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第六話 外にある魔素

魔素は、身体の中だけにあるわけではない。


大気にも、大地にも、水にも、生き物にもある。

父上からそう聞いた翌日、俺は庭の真ん中で目を閉じていた。


「…………」


分からない。


自分の身体を巡る魔素なら、もうかなり簡単に見つけられる。

胸へ意識を向ければ、そこにある。腕へ流せば動く。昨日より操作も滑らかになった。


でも、身体の外となると話が違った。


風が頬に当たる。

鳥の声が聞こえる。

草の匂いがする。


それだけだ。


「父上」


「なんだ?」


「本当にあります?」


「ある」


「いっぱい?」


「この辺りなら、特に少なくはないな」


だったら、なぜ分からない。


俺はもう一度集中した。


空気を見る――違う。

感じようとする。


何か。


何でもいい。


自分の身体の外にある、魔素らしいもの。


「…………」


やっぱり分からない。


目を開けると、父上が腕を組んで立っていた。

その少し後ろにはマリー。さらに離れた木陰にはクロムがいる。


全員に見られている。


「難しい」


「そうだろうな」


「父上は分かるんですよね?」


「ああ」


「マリーは?」


振り返る。


「多少でしたら」


普通に答えられた。


俺だけ分からない。


ちょっと悔しい。


「何が違うんだろう」


「経験だ」


父上があっさり言った。


「お前はまだ、自分の魔素と外の魔素を区別できていない」


「区別?」


「目を閉じてみなさい」


言われた通りにする。


「まず、自分の魔素を感じろ」


これは簡単だ。


身体の中を巡る流れへ意識を向ける。


「できました」


「では、それを動かすな」


「動かさない?」


「ああ。何もしなくていい」


何もしない。


それが意外と難しい。


動かせるようになってからは、感じるとすぐに触りたくなる。

右手へ流したり、細くしたり、速さを変えてみたり。


でも今は、そのまま。


身体の中を自然に巡っている状態を眺める。


「その外側を探せ」


外側。


俺は意識する範囲を少しだけ広げた。


皮膚。

服。

その向こう。


何もない。


いや。


何もない、と思った瞬間だった。


右手の指先に、ほんの少しだけ違和感があった。


「……ん?」


消えた。


「どうした?」


「今、何かあった気がする」


「どこだ?」


「右手の近く」


父上は何も言わなかった。


正解とも、不正解とも言わない。


それがありがたい。


俺は同じ場所を探した。


見つからない。


もう一度。


今度は自分から探しにいくのをやめる。


身体の魔素は動かさない。

ただ、指先の外側に意識を置く。


しばらくすると、また何かが触れた。


風ではない。


温度でもない。


説明できない。


でも、自分の中を流れているものと少し似ている。


「これかも」


「焦るな」


父上の声が聞こえる。


「掴もうとするな。まず違いを覚えろ」


掴まない。


俺はその感覚を追った。


ある。


消える。


またある。


ずっと同じ強さで存在しているわけではないように感じる。


それとも、俺が感じ取れていないだけなのか。


まだ分からない。


目を開けた。


庭は何も変わっていなかった。


木がある。

草がある。

空がある。


でも、さっきまでとは少し違って見える。


「今のが外の魔素?」


「おそらくな」


「おそらく?」


「私がお前の感覚を直接見ることはできん」


そうか。


当然だ。


父上が感じているものと、俺が今感じたものが本当に同じなのかは、言葉だけでは完全には確認できない。


「確かめる方法は?」


「ある」


俺は父上を見る。


「魔素を扱えるようになれば、外から取り込むこともできる。周囲の流れを変えれば、他の術者が気づくこともある。測定に使う魔道具も存在する」


やっぱりあるんだ。


「魔道具、見たい」


「そのうちな」


また出た。


「そのうちって、いつ?」


「お前が勝手に分解しない年齢になったらだ」


「分解しないよ」


父上とマリーが同時に俺を見た。


「…………たぶん」


二人ともため息をついた。


信用がない。


でも、魔素を測る道具が存在することは分かった。


それだけでも大きい。


感覚だけではなく、何らかの方法で外から確かめられる。


なら、いつか比較できる。


俺の感覚が正しいのか。

場所によって量が違うのか。

時間でも変わるのか。


考え始めると、また疑問が増えていく。


「アルス」


「はい」


「今は測定器のことを考えるな」


またばれた。


「顔に出てます?」


「出ている」


マリーまで頷いた。


そんなに分かりやすいのか、俺。


父上は庭の端にある木を指した。


「次は、あそこまで歩いてみなさい」


「歩く?」


「ああ。ただし、自分の魔素はなるべく動かすな。周囲だけを感じながら歩け」


なるほど。


場所を変えるのか。


俺はゆっくり歩き始めた。


一歩。

二歩。

三歩。


自分の身体ではなく、その外側へ意識を向ける。


最初は何も分からない。


でも、さっき感じたものを思い出すと、時々それらしい感覚が混ざる。


木へ近づく。


「……あれ?」


少し違う。


何が、と言われると困る。


濃い?


いや、その言い方が正しいのかも分からない。


ただ、庭の真ん中にいた時より、何かを感じやすい。


「父上、木の近くって違います?」


「違うことはある」


「木だから?」


「それだけとは限らん。地面、水、周囲の植物、土地そのものの流れもある」


また一つに決まらない。


俺は木の幹へ手を近づけた。


触らない。


その手前で止める。


「…………」


ある。


たぶん。


さっきより分かりやすい。


でも、木の魔素なのか、大気の魔素なのか、大地から来ているのかは分からない。


「混ざってる?」


「何がだ?」


「いろんな魔素」


父上は少し考えた。


「混ざる、という表現で完全に正しいかは分からん。ただ、魔素は孤立して存在しているわけではない。流れ、影響し合う」


流れる。


その言葉に引っかかった。


身体の中でも流れている。


外でも流れている。


だったら――。


「川みたいなものもある?」


「魔素のか?」


「うん。いっぱい流れてる場所」


父上が俺を見る。


「ある」


短い答えだった。


「大きな流れを地脈と呼ぶこともある。土地によって魔素の状態は違うし、強く集まる場所もある」


俺は木から手を離した。


地脈。


初めて聞いた言葉ではない。

五歳までの記憶のどこかにもある。


でも意味を考えたことはなかった。


「地面の下を流れてる?」


「必ずしも地下だけではない」


「動く?」


「動く」


「ずっと同じ場所?」


「大きな流れは地形や土地の影響を受けるから、簡単には変わらん。だが完全に同じとも限らない」


まただ。


決まりきっていない。


俺は空を見上げた。


魔素は身体の中にある。


外にもある。


土地によって違う。

流れている。

集まる場所もある。


それを生き物が取り込み、魔法に使う。


少しずつ、世界がつながり始めた。


まだ線ではない。


点が増えただけだ。


でも、点が増えればいつか線になる。


「今日はここまでだ」


父上が言った。


「もう?」


反射的に答えてしまった。


父上が笑う。


「今日はよくできた。外の魔素を感じられたなら十分だ」


褒められた。


ちょっと嬉しい。


「明日は?」


「明日は休め」


「えー」


「魔法以外の勉強もある」


忘れていた。


俺は侯爵家の子供だった。


文字も歴史も礼儀も覚えなければならない。


前世の知識があるからといって、この世界の歴史を知っているわけではない。


むしろ今なら、そっちも少し面白そうだ。


「本を読んでもいい?」


「もちろんだ」


「魔素の本も?」


父上が一瞬黙った。


「……子供向けならな」


よし。


明日の予定が決まった。


屋敷へ戻ろうとすると、木陰にいたクロムが立ち上がった。


俺の前を横切り、そのまま庭の奥へ歩いていく。


「クロム」


呼ぶと、一度だけ振り返った。


その瞬間。


ほんのわずかに、何かを感じた。


「……ん?」


クロムの周り?


いや、違う。


気のせいかもしれない。


次に意識した時には、もう何も分からなかった。


黒猫は何事もなかったように歩いていく。


俺はその背中をしばらく見ていた。


「アルス様?」


「ううん。なんでもない」


今は分からない。


だったら、覚えておけばいい。


分からないことを、無理に答えにする必要はない。


そうして俺はまた一つ、頭の片隅に小さな疑問を置いた。


この時の俺はまだ知らなかった。


その黒猫が、魔素よりずっと長く観察することになる存在だということを。

アルスの姉


挿絵(By みてみん)

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