第37話『The First Encounter』突然の訪問者
耳から外したスマートフォンを茫然と した表情で見る玲音に、有紗はそっと声をかける。
「あの……話が見えないんだけど?」
「……だろうな。俺も今、見失いかけてる」
「今の、どういうこと?」
有紗は更に訝しい表情で玲音を見上げた。
「なんか……ここに来るっぽいこと……言ってなかった? 電話の向こうの人」
「……そうだな」
「ヒューストンとか……聞こえたんだけど。搭乗間際とか? それって……今日これからここに来るって事なんじゃないの?」
「……そうみたいだな」
有紗は青ざめた表情で背筋を伸ばす。
「ええっ! あ、ああ……別にあなたの家なんだから、あなたの来客があってもいいわけだけど、私も今日は家から出られないから、申し訳ないけど席を外すとしても自室に入ってるぐらいしか……」
「……違う」
咄嗟に遮った玲音の言葉に驚く。
「な、何が?」
玲音はためらうように俯いて言った。
「……違うんだ。ちょっと落ち着いて話そうか」
「え……私は落ち着いてるけど? っていうか、あなたこそ座ったら?」
「ああ……そうだな」
玲音は椅子に着いて、顔の前で指を組んだ。
「じゃあ、今電話かけてきたヤツについて説明する。聞いてくれ」
「なによ……改まって」
その玲音の表情の固さに首をかしげていた有紗が、ハッと思い付いたように顔を上げた。
「あ! ひよっとして……女の人?! 誤解されるのを心配してるとか? それなら大丈夫よ! ちゃんと説明するわ。あなたとは何の関係もないって!」
玲音が表情をゆがめて頭を掻きむしる。
「あーもう、違う! 女じゃない、ヤツは男だ!」
「じゃあ……何をそんなに困ってるのよ?」
「黙って聞けって!」
玲音の言葉に有紗は肩をすくめた。
「今電話をかけてきたヤツは、俺の代わりに日本で仕事をしてもらってる俺の相棒だ」
「相棒?」
「ああ。日本でのヤツの仕事が一段落ついたら、こっちに呼び戻そうとは思ってた。俺たちは幼馴染みでさ、ガキの頃はこっちにそいつの家があったんだが、今は実家はボストンで……だから 、ヤツがこっちにいる時はここに住んでて……」
「え?!」
「今回は特に、俺が表に出られない分、ヤツに動いてもらうつもりだったんだ。だから、俺がこっちに来て落ち着いたら、ヤツをここに呼び寄せる手筈だった。その時は……まさかお前がここに住んでるなんて、知らなかったわけだし……」
話しにくそうに話す玲音を見上げたまま、有紗は半信半疑で聞く。
「もしかして……ここにもう一人、男の人が住むってこと……とか?」
「あ……そうなる……かなぁ」
「ええっ!!」
その声に玲音はたじろぐ。
「た、確かに……ちょっとそれはどうかなって思ったから、俺だって考えあぐねてたんだ。でも、ヤツは勝手に日本を出てこっちに向かってるし、荷物も送っちまったって言うし……」
有紗は青ざめた表情で頭を抱えた。
「そんなの……困るに決まってるじゃない!」
玲音は気まずい顔をしながらも、なだめるように有紗を見下ろす。
「まぁさ……どってことないだろ? 日本の家じゃねぇんだし、部屋はいくつでもあるわけだし……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
有紗が抗議の顔を向ける。
「じ、じゃあどういう問題だ」
「知らない男の人と同居するのよ! 気になるのは当たり前じゃない!」
「はぁ? なに言ってんだ?! 知らない男と、既にこうして住んでんだろ! しかもいつもリラックス全開でこの家にいるじゃねぇか」
「だから!! もうリラックスしていられなくなるじゃない!」
「はぁ?! マジで言ってんのか?! お前なぁ……だいたい初対面の俺の前でリラックスし過ぎなんじゃね?」
有紗はばつが悪そうに俯く。
「うるさいわね! もう! それで? ホントに今日、来るの?」
その問いに玲音も失速した。
「ああ……多分な」
有紗が空を仰ぐ。
「そんなの……」
「俺だって、今知ったんだ」
「そうだけど……でもそれはあなたが私の存在をその人に言わなかったから、そうなるんでしょ!」
「存在は知ってるさ。ただ、ここに一緒に棲んでるとは……」
有紗はじれったそうに、テーブルに置いた手に力を込めた。
「何で言わなかったのよ! 相棒なんでしょ! 全く……」
玲音は額に手を当てながら息をつく。
「まぁでも……言っても言わなくても、じきにヤツは来ることになってたし……」
有紗はがっくりと背もたれにうなだれた。
「はぁ……だったらそう言ってよ」
「前もって言ったところで何が変わるってわけでもないだろう?」
「それはそうだけど……心の準備っていうものが」
玲音がキッと有紗を睨んだ。
「は? なんだ心の準備って。ギラギラしてんじゃねぇよ。そりゃヤツもイケメンだが、俺ほどじゃねーから、安心しろ!」
大きく首を振った有紗は、同じように玲音を睨み返す。
「はぁ?! やっぱり救いようのないバカだわ!!」
「なんだと!!」
インターホンが鳴った。
「え?」
「え?」
二人は顔を見合わせる。
「い、いや……さっきヒューストンって言ってたんだから、違うだろ。ああ、そうか! 建築士かもな!」
そう言ってモニターのまえまでスタスタと行った玲音が、それを覗いたまま固まった。
「……どうしたの?」
「ヤツが……来てる」
「ええっ! 嘘でしょう!?」
玲音は大きく溜め息をついてからモニターボタンを押した。
「お前……なんで!」
「びっくりした? てか普通にSurprise! って思ったんだけど……あ、ひょっとして……お取り込み中だった?」
そのモニターからは、まるで少年のような軽快な声が流れてきた。
「はぁ!? な、なに言ってる! ガキみたいな小細工すんじゃねぇ! ヒューストンじゃなきゃ、どこに居たんだ」
「え……ダウンタウンだけど」
「ったく。だったら初めからそう言え!!」
「あはは、ごめんごめん! っていうか……家に入れてくれないの? あ! やっぱり今、急いで服着てるとか?!」
「お前っ!! ぶっ殺す! ちょっと待ってろ!」
背後に視線を感じた玲音がゆっくり振り向く。
有紗はすぐ後ろに立っていた。
「あの。とんだ誤解をされてるみたいですけど」
「あっ! ああ……き、気にすんな! コイツはいつもこんな風に、茶化してばかりだから……」
「冗談じゃないわ! 追い返せないのよね?! ったくもう……とにかく! 私は部屋に上がるから、その間にちゃんと誤解も解いてよね!!」
有紗のその強い口調に、玲音は圧倒されながらも、手を伸ばして有紗を引き留めた。
「え? 部屋に戻るのか? だったら先に紹介するから……」
「あのね!!」
目をむく有紗に、玲音は閉口する。
「見てわかんない?! 私、ルームウェアにすっぴんなの! こんなので人前に出られるワケないでしょ!? もう!!」
有紗は憤慨しながらダンダンと階段を上っていった。
「うわ……めちゃめちゃキレてんじゃん。すげぇ迫力……ってか、俺は人として認識されてねぇのか?」
玲音は溜め息をつきながら階段を見上げたあと、肩を落としたまま解錠ボタンを押す。
ほどなくして玄関が勝手に開いた。
「たっだいまー!」
玲音は彼の肩に手をついて言った。
「おい!! 一体どういうつもりだ!」
「なに怒ってんだよ。あ、やっぱり朝っぱらからイチャついてたのを邪魔されたから?」
「バカ言うな! ビジネスパートナーだって言っただろ!」
「はいはい」
そういいながら、彼はつかつかと入ってくる。
「うゎ、なにこれ? 新婚さんの食卓じゃん?」
そう笑いながら振り向く彼に向かって玲音は腕を大きく振りかぶると、すかさずその頭をバシッとはたいた。
「痛ってぇ! なにすんだよレオ!」
ダイニングテーブルの前にうずくまる相棒の首に、玲音は更に腕を回す。
「あんまり騒がしいと、このままここで落としてやろうか?」
「あはは……ギブアップ! ちゃんと彼女に自己紹介させてよ」
ハンズアップする相棒を乱暴に解いて、玲音はソファーへ行くよう促した。
「うわっ! 美味いね、コレ!」
背後ろからそう聞こえて、玲音は肩を落とし、大きく溜め息をついた。
「……いいから! 早くこっち来て座れ!」
「はいはい」
そう言って彼はかじった厚焼き玉子を片手に、ソファーに座った。
「……よし!」
階上でメイクして身支度を整えた有紗は、自室から重い足取りで階段を降りてきた。
――まぁ、その人に罪はないのよね?
そう自分に言い聞かせて、ちゃんと話を聞こうと気持ちを切り替える。
リビングソファーに黒髪の青年が座っているのが見えた。
幾分ラフなスタイルではあったが、その背中を見ただけでも、そのカットソーが仕立ての良いものだとわかった。
二人は話が弾んでいる様子で、仲がいいのが見てとれる。
――幼馴染みなんだもんね
彼に話しかける玲音の、少年のような生き生きとした表情を見てそう実感した。
玲音が有紗に気付いて視線を向けると、黒髪の青年がくるりとこちらを振り向いた。
その顔を見た目とたん、有紗は目を見開く。
「えっ?!……ああっ!」
最後の二段で足がもつれて危うく滑り落ちそうになり、有紗は手すりにしがみついた。
玲音がバッと立ち上がって、慌てて有紗の側に走り寄る。
「おい! なにボーッとしてんだ、危ないだろ!」
「ご……ごめんなさい」
玲音は驚いた顔で有紗を見る。
「バカか! なに謝ってんだ」
玲音はその手首を掴んでソファーの前まで引っ張ってきた。
「このどんくさい女が、さっき話した霧島有紗。どんくさいだけじゃなくて気の強い女でさ、さっきも話したけど、ここに帰って来た時、あそこにあった植木を俺めがけて投げてきやがったんだぜ! 馬鹿力にも程が……」
「あの! あ、あなたは……」
その切羽詰まったような声に、驚いた玲音は一瞬言葉を止めた。
青ざめたようにも見える有紗の頬は緊張感を帯びていて、大きく見開いた目はまっすぐ彼を見つめていた。
「お、おい! どうしたんだ? さっきから変だぞ? あ……いつもはさ、こんなんじゃないんだぜ」
立ちすくむ有紗の前で、彼はゆっくりソファーから身を起こす。
スラッと長身のその青年は、少し背中を低くして有紗に目線を合わせ、ふんわりと優しい表情を向けた。
「はじめまして、霧島有紗さん」
その柔らかな微笑みは、有紗の胸の奥を一瞬でざわつかせた。
第37話『The First Encounter』突然の訪問者 - 終 -




