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第六十三話 丸くない形

翌朝。


俺は昨日の帳面を開き、最後に書いた文字を確認した。


『次――板』


球から棒へ。


棒から板へ。


順番に形を変えていく。


ただ、昨日分かったことがある。


形だけを変えるつもりでも、本当に形だけが変わるとは限らない。


棒を長くすれば、手から先端までの距離も変わった。表面の広さも変わる。維持する場所も増える。


だから今日は、最初から書き方を変えた。


『主に変える――形』


その下。


『できるだけ揃える――使用する魔力、手からの距離、維持時間』


さらに、


『形に伴って変わったものは別に記録』


これでいい。


「今日は板ですね」


マリーが覗き込む。


「うん」


「どのような板ですか?」


止まった。


板。


俺の頭には、薄くて平たい四角が浮かんでいる。


でも板と言ってもいろいろある。


丸い板もある。


厚い板もある。


細長い板もある。


「四角くて、薄いやつ」


「どのくらい薄く?」


「……決めてない」


まただ。


言葉だけでは形が決まらない。


昨日の棒だって、太さも長さも決めなければ何種類も作れる。


俺は帳面に簡単な絵を描いた。


正面から見た四角。


横から見た細い長方形。


「これ」


マリーが見る。


「板ですね」


先生にも見せる。


「板に見えます」


二人に伝わった。


少なくとも、俺だけが分かる『板』ではなくなった。


「じゃあこれを作る」


庭へ出る。


最初はいつもの球。


魔力を外へ出し、手の前で丸く整える。


維持。


安定。


一度消す。


次は昨日の短い棒。


球を作り、上下へ少し伸ばす。


横幅を整える。


昨日より早い。


「慣れた」


棒を消す。


ここからが今日の本番だ。


もう一度球を作る。


それを上下と左右へ広げる。


前後を薄くする。


「……難しい」


すぐに厚みが戻る。


正面から見ると四角に近い。


でも横から見ると、中央が膨らんでいる。


板というより、四角い塊だ。


前後を薄くしようと意識する。


今度は中央が薄くなりすぎた。


穴が開きそうになる。


慌てて補う。


右側が膨らむ。


そこを直す。


左上が崩れる。


「忙しい」


球より忙しい。


棒よりさらに忙しく感じる。


「今、何を直していらっしゃるのですか?」


先生が聞く。


「厚さ」


答えながら右端を直す。


「あと角」


四角だから角がある。


球にはなかった。


棒も端はあったが、短く太い形なら多少丸くても棒に見えた。


板は違う。


俺が作ろうとしている形には四つの角がある。


辺もある。


厚さもある。


「見るところが増えた」


そう言った瞬間、左下が崩れた。


形を保てない。


消す。


一回目。


失敗。


帳面へ書く。


『板一回目――正面形状と厚さを同時に維持できず崩壊』


少し考えて付け足す。


『球・棒より意識する場所が多く感じる』


先生が紙を見る。


「本当に場所の数が原因でしょうか?」


「分からない」


角があるから難しいのか。


薄いから難しいのか。


俺が板に慣れていないから難しいのか。


全部かもしれない。


「分ける」


いきなり完成した板を作ろうとしたから、何が難しいのか分からない。


まず四角。


厚くていい。


球を作る。


上下左右へ広げる。


前後はあまり触らない。


丸い塊から、四角い塊へ。


角を作る。


一つ。


二つ。


三つ。


四つ。


「できた」


少し丸みはある。


でも正面から見れば四角に近い。


マリーに聞く。


「何に見える?」


「四角い何かです」


「板?」


「板というには厚いですね」


よし。


狙い通りだ。


板ではない。


四角だけ。


維持する。


さっきより楽だ。


角は少し丸くなろうとする。


辺も膨らむ。


でも厚さを薄く保つ必要がないので、修正する場所が減った。


「四角だけならできる」


記録する。


『厚い四角形――維持可能』


正確には立体だから四角形ではない。


「四角い塊?」


先生が笑う。


「直方体に近いでしょうか」


前の世界でも知っている言葉だ。


「直方体」


書き直す。


『厚い直方体――維持可能』


ただし角は丸い。


完全な直方体ではない。


次。


今の形から、少しだけ薄くする。


一気に板へしない。


前後を少し縮める。


維持。


まだ大丈夫。


さらに薄くする。


維持。


さっきより忙しくなる。


中央。


角。


辺。


特に中央の厚さが揺れる。


「薄くすると難しくなる」


また言い切りそうになった。


「俺は、今のところ」


付け足す。


先生が頷いた。


さらに薄くする。


形が揺れ始める。


右上が厚くなる。


中央が薄い。


左端が前へ膨らむ。


全部を直そうとすると別の場所が動く。


やがて形が崩れた。


消す。


「どこから駄目になった?」


先生に聞かれて、考える。


「薄くしたところ」


それでは広すぎる。


帳面を見る。


段階を分けた。


厚い。


少し薄い。


もっと薄い。


かなり薄い。


最初の二つは維持できた。


三つ目から修正が増えた。


四つ目で崩れた。


正確な厚さは測っていない。


だから数字では残せない。


でも段階は残せる。


『薄くするにつれて維持が難しく感じられた。ただし厚さは未計測』


これならいい。


「なんで薄いと難しいんだろう」


前後の境目が近いから?


少しずれただけで厚さの割合が大きく変わるから?


薄い部分へ魔力を均等に置くのが難しい?


俺の感覚が細かい厚さを捉えにくい?


候補はいくつもある。


今は決めない。


休憩する。


マリーから水を受け取った。


クロムが俺の足元を通り、そのまま日陰へ向かう。


薄い。


クロムではない。


影だ。


地面に落ちた黒猫の影を見る。


「影って薄いな」


「影ですからね」


マリーが言う。


分かっている。


でも形だけを考えると面白い。


紙。


布。


板。


膜。


薄いものはたくさんある。


魔力でも薄く広げられたら、球とは全然違う使い方ができるかもしれない。


壁。


覆う。


包む。


遮る。


何かの表面に沿わせる。


頭にいくつも浮かぶ。


「書くだけ」


今日は試さない。


帳面の端へ、


『薄い形の用途――壁、覆う、包む、表面』


とだけ残す。


先生がそれを見る。


「珍しく我慢しましたね」


「昨日からしてる」


「二日ですね」


短い。


でも進歩だ。


休憩後。


今度は別の比較をする。


四角をやめる。


丸いまま薄くする。


球を作る。


前後だけを縮める。


円盤。


角がない。


薄い丸。


これなら、板が難しかった原因の一つを少し分けられる。


もし円盤も難しいなら、角だけが原因ではない。


「やってみる」


球。


前後を縮める。


厚い円盤。


維持。


できる。


さらに薄くする。


修正が増える。


もっと薄く。


中央が揺れる。


端が厚くなる。


「同じだ」


四角ほどではない。


でも薄くするほど忙しく感じる。


かなり薄くしたところで崩れた。


消す。


帳面へ書く。


『円盤でも、薄くするにつれて維持が難しく感じられた』


その下。


『角がない形でも発生』


これで角だけが原因とは考えにくくなった。


でも角の影響がないとは言えない。


四角と円では難しさが少し違った気がする。


ただ、順番の問題もある。


四角を何度もやった後だから、薄い形そのものに慣れ始めている可能性がある。


疲労もある。


また術者自身が変わっている。


「順番変えて明日もやる?」


先生が聞く。


「うん」


今日は四角から円。


明日は円から四角。


それで同じ傾向なら、少し見やすくなる。


完全ではない。


でも一回よりいい。


午後。


もう一つだけ試した。


形を作る方法そのものだ。


今までは球から変形している。


球。


棒。


直方体。


円盤。


全部、一度得意な球を作ってから変えている。


「最初から板にしたら?」


朝は一度失敗した。


でもあれは完成形を一気に作ろうとした。


今度は最初から薄い範囲へ魔力を出す。


球を経由しない。


手の前に、平たい範囲を意識する。


魔力を出す。


広がる。


「お」


最初から少し平たい。


でも輪郭が安定しない。


丸でも四角でもない。


雲みたいな形だ。


薄さも均一ではない。


それでも、朝とは違う。


「板じゃないけど、薄い」


維持する。


意外と残る。


きれいな形を求めなければ、薄い魔力の広がりそのものは作れる。


「これ、楽かも」


先生がすぐ聞く。


「何と比べてです?」


「きれいな板」


大事だ。


薄い形が難しいのではなく、


『薄く、しかも決めた形へ整える』


ことが難しい可能性がある。


俺は今、形をほとんど直していない。


だから薄いまま揺れている。


端は不規則。


厚さも場所によって違う。


でも消えない。


「形を諦めたら残る」


帳面へ書く。


『薄く広げるだけなら維持可能』


次。


『均一な厚さ・決めた輪郭を保とうとすると修正が増える』


これもまだ俺の場合。


でも今日一番面白い。


目的によっては、きれいな板なんて必要ないかもしれない。


何かを覆うだけなら、不規則でもいい。


逆に、狭い隙間へ通すなら厚さが揃っていないと困るかもしれない。


形の精度は、用途で決まる。


昨日考えたことが、別の形でも出てきた。


「魔法って、形をきれいにする競争じゃないんだな」


先生が少し笑った。


「そのような競技なら別ですが」


「あるの?」


「似たものならありますよ」


それはそれで見てみたい。


でも今は置いておく。


薄い魔力を消す。


夕方。


最後に球を作った。


やっぱり簡単だ。


丸い。


厚い。


境目も一つ。


俺にとっては、修正する場所を捉えやすい。


でも朝とは違って見える。


球が簡単なのではない。


少なくとも今の俺が、球を扱うことに慣れている。


そして球という形には、俺が維持しやすい何かがあるかもしれない。


まだそこまで。


帳面の最後へ今日のまとめを書く。


『形を変えると、維持の仕方も変わる』


次。


『薄さと輪郭を同時に揃えようとすると、俺には難しくなる』


その下。


『薄く広げるだけなら、決めた形にするより維持しやすかった』


さらに、


『必要な形の精度は、魔法の目的によって変わる』


筆を置きかけて、もう一行。


『丸くない形にも、それぞれ別の作り方があるかもしれない』


これが一番気になる。


球を作って変形する。


最初から薄く出す。


同じような見た目になっても、作り方が違う。


作り方が違えば、維持の仕方も違うかもしれない。


なら完成した形だけを見ても足りない。


どう作ったか。


どう保っているか。


そこまで見たい。


帳面を閉じる。


明日は順番を逆にして、もう一度円と四角を試す。


その後は。


薄い形を、もっと薄く。


ただの板ではなく、膜に近いところまで。


そこまで広げた時、魔力はどうなるのか。


昨日まで、俺は丸くない形を作りたかった。


今日やってみて分かった。


丸くない形は、一種類ではない。


球から外へ出た瞬間、形の作り方そのものが一気に増えた。

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