第25話『Open up』 初めてのディナータイム
有紗が広大な庭園から家の中に戻ってみると、さっきまで怒りに満ちていた男が、
いまはテレビの前で少年のように笑っている。
「なによ……さっきまで怒ってたクセに!」
そうぼやきながらドアを閉めて近付いてみると、スピーカーから聞こえてきたのは日本語だった。
「あれ? この番組……」
それは日本のバラエティ番組だった。
お笑い芸人が沢山出ていて、学生時代は有紗も毎週欠かさず観ていた。
「ねぇこれ、どうしたの?」
「いや、検索してたら出てきたんだ」
当時のままの画面に、英語の字幕がふってある。
「あなた、この番組がやってた時期はここに居たんでしょ? どうして知ってるの?」
「友達が日本からビデオを取り寄せててさ、そいつん家で毎週みんなで観てたんだ。懐かしいなぁ!」
「そっか、日本人学校に通ってたんだもんね」
「ってか、お前も観ろよ、めちゃめちゃ面白いぞ」
「うん。じゃあ、こっちで夕食をたべよっか」
「ああ、そうだな。俺も手伝う」
立ち上がった玲音をやり過ごしながら、何気なくリビングテーブルに目をやると、さっき置いた『La・Fille』の小さな包みがいつの間にか開封されていた。
有紗はダイニングに向かう玲音の背中を振り返る。
懐かしいバナナチョコパイを食べて、機嫌が直ったに違いない。
「ったく、コドモなんだから!」
そう呟いた有紗は微笑みながら、彼のあとに続いた。
鍋を開けると、フワッと上がった湯気と共に芳醇なフォンドヴォーの香りが立ち上ぼり、食欲をそそる。
有紗は満足げに、出来上がった牛かた肉のビーフシチューを煌びやかな皿に盛り付けた。
「おお、ウマそう! あ、ビーフシチューなら……」
そう言いながら玲音は足早にパントリーに入ると、隣接するワインセラーからボトルを一本持って戻ってきた。
「どうだ? これ」
「あ、ワイン? いいね」
「だろ? じゃあ開けてやる。オープナーどこだっけ?」
ひょいと受け取ったボトルのラベルを見て有紗は驚く。
「え! こんな年代物のワインを晩酌に開けちゃうの!」
玲音は見つけたオープナーを片手に、溜め息をついた。
「あのさ……普通、自分のためにこのクラスのボトルを開けようって言われたら、喜ぶもんじゃないのか?」
有紗はパッと顔を上げて玲音を睨む。
「私のため?! 違うでしょ! 自分が飲みたいんじゃないの?」
「ったく、食えねぇオンナだな。ま、あながち間違ってもねぇか。一人で飲むには勿体ない逸品だしな」
「やっぱりそうなんじゃない!」
食事を運んだあと、玲音はキッチンに戻って、逆さにしたワイングラスをぶら下げて戻ってきた。
二つのグラスがぶつかる澄んだ音を響かせながら、有紗の前にそれをセットすると、玲音は仰々しくソムリエのような姿勢で有紗にワインを注ぐ。
その様子を笑って見ていた有紗は、テイスティングのごとく促されたグラスを傾けた瞬間、ふわりと立ち上る香りに表情を一転させた。
「うわぁ……こんなに香りの深い赤ワイン、初めてかも……コクがあるけどスーッと下りていくみたいな……」
有紗のうっとりした顔を満足げに眺めた玲音は、自分でグラスに注ぎ、立ったまま持ち上げて一気に飲み干した。
「ちょっと! 行儀悪いわね」
「老舗のステーキハウスですらめったにお目にかかれないほどの高級ワインだ、店でこんな風には飲めないんだから、家で飲むくらい自由でいいだろ? なんならラッパ飲みしてやりてぇくらいだぜ」
「あはは。お金持ちの考えることは、全く理解が出来ないわ」
「うっせぇ!」
「あはは」
再びテレビをオンして、並んで画面に向かった二人は、笑いよりも懐かしさで大いに盛り上がった。
食事が済んで二つのワイングラスだけになったテーブルに、玲音がパントリーにあったマカデミアナッツを小さな皿に入れて持ってきた。
「これ、買い溜めしてあったぞ。お前のお気に入りの酒のアテなのか?」
「そんなに飲んでばっかりいないわよ。それにあんまり夕食をここでとる機会もなかったし」
「だよな。俺との初ディナーだったわけだし。にしては……フツーに家庭的なビーフシチューだったが、まぁ、味は悪くはなかったし、何せワインが高級だから合格だろ」
「なによそれ! 普通で悪かったわね!」
「あはは」
玲音は更にグラスを高く持ち上げた。
すこしアルコールの勢いも合間って、二人は今後の商談のプランや、仕事への思いについてディスカッションした。
「そうね。たった一人の考えじゃ、ここまで来れなかった。立場や責任感だけで来たんじゃない。私を信じて、そしてサポートしてくれる人が何人もいる。期待を寄せて応援してくれる人も。それは私が認識している人達だけじゃなくて『ファビュラス』の読者も私にとってはそうなの。私を突き動かしてくれる思い。それが自分の思いと合致する……私とあなたが今こうして話をしているのも、まさしくそうよね? こうしている間に新しいアイデアが発生してくるかもしれないって、私は任務ではないところでもワクワクしてる。私は自分の力じゃなく人の力で動かされているの。それを認めて受け入れる事が、自分をより成長させると思ってる。だから、殻にこもらず、どんなことでも思いきって飛び込むようにしてるわ。ホントは不安で足がすくんでいたとしてもね」
玲音と目があって有紗はハッとする。
「ああ……やだ私、喋りすぎよね。酔ってるのかも……なんか、あなたは妙に静かよね? 酔ってるの?」
玲音はその長い足を折り畳むようにソファーに乗せ、遠くを見つめるように黙りこくったままだった。
膝を抱き抱えたその姿が、まるで拗ねた子供のように見えて、有紗は頬をほころばせる。
「あれ? ねぇ、どうしたの?」
玲音は大きくため息をつく。
「俺はさ……詰めが甘いんだとさ」
「え?」
「いつもそうらしい。閃きは誰よりもあるし、アクションも敏速に起こす。あらゆる想定もして、完璧なプレゼンまではいくんだ。だが……"お後"が悪いんだとさ」
「お後?」
「ああそうだ! お前が今、周りくどく俺に説教タレてるようにさ、俺は相手の気持ちがわかんないから、アフターフォーローが出来ないんだとよ!」
「別に説教したつもりじゃ……それ、誰が言ったの?」
「俺の相棒」
「相棒?」
有紗は首をかしげた。
「……決めた!!」
玲音は急に体を起こし立ち上がった。
「びっくりした……なによ、唐突に。なにを決めたの?」
「相棒を呼び寄せる」
「呼び寄せる?」
「ああ、ヤツは今日本にいる。『矢神ホールディングス』で俺の代わりに立ち回っているが……」
「でも、その人を呼んだら、あなたの代わりが居なくなるんじゃないの?」
「そうなんだが、実はヤツから連絡が来ててさ……退屈だって」
「え? なにそれ?」
玲音は顔を輝かせたまま、また腰を下ろして話し始めた。
「このところ、『矢神』は企業買収が続いててな。俺も薄々感じてはいたが、ヤツもその仕事には面白味を見出だせないんだろ。俺がお前の手帳をもとにこっちに戻ってからも、こまめに話してるが……ヤツもこっちに興味を示し始めてる。今の『矢神』での仕事は誰にでも替えの利く"種まき作業"みたいなもんだ、そろそろいいだろう。海外進出を狙っている日本の『矢神ホールディングス』と世界的ブランドの『ランドルフ』を紐付ける話を、親父としようと思う。その為にもヤツをこっちに呼び寄せて、作戦を練んないとな」
玲音は顔を輝かせて話した。
それは有紗の手帳を読んだと、彼が熱く語った時の表情と同じだった。
晩餐の後、片付けをかってでた玲音の側で、有紗はパソコンに向かってキーボードを叩いていた。
「なにしてる?」
「ああ、今日の談話を記録してるの」
「そうか」
「行ったお店の情報や、感想もね。これはあなたの手帳から学んだことよ」
「ふうん、でもそんなことまで書いてたら報告書になんないだろ?」
「そうね。まるっきり日記みたいなものかしら。食べたもののメニューも記録してるしね」
「じゃあ、高級ワインの肴が日本のお笑い番組ってことも?」
「いいんじゃない? そう書こうかな」
「なら、俺がブチ切れて二階に上がったことも書くのか?」
「そうね、その後『La・Fille』のバナナチョコパイを食べて機嫌が直ったのを見て"ああ、やっぱり子供だなぁ"って思ったところまで、ちゃんと書いておこうかしら?」
「お前なぁっ!!」
玲音のイヤそうな表情を見て、有紗は我慢しきれなくなって大爆笑した。
第25話『Open up』 初めてのディナータイム - 終 -




