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第七話 本に書かれた魔法

父上に魔法の練習を禁止された翌日。


俺は朝から屋敷の書庫にいた。


禁止された、と言うと少し違う。


今日は休めと言われただけだ。

魔素を感じるのも、動かすのも休み。


でも、本を読むなとは言われていない。


「アルス様。本当にこちらでよろしいのですか?」


後ろからマリーの声がした。


「うん」


「絵本ではなく?」


「こっちがいい」


俺が抱えているのは、子供向けに書かれた魔法の入門書だった。


厚くはない。

文字も大きく、ところどころに絵が入っている。


五歳の子供が読むには少し難しいらしいが、読めないほどではなかった。


前世の記憶が戻ったから文字まで突然読めるようになったわけではない。

ポテンシアの文字は、アルスとして五年間かけて覚えたものだ。


そこに四十六年分の読書経験が加わった。


結果。


読むのが楽しい。


俺は椅子によじ登り、本を机の上へ広げた。


クロムも当然のようについてきて、向かいの窓辺へ飛び乗る。


最初のページには、人の身体と、その周囲を流れる線の絵があった。


『魔素は、私たちの身の回りに広く存在しています』


知ってる。


『大気、大地、水、生き物など、さまざまな場所で確認することができます』


これも父上から聞いた。


ページをめくる。


『人の身体にも魔素は巡っています。魔素を感じ、適切に扱うことは、多くの魔法の基礎となります』


ここもやった。


「……もう少し先かな」


「何をお探しです?」


「知らないこと」


マリーが少し笑った。


「ずいぶん大きなものをお探しですね」


確かに。


俺は続きを読んだ。


火。

水。

風。

土。


子供向けだからだろう。

魔法の代表例が、分かりやすい絵と一緒に紹介されている。


ただ、昨日までの俺ならきっと「火の魔法」「水の魔法」で終わっていた。


今は説明の方が気になる。


火を起こす。

水を動かす。

空気を押す。

土を固める。


同じような結果でも方法は一つではない、と小さく書かれている。


「ちゃんと書いてある」


「何がです?」


「魔法のやり方が一つじゃないって」


「そうですね」


マリーには当たり前らしい。


俺は次のページをめくった。


そこで手が止まった。


丸い石の絵がある。


ただの石ではない。

淡く光るように描かれ、その横にはランプらしい道具が載っていた。


『魔石』


「これ」


俺は文字を指した。


「魔石?」


「はい」


「家にもある?」


「ございますよ」


即答だった。


「どこ?」


「いろいろなところに」


答えになっていない。


俺が黙って見ていると、マリーは書庫の壁にある照明を指した。


「例えば、あちらにも」


見上げる。


壁には金属製の小さな照明器具が取り付けられている。


昼なので灯ってはいない。


五年間、何度も見てきた。


「……あれ?」


俺は椅子から降りた。


近づいて見る。


手の届かない高さにあるので、下から覗くだけだ。


「これ、魔石で光るの?」


「はい」


知らなかった。


いや。


正確には、知っていたはずだ。


アルスとしての記憶の中には、夜になればこの照明が光ることも、それを使用人が操作していることも残っている。


ただ、その仕組みを気にしたことがなかった。


「火じゃない?」


「火ではありません」


「熱くなる?」


「多少は。でも触れられないほどではありませんよ」


「どれくらい使える?」


「使い方や魔石によります」


「魔石がなくなったら?」


「交換します」


俺は照明を見上げたまま黙った。


電球じゃない。


電気も使っていない。


でも、照明はある。


前世にあった道具が存在しないからといって、この世界が同じ不便を抱えているとは限らない。


当たり前のことなのに、今さら気づいた。


「魔石って、どこで取れるの?」


「いろいろですね。鉱床から採れるものもありますし、魔物から得られるものもあります」


「魔物?」


俺は本へ戻った。


少し先のページに、それらしい説明がある。


魔素を多く蓄えた生物。

魔素の影響によって、普通の動物とは異なる性質を持つもの。


この本では、それらをまとめて魔物と呼んでいた。


もちろん、五歳の俺も魔物の存在くらい知っている。


屋敷の外へ行けば危険な魔物がいる。

騎士や冒険者が討伐する。

肉や皮、骨、魔石などが利用される。


でも、それも全部ひとまとめにして覚えていただけだった。


「魔物の中で魔石ができるの?」


「そういう魔物は多いですね」


「全部?」


「いいえ」


「大きい魔物ほど大きい?」


「必ずしもそうではありません」


「強い魔物ほど?」


「そうとも限りません」


また一つに決まらない。


俺は本の魔石の絵を見た。


「じゃあ、何で決まるの?」


「私に聞かれましても……」


マリーが困った顔をする。


「あ、ごめん」


またやった。


マリーは何でも知っているわけじゃない。


分からないなら、分かる人に聞けばいい。

本を探してもいい。


「魔石の本もある?」


「ございますが……」


マリーの視線が書庫の奥へ向いた。


嫌な間だ。


「子供向け?」


「いいえ」


「読んじゃ駄目?」


「読んではいけないとは申しませんが、たぶん分からないと思います」


なるほど。


禁止ではない。


それなら見てみたい。


「どれ?」


マリーは少し迷ってから、一冊の本を持ってきた。


さっきの本より厚い。

しかも文字が小さい。


表紙には『魔石の性質と利用』と書かれている。


俺は開いた。


閉じた。


「分からない」


マリーが吹き出した。


「笑った?」


「いいえ」


「今、絶対笑った」


「お気のせいです」


嘘だ。


でも、マリーの言った通りだった。


知らない言葉が多すぎる。

魔素密度。

安定性。

保持特性。

出力特性。

加工適性。


言葉だけ読めても意味が分からない。


父上が言っていたことを思い出す。


基礎を知らなければ、何を質問されているのかも分からない。


「……先にこっちだな」


俺は子供向けの本を開き直した。


少し悔しい。


でも、順番があるなら仕方がない。


読み進めていく。


魔石は照明だけではない。


暖房。

調理。

水を動かす道具。

簡単な保存器具。

工房で使う工具。


用途ごとに向いた魔石や加工方法があり、それを組み込んだ道具を魔道具と呼ぶ。


「いっぱいあるじゃん」


「ございますよ」


「うちにも?」


「たくさん」


俺は書庫を見回した。


今までただの家具や道具にしか見えていなかったものが、急に怪しく見えてくる。


「あれは?」


「普通の時計です」


「これは?」


「ただの机です」


「じゃあ、あっち」


「アルス様」


「はい」


「今日は読書では?」


そうだった。


俺は席へ戻った。


クロムが窓辺からこちらを見ている。


「クロムも魔道具じゃないよな」


黒猫は目を細めた。


当然、返事はない。


「猫です」


マリーが言った。


「知ってるよ」


たぶん。


昨日、クロムの周りで感じた妙なものを思い出したが、今は置いておく。


分からないことを全部同時に追えば、何も分からなくなる。


俺は本へ視線を戻した。


魔素がある。


だから魔法がある。


そこまでは単純だった。


でも人は、魔法を使うだけでは終わらなかった。


魔石を見つけた。

性質を調べた。

加工した。

道具に組み込んだ。


そして、生活に使っている。


前世の人間が火を使い、金属を加工し、電気を利用したのと少し似ている。


使っているものは違う。


積み上げ方は、たぶん同じだ。


誰かが見つける。

誰かが試す。

誰かが失敗する。

誰かが使える形にする。


それが何年も、何十年も、もっと長い時間続いて今がある。


俺が転生したから、この世界が始まったわけじゃない。


俺が生まれるよりずっと前から、ここには人がいて、魔法があって、技術が積み上げられている。


そのことが、妙に嬉しかった。


「マリー」


「はい?」


「この世界って、俺が知らないことだらけだね」


「五歳ですから」


そう返された。


「それもそうか」


俺は笑って、またページをめくった。


知らないなら、知ればいい。


全部を自分で作る必要なんてない。


すでにあるものは、まず知る。


どうしてそうなっているのかを見る。


それでも分からないところが残ったら――。


その時、初めて試せばいい。


机の上には、まだ半分以上ページの残った本がある。


書庫の棚には、その何百倍もの本が並んでいる。


そして屋敷の外には、本にも書かれていないものがあるはずだ。


五歳の俺にとって。


ポテンシアは、まだほとんど全部が未読だった。

セバス


挿絵(By みてみん)

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