第21話『Inside story』ビジネスフィアンセ
「ああっ! そういえば……」
表情を一転させ、急に青い顔をしながら両手で頭を抱える有紗の様子を、彼は気味悪そうに見る。
「おい……急になんだ!? 早く言えよ!」
有紗は俯き加減で、小さな声で言った。
「実は、あなたの……こん……」
「は? なんだって? 聞こえねぇ! はっきり言えよ」
「……こ、婚約者」
「ん?」
彼はその言葉に、一瞬フリーズする。
「その……婚約者って……ことに、なってて……あなたの」
彼はバッと立ち上がり、目をむいて早口でまくし立てた。
「はぁっ?!……なんだって?! どうして知りもしねぇお前が俺の……」
「あ……ミセスランドルフが……そう言った方がこの街の人々にも紹介しやすいし、受け入れてもらいやすいからって……」
「なんだそれ!!」
彼は大きな溜め息をつきながら、ドサッとソファーに腰を落とした。
そして、消沈したかのように、気の抜けた声を発する。
「お前さぁ……そんなこと言いふらしたら、誰も寄ってこなくなんじゃねえか」
「え……誰も……?」
首をかしげながら、しばしその返答を噛み砕いた有紗は、突如訝しい表情で彼を睨む。
「へぇ……そういう発想なわけだ? やっぱり、見た目通りのプレイボーイなのね!」
「あ? 軽いナンパみたいに言うなよな! 別に俺から吹っ掛けてるわけじゃねーぞ。向こうから勝手に寄ってくるんだ」
「うわぁ最低! 一番嫌いな考え方だわ。あーあ……そんな人が嘘でも婚約者だなんて、思われたくない!」
「は! こっちこそ! 植木鉢をぶん回すような色気のない婚約者なんてまっぴら御免だ!」
「なんですって!」
二人はそっぽを向き合う。
「あーっもう! とにかく……話はまた明日だ! ったく、最終便で帰って来て、深夜にこんなひどい襲撃を受けたんだぞ! わけわかんねぇ話まで聞かされるし……もうさすがに疲れた。over my limit! 俺はもう寝る!」
そう言って膝を叩いて立ち上がった彼に、有紗は問いかけた。
「ねぇ! ちょっと待ってよ……あなた、ここに泊まる気?」
彼は振り返って大袈裟に両手を広げて見せた。
「はぁ!? 当たり前だ! そもそもここは俺ん家だろうが!」
「そうだけど……何年も帰ってないって、ミセスランドルフが……」
「それは帰って来てても叔母が知らないだけだ。ハウスキーパーにもセキュリティのエージェントにも、ちゃんと口止めしてある。明日はこの近辺と、主要のレストランにも手を回すつもりだ」
「え? じゃあ……これまでもここに?」
「ああ、叔母の所に顔を出してないだけで、こっそりこの家には戻って来てる。だからいつものように勝手口から入ったんだ。表から入ると叔母の息のかかったご近所連中に密告されるからな」
有紗はため息をつく。
「そこまでしておばさんの目をかいくぐりたいのね。コソコソしちゃって。まるで子供じゃない!」
「ああっ、口うるさい奴がまた一人増えた! 考えがあるつってんだろうが! とりあえず、また話は明日だ」
「待ってよ! だからどうして、私があなたと一緒にこの家で過ごさなきゃなんないのよ!」
「そんなの知るかよ! 誰も一緒に寝ようなんて言ってないだろうが!」
有紗は目を剥く。
「あ……当たり前でしょ!」
彼が不敵な笑みを浮かべた。
「あれ? それとも俺と一緒に寝たいわけ? まぁ、そっちがその気なら俺は別に構わないぜ。なんせ、婚約者なんだしな?」
そう言って彼は有紗の手首を掴んでグッと引き寄せる。
「あっ!」
勢いに任せて彼の胸に転がり込んでしまい、息をのんだ。
抗議の眼差しを向けようとした瞬間、スッと届いた微かな香りにハッとする。
――そうだ、あの空港でもこのアルマーニの『ドラマティカリーコード』の香りが鼻先を掠めた。
過ぎし日のきらびやかな光景が頭の中に瞬時に浮かんで、ほんの少し前後不覚になる。
「な、なんだよ? じ、冗談だぞ! 急に静かになるなっつーの! 俺は自室に戻るから。一番奥の俺の部屋、まさか入ってないだろうな?」
「あ……まだ二階には上がったことがないから」
「は? 今なんつった?」
彼は拍子抜けしたように有紗を見下ろした。
「だから、二階に上がったことがないの」
「な、なんでまた?」
「うん……なんか広すぎて、落ち着かないから、ここで寝てるの」
「え! このリビングで?! お前……ここに来て何日経った? 待てよ……ヒューストンで会った時だから、もう二週間くらいになるんじゃないのか。お前、その間ずっとこのリビングで寝てんのか?!」
「まぁ……」
彼はソファーの横のブランケットに目をやってから、額に手を置き、溜め息をつきながら天井を仰ぐ。
「嘘だろ?! お前……馬鹿じゃないのか! ほら、来い!」
そう言って彼は強引に有紗の手首を掴み、そのままぐんぐんと階段を上っていった。
「ああーっ! もう! 全く!」
「ちょ、ちょっと、待ってよ!」
二階についても、有紗の手首をつかんだまま引きずり回す。
「ほら、ゲストルームも幾つもある。いくらでも部屋があるんだから、ちゃんとベッドで寝ろよ!」
「うわぁ……めちゃめちゃ広いのね。二階も……当然か」
「あのなぁ、ここはアメリカだぞ? 俺だって日本の家ってのがどういうのかは知ってるが……いくら落ち着かないからって、オンナがソファーなんかで寝たりするな!」
彼は、ばつが悪そうな顔をしてうつむく有紗の額をピンと弾いた。
「あの突き当たりが俺の部屋。その手前がゲストルームだ。で、こっちが二階のバスルーム、ここには日本式のバスタブと洗い場がある。浴室にはサウナとジムが隣接してる。シャワーなら各部屋にもついてるから。ほら、来い」
また腕を掴まれて、有紗は小走りについていく。
彼が開け放ったドアに入り、照明を点けると思わず声が漏れた。
「うわぁ……素敵な部屋」
「ハウスキーパーがお前の為に準備してたんじゃないのか? 叔母に依頼されてたんだろ」
彼の見る方向に目をやると、煌びやかな鏡台の前に多数の高級化粧品が並んでいた。
「ここを使え。いいな? お前さ、荷物とかどうしてるんだ?」
「全部、下に……リビングの横に部屋があるでしょう? あそこに……」
「あれは部屋じゃなくてウォーキングクローゼットだろうが!」
彼はまた溜め息をつく。
「二週間だぞ? 一端の女が寝室も使わず、キャンプ同様にリビングでブランケットを広げて簡易生活ってか? マジで呆れるわ」
「そのうちどうにかしようとは思ってたのよ。こっちでの生活にも慣れてきたし……」
「よくわかったよ、お前がビジネスプラン以外はマヌケ女だってことが」
「ちょっと! ひどい言いようね!」
「なにいってんだ、お互い様だろうが! これでおあいこだ。まあ、せめて寝るくらいはちゃんと部屋を使えよ」
「うん、わかった。……ありがとう」
「あ……とりあえずこのまま寝るだろ? 俺は荷物を取りに下りる」
「あ! あの……」
その声に彼は面倒くさそうな顔をした。
「なんだよ? まだ聞きたいことでも?」
「いいえ……ただ……キッチンが土だらけでしょ? 割れた植木鉢も散乱してるはずだし……私、今から片付けるわ」
彼は首を横に振る。
「必要ない。明日の早朝にハウスキーパーを呼ぶ。ちょうど話もあることだしな。たっぷり賄賂を握らせるんだ、飛んでくるだろうよ」
有紗は眉をひそめた。
「悪い顔……なんかマフィア的発言ね」
彼は鼻で笑う。
「は! 言ってろ! なら、せいぜい俺に消されないように気を付けるんだな!」
そう言ってくるっと背を向けた彼に、有紗はまた声をかけた。
「あの……」
彼はため息混じりで振り向き、腕を組む。
「まだなにか? 俺、けっこうマジで疲れてんだけど」
「あ……そうよね、明日でいいわ。おやすみなさい」
有紗はドアを閉めて部屋の中を見回した。
どこをとっても素敵なファニチャーで、ベッドはWDW直営ホテルに負けず劣らずのグレードだった。
しばしマットのふかふかを楽しんでから、シャワールームを覗きに行ってみる。
ガラス張りの空間にモノトーンのシックなキャビネットが置かれていて、そこにも多くのアメニティが並んでいた。
歩み寄ってそのブランドの数々に顔をほころばせながら、ふと顔をあげて目の前の鏡を見た有紗は、思わず目を見開いて、大きな悲鳴をあげた。
「き……キャー!!」
間髪いれずドアが慌ただしくノックされる。
「おい! なんだ今の叫び声は! どうした!」
ドアの向こうから彼の声がした。
「あ……な、何でもない! ち、ちょっと足が滑っただけ。転んでないから大丈夫!」
そう言って、なんとか彼には部屋に戻ってもらう。
有紗は大きな溜め息と共に、大きく肩を落とした。
鏡の前の自分の姿に愕然として思わず悲鳴をあげた……なんて、言えるはずもなかった。
すっぴんに、スポーツジャージ姿……
髪もプランターを振り回してからはずっとぐちゃぐちゃなハズ……
「なんてこと……相手が誰であれ、こんな姿で男性と面と向かって話してたナンテ……信じられない!!」
有紗はそこに座り込んで、しばらく突っ伏して唸っていた。
「そう言えば……」
有紗はハッと顔を上げる。
さっき彼が言っていたことを思い出す。
" メイクすりゃ、ああなんのか?" と。
そしてこうも言った。
" 女は化けるなぁ "……と。
有紗は両手で顔を覆った。
「Jesus Christ! ホントに……最悪!」
こんな姿のくせして、あんなに彼に偉そうに話してた自分を想像するだけで、気を失いそうになる。
何度も目を瞑って息をついた。
それからしばらくして、有紗は仏頂面のまま髪をとかし、魂が抜けたようにベッドに飛び込んだ。
ふかふかの布団に滑り込むと、沈んでいた気分がほんの少し上がった。
甘えるようにリネンに顔を埋める。
また冷たい足先が浮いたような感覚になって、眠りに落ちていく過程を感じた。
意識が遠退く寸前に、またあのアルマーニ『ドラマティカリーコード』の爽やかなシトラスの香りが、鼻先をよぎったような気がして、有紗の胸を締め付けた。
第21話『Inside story』ビジネスフィアンセ - 終 -




