの美しい日本庭園が広がっていた。
見事に苔むした庭石を横目に、玉砂利の小道を静かに踏みしめ、若い楓の葉が幾重にも重なった木漏れ日に手をかざす。
レンズを向ける彰信の横顔はあの日と全く変わっておらず、有紗は彼の覗く世界に興味をそそられた。
差し出されたビューパネルを覗くと、青々とした透き通るような木々の隙間からこぼれる光の風景が、雅やかな景色となってファインダーに宿り、有紗の熱い溜め息を誘った。
突き当たりの竹林から聞こえる、笹のさやさやとたなびく音に癒しを感じ、またしばし昔話を楽しむ。
店の外に出ると『ランドルフ』のハイヤーが停まっていて、そのまま二人を乗せ『Worth・Avenue』の本店に戻った。
フィリシアと翼と数人のブレーンも交えた会議が始まり、それが終わると四人はそのまま地元のリストランテで食事をしながら談話を楽しむ。
彰信の話す昔話にフィリシアと翼はいたく興味を持ち、有紗は話題が変わる度に顔を赤らめながら彰信の肩を叩いて阻止しようとした。
和やかな親睦会を終えて店を出ると、昼間の清々しい晴れ間が嘘であるかのように、月はどんよりとした雲に覆われ、暗い空から雨が路面を打ち付けていた。
時折り遠くでゴロゴロと雷鳴が鳴り、肩をすくめた有紗はハイヤーに押し込まれ、彰信の宿泊ホテル経由で家に送られた。
門扉から鍵を開けてエントランスに進み、いつもの明るいリビングを想像しながらドアを開けると、思いがけず、家中を飲み込むような暗闇が広がっていた。
誰も居ない、真っ暗な空間。
玲音が帰国してここに帰ってきたあの夜から、この家では今まで一度も一人になったことはなかった。
今では玲音に加えてジェンミと三人で毎日賑やかに過ごし、仕事から帰宅した時は必ず誰かが出迎えてくれる生活を送っている。
本来は一人で住むはずだったこの大きな邸宅は、今や有紗一人ではもて余す空間となっていた。
急に心細くなって、慌てて照明を点ける。
あの日、ここで遭遇した玲音を強盗だと思い込んで無我夢中で振り回した大きな植木があった場所には、今はまた別の観葉植物が置かれている。
あの日から一人じゃなくなった。
この気が遠くなるほど広い豪邸のごく一部でキャンプ生活のような日々を送っていたそれまでの生活は一変し、ようやくこの地に足がついたように思えた。
今こうして、はつらつと仕事に向き合えているのは、やはり玲音のお陰なのだと改めて実感する。
雨の音に混じって、外からかすかにエンジン音が聞こえた。
少し離れた壁にあるセンサーが、門扉の解錠を知らせるランプを点滅させている。
「帰ってきたのね」
妙にホッとする自分に苦笑いしながら、静寂の一人の空間から賑やかな瞬間の到来を待つ。
彼らに淹れるコーヒーを用意しようとキッチンに向かった。
ガチャッとドアの音がして、有紗が笑顔で振り向いたその瞬間、大地を揺らすような大きな音が轟き、それと同時に照明がバチッと音を立てて落ちた。
「はっ!」
瞬時に暗黒となったその空間で、有紗はしゃがみ込んだ。
開いた扉から激しく点滅するように差し込む稲光から目を背ける。
目の奥に映った残像には、確かに人のシルエットがあった。
ドアが閉まり、また暗闇に包まれる中、慣れない目でそのシルエットを探す。
「おい!」
声にハッとする。
少し離れた位置から玲音の声が聞こえた。
「居るよな? 暗くてよく見えない……どこだ?!」
有紗は恐る恐る腰を上げる。
「あ……キッチンに」
「ああ、またそこか」
「またって? どういうこと?」
「ほらお前、キッチンから入ってきた俺をつけ狙って、怪力で植木ぶん投げてきたじゃねぇか」
「またその話……」
有紗は不満げに濁す。
「もう投げるなよな!」
「ば、ばかね! 投げるわけないでしょ!」
「ははは、そりゃそうだ!」
玲音が自分を落ち着かせようと冗談を言ってくれているのだとわかっていた。
玲音のものであろう影が、動き出す。
「じっとしてろよ、そっちにいくから」
その声に重なるように、雷鳴がくすぶった音をたてる。
「大丈夫か……?」
耳元で声がした。
肩に感じた温かい手の感触にホッとしながら、胸の奥がふっと緩む。
すぐ傍に、彼の気配が満ちていた。
「もうすぐ自家発電が作動するはず……」
「キャ!」
「大丈夫だ! 落ち着け!」
声をかき消すような大きな轟音に身を固くする有紗を支えた玲音はその耳を両手で塞いで、その音を遮断した。
突然、髪を揺らすほどの突風がすごい勢いで室内に入ってきて、再度開いたドアからは閃光が走った。
また地鳴りのように大きな轟音が有紗を襲う。
「キャー!」
ドアが閉まるのと同時に、パッと自家発電の薄暗い光が二人を包む。
「え……」
その声に玲音が顔を上げると、ジェンミがこちらを向いて呆然と立ち尽くしていた。
「あの……これは、どういう状況?」
がっちりと抱き合ったまま固まっている自分たちに気づいた玲音は、有紗にかけていた腕をバッとほどいたが、有紗は固く目を閉じたまま玲音の背中に腕を回し、その胸に顔をうずめたままだった。
「あ! お、おい!! は、離せって!! おい!!」
有紗の腕をほどこうとしながら、玲音はジェンミに向かって首を振る。
「ち、ちがう! ジェンミ、誤解するなよ、これは、その……」
「誤解するなっていわれてもねぇ……」
有紗がその声にハッとして、目を開けると同時に慌てて玲音から身体を離した。
「ジェンミ、あの、これには……訳があって……」
「ははは!」
ジェンミがカップを持ち上げて、淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら微笑んだ。
「なんだぁ、そういう訳か。でもさ、アストロフォビアなんて、子供だけだと思ってたよ。しかもそんな……救急車で運ばれたなんて相当だよね……? レオは知ってたんだ?」
「ああ……司から聞いて……」
「え?! 司から? いつ?」
有紗が驚いたように振り向いて、玲音はギクリとする。
「あ! ちがっ……いや、こ、この前のBBQのときにさ、司がその……気を付けてやってくれって……」
「え? 司があなたにそんなことまで?」
有紗は不可解な顔をする。
「ふーん。ホントにアリサのママみたいだね。まぁ、目の前で倒れられて救急車に運ばれたのを見たら、心配するのもわかるけど」
ジェンミの言葉に、玲音はホッとする。
「まぁ、そうね……」
「で? それをツカサに聞いてたから、レオはあんな風に・対応を?」
「え? あ……まぁ……」
「ふーん。レオにしてはめずらしく気の利いた行動だよね? っていうか……ひょっとして……」
ジェンミが向けた視線に有紗はうつ向き、玲音は息を整える。
「ま! 良かったよね? 一時的な低気圧でさ。ほら、もう雲もすっかり薄くなってる。通り雨だったんだね」
窓を指差しながらにこやかに顔を向けるジェンミに、有紗はぎこちない会釈をしながら、コーヒーのおかわりを淹れるといって皆のカップをトレーに載せ、そそくさとキッチンへ歩いていった。
有紗を見送るジェンミがくるりと座り直し、玲音に意味ありげな視線をむけた。
「ボクがこっちに着いた夜って、確かハリケーンだったよね? 空港で足止め食らったほどの規模だったけど?」
その挑発的な視線に玲音はたじろぐ。
「ああ、そ、そうだったな」
「さっきのあの対応……初めてじゃないよね? どうなのさ? レオ」
玲音は観念したように首をたてに振った。
「やーっぱりなぁ」
気まずそうに視線を下ろす玲音にはお構いなしに、ジェンミはソファーにもたれながらため息混じりに言った。
「ふーん、あの日かぁ……一晩中……だよね?」
そのじとっとした視線に気付いた玲音は、座り直してジェンミに向き直った。
「ちょっと待て! お前、まさか誤解してんのか!? だったらそれは……」
ジェンミは玲音の言葉を遮る。
「いいよ。ボクと出会う前の事だし」
「だから! それは誤解だって!」
「ねぇレオ、この際だからハッキリと聞いておきたいんだけどさ」
「な、なんだよ」
ジェンミはレオを見据えながら顔を近づけ、挑戦的な眼差しを向けた。
「ねぇ、有紗とは……そういう関係なの?」
玲音はソファーからずり落ちそうになる。
「は、はぁっ!? な、なにバカなこと言ってんだ!!」
第55話『When Lightning Strikes』気ぜわしい一日 - 終 -




