第46話『Dinner for Three』三人の食卓
リビングに射す光が傾き始め、窓の外の景色が橙色に包まれる。
夕陽に溶けるように淡い色彩をまとったフロリダの空は、雲の輪郭までやわらかく、だんだんと茜色に変わり始めた。
食事を終えたジェンミはフォークを置きながら玲音を見上げる。
「ねぇレオ、アリサは何時ぐらいに帰ってくるの?」
「なんも予定聞いてないから……あと三、四時間もしたら帰ってくるんじゃねぇか?」
「そっか……じゃあボク、買い出しに行ってくる!」
ジェンミの意外な言葉に、玲音は顔を上げた。
「買い出し? 何の?」
「食材の買い出しだよ。今夜はボクが腕を振るって、とっておきのディナーを用意するんだ!」
「そんなの、ケータリングにするかメイドに頼めばいいんじゃね?」
「ダメだよ、アリサを驚かせたいんだ」
ポカンとした表情でジェンミを見つめた玲音は、溜め息と共に肩すくめる。
「お前……確かに活力に溢れてるな」
「だろ? じゃあ早速行ってきまーす! あ、あの車は当分ボクのモノだよね? フフッ」
「チッ! コイツめ!」
ジェンミは朗らかな表情で玄関に向かった。
ドアを閉める音さえも、踊っているように聞こえる。
「はぁ……騒がしいヤツだ」
玲音は再び静かになった部屋の中を見回す。
ジェンミのペースに流されて、聞きたいことが聞けないことは学生時代から何度もあった。
もちろん何を知ったたところで彼に対する信頼や友情が薄れることはない。
「ま、昔のことは追々聞けばいいか。今さら聞いたところで、何が変わるって訳でもないだろうし」
そう呟いて玲音は『矢神ホールディングス』のファイルを抱えて二階の自室に向かった。
視野の隅で室内モニターの解錠ランプが点灯したのを捉える。
二度目だった。
一度目はジェンミが帰宅した頃合い、今回は有紗の帰宅だろう。
時計に目をやると、ここに上がってきてから三時間を越えていることに気付く。
背中をグーンと伸ばして立ち上がった。
「ずいぶん集中したもんだ。まぁ、まだ先は長そうだけどな」
部屋を出て階段に足を向けると、出迎えに玄関まで出ていたジェンミと、帰宅した有紗が並んで何やら楽しそうに話をしながらダイニングに向かう姿が見えた。
玲音の足音に気付いた有紗がこっちを見上げる。
「ただいま、あなたも仕事だったの?」
「ああ」
そう言いながら鼻先にかすめる覚えのある香りに気付いた。
「この匂いは……」
ジェンミが慌てて玲音の言葉を遮る。
「あ、レオ! バラしちゃダメだよ! 今アリサの解答を待ってるところなんだから!」
玲音はため息をつきながら肩を落とした。
「お前ら、なんでも遊びにするなぁ……小学生かよ!」
階段を降りながらそう呟く玲音の皮肉を気に留めることもなく、有紗はクンクンと鼻を利かせながらゆっくりとダイニングに向かっていく。
「ん……和食の匂いね。かつお出汁みたいな……わぁ、お腹すいてきちゃった」
ジェンミが有紗の腰に添えようとスッと伸ばした腕を、背後からギュッとつねりながら、玲音も二人のすぐ後ろをついていった。
「あ、わかった! " 茶碗蒸し " じゃない?」
振り返りながら指を立ててそう言う有紗に、ジェンミは同じように指を立てて微笑んだ。
「正解!」
ダイニングテーブルに辿り着いた有紗が溜め息を洩らす。
小鉢のちりばめられた食卓は一瞬にして和の空間と化していた。
「うわぁ、これは……まるで料亭みたい! え? これ全部一人で?!」
ジェンミ得意そうに顎を上げる。
「まあね。レオはこもりっぱなしだったから。それにボク、料理は得意なんだ。レオは食べるの専門だけど」
「グルメの俺が側にいるからお前も腕を上げたんだろ?」
「ふん、ものは言いようだね」
有紗は芸術作品を見つめるかのような眼差しを向けた。
「凄い……本格的な懐石料理ね」
「いや、さすがにこっちで取り扱ってる材料では限界があるから、少し洋風食材でごまかしてるとこもあるけどね」
華やかなテーブルを見回しながらあることに気付いた玲音はハッとして顔を上げる。
そして照れくさそうに笑うジェンミに、訝しい表情を向けた。
「おいジェンミ、このメニューは……まさか」
有紗が顔を上げる。
「え? なに?」
「これ……麻布十番の『柊亭』のメニューじゃないのか?」
「えっ? そのお店なら、私も接待で使ったことがあるわよ? 六本木よりの……大通りを一本入った所にある高級料亭よね? え? でもそこのお料理って……どういうこと?」
不思議そうな表情の有紗とは裏腹に、玲音は呆れた表情のままジェンミに視線を向ける。
「お前、まさかあそこの若女将と……?」
ジェンミが立ちはだかるように玲音に近付いて囁くように言った。
「あ……いやレオ、実はさ……若女将はボクたちと同じマンションなんだよ。店もわりと近くだし、あり得る話だよね? 知らなかった?」
レオは腕を組んだまま高圧的に答える。
「ああ初耳だ。で?」
「しかも、ボクと同じ二十九階なんだよ! だ、だから……」
「へぇ、同じ階に住んでたら、あの店の料理がそっくりそのまま作れるようになったか? そりゃずいぶん器用なもんだ!」
苦笑いするジェンミに、有紗は幾分不可解な顔で微笑みながらも大袈裟に言った。
「ああ、お腹すいたぁ! 私、『柊亭』の茶碗蒸し、おかわりしたいくらい好きだったの! 早く食べたいわ」
席についた有紗は、きれいに並んだ小鉢を改めて眺めると、満足気に箸を持ち上げた。
「いただきます!」
華奢な箸先で一品一品食す毎に感嘆の声を上げる有紗を、ジェンミは微笑ましく見つめながら、食材について話をする。
同時にジェンミが用意した大吟醸も進んだ。
まるで日本に居るかのような錯覚を覚える団欒に、有紗は終始上機嫌だった。
そんな有紗に笑いかけながら、ジェンミが玲音に向かってしみじみと言う。
「こんな風に食卓を囲むなんて、何年してなかったんだろうね」
「さあな。日本じゃほぼ毎晩、接待や付き合いで外食だったしな」
「それは、私も一緒」
玲音が眉を上げる。
「ははぁ、だから料理が出来ないとか……?」
その言葉に有紗は奮起して、玲音の方に向き直った。
「あのね! できない訳じゃないわ。あまり機会がなかっただけで……毎日忙しかったし……」
「どうだか……?」
「なにが言いたいのよ! ここに来てからはあなたよりやってるじゃない!」
ジェンミが両腕を開いて割って入る。
「まぁまぁ……アリサ、だったらさ、ボクが料理を教えるっていうのはどう? 今度一緒に買い出しに行かない?」
「ホントに! 嬉しい!」
「よかった! じゃあメニューを一緒に考えようね」
「うん!」
玲音が空を見上げながらまた呆れた表情でつぶやいた。
「は! はたまた女子トーク炸裂だ! 日本の取引先の会食で、家庭に居場所がないって嘆いてるオッサンの愚痴を何度か聞かされたことがあったが……今まさにそんな気分だ……完全に俺の入る隙はねぇじゃねぇか」
ジェンミが笑いながら玲音に近付く。
「そんなに疎外感感じないでよ、お・と・う・さ・ん!」
「おい!!」
ジェンミは笑いながら鉄拳をかわした。
「あはは。あ、そうそうレオ、今年こそはさ、『|オーランド・マジック《NBAバスケットボールチーム》』の試合、観に行ける? ようやくこっちに帰ってきたんだから、久しぶりに観戦したいと思っててさ」
「は?! お前、まだあの弱小チームのファンなのかよ?」
その言葉にジェンミがくってかかる。
「よく言うよ! 小さい時から『マジック』の熱狂的なファンだったのはレオの方じゃん!」
「あれは……強かった時だ!」
「自分の親がスポンサーなのに、弱くなったらファンじゃなくなるなんて冷たいんじゃない?!」
玲音は面倒くさそうに言う。
「" 親 " じゃねーっつの!」
「はいはい、フィリシアね。でも代々『ランドルフ』がスポンサーなんだから、レオのパパだって『マジック』を観て育ってるんだろう?」
「だから!" 会長 " と呼べって!」
その反論に、今度はジェンミが面倒くさそうな表情を向けた。
「スポンサーの御曹司なんだからさ! もっと応援すべきだよ! そう思わないアリサ?」
急に話を振られて、有紗は驚いて姿勢を正す。
「え、ええ……」
「ところでアリサはNBAは好き?」
「え? ええ、まぁ……」
「どこのファン? フロリダを選んで来るぐらいだからやっぱり『マジック』?」
「あ……」
玲音が怪しげに有紗に視線を向けながら割り込む。
「こいつの手帳、びっしりと『マジック』のデータが書いてあったから、俺はてっきり『オーランド・マジック』のコアなファンだと思って聞いてみたんだ。そしたら、今みたいな反応でさ。おかしいと思わねぇか?」
ジェンミが有紗に視線を合わせる。
「え? 手帳に書きとめるほどのファンなの?」
「いえ……私はそんなに詳しくは」
「ん? どういう意味?」
「ほら、おかしいだろ? しかもあの手帳に書かれているのは強かった頃の『マジック』のデータだ。そこに書かれてる選手はほぼ移籍してるか引退して、今はもういない選手ばかりでさ」
有紗がその言葉に反応する。
「え……そうなんだ。もう誰も……居ないのね……」
ジェンミが納得したように頷いた。
「全然知らないのは本当みたいだね」
有紗は気まずい表情で俯く。
「訳ありっぽいのはわかるが、いったいどんな……」
「でもさ」
玲音の言葉を遮ったジェンミは、笑顔で有紗を覗き込んだ。
「ボクはミステリアスな女の子、好きだな」
呆れた表情に転じた玲音が、手を広げながら肩をすくめる。
「はあっ? 何がミステリアスだ! たかが『マジック』のファンかどうかなんて、そんなもんミステリーにもならねえだろ」
「そんな言い方はないだろう! ボクは子供の頃から楽しませてもらったし、今もファンだよ」
「とか言って、お前も何年も見に行ってねえじゃん」
「そりゃそうだろう!! 日本でずっとレオにこき使われて社畜してたんだからさ! でも今年は絶対に観に行くからね!」
「叔母に見つかるなよ」
「え?! っていうことは、レオは行かない気なの?!」
「行けるわけねーだろうが! 見つかっちまうだろ!」
「なんだよそれ!! じゃあ別にいいよ、ボク、アリサと行くから!」
「え!?」
また突然振られた有紗は驚いた表情を見せた。
「いいでしょ? アリサ。一緒に行こうよ!」
「あ……でも、ジェンミはこっちに来てるってバレても構わないわけ?」
ジェンミは眉を上げて、玲音に向かって抗議する。
「ほらぁ……アリサまですっかりレオに影響されてコンサバティブになっちゃったじゃないかぁ!」
「知るかよ!」
ジェンミは改めて有紗の方を振り返り、にっこりと微笑んだ。
「ボクは大丈夫だよ。レオが日本にいる間も、出張でアメリカに来てるときは、ボク一人でも必ずこの家に立ち寄ってたわけだし。まぁわざわざフィリシアに言うこともないかもしれないから、こっそり行くつもりではあったけどね。ほら、そういうのもさ、ちょっと楽しいじゃん?」
「お前なぁ! ややこしいことになるなよ!」
「わかってるって。細心の注意は払うからさ。ねぇアリサ、本場のNBAの試合を間近で見るとマジでテンションあがるよ?」
「そ、そうよね。わかった……行くわ」
「ヤッタ! 約束だよ? じゃあボク、チケット取るね! アリサと一緒に行くんだから、いい席を取らなきゃ!」
意気揚々と盛り上がるジェンミに、玲音が水を差す。
「お前な……仕事しに来てんだろ?」
「わかってるって! そんなにすぐじゃないから。ちゃんとフィリシアに見つからないようにリサーチもするしさ。それに働いたご褒美に行く方が楽しいじゃない? アリサと二人っきりでデートできるんだから!」
有紗は自分を熱い眼差して見つめるジェンミから目が話せないまま、息をのむように声を漏らした。
「デ、デート……??」
第46話『Dinner for Three』三人の食卓 - 終 -




