第40話『So wasted』嵐の後の静けさ
フロリダに上陸した大型ハリケーンと共に訪れた昼間の訪問者が立ち去った夜は、いっそう穏やかに感じた。
天井まで切り立った窓からは、大きく丸い月が静かに顔を覗かせている。
食事をとりながらそれを仰ぐように見上げる有紗の横顔がいつもと違って見えて、玲音は小さく咳払いする。
ジェンミの背中越しに見た有紗は、いまだ見たことのないような表情をしていた。
愛想よく相槌を打ちながらも、どこか不安定で余裕がなく、なんだか女性的にも見えた。
「……ああいう男が、タイプってわけか……」
「え? なに?」
――心の声が漏れていたようだ。
「あ、いや、その……ジェンミがさ、お前の……そうそう! 玉子焼きだ、玉子焼き!」
「玉子焼きが……なに?」
「あ……い、いやアイツさ、玉子焼きがかなり好きみたいだから……それこそ胃袋をつかまれてお前に惚れたりしたら面倒だなぁ……ってさ! なんせアイツは筋金入りの……」
有紗が皿の上にフォークを落とし、かん高い音が派手に辺りに響きわたった。
「な、なに言ってんのよ!」
「アレ? お前、もしかして……なんか焦ってる?」
「焦ってなんかないわよ! な、なに変なこと言ってるんだか!」
今度は指が当たって倒れそうになる有紗のグラスを、玲音が慌てて持ち上げる。
「おいおい! まさか……図星?」
「バカなこと言わないで!」
有紗は玲音の手からパッとグラスを取り返した。
玲音が上目遣いで有紗に意味深な視線を送る。
「まさか初恋の人に似てる……とかなんとか言わないよな? イイ歳してさ」
「う、うるさいわね!」
有紗はワイングラスをグイッとあおった。
「は! なんだなんだ? 今度はやけ酒かよ」
飲み干したグラスをバンと置いて、有紗は玲音を睨みつける。
「あのね! からかわないでくれる!? 好きに飲んでるんだから、ほっといてよ!」
「なんだその言いぐさは! もう酒が回ったか?!」
「そんなわけないでしょ! ホント、いちいちうるさいんだから!」
有紗は大きく溜め息をつきながら、前へ乗り出した。
「あなたさぁ、この辺一帯が庭みたいなもんなんでしょ? だったら私に付き合わなくていいから、どこへでも出掛けて来たらいいじゃない!」
玲音が呆れた表情をしながらも、諭すように言う。
「なに言ってんだ! 忘れたか? 俺は今、潜伏中の身だろうがっ!」
「フン! そんなに叔母様が恐いのね。まるで子供じゃない! いいわよね御曹司は。ニートでも生活に困らないもの」
「お前……やたら噛みついてくるな、小うるさい母親かよ!」
「あら、翼さんは小うるさい母親じゃないわよ!」
「ったく……コイツめ! イヤミな小姑みたいだぞ!」
「人を勝手にオバサン扱いしないでよ!」
「アラサーなんだから、もうオバサンだろうが!」
有紗が立ち上がらんばかりに玲音に抗議を向けた。
「あなたね! 今の日本でそんなこと言ったら、確実にコンプライアンス違反でクビだからね!」
「他の女にそんなこと言ったりするもんか! こう見えて俺はフェミニストなんだ!」
「よく言うわ! なにがフェミニストよ! だいたいあのヒューストンの空港で会った時から気に入らなかったのよ! 人をバカにしたような目で見て!」
「バカにしたんじゃなくて、お前が本当にバカなことしてたからしょうがないだろ! いつまでもカバンの口を開けたままでウロウロしてんじゃねーよ!」
「あれは……ちょっとしたドジじゃない」
「は? ちょっとしたドジってのはな、若くて可愛い女子の所作を言うんだ」
「悪かったわね! アラサーのオバサンで、可愛げもなくて!」
そう言って有紗は、ぷいっと膨れながらまた、自分で注いだワインをあおる。
「お、おい……」
「うるさいうるさいうるさーい! フン!」
「お前……また飲み過ぎじゃ……あ、やべぇ」
玲音がくっと下を向いた。
「え?」
そして肩を震わせ、突如吹き出す。
「プッ、あははは」
「は、はぁっ?! どこがフェミニストよ! めちゃめちゃ失礼な男じゃない! 急に笑い出すなんて!」
「だって……お前がガキみたいな顔してふくれっ面するからさ。あはは……」
「もうサイテー! こっち見ないで!」
「おい、言ってることが支離滅裂だぞ。お前もしかして、もうめちゃめちゃ酔ってんじゃねえか?」
「酔ってるわけないでしょ! オトナの女がこれしきのお酒で!」
そう豪語した五分後には、彼女はもうテーブルに突っ伏していた。
「ほら……言わんこっちゃない。ったく、急に静かになったと思ったら。ここで寝るなっつってんのに!」
玲音は有紗の方に回り込んで、肩を揺する。
しゃがんで、またその長い睫毛を間近で覗き込んだ。
さっきの表情を思い出すとまた笑いが込み上げてくる。
「おい! 起きろよ! 昨日もリビングで寝てんだぞ! 今夜はちゃんとベッドで寝ろって」
そういいながらまた肩を揺らすと、今度は有紗の身体がそのまま玲音の方に倒れてきた。
「お……おいおい!」
バランスを崩しそうになりながら、体勢を立て直す。
有紗がなにか囁いたような気がして、その口許に耳を寄せた。
「ア……アルマーニ……ドラマティカリー・コード……」
その言葉に驚いて、玲音はその身体を落としそうになる。
「は?! な、なんだ急に……すごいな、オーデコロンの銘柄も当てられるのか? さすがファッション誌の編集長……っておい! んなことはいいから、さっさと起きろって!」
いくら声をあげても、やはり反応はない。
「ウソだろ……コイツまた……」
念のために呼吸を確認したり、頬に触れてその温度を確かめてみる。
「チッ、熟睡してやがる! はぁ……」
そう溜め息をつきながらも、玲音は表情を緩めた。
「ったく……急に静かになったと思ったら眠りこけてやがる。さて、どうすっかな……」
昨夜のハリケーンでよく眠れてないのなら、今夜はちゃんとベッドで寝かせた方がいいだろうと思う。
「連れて上がるしかないのか……チッ、またかよ?! ったく、めんどくせー!」
テーブルからそっと彼女の身体を起こすと、首がくらっと傾いて、玲音は慌てて胸で受け止めた。
彼女の腕を首にかけようとしても、力なくだらんと落ちてしまう。
「ダメだ……もうこうなったら、サンドバッグだと思って担ぐしかねぇな」
膝の下にも腕を差し込みながら何とか持ち上げ、体勢を整えて足を踏み出した。
「ううっ! また死体運搬かよ。毎回思うが、女ってこんなに重かったっけ? くっそ……よっと!」
ぶつぶつと皮肉を並べながらも、一段ずつ階段を上る。
そんな玲音の気も知らず、有紗はすやすやと寝息を立てながらその胸に頬を預けていた。
「だから! 俺だって一応男だっつーの。分別のある人間だから誰かれ襲ったりしないが、この状態だと何されても文句言えねーぞ。チッ、マジでキツい!」
ようやくたどり着いた有紗の部屋のドアを蹴り開いて、玲音はその重い荷物をベッドの上に放り投げた。
「はぁ……くっそ、当分酒は与えないからな! あ……前も言ってたよな、俺……」
有紗をまっすぐ寝かせてその身体にブランケットを掛ける。
「ピクリともしねぇ。どんだけ深い眠りに落ちてんだ」
ただ有紗の穏やかな寝息だけが聞こえる静かな空間で、玲音はそっと有紗の頬にかかる髪を外した。
「酒、強いとか言っときながら、全然弱いじゃねぇか。ちょっとは気を付けろって言っとかなきゃな」
溜め息をつきながらドアに向かった玲音は、もう一度引き返してシェードランプを消す。
「おやすみ」
軽くなった身体で階段を降りると、ずっしりと腕の中にあった彼女の存在が際立って感じられた。
そして昼間の、きっと泣いていたであろう彼女の濡れた頬を思い出す。
煌々と照明のついたリビングに下り、ワインを飲み直そうと席に着くと、自分のスマートフォンの通知が点灯していることに気付いた。
「誰だ? ん……司?」
第40話『So wasted』嵐の後の静けさ - 終 -




