第45話『Almost Confessions』親友同士の距離感
出勤する有紗を車で送ることを買って出たジェンミが、彼女をエスコートして出ていった。
一人になった家の中は急にだだっ広く感じられ、音のない空間がひんやりと心を揺らす。
コーヒーを淹れ直そうとキッチンへ向かった玲音は、シンクの隅にある空のカップに視線を落とした。
うっすら残った口紅のあとを見つけて、ジェンミの冗談を真に受けた有紗の青ざめた表情がフワッと浮かぶ。
思わず一人、吹き出した。
「アイツ、マジで俺とジェンミがデキてると思ったのか?! 普通は冗談だってわかんだろ? フフッ、ほんっと、なんでも真に受けすぎなんだよ……馬鹿正直なオンナだよな」
コポコポと滴る音を聞きながら、立ち上がる芳醇な香りを深く吸い込む。
ソファーの定位置に戻ると、その足元にはさっきジェンミが持ち帰ったであろう飴茶色のブリーフケースがあった。
開いたバッグの口からは見覚えのある黒いバインダーが幾つも覗いている。
『矢神ホールディングス』と刻印されたファイルを手に取ってパラパラ見ていると、背後で玄関ドアの開く音がした。
「あ、早速見てくれてたんだ?」
「マイアミに行ってまで仕事してたのか? 熱心だな」
「まあね。それは " パパ " からの頼まれものだよ」
「そうか」
玲音は資料を取り出して、腰を据えて読み始めた。
「つまんないなぁ…… " 会長と呼べ! " って言わないの?」
「なんだ? 相手してほしかったのかよ? また茶番でも始める気か?」
「ふふ、また絞められちゃうから、やめとくよ。じゃあ……ボクは部屋に退散しようかな」
「その前に……聞きたいことがある」
玲音は改まった声で、ジェンミの背中に声をかける。
「あ……うん、だろうね」
意外にもあっさりした表情のジェンミは、そう言いながらも、階段に足をかけたままだった。
「でもボクも疲れてるからさ、レオが " ちゃんと質問の整理をしてから " っていうのはどう?」
玲音は首をひねる。
「ん? それは、どういう?」
「レオの中にある疑問が、今ボクに質問するべきことかどうか……もしかしたら今は聞かないでやり過ごした方がいいっていうケースだって、ありうるだろ?」
玲音はジェンミを一瞥して、ソファーにもたれこんだ。
「フン! 全く……お前らしいかわし方だな」
頭の後ろで手を組んでしばし考えを巡らせる。
「わかった」
「そう。あ……そうだ、ひとつだけ」
足を止めたジェンミが振り返る。
「会長はレオを今すぐ日本に連れ戻そうなんて思ってないよ。むしろレオがこっちで何をやらかすかを楽しみにしてるような雰囲気だった。ただし、今まで通りリモート業務に差し支えがなければ、だろうけどね」
「ふーん。じゃあ俺は……」
「ここに居るのは、会長の公認だってこと!」
「そっか」
そのそっけない返答に眉を上げたジェンミは、階段の手摺に肘をかけながら、玲音に視線を送る。
「なんかさ、あっさり受け入れられて肩透かしを喰らったような気分なんじゃない? だってレオは、まるで思春期みたいに日本での生活をかなぐり捨てて、こっちに宝探しに戻って来たわけだし?」
「はぁ? なんだそれ?!」
「会長の方が上手だってことさ。あの人の柔軟性には驚きだ。改めて尊敬したよ」
玲音は皮肉めいた視線を向ける。
「なんだジェンミ、お前すっかり親父の犬かよ?」
その言葉を遮るように、ジェンミは大きなあくびをした。
「あー眠たい。ボク、昨日もほぼ徹夜で話してたから寝てないんだよ。部屋に戻るね」
「あーあー分かった。お前の部屋はちゃんと片付けたぞ。どんだけ大変だったか!」
「ありがとね。でも小言聞くのは起きてからでイイ?」
舌打ちしながら腕を上げた玲音が、追い払うようにその手を振る。
「チッ! さっさと寝てこい!」
「ふふっ。あ……あのさ」
「まだなにか?」
「あ……いや、なんでもない」
不意に出た問いを誤魔化すように、ジェンミはまた足を止めて言った。
「起きたらその業務資料に基づいた説明をするから。ねぇレオ、これからさ、ニート生活を返上するぐらい、忙しいリモートワークになるよ! 覚悟しなよ?」
「お前までそのワードを口にするなっつつーの!」
「あはは、Good night!」
ジェンミはゆっくりと階段を上がっていった。
「……朝だっつーの」
そう呟いた玲音は、有紗のものとはまた違ったその懐かしい足音を感じながら、おぼつかない足取りの後ろ姿を見送った。
微睡みの中で遠い記憶が流れていた。
初めてジェンミに会ったのは……
Elementary schoolの……
いや、入学時には既に一緒だったから……
もう少し前か。
|kindergartenには……
居なかったか?
ん……一緒に通った記憶はないが……
うちのプールで遊んでたような……
あれ?
あの日系人の子は……ジェンミ?
じゃないのか?
あの子の部屋に行ったことがあるような気もする……
どこに……住んでたんだ?
顔に何かが触れる感覚がして、バッと目を開けた。
「うわ!」
「お目覚めかな? 王子!」
視野いっぱいにジェンミのグレーがかった瞳があった。
至近距離で玲音の顔を覗き込んでいる。
「な、なにやってんだ!」
その顔がグッと笑みを増した。
「あはは、心配には及ばないよ、襲ったりしてないから。でもさ、寝てるときのレオって無防備でホントにかわいいんだよな。うっ! 痛ってーー!」
頭をおさえて座り込むジェンミを押し退けるように、玲音は起き上がる。
辺りはすっかり茜色になっていた。
午前に会議を済ませ、起きて来なかったジェンミをそのままに、一人で昼食をとったあとは仕事に集中していたはずだった。
しかし時計を見ると、記憶にあった時間から二時間近く経過している。
「寝落ちしちまったか……」
頭をさすりながら、ジェンミはソファーに座った。
「ここんところ、日本時間に合わせて仕事してたんだろ? パパが心配してたよ」
「なんだお前、会長の伝書鳩としてこっちに来たのか?」
「まさか! ボクだって捨て身で来てるんだ。レオが目指す理想のランドルフを見届けるまでは日本には帰るつもりはないけど?」
「フン! 頼んでねぇけどな」
ジェンミが目をむく。
「よく言うよ! こっちにトンボ返りするときは " お前もすぐに来い " とか言っといてさ、いざ来たら、アリサがいるからって邪魔者扱いするなんて、ひどいじゃない!」
「そんなこと言ってねぇだろ、お前はさ、その……いつも唐突だから」
「冗談だよ、わかってるって! でもさぁ、帰国早々待ち人に出会えるなんて、まるで奇跡じゃん? 運命感じちゃったりしてんの? 偽装婚約者がホントになっちゃったりして?!」
玲音がため息をついた。
「ったく! お前はすぐそうやって茶化す……俺らが長年頭を抱えてきた問題がようやく解決するかどうかの、大切な局面だろうが!」
腕組みをしながら、ジェンミがじっと玲音を見つめた。
「……なんだ?」
眉をあげる玲音の肩に、ジェンミは力強く手を置いた。
「オッケー、ブレてないね! 今の生活にすっかり馴染んで骨抜きになってやしないか心配だったんだ。レオが覚悟を貫き通すなら、ボクもちゃんとサポートする。『矢神ホールディングス』も、『ランドルフ』も、理想の形を目指してさ」
玲音が頷くと、ジェンミは肩に置いた手をおもむろにその首に絡め、頬を寄せた。
「お……おい! なにしてんだ!」
「ねぇ……レオ」
「な、なんだ! 離せよ! そういうノリはアイツがいる時でたくさんだ」
「それって、アリサに見せつけたいってこと?」
「あのなぁ……しばらく見ないうちに変な趣味にでも走ったか?」
呆れ顔の玲音の隣で、ジェンミがスッと真顔になって俯いた。
「もしさ……ボクが本当に " そっち " だったら……レオはどうする?」
「は? な……なに言ってんだ?」
「ボクを、遠ざけたり……する?」
「え……な、なんだ?! お前、今日はなんか……変だぞ!?」
「ずっと……言い出せなくてさ」
ジェンミは真正面から玲音を見つめて、スッと伸ばした指でその首筋をなぞる。
「レオ、ボク……実は、ずっと……」
「お、おい! ジェンミ……俺はその……」
ジェンミはグッと距離を詰めると、玲音の目の前で大きな声を上げた。
「あー! おなかすーいた!」
「はっ?!」
突き飛ばすように玲音から離れたジェンミは、駄々をこねるような仕草でソファーに座り直す。
「お腹すいたよォ! だってお昼御飯食べてないんだから。あーあ、こっそり連絡とってアリサとランチしたいなって思ってたのに疲れて寝ちゃうなんて、ボクもまだまだだよね。愛が足らないなぁ」
玲音は複雑な表情で、事態を把握しようと目を見開いたままジェンミを見つめた。
「あ……あの……?」
「やっぱり " 女の子 " でしょ?! ボクとしては、アリサとの毎日こそがこれからの活力になるわけで! あレオ、知ってる? アリサの香水、あれ日本のブランドなんだけど、ボクの大好きな香りでさ! 今日それに気付いて……もぉ、ときめいちゃったよ」
「お、おい……おい! おいっ!! ジェンミ!! お前まさか……俺をからかって……」
ジェンミは膝を打ちながら豪快に笑う。
「あはは、さすが純真な王子さまだよね?! レオはさ!」
玲音は忌々し気にジェンミを睨みつけた。
「なめやがって……ぶっ殺す!」
「レオ、冗談じゃんか! 楽しんでよ」
「楽しいわけないだろ!」
「うわ……真に受けたんだ?! それじゃあ純真なアリサと変わんないじゃん!? だいたいそんなわけないだろ? いったい何年ボクと付き合ってんのさ! あはははは」
「てめぇ! ぜってー許さない!」
「それより! ねぇレオ、なにか食べさせてよォ」
「はぁ!? お前……この期に及んで……」
そう言いながらも三十分後には、ジェンミはパスタをすすっていた。
「これ、日本から取り寄せたの?」
「いや、アイツががマーケットで見つけてきて爆買いしてる」
「あはは、そうなんだ。美味いね。アリサとはなにかと趣味が合う気がする」
「は! それがお前の活力ってか?」
「もちろん! これから楽しくなりそうだ」
「ったく……」
屈託のない笑顔でパスタを頬張るジェンミを呆れた表情で見つめながらも、彼が眠りにつく前に吐いた言葉を思い出す。
俺が何について聞こうとしたのか……
ジェンミはわかってたのか?
それを見越して、先制のジャブを打ってきたのなら……
その真意は……なんだ?
ジェンミは一体……俺に何を気づかせようとしてるんだ?
第45話『Almost Confessions』親友同士の距離感 - 終 -




