第34話『Night of the Thunderstorm』雷鳴の轟く夜に
海面温度が上昇したカリブ海沖で発生したハリケーンは、より活発化しながらフロリダ半島を直撃した。
海辺の町であるパームビーチ。
ハリケーンは毎回多かれ少なかれ被害の爪痕を残し、いつもは優雅で陽気なこの街を震撼させる。
今回のハリケーンの名前は奇しくも『Alicia』
その規模は雨風ともに比較的中等規模ではあったが、雷が多く発生する嵐だった。
司から有紗が深刻な雷恐怖症『アストラフォビア』だと聞かされた玲音は、困惑しながらも有紗を気遣い、様子を窺っていた。
だましだましにワインを一本開けた頃、辺りが一瞬昼間のように明るくなり、有紗は咄嗟に耳を塞いで身体を縮めた。
そして数秒、蒼くこわばった表情の有紗がそっと顔をあげたところで、 まるで建物が崩れ落ちるような大きな雷鳴が轟き、有紗は悲鳴を噛み殺しながら、また耳を塞ぐ。
彼女に手を差しのべても、それすらも見えていない有紗は身を固くして俯いたままだった。
――まだ治ってなかったんだな……
そう認識した玲音は、有紗の両腕に手を添えてその身体をそっと起こした。
「落雷した場所はここからずいぶん距離がある。解るだろ? 大丈夫だ」
有紗は息を整えながら顔をあげると、血の色のない頬で何度も頷いた。
そんな有紗を支えながら、玲音は彼女のポケットが振動しているのに気付く。
「おい……電話がなってるみたいだけど……」
「ああ……」
有紗は慎重な面持ちで窓に目を向けながらその画面を確認すると、すっと安心したように眉を上げた。
声を整え、スマートフォンを耳に当てる。
「あ……も、もしもし司? どうしたの? ああ……ええ、大丈夫だって……」
そう話しながら有紗は玲音の手から立ち上がると、キッチンを指差して小首をかしげた。
" パントリーの中で話してもいいか? " という意味だと気づく。
確かにここでは落ち着いて話しも出来ないだろう。
玲音は頷いて有紗を促した。
そろそろと歩いていく彼女のうしろ姿を見送りながら、玲音はソファーにどっかと腰を下ろし、憮然とした表情で一人|つぶやく。
「司のヤツめ! 俺じゃ頼りないってか!?」
確かに、着信相手が司だとわかったときの有紗のホッとした表情を見ると納得せざるを得なかった。
「あ、そういやぁさっき……」
彼女がポケットからスマホを取り出したと同時に、何か小さな物がそこから滑り落ちたように見えた。
ソファーに目を落とす。
「なんだこれ?」
そこには『Ear plug』と書かれている小さなケースがあった。
「ん? 耳栓?……そうか! なるほど」
玲音は再び背もたれから天井を見上げ溜め息をつく。
なにより、一番気負っているのは彼女だということに、改めて気付いた。
司も連絡をよこしてくるとなると、よほど心配していることも察するにあまりある。
「もっとちゃんと対処してやるべきだが、一体どうしたら……」
玲音は窓を見上げた。
馴れている自分でさえも、いましがたの耳をつんざくようなクラスの雷鳴が続けば、確かに不安な気持ちになるだろう。
「日本のThunder Lightningでぶっ倒れたんだろ? そんなヤツが本場のハリケーンに耐えきれるのか?!」
そう呟くと、キッチンから有紗が電話を終えて出てきたのが見えた。
恐る恐る辺りを見回しながら歩く姿は、まるで塀の上を歩く子猫のように、慎重な足取りに見えた。
玲音は有紗の落とし物をポケットに入れ、自分も彼女の方に向かう。
その時、窓から閃光が走り、さっきよりも更に強く彼女の頬を照らした。
ハッと玲音が立ち上がるのと同時にバチンと音がして、部屋中の照明が一気に落ち、辺りはまるでホラー映画のワンシーンのように不気味な蒼い稲光が点滅する空間と化す。
有紗はまた悲鳴を上げて座り込み、その拍子に何かが割れたような派手な音が鳴った。
「有紗!」
玲音が慌ててキッチン走り込んだ時、頑丈なこの家を揺るがすほどの大きな雷鳴が周りに轟いた。
「きゃぁ!」
「おい! どこだ!」
暗がりの中、玲音は這いつくばりながら、なんとか床に座り込む有紗を見つけた。
駆け寄ってその肩をつかむ。
「有紗! 大丈夫か!?」
身体が硬直していて、耳から手を離そうとしない。
覗き込むようにしゃがんだ玲音に、有紗は荒い息を押し殺しながら震えた声を発する。
「だ、大丈夫……」
その息も絶え絶えの返答に、玲音は声を荒げた。
「大丈夫じゃねぇだろ、無理すんなよ! 怖いんだったら強がらず最初からそう言えばいいだろうが! 俺に気遣いは無用だ」
「あ……ええ」
「とにかく! 一旦あっちに座ろう」
暗がりの中、ソファーまで連れて行こうと玲音は有紗の肩を抱いてゆっくりと立ち上がらせた。
稲光と轟音が繰り返されるなか、何度も座り込みそうになる有紗の固い身体を抱き留めて支える。
「マズいな……」
有紗の呼吸が不規則になり、だんだん短いスパンで繰り返されると、抱えた腕からは彼女がガタガタと震えているのが伝わってきた。
エアコンが一時的に停止したにもかかわらず、彼女の身体はどんどん体温が下がっているようにも感じられる。
ようやくソファーに辿り着き、有紗をゆっくり座らせた。
玲音は前に回り込んで、稲光で浮かんだり消えたりする有紗の表情をなんとか確認しようと、その頬に手を伸ばす。
指先にまでこめかみの脈が感じられ、呼吸の大きさで上下していて、冷たい頬とは裏腹に、額には汗がびっしりと広がっていた。
とにかく落ち着かせるために、精一杯平常を努めて話そうと声を作る。
「大丈夫! これがピークだ、じきにおさまるさ。自家発電だからもうすぐ……あ、ほら着いた」
節電モードで少し採光度をおとしたシャンデリアが、天井にふぅっと浮かび上がった。
稲光も相まって、まるで中世の怪しい舞踏会のような空間が現れる。
「ほら、なかなか風情があると思わないか?」
玲音がそう言って微笑みかけると、俯き加減だった有紗もゆっくり顔を上げた。
「まあ、ここのハリケーンが初めてなら驚くのも無理ないよな。音は派手だが……この分だとそこまで被害もないだろ。とにかく、ついててやるからさ、このままここで、眠るといい」
「え……」
心許なげに驚いた表情が、まるでさっき想像した子猫のようで、玲音はホッと安堵する。
「起きた頃にはもうハリケーンは通り過ぎてる筈だ。そっから自室に戻ればいい。いつもならもう寝てる時間だろ? ほら、これ」
玲音はそう言ってポケットからEar plugを取り出して、有紗の両耳にグリグリと装着してやった。
薄明かりのなか、驚いた顔をして自分を見上げている有紗に、玲音は更に近付くと、彼女の頭をグッと胸に引き寄せ、その震えごと包み込むように腕を回す。
「え……ちょっと……」
「早く眠ってくれよ。俺も眠くなってきた。先に俺が寝落ちしちまったら心細いだろ? だったら早く寝ちまえ」
玲音は抱き締めた有紗の頭をくしゃっと撫でて、もう片方の耳もプラグの上から手で覆って音を遮断した。
「あっ……あの……」
力強くその身体を抱きしめられた有紗は、自分のなかに響いている声が実際に出ているのかさえもわからないまま言った。
「こ、こんな状況で……眠れるわけない……」
「まぁそう言わずに。目を閉じて」
胸から伝わってくる低音の効いた玲音のその声を、不思議な感覚で聞きながら、有紗はそっと目を閉じた。
「もう大丈夫だ……心配するな」
玲音の心臓の振動と温かい手の感覚に、だんだん心がほぐれていくのを感じた。
そして、彼がその腕に力を込める度に、微かに香り立つ『アルマーニ ドラマティカリー・コード』の匂いは、有紗を懐古の念と共に、安堵の海へといざなう。
指先にまで血がめぐるのを実感し、じんわりとした温かさに飲み込まれていくように、有紗の意識は静かに玲音の胸の中へ沈んでいく。
「……おやすみ」
そして嵐の音が遠のいていくように、有紗はスーッと眠りに落ちていった。
第34話『Night of the Thunderstorm』雷鳴の轟く夜に - 終 -




