第22話『Relaxing morning coffee chat』モーニングコーヒー
カーテンの隙間から差し込んだ光の温度を感じ、有紗はうっすらと目を開けた。
「あれ? ここは……」
見覚えのない光景に、一瞬混乱する。
日本なのかアメリカなのかさえもわからない。
微かに鳥のさえずる声が聞こえて、この光の正体が朝日であると感じた。
有紗はハタと半身を起こし、ベッドに伸びるその細い光を辿る。
自分がかぶっているブランケットには可愛らしいウェッジウッドの華やかな模様。
昨晩これを愛でながら、沈んだ気持ちを慰めたことを思い出した。
そう、ここはフロリダパームビーチのランドルフ邸。
アメリカに来て二週間ほどになるが、ようやくこの家のベッドで眠りについた最初の夜だった。
――ただ、そのいきさつは……
甦る昨夜の事件に首をすくめた有紗は、大きく頭を振った。
「ああ……」
ゆっくりとベッドから足を下ろし、昨夜ヘッドボードに見つけたスイッチを押してみる。
ザーという音ともにカーテンが全開し、大きな窓が露になった。
窓のすぐそばにある大きな木が優しく揺れて、部屋に注ぐ陽の光を柔らかく拡散している。
手が届きそうな距離に止まっていた鳥たちと目があったような気がして、有紗は深呼吸しながら、まるで大型の絵画のような緑溢れたその景色を見入った。
部屋の中を見回す。
広くシンプルな空間に、センスのいいブランドファニチャー。
差し色のようなビビッドカラーの額縁には有名画家によるシルクスクリーンの絵画がかけられていた。
「こんな空間があったなんて……確かに、初日には色々説明されたような気はするけど……」
ここへ来てから、毎日が忙しく心にゆとりがなかったことを実感する。
バスルームに入ると、鏡台の側にボディージェルのボトルがひとつ転がっていた。
それを拾い上げながら、昨夜ここに座り込んだ自分を思い出す。
「ああ……」
また大きく頭を振った有紗は、鏡台に置かれたアイテムを駆使して身支度を始めた。
ドアを開けた瞬間、人の気配を感じてたじろぐ。
「Good morning! It’s a very pleasant morning」
「わわっ!……ああ、ホント……It’s a beautiful morning! 」
なんとか笑顔をつくってハウスキーパーのご婦人をやり過ごすと、重い足取りで階下に降りていった。
キッチンへ続く廊下へ目をやると、昨夜は散乱していたはずの植木鉢の残骸がきれいに消えていた。
「Hey!」
すぐ後ろで声がした。
その声は空港でかけられたものと同じだった。
「よく眠れただろ?」
慌てて振り向いた目の前には彼の胸があり、思ったよりもずっと高いところに彼の顔があった。
それもまた、ヒューストンで彼とすれ違った時に感じたものだった。
「え……ええ、お陰さまで」
思いの外、そっけない声が出た。
「フン! 朝の挨拶もなしか? 俺は婚約者だぞ!」
「やめてよ、朝から」
彼が有紗の視線まで屈み込む。
「な、なによ?」
「いやぁ、ホントにヒューストンで会ったオンナかどうか疑ってたからな。昨日じゃわかんなかったけど……ま、確かにその顔だったわ」
「し、失礼ね!」
有紗は彼の胸を押し戻した。
「ずいぶんだな。……なぁお前さ、朝食食わないって聞いたけど、なんで?」
「え……誰に聞いたのよ!」
「ハウスキーパーに決まってんだろ。朝食どころか、ろくにここで飯 食ってないらしいじゃないか。ここに来たばかりの頃はケータリング頼んでたんだろ? なのに今はもうチョコやナッツをあてにワイン飲んでるだけだって?」
「ど、どうしてそこまでわかるのよ!」
「うちのハウスキーパーはプロだぞ。garbage can見りゃわかんだろ」
「そ……そうなんだ」
「座れよ。コーヒーくらい飲むんだろ?」
「え、ええ」
彼に促されてダイニングテーブルに着く。
「で?」
配膳されたコーヒーカップを持ち上げた有紗は、彼の質問にその水面を揺らした。
「昨夜の悲鳴はなんだ? 驚いたぞ!」
「あ……ごめんなさい。バスルームで滑って」
慌ててカップをソーサーに戻す。
「廊下まで聞こえるなんて相当な音量だぞ? それこそ、強盗でも潜んでたのかと思ったぜ」
「だから! ごめんって!」
「なんだよ面倒くさそうに! 人が心配してやってんのにさ……じゃあ、質問を変えよう!」
彼は後ろにのけぞりながら、まじまじと有紗を観察する。
「な、なによ……」
「どう見ても " 後は着替えるだけ " って感じの仕上がり具合だが、今日の予定は?」
有紗は一息ついてまたカップに指を絡めた。
「あ……一時間後にミセスランドルフとモーニングの約束をしてるわ。ウォースアベニューのオーナーも、何人かお誘いしてる」
「なるほど、それで朝食をとらないのか。毎朝パワーブランチとはなぁ……仕事熱心っつーか……ははは」
彼の不適な笑みに眉根を寄せる。
「なによ」
「お前、しっかり"嫁"やってんじゃん? フィアンセ本人の顔も知らないくせにさ。おまけに……いきなりそのフィアンセに殴りかかる始末だ」
「し、しょうがないでしょ!……不測の事態だったんだから」
「何が不測の事態だ、泥棒扱いしやがって! ったく! まぁでも、よかったんじゃねえか、まだ見ぬフィアンセが、こんなにもイケメンでさ!」
有紗はコーヒーカップを置きながら溜め息をつく。
「ミセスランドルフから聞いてるイメージとは随分違うわね。あなた、おばさまの前では相当ネコかぶってるんじゃないの?」
「逆だろ。まともに話せないから勝手に思い込んでんだ。いつまでもガキじゃねぇつの」
「ちゃんと話せばいいじゃない。ミセスランドルフは理解のある方よ。ちゃんと柔軟性も持ってらっしゃるわ」
「柔軟性ね……今の時点で、にわかにはそうは思えないが……まぁお前が言うんなら、そうなのかもな。これからの会社の動きを見てりゃ、俺にもわかるのかもしれない」
「え……」
有紗は彼をじっと見上げた。
「ん? なんだよ。ヘンな顔して」
「ヘンなのはあなたよ。なに? 急に私のこと、信頼したような口ぶりで」
「あ……まぁそれは、あの手帳を読んでるからかもな」
「あの手帳がなんなの? あなたにとって私が書き記した内容がそんなに意味を持つものだった?」
彼はその点に於いては悪びれず、真っ直ぐな視線で答えた。
「ああ、そうだ。昨日も言ったけどさ、俺はあれを読んで心踊ったし、お前をビジネスパートナーに迎えたいと思った。こんなこと、滅多にあることじゃない。俺にとってはな!……まあいい、この話は時間を要するだろ。追々話していこう」
彼の熱の入った口調に、有紗はたじろぎながらも、正直、嬉しく思った。
「ええ、分かったわ」
有紗は支度をする為に席を立ち上がる。
「なあ」
「なに?」
彼は目線をそらして、頭をかくようなしぐさで有紗に尋ねた。
「あのさ……聞くの忘れてたんだけど……お前、何て名前?」
有紗はキョトンとした表情で彼を見下ろした。
「あ……あはは」
有紗は笑いながら、もう一度腰を下ろす。
「そうよね、そんな話もまだしてなかったのよね?」
「だな?」
「霧島有紗」
「きりしま……ありさ?」
「ええ。あなたは……レオン・ランドルフ、でしょう?」
「いや」
彼はポケットから名刺を取り出した。
受け取った有紗は目を丸くする。
「え? 『矢神 玲音 Leo Yagami』……レオ?」
「ああ、日本じゃそう名乗ってる。その方が都合がいいからな。矢神は母方の姓だ。親父は婿養子だから、こっちが正式名とも言えるな」
「翼さんの……?」
「ああ、今は互いの家が入れ替わったような状態で仕事してるってわけだ。ったく、ちぐばぐな夫婦だぜ」
「他人事みたいな言い方ね。でも、どうして?」
「もともとランドルフ家は長男が継いだし、次男である俺の親父は母方の婿養子になることをランドルフ家から承諾されたんだ。母は矢神家の一人娘だったしな。でもそのランドルフの長男、つまり……」
「ミセスランドルフの亡くなったご主人ね? その人が亡くなったら本来はあなたのお父さんが当主になるはず……違う?」
「ああ、その通り。でも親父は戸籍上も矢神家の人間だし、すでに矢神の当主だ。世界的ブランドと比べりゃ規模は違うにせよ、矢神ホールディングスも日本では充分Big nameだから、親父が鞍替えすることは難しい……と、そう建前上、通してはいるが……本音は今の俺と同じかもしんねぇな。親父はこっちには寄り付きもしねぇから」
「そう……で、あなたもお父様と同調してここを遠ざけていたって訳ね」
「ま、簡単に言やぁそうかな」
「でもあなたとお父様じゃ立場が違うんじゃない?」
「何がだ?」
有紗の言葉に玲音は背もたれから身を起こす。
「基盤よ。お父様は居るべき場所が日本にある。あなたは未だ何処にも定着していないわ」
「だったらなんだ!」
「基盤を見つけて、地に足をつけることね」
長い足に両肘を乗せ、組んだ指から顔を上げて、玲音は有紗を見据える。
「ずいぶん偉そうに言ってくれるが、お前はどうなんだ? お前がこの地で模索しながらやってることは、その基盤に基づいてのことか?」
有紗は視線を外さず小さく頷いた。
「必ず成功するとも言えない賭けのようなことをしてるように見えるでしょうね。でもね、こうしてなりふり構わず突き進むほどに、私はこの仕事が自分の真髄なんだと感じてるわ。確実に私の基盤となって、私を突き動かしてる。全てのベクトルがそれを基準に動いてるの」
玲音はふと首をかしげる。
「お前の真髄とは? ファッション誌を作るということか? それとも最年少編集長の座?」
有紗は今度は首を横に振った。
「いえ、そこはただの通過点というか……ファッションをつかさどる新しい何かを探しに来てるんだと……そう感じてる。そこはまだ未開拓な部分ではあるけど、強いて言うなら私の矛先はファッション全般なのかもしれない」
「そうか……」
天井を見上げた玲音は、それっきり黙りこくった。
「あ……じゃあ、用意してくるわ」
そう言ってテーブルを離れても、玲音は何もない前方を見据えているかのように、微動だにしなかった。
ウォーキングクローゼットで着替え、身支度を済ませて出てくると、そこには晴れやかな表情の玲音がいた。
「さすが、俺が認めたビジネスパートナーだ。これからはお前のプランに協力する。俺も気持ちを一新して向き合ってみるよ」
有紗はパッと表情を明るくした。
「じゃあ、ミセスランドルフに会うのね! なんなら今から一緒に行く?」
「おっと、それはまだだ」
玲音は有紗の前に手をかざす。
「なんでよ!」
「俺が信用してんのは、お前のやり口だ。ランドルフ家じゃない。お前が変えたランドルフが本当に魅力溢れるものなら、俺はそれを基盤にしてもいい。もちろん、黙って見てるだけじゃなく、ちゃんと協力はするが」
「なによ、結局私をうまく使おうとしてるんじゃない!」
「はあっ?! ちゃんと協力するって言ってんだろ! よく考えてみろ、どんな助っ人よりも強力な味方だろうが」
「……なんか、言いくるめられてるみたいでイヤなんだけど……?」
「早く行けよ、遅れるぞ。時間にはうるさい人だからな。それと、何度も言うけど、俺のことはまだ言うなよ! 叔母の事を信用しきってるようだが、お前にとって俺は間違いなく切り札になる。カードを出しちまったら待遇も変わるかもしんねぇぞ? もう少し取っておいて損はない」
「はいはい、策士の話はそれくらいに。私は美味しい朝食と歓談を楽しんでくるわ」
「ったく、どっちが策士だか?」
「なんか言った?」
「いいや。ほら、行ってこいよ! 有紗!」
「え……あ、うん。行ってくる」
玲音はサッと有紗の分のカップも片付けてから、トントンと二階へ上がっていった。
「……な、なによ、 " 行ってこいアリサ " なんて……馴れ馴れしいわね。カッコつけちゃってさ!」
そう呟きながらも、有紗は自分の足取りが軽くなっていることに気付く。
「あ……これはその……昨日、ふかふかのベッドで眠ったからよ。そうよ、絶対そう!」
そう一人呟くと、バッグを手に、朝から強く降り注ぐフロリダの日差しのもとへ飛び出した。
目を細めながらかざした手の隙間からは、雲一つない青空が広がっている。
眩しそうに見上げながら、有紗はほころんだ頬を輝かせ、意気揚々と出掛けていった。
第22話『Relaxing morning coffee chat』モーニングコーヒー - 終 -




