第38話『The Triangle Begins』奇妙な三角関係
有紗は立ち尽くし、目を見開いたままじっと彼を見つめる。
驚愕にも近いその表情は、まるで息もしていないかのように凍りついていた。
玲音が恐る恐る声をかける。
「お、おい……」
小首をかしげながら、クスッと微笑んで近付いて来る彼の顔を、有紗は血の気のない蒼白い頬をこわばらせたままじっと見上げ、ゆっくりと口を開いた。
「あ、あの……お名前は……」
陽だまりのような笑顔を浮かべながら、彼は答える。
「ジェンミです。イ・ジェンミ」
「イ……ジェンミ?」
妙な沈黙が流れる。
有紗の様子を気にしながら、玲音が親友の紹介を始めた。
「ああ、ジェンミはフロリダ育ちだが、日本と韓国のハーフだ。俺もジェンミも小学校の間だけは日本人学校に通ってた」
「そ、そう。韓国の……」
玲音が腕を組みながら首をかしげる。
「おまえさ……やっぱ、なんかさっきからへんだぞ? どうした?」
「そ、そんなことないわよ。ああ……お茶、出しますね! 気が付かなくて……すみません」
そう一方的に言って踵を返した有紗は、ソファーの隅に足をとられて転びそうになった。
「わっ!」
玲音がとっさにその腕をつかむ。
「おいおい、お前さ! そんな調子じゃ、茶を淹れてももこぼすんじゃねぇか? もういい! 俺が淹れてくるから! お前はここに座ってジェンミと話してろ」
「そ、そんな……」
玲音を追うような有紗の視線を、ジェンミが遮った。
「座って待ちましょうよ、有紗さん。ねっ?」
そう言って有紗と同時に腰をおろしたジェンミは、身を乗り出して笑顔を向ける。
「ねぇ有紗さん、東京からだよね? ファッション誌の編集長なんでしょう? 凄いなぁ。どおりでお洒落なわけだ」
「い、いえ……そんな……」
有紗はぎこちない表情を隠すように俯いた。
「それに、有紗さんはやり手だってきいてるよ。だってあのレオの叔母さんと互角にビジネスを進めてるんでしょ? かのフィリシア・ランドルフだよ!? それはさ、ここパームビーチでは……いや、ある意味、世界的にも凄い事だから」
有紗は首と手を同時に振る。
「互角だなんて! 足元にも及びませんよ。ミセスランドルフの胸を借りてるだけです」
「あーあーそうだ! ついでに棲む家まで借りてるけどなぁ!」
皮肉な口調で割り込んだ玲音は、カタカタとトレーに乗せたカップを揺らしながらテーブルに置いた。
ジェンミは玲音に視線を合わせるも、有紗の耳元に近付いた。
「ものすごく、気になることがあるんだけど……」
「えっ……な、なんでしょうか?」
思いの外緊張感のある声が出てしまい、有紗は軽く咳払いする。
「あそこにあった……玉子焼き」
「玉子焼き……?」
耳を寄せていた有紗がバッと姿勢をただす。
ジェンミは有紗に更に近づいて、にっこりと爽やかな笑顔を見せた。
「あの玉子焼き! 有紗さんが作ったんでしょう? 実はさっき、頂いちゃったんだけど、もうめっちゃめちゃ美味しくてさ! ボクにもまた作って欲しいなぁって思ったんだけど……」
驚いて顔を上げた有紗に、またジェンミは屈託のない顔で微笑んだ。
「ダメかな?」
小首をかしげて目を細めるジェンミに、有紗はやっと口角を上げて見せた。
「え……ええ、いつでも」
有紗の表情から緊張がとけていく。
「ホントに?! やった!」
子供のようにハンズアップして見せるジェンミの天使のような笑顔につられて、有紗の頬もほころびをみせた。
トレーをテーブルに置いた玲音が、またジェンミの頭をバシッとはたく。
「痛ってぇ! 何すんだよレオ!」
「なにが " やったー " だ! 調子のいいこと言ってんじゃねぇよ! 相変わらずだなお前は!」
頭をさすりながら抗議の目で玲音を睨むジェンミと、もう一度手を振りかぶる素振りを見せる玲音の姿が、小さな子供のように見えて、有紗はくすっと笑う。
「笑ってる場合かよ! お前もお前だぞ! なに真に受けてんだ?」
「なに言ってんのさ、ホントにめちゃめちゃウマかったじゃん。レオも食べたんだろ?」
ジェンミの後ろ楯をするように、頷く有紗は、玲音を睨んだあと、スッと朗らかな表情をジェンミに向けた。
そんな様子に玲音は口を尖らせる。
「なんか……お前さ」
席につきなから、今度は玲音が有紗をまじまじと見つめた。
「今日はマジでおかしくねぇか? いつもと全然態度が違う」
有紗は前髪に手をやりながら、気まずい顔をする。
「へ、変なこと言わないでよ。そんなわけ……ないじゃない」
そう言ってまた俯く有紗の横から、フッと溜め息が聞こえた。
「ボクからみたらさ」
そのジェンミの言葉に、二人が同時に彼に視線を向ける。
「レオだって、いつもと全然違うけどね?」
玲音がクッと顔を上げる。
「ああっ?! 俺の何が違うって言うんだ?」
ジェンミはゆっくりと口元からカップをおろした。
「だいたい、こんなに打ち解けて女の子と話してるところなんて見たことなかったもん。レオの方こそ、一体どうしたのさ?」
眉をあげて茶化したように話すジェンミに、玲音はくってかかる。
「打ち解けてるのとは違うだろ、ナメられてるだけだ! そうだろうが?!」
視線を向けられた有紗が反論した。
「そ、そんなことないわよ! ここにも住まわせてもらってるんだし……」
「じゃあなにか? 感謝しているとでも?」
「え? ええ……まぁ、感謝はしてるけど」
「へぇ! そうなのか?! 知らなかったなぁ。だったら、それらしい態度しろっつーの!」
「なによそれ! 好きで同居してる訳じゃないんだけど」
「なんだと?!」
ジェンミが大きく手を広げて割って入る。
「はいはい、夫婦漫才はそのへんで!」
「違うだろ!」
「違います!」
思わず見合った二人に、ジェンミが吹き出した。
「フッ、フフフ……息ぴったりだね」
「おいジェンミ!! おかしなことを言うなっ!」
有紗も慌てて手を振る。
「そ、そうですよ! 同居人ってだけで、なんの関係もないですし。そもそも、タイプじゃないし……」
「はぁーっ?! なんだと! お前なぁ!!」
「あ……あははははははは」
ジェンミが大声で笑いだして、二人は口をつぐんだ。
「あはは……レオがここまでコテンパンにやられてるのなんて初めて見たよ! ああ、おかしい! あはは……」
「おいっ! ジェンミ! 笑いすぎだぞ!」
ジェンミはクッと顔を上げて、有紗に近付いた。
「ふふふ。俄然、興味が湧いたよ。有紗さん!」
「え?」
有紗は不思議な顔をジェンミに向ける。
玲音がすかさず突っ込んだ。
「お前、なにポッとしてんだ! 気味悪いぞ」
「もう! あなたは黙っててよ!」
「あははははは」
有紗の言葉に舌打ちしながら、玲音は立ち上がった。
ジェンミはまだ笑っている。
その顔を仰ぐ有紗も、いつになく和んだ表情に見えた。
玲音が有紗の肩に手を置く。
「ほら、あれ。ジェンミが土産だとよ」
「え?」
「いや、お土産っていうか、ランチをテイクアウトしたんだ。ここに女の子がいるって聞いたから、急遽メニューを変更したんだよ」
「あ! あの紙袋は!」
「有紗さん、知ってるの?」
「ええ、『Sunrise Cafe』、元はハワイのお店でしょ?」
「さすが編集長! グルメ情報にも長けてるんだね。そのお店がフロリダにもあるのは知ってる?」
「あ……確かダウンタウンの……」
「そう、シティプレイスにあるんだけど、こっち来てから食べた?」
「いいえ。この前、親友とクレマチスストリートへ行った時に、近くに『Sunrise Cafe』もあるのよって、彼女が言ってました。サンドイッチ食べたいねって話してたんです。彼女が日本にいたときに、二人でよく買って食べてて」
「そうなんだ。じゃあ、好き? 実はそのサンドイッチを買ってきたんだ」
「え、ホントに?! 嬉しい! 何年ぶりだろ」
「良かった!」
有紗が胸の前で小さく手を叩くと、ジェンミも嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見ながら、玲音はまた大きく溜め息をつく。
「相変わらずだなぁお前は……」
玲音は有紗に向かってジェンミを指さす。
「コイツもグルメなんだが、俺とはまた志向が違う。女ウケする店ばっか」
「そんなことないよ。ボクは味覚が繊細なだけさ」
「は? 俺が武骨とでも言いたいのか!」
玲音は二人の視線を交互に見ながら、膝を叩いた。
「チッ! そう思ってるんじゃねぇか!」
朗らかな表情で笑い出す二人に辟易としながら、玲音は立ち上がる。
「ああ、もう! どうとでも思ってろ! ほら、その女子ウケサンド、早速食うぞ。玉子焼きも取られたし、腹がへった」
玲音の後に続いて、笑いながら二人もダイニングテーブルについた。
玲音が紙袋を開封して目を丸くする。
「なんだこの分厚いサンドイッチは!? しかも野菜ばっかじゃねぇか!」
「ホントに綺麗! この『レインボーサンド』、うちの雑誌にも掲載したわ」
「お前さぁ、これにしてもスムージーにしても、そんなに野菜が好きか? ウサギになるぞ!」
そう言いながら頬張る玲音に、有紗は冷たい視線を送る。
「とかいって、完食する勢いじゃない? ホントはけっこう気に入ってるんでしょ? あなた、私のスムージーも勝手に飲んでるわよね!? 気がついてないと思ってたの?」
「いや……あれは、材料が何か気になって味見しただけで……」
「心配しなくてもカエルの足もワニの尻尾も入ってないわよ!」
「あはははは!」
またジェンミが笑った。
「今日のレオはホント面白いよねぇ? いつからそんなにコミカルになったのさ?」
「なってねぇよ! ったく、ハリケーンが去ったら、また新たな嵐が……」
「それってボクのこと?」
「他に誰がいるっつーんだ!」
子供のようなむくれた表情を向けるジェンミを一瞥し、玲音はパソコンとコーヒーカップを持ち上げた。
「俺はあっちで仕事でもしとくから。後は、お若い二人でご勝手にどうぞ!」
そう言って玲音はスタスタとリビングに向かい、ソファーに座ってパソコンを開いた。
ジェンミが椅子の背もたれを抱えるように振り向いて声を投げる。
「ねぇレオ、パパに頼まれてた資料つくってるの?」
その言葉に玲音がどんとテーブルを叩く。
「おい! パパとはなんだ! 代表と言え」
「はいはい」
ジェンミは有紗の方を向いて肩をすくめて笑った。
「矢神ホールディングスの会長、ジョージ・ランドルフはやり手でさ、会長自らあちこち飛び回るような人なんだけど、これから息子を使って何をしようとしてるんだか……? そうだ! 有紗さんも会ったことあるんじゃない? だって、『月刊ファビュラス』の相澤出版って、東雲グループの傘下なんでしょ?」
有紗は少し驚いて、ジェンミに尋ねる。
「ええ、よくご存じですね。でも……我が社と『矢神ホールディングス』に繋がりが? そんな話は聞いたことがありませんけど……」
「あ、いや……別に。大企業同士だからあり得る話かなって思っただけで……」
ジェンミはまた玲音の方にくるりと身を向けた。
「それで? 資料作りは順調? 手伝おっか?」
玲音は画面に視線を置いたまま、軽く手をあげた。
「いや……今いい感じにまとまってきてるから、ザッとやっちまう。ジェンミはそいつと " 見合い " でもしてろ」
「オッケー!」
「もう! また変なこと言うんだから……」
それからまた二人は話を弾ませる。
キーをパチパチ鳴らしながら、玲音は時折二人を盗み見た。
ジェンミの話を熱心に話を聞いている有紗の頬はほんのりと上気していて、見せる笑顔はより輝いて見える。
画面に視線を戻しながら玲音は一人、息をつくと、無意識に呟いた。
「……なるほどな。ああいうタイプが、好みってわけか」
第38話『The Triangle Begins』奇妙な三角関係 - 終 -




