圧倒的な恐怖
リリーとグレイスの会話後にカム視点です。
温室に入ったマーカス侯爵とリリー
二人は座らず立ったままお互いを見つめていた。
でも彼女は彼からわざと距離を空けている。
そんなリリーにマーカス侯爵は優しく微笑む。
「…リリー、そんなに警戒しないでくれ?私は君を大切に思っているのだよ?」
リリーは息を吐き、重圧に対抗する様にマーカス侯爵を見据える。
「私もマーカス侯爵家の皆様を家族の様に大切に思っております。グレイス様、もうお爺様に拘るのは止めましょう?誰もレベンス様の代わりになれない。他者に代わりを求めても決してグレイス様の心を満すことはありません。」
リリーは言葉を包まずストレートに真実を告げた。
「…。」
「貴方が求めるレベンス様はずっと貴方の心の中にいる。その御心をどうか大切にしてあげてください。」
死んだ人間の思い出は心の中に輝き続ける。
書き換える様な事して後悔してほしくない。
「リリー…。君は本当にあの御方にそっくりだ。…レベンス様はいつも他者を気にかけて手を差し伸べる。慈悲深く清らかな御心、そしてその御心に見合う可憐な御姿はまるで女神。」
リリーを見つめるグレイスは懐かしむ様に目を細めた。
「誰もが魅了される程の可憐な御方が英雄と呼ばれるなんて誰も想像できないだろう?」
才色兼備を超えて完璧な英雄だったとグレイスは喜々と語る。
「戦いになると戦神の如く多くの敵を退けた。どんな窮地だろうとレベンス様は動じず、まるで未来を予知している様に整然なる行動で敵軍を沈める。『戦神の化身』、その異名はこの大陸だけではなく他大陸まで名が通り恐れられるほど凄かった。」
他国にもレベンスの名は知れ渡る。
特に同盟国は特にレベンスを良く知っていた。
バロンの戦神が援護軍として戦場に立つと、その戦はあっという間に終わり勝利を齎す。
自国だけではなく多くの他国民から戦神の英雄と恐れられ慕われていた。
「レベンス様のお陰で、バロンは戦神に守られた王国として一目置かれたのだよ?あの御方が居なければ弱小国のまま、他国に侵略されて失っていただろう。今もこの国が平和なのは全てレベンス様が基盤を固めたから成り立っている。まさに守護神だ!」
レベンスを崇め語るグレイスはもはや信者。
リリーはそんなグレイスを憐れむ。
「レベンス様がどんなに凄い御方でも、御一人だけで守りの基盤を固めるなど、世は甘くありませんよ?それは他の者達の頑張りもあってこそ成り立つのです。グレイス様もその一人ではないでしょうか?」
個々の力で成り立つほど、小さい世界ではない。
大きな力があっても脅威を呼ぶ。
一番重要なのは秩序を整える事。
国全体で取り組む事が大事だ。
「レベンス様や貴方、王家、多くの国民の力があってこそ今がある。そんな偉人達によって私達は平和に暮らせています。どうか盲目的にならないでください。」
諭すリリーにグレイスは呆れたように首を振った。
「…君はまだ幼過ぎてこの国の事を分かっていない。レベンス様という英雄の盾はどれほど絶大なのか理解していないからそう言える。」
「…そうでしょうか?時代が流れる度に人々の考えも変わります。流れによって英雄は善にも悪にもなるのです。グレイス様が求める者にその道を歩かせるおつもりですか?」
両者は一歩も譲らない。
二人の囲む空気がとてつもないほど重くなった。
「…例えそうでも、レベンス様を継ぐ者なら良き未来へ導くだろう。今、こうしてレベンス様の写し身である君がいるのだから。」
グレイスの目に狂気が帯びる。
「っ!?」
「そう、君はまだ幼くともレベンス様の性質と知識を備えている。本当は武術まで継承されていれば良かったが…まあ、そこはグレンがいる。君達ならこの呪われたマーカス家に希望を齎せてくれるだろう?」
グレイスに取り巻く狂気を帯びた威圧にリリーは一歩後退する。
どんなに対応しようとしても、年齢を重ねて培われた実力の前に勝てるわけない。
「レベンス様の写し身である君と、私が育てたグレンが交わり真の英雄がマーカス家に誕生する。戦神の英雄の誕生こそ、バロンの悲願でもある!」
喜々と声をあげて理想を語るグレイスは恐怖以外なにでもない。
まさに狂信者だ。
聴く耳すら持たない。
リリーは大きくため息をついた。
「ならば…その御子が出来たら、私たちは用済みになり殺しますか?」
指摘されても、グレイスはにんまりと微笑むだけ。
「…シルヴィアに話過ぎた様だ…でも妻に私を止められないよ?既に君は私の手中にいるのだから。」
リリーが囚われたなら、グレンは素直に従う。
お互いの存在は自由を奪う鎖となる。
狂気を帯びるグレイスにリリーは憐れんだ。
『…グレイス様の本心が見えない。』
欲に忠実になっている訳でもない。でも、心が壊れている訳でもない。
『グレンと同じ仮面を被って何かを必死に隠している。』
そんなグレイスをリリーはただ哀しく思う。
「…英雄レベンスは今まで貴方の支えになっていた。そしてこの先の憂いを救う希望になるかもしれない。」
リリーが自分の首元に手を持ってくる。
「でも…誰かがその希望を背負う必要などありません。誰も誰かの代わりなど決してなれません。その人の個性を否定しないでください!」
リリーは恐怖を振り切るように声を張り上げた。
リリーもグレンもずっと否定されていた。
どんなに頑張っても、理想ではないと言われ続けた。
『…グレン…』
でもそれは終わりにしたい。
「レベンス様に似ている私が貴方を狂わせるなら…貴方の為に私は…」
上着の袖に隠していた小さなナイフを自分の首元に当てる。
「この世から去りましょう?」
気づいたグレイスはすぐさま取り上げようと動いた。
でもリリーの手は止まらず首に…
…モウ、英雄カラ解放サレテ?
「止めろー!!」
大きな声が響いた。
・・・・・
グレン様と一緒に温室に入るとそこに見たリリー様に驚いた。
彼女は首にナイフを突き刺そうとしていた。
「リリー!!」
マーカス侯爵が瞬時にナイフを手で弾いたが、彼女の状態が分からない。
リリー様は弾かれた衝動で床に倒れる。
グレン様がマーカス侯爵の元へ行き剣を振るが、マーカス侯爵は受け止めず軽やかに距離をとった。
グレン様はすぐにリリー様を抱き起した。
「グレン様、リリー様は?」
「深く刺さっていないから大丈夫だ。リリー、何故こんな事をした!?」
グレン様がかなり怒っている。
そっと目を開けるリリー様は哀しむように呟いた。
「…私が居る事で…もう誰も不幸になってほしくない。」
リリー様は切なげにマーカス侯爵に顔を向けた。
「そしてグレイス様に気づいてほしかった。今までの貴方が成し遂げた事は英雄だからではなく全て貴方の努力。戦神の英雄だけではないの。」
彼女がこんな無茶をしたのはマーカス侯爵の為。
それなのに、マーカス侯爵はただ怪しく微笑む。
「全く馬鹿なことをする。君も後先を考えない行動は直した方が良い。」
「ふざけんなっ!誰の所為でリリーがここまでしたと思う?全部お前の所為だろう!?」
グレン様の叫びにマーカス侯爵が面白おかしく笑う。
狂気を帯びた目、冷たく刃物の様な威圧を放ちながら笑うマーカス侯爵はとても恐ろしい。
「はははっ。そうか…だから何だ?お前はマーカス家の者、そしてリリーはお前の婚約者だ。マーカス家に従ってもらうのは当然だろう?お前達は家の習わしに従い役目を果たす義務がある。ただ平民みたいにのうのうと自由に恋愛して暮らせるわけではない。」
「煩い!!俺はもうお前の言う事は聞かない!リリーも同じだ。俺達は一緒になろうとお前の望むモノは与えない。絶対に渡さない!!」
ハッキリと拒絶を伝えるグレン様にマーカス侯爵は呆れたようにため息吐きをついた。
「英雄の血を受け継いでも弱い二人がこの先に対抗できると?…話にならないな。少しは反省して貰おうか?」
急に威圧が増して触れる空気が痛く感じた。
マーカス侯爵は手の指を動かす。
何をするのかすぐ分かった。
『グレン様を力で黙らせるつもりか?』
今のグレン様は手を怪我しているうえにリリー様を庇っている。
二人が危ない!
そう思うと自然に動き二人の前に立ち庇う。
「…さっきも言ったが関係ない者が邪魔しないでくれないか?…失せろ。」
絶対的な圧が俺を襲う。
流石にこれは震える。
なにせ相手は先の戦を終わらせた英雄。
そして軍を総括している現総大将だ。
バロン王国一の最強相手に敵う訳ない。
「…こんな事をするがレベンス様の教えですか?」
「分かった口できくな。お前の様な何も知らない弱輩にレベンス様の何が分かる?」
とんでもない緊張感の中で辛うじて抵抗しても、すぐに圧に抑えつけられてしまう。
彼は敢えて俺に対して手加減をしている。
俺が少しでも動けばすぐにやられるだろう。
「…なぜそこまで彼に拘るのです?今は戦時でないのに、英雄など必要ないでしょう?」
そう、最初の英雄であるレベンス様が活躍していたのはまさに戦時。
当時はバロンへ多くの敵軍が侵略に来ていた。
でも今は戦時ではない。
「生ぬるい環境しか知らぬ弱輩に説明しても理解は一生出来まい。そう、甘く育ったお前達と私達では見ている世界が違うのだよ?」
マーカス侯爵は俺の問いを一蹴してグレン様とリリー様に視線を向ける。
「その為にもレベンス様の様な存在が必要だ。今度こそ私は失敗せず戦神を再現させてみせる。これこそ私の望み。マーカス侯爵家から誕生する真の英雄だ!」
狂っているとしか言えない発言に眉を顰めた。
マーカス侯爵家は繁栄の為に力を注いでいるのは知っている。
でも英雄を求めるなどやり過ぎだ。
『何か理由があるのか?でもゲームの内容はマーカス侯爵の事について詳しく話されてなかった。』
攻略対象者はあくまでグレン様。
グレンルートを選んだ場合だと何が起こったか?
ハッピーエンドだとゲームの過程でヒロインはマーカス親子の仲を取り持った。
『その時、ヒロインは何したのか…?』
< この父親、血の繋がらない母親に出来損ないと責められていた過去があるからって、グレンまで出来損ないと決めて拗らしていたら、そりゃグレンも病むよね?マーカス家の為に努力した事をヒロインが見抜いて指摘したお陰で、二人は仲良くなれたけどさぁ? >
妹の愚痴が聞こえた気がした。
…もしかして…不遇にされていた事が原因。
「グレイス様…それは親に…先代マーカス侯爵と夫人に認められるために必要なのですか…?」
恐る恐る問いかける。
彼はマーカス家で不遇を強いられていた…。
でもグレイス様に兄弟は居ない。
その為、後継ぎを不遇にする理由はないはずだ。
俺の思考を読んだ様にグレイス様は鼻で嗤う。
「‥私は妾の子だ。夫人の子供として扱われているが、夫人が子供を産めなかったからな。まあ、あいつらからよく出来損ないと呼ばれたが、今になっては下らない。」
正妻の子ではなく妾の子。
だから異常に繁栄に拘るのか?
「だから英雄に拘るのですか?それもグレン様まで強いて…」
「お前の解釈は1割程度しか合っていない。」
マーカス侯爵の一刀両断。
ゲームの情報を頼りに問い出してもほぼ間違っている?
たじろぐ俺にマーカス侯爵は呆れた。
「私の情報をどこで知ったか知らんが、勝手な解釈は迷惑以外なんでもない。でも、彼らのお陰で私はレベンス様という素晴らしい御方に出会えたのは確かだ。あの御方に出会えて私の人生はどん底から一気に変わった。これが…その成果だ!」
マーカス侯爵がいきなり目の前に現れた。
そして彼の拳が自分の顔にめがけて…
「!?」
拳が当たらなかった。
横でグレン様がグレイス様の拳を受け止めている。
受け止めた手からハンカチを通して血が出ている。
傷口が開いてしまったようだ。
「良く受け止めたな?良い動きだ。」
グレイス様は手を離して再び間を取った。
「グレン様!何故庇ったのですか?傷口が開いたでしょう!?」
「煩い!お前こそボーと立つ馬鹿がいるか?危ないから下がっていろ!!」
この緊張感の中で文句を言われるとは思わなかった。
でも傷口が酷くなるのに庇う方も大概だ。
馬鹿はどっちも同じである。
俺達のやり取りをみて、マーカス侯爵は口元を歪ませる。
でも微笑ましく見ているわけではない。
目は刃を向ける様に俺たちを見据えている。
「グレン…お前がリリー以外に心を開くとは良い友を持ったな?…でも、それはすぐ不要になる。」
マーカス侯爵が更に殺気が増す。
言葉に表せずとも、もう恐怖しかない。
「グレイス様!」
後ろでリリー様が叫んだ。
皆が一斉に注目する。
「このまま続けると貴方の家族が壊れてしまう。貴方が大切にしていたものさえも失ってしまいます!これ以上、英雄に固執してはいけません!!」
リリー様が必死に説得してもグレイス様の狂気はなくならない。
笑みを浮かべたままだ。
リリー様は暗い表情を浮かべる。
「私はずっと家族と一緒に居る幸せを夢見ていた。」
彼を見ながらリリー様は床に落ちたナイフを再び取る。
「それなのに、私の所為で失うなど合ってはなりません。…『グレイス』…」
リリー様は刃を自分の首に当てた。
「「!?」」
俺達はまた青褪める。
でもそれはマーカス侯爵も同じで、彼は初めて肩を震わせた。
『マーカス侯爵が動揺している?』
彼はすぐ様にリリー様の元へ行き刃を止めナイフを遠くに飛ばした。
彼女の腕を掴みながら睨みつける。
「…そうやって…いつも……ばかりで、…の事を顧みない…。」
とぎれとぎれに聞こえる小さい声だが、狂気を帯びている訳はない。
純粋な怒りが伝わる。
マーカス侯爵が凄く怒っている。
「…私達の為に自分を犠牲にしても無駄だ。…リリー、例え君がここで死んでもグレンの未来は変わらない。この私の血を引く者である限り…。」
「…っ!?」
「君はこの意味が分かるだろう?それなのにグレンを見捨てるつもりかい?」
リリー様が痛そうに目を瞑る。
それをみてグレイス様は怪しく微笑んだ。
「リリーを放せ!!」
グレン様が飛び出す。
だが、同時にマーカス侯爵はグレン様の方へリリー様を突き飛ばした。
「リリー!」
グレン様がリリー様を受け止める。
「…分かった。では、こうしよう?」
マーカス侯爵が演説する様に声をあげた。
「お前達が素直に私の願いを叶えてくれるなら、その後にお前達を解放しよう?」
「!?」
グレイス様の言葉に驚いた。
「私はレベンス様に代わる者さえ居ればいいんだ。解放されたならお前たちはこの国以外の国に行って好き勝手に暮らせばいい。邪魔はしない。」
嘘か真かマーカス侯爵をみても判断が出来ない。
でも彼は狂気な威圧を放っている。
「正直、こんな無駄な時間をかけたく無い。ただし、これには条件がある。今、お前たちが慕う者を全て切り捨ててもらう。」
家族・仲間を捨てれば解放される。
とんでもない条件だ。
「その手には乗らない!そう言って騙して殺すだろう?」
グレン様が疑う。
でもマーカス侯爵は楽しそうに笑うだけだ。
「お前は実に愚かだ。私は心からレベンス様を慕っているのに、その孫娘のリリーを殺すと思うか?その孫娘が大事にしている者まで手を掛ける必要があるか?」
「!?」
狂気が増して空気が重い。
絶対的な圧が俺達を襲う。
「だからこんな不毛な事はやめ、私に従え?」
グレイス様は手を差し伸べる。
「やめるのはお前だ。グレイス。」
聞き慣れた声が響いた。
「…ジオ。」
グラジオ・ブロッサム…旦那様だ。
その後ろにお嬢様とルーベルト様、マリアン様とマリオット様がいてもう一人女性もいる。
…この女性は見たことがある。確か…
「…母上まで…」
グレン様は呟く。
そう、この人はグレイス様の奥方でグレン様の母親のシルヴィア・マーカスだ。
「グレイス。」
「…何故お前がここにいる?」
「貴方が息子と義娘をいじめるからに決まっているでしょう?」
不敵に微笑むシルヴィア様。
微笑む夫人はグレン様と似ている。全部がグレイス様に似ているわけではなさそうだ。
読んで頂きありがとうございます。




