第53話『A Day with His Mother』華やかな時間
玲音とジェンミを残してランドルフ邸をあとにした有紗は、ヒールの音をコツコツと響かせながら、いつもの道を歩く。
住宅街から角を曲がると、がらりと雰囲気が変わり、アメリカ国内で最も洗練されたショッピングエリアの一つ、『Worth・Avenue』が見えてくる。
パームビーチの海岸からすぐの立地にあり、ほんのりと潮の香りのするそのエリアには噴水や庭園も施され、最も洗練された世界的な高級ブランドショップが立ち並ぶ。
このファッションストリートのきらびやかなウィンドウを眺めながら、いつもゆったりと『ランドルフ』本店に向かって闊歩する。
こんなにワクワクするはずの街であるにも関わらず、すれ違う観光客の数は知れていて、華やかさの影で街はどこか静まり返っていた。
ここをかつてのように活気溢れるスポットに変えたいという希望を持って渡米したあの日の思いを、日々忘れぬよう自分に刻むために、車は使わず、毎日こうして現状を肌で感じるようにしている。
ウィンドウ越しにショップスタッフと目が合って、微笑む。
この街にも顔見知りが増え、『ランドルフ』のスタッフだと認識してもらえているケースもあって、時折会釈することも増えた。
その場合、大抵彼女たちは店の入り口付近まで笑顔で出てきてくれる。
客ではないと判るまでは、彼女たちはむやみに動かない。
日本なら逆のように感じるが、この界隈ではハイエンドな客を店員が自ら引き込むような品性のない接客はタブーとされていて、今や閑散としたこの高級街全体が暇をもて余しているような状態にあった。
「Hi! Arisa. Do you have work now? 」(アリサ! 仕事中?)
「No. I'm going to get some lunch」(いえ、これからランチなの)
「I see. Arisa! Let's have dinner together sometime soon」
(そう。近々一緒に夕食でもどう?)
「Sounds good!」 (いいわね!)
こうやってコミュニケーションをとるチャンスもあるので、この時間を想定しつつ、出社の際はいつも家を早く出るようにしている。
旬の情報を入手出来る有用なツールでもある食事の誘いを受けることも少なくないので大いに活用してはいるが、とはいえ、ビジネスライクな付き合いだけではなく、同じくこの街を盛り上げたい熱い思いを持ち、ファッションを愛するもの同士としてのディスカッションは有意義で、プライベートと変わらない心情で彼女達との時間を楽しめるようになっていた。
彼女に手を振って、ふと視線を戻すと『ランドルフ』の店舗の前にリムジンが止まっているのを見つけた。
慌てて走り寄る。
いつもの運転手がにっこりと笑いかけてドアを開けてくれる。
「Hi! What's up? 」
「I feel happy. Thanks」
有紗が、身体を滑り込ませると、そこにはもう先客がいた。
「アリサ、早かったのね」
「翼さんこそ」
ゆったりとシートにもたれ、上品なスーツに身を包んだ翼の隣に腰を下ろした有紗は、車が発車すると同時に早速、昨日のウォーレン邸での出来事を語り始めた。
ミュージアムのような資料館がすばらしかったことや『月刊ファビュラス』に掲載するためのウォーレン氏の正式なインタビューを実施したこと、加えて親友との会話や子供達と遊んだことも話した。
興味深く有紗の話を聞いている翼の前で、当然ながら玲音とジェンミの話題はタブーなので、その同行をにおわせるのを避けるために、所々話を省きながら慎重に話しをした。
「そうなの?! あなたが言っていた、居候するはずの親友の家って、ウォーレン氏のお宅だったのね!」
「そうなんです」
「驚いた。それならそうと言ってくれたらよかったのに! フィリシアは結構親しいはずよ?」
「そうみたいですね。ウォーレン氏もそうおっしゃってました。先代ともお付き合いがあったとか」
「ええ、そうなの。それにしてもアリサ、プライベートで遊びに行きながら見事に商談を成立させるとは……さすがね!」
そう褒められて、有紗は少し恥ずかしそうに笑う。
「あはは……思いっきりコネを使っちゃってるんですけどね」
「うふふ、まあそれも実力のうちってことで! アリサ、一人で行ったんでしょ? 近いって言ったって数ブロックあるわけよね、歩いたら結構な距離なんじゃない? Uberでも呼んだの?」
有紗はドキッとする。
「い、いえ……家から『ランドルフ』本店までとさほど変わらないくらいの距離で、歩いても行けそうなくらいでしたけど……親友が迎えに来てくれました」
嘘をつくことに後ろめたさを感じながらも、玲音の所在については、介入せずに本人が納得した形で知らせるべきだと自答する。
「そう、それならよかったわ。うちのハイヤーを使ってくれてもよかったのに」
「い、いえ! プライベートでしたし」
「遠慮なんてしなくていいのよ。前々から言おうと思ってたんだけど、あの家から『ランドルフ』まで歩いてくるのも、もうやめない? 近いとか遠いとか別にして、日本人が一人で人気のないback alleyを一人で歩くのなんて、絶対お勧めしないわ。どうしてなの?」
有紗は、ついさっきも感じたこの街への思いと、そしてsocialな意味合いでも、自分にとっては必要であることも話した。
「そう……でも夜遅くなることもあるんだから、帰宅する際は車を使ってちょうだいね。小言ばかり言いたくはないけど、心配をかけるのって罪なんだからね」
「はい」
「ホントにわかってる?」
笑顔で肩をぶつけてくる翼の気さくな横顔を見ながら、少し心配性なところが玲音と似ているように思えて、有紗は微笑んだ。
「ありがとうございます」
ウェストパームビーチまでの時間は、引き続きウォーレン氏との会話内容と共に、ブランド戦略としての『ウォーレン』の新分野の展開について話を進めた。
「なるほど。その話は興味深いわね。『ランドルフ』の方でも会議を開く価値がありそうだわ。また会長にお会いする機会があったら、ぜひ聞かせて」
「わかりました」
開閉する跳ね橋が閉じるのを待ちながら、そこからは今日ランチに向かう店について話をした。
翼が提案したその店は、ドアをくぐったことこそなかったが、玲音の手帳の中に書かれていたのを見たときからかなり興味を持っていた店で、フロリダでは珍しい、日本の懐石料理をメインとした高級料亭だった。
『Clematis・Street』に到着して車を降りる時になってようやく、一番気になっていたことに触れてみる。
「あの……翼さん、私に会わせたい人がいるっておっしゃってましたが……どなたなんですか?」
翼は肩をすくめて笑った。
「それはお楽しみよ。ねぇアリサ、それよりリサーチという名のショッピングに出掛けましょうよ! まだランチまでは時間があるわ」
そう言ってウィンクする翼の表情が、またもや玲音に似ていると思う。
「ふふっ。やっぱり思った通り。お母さん似なんだ」
「ん? なぁに? アリサ」
「い、いえ、何でも」
そこからはコスメや雑貨も含め、女同士の楽しいショッピングの時間となった。
リムジンの中での話から、『ウォーレン』の寝具や雑貨を置いてあるセレクトショップが『シティプレイス』の方にあると分かって、二人でトロリーバスに揺られ、少し足を伸ばす。
「ふふふ、なんだか意外です。翼さんがトロリーバスに乗るなんて」
「そう? こういうの、楽しいじゃない! これに乗るとね、学生のときに修学旅行で行った長崎を思い出すの。あの頃のなんだかソワソワしたノスタルジーな気持ちに戻れるみたいで、とってもウキウキするわ」
「わかります! 私は……就職活動を終えた大学生の時に行ったハワイですね。それがはじめての海外旅行でしたから、トロリーバスであちらこちらのアウトレットに行って、もうショッピング三昧でした。わざとローカルな土地に行って、自分の英語が通じるのか試してみたり」
「ふふ、それが今では海外を飛び回る編集長か……挙げ句、フロリダに居住しちゃうなんてね?」
「ホントですよ! 人生って何があるかわからないって思います。でも翼さんだって、そうじゃありませんか?」
「まぁね。日本人の私がアメリカに住んで、アメリカ人の夫が日本に居ることも、いまだに不思議な現象に思えるけどね」
有紗はまた、玲音とジェンミのことを思った。
フロリダ支社に出社を始めると言っていたのが引っ掛かる。
もし、自分が打ち明けるよりも先に、翼やフィリシアが彼らの存在を知ってしまったら、これまで温めてきた信頼を一瞬にして失うことになるだろう。
「ねぇアリサ」
「はっ、はい!」
後ろめたさを見透かされたような気持ちになってハッと我に返る。
「今度は火曜日に来ましょう。知ってる?」
「ああ……ええ。火曜の夜はストリートパーティーが開催されるって」
「そうなの! いい音楽とお酒が楽しめるわ。ダンサーもいてエンターテイメントも充実してるのよ。今度は夜に来ましょう」
「ええ、是非」
ヨーロッパの広場を彷彿とさせる広場から、映画館やレストラン、アウトドアカフェをくぐりぬけ、お目当てのセレクトショップに向かう。
『ウォーレン』の小物やアクセサリーは、思ってたよりも豊富なラインナップで展開していることが分かって、翼と有紗は積極的にショップオーナーにリサーチした。
「ランドルフも負けてはいられないわね、帰ったらフィリシアとも話してみるわ」
「はい。あ……ここからだと『如月亭』まで少し遠いですよね? お待ち合わせの時間、大丈夫ですか?」
「あら、ホントね。じゃあ戻りましょう」
トロリーバスに再度乗って、別のバス停で腰を上げると、また翼が不思議な顔をして見上げた。
「アリサ? どうして、ここで降りるってわかったの?」
「え、あ……そ、そう! 裏ガイドマップみたいなものを……親友から教えられて……」
「そうなの? ホントにあなたは勉強熱心ね。それに、そのマップはなかなかセンスがいいわ」
翼はそれ以上は気にする様子もなく、バスを降りた。
「お待ちしておりました。矢神さま」
着物姿の女将が日本語で出迎えてくれて、老舗料亭さながらの庭園を囲んだ回廊を案内してくれる。
「失礼いたします。お連れ様がお見えになりました」
女将が開けた障子の向こうに、黒髪の男性の背中が見えた。
「よう、霧島! 久しぶりだな!」
「え、ええっ!?」
第53話『A Day with His Mother』華やかな時間 - 終 -




