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第四十七話 渡した紙

翌朝、俺は昨日作った九つの手順をマリーに渡した。


「今日はこれを持って、門の外へ行ってほしい」


「アルス様は?」


「行かない」


マリーが紙と俺を交互に見る。


「先生も?」


「行かない」


「私だけですか?」


「護衛は一緒。でも測るのはマリー」


昨日、同じ手順を使えば、俺と先生とマリーでも近い記録を残せた。


でもあれは庭だった。


俺が作った手順を、俺がいる場所で使った。


それではまだ足りない。


紙だけ渡して、別の場所で使えるのか。


今日はそれを見たい。


「この前測った道のところ、覚えてる?」


「門を出て少し行った場所ですね」


「そこで三回測って、紙に書いてきて」


「質問があった場合は?」


「紙に書いてある通りにして」


マリーが嫌そうな顔をした。


「それで分からなかった場合は?」


「分からなかったって書いて」


九番目の手順だ。


マリーは紙を読み直し、諦めたように息を吐いた。


「行ってまいります」


「お願い」


俺は見送った。


ついていきたい。


ものすごくついていきたい。


でも俺が行ったら意味がない。


途中で迷っているのを見れば、たぶん口を出す。


違うと思えば直したくなる。


それでは紙を渡したことにならない。


俺は庭に残り、いつもの杭で測定を始めた。


先生もいる。


「気になりますか?」


「気になる」


「でしょうね」


「見に行ったら駄目?」


「アルス様が決めた実験でしょう」


分かっている。


測定具を置く。


紐で位置を合わせる。


向きを揃える。


離れる。


三分待つ。


いつも通りなのに、今日は妙に長い。


一回目。


二回目。


三回目。


記録を終えても、マリーは戻ってこない。


「遅くない?」


「まだそれほど経っていませんよ」


「道なら近いよ」


「三回測るように言ったのはアルス様です」


それもそうだった。


しばらくすると、門の方からマリーが戻ってきた。


護衛と一緒だ。


片手に測定具。


もう片方に紙。


「どうだった?」


「先に一つよろしいですか?」


「うん」


「この紙、分かりにくいです」


失敗した。


いや、まだ分からない。


「どこ?」


マリーが九つの手順を開いた。


「まず一番です。『杭で場所を決める』とあります」


「うん」


「杭をどこに刺すのですか?」


止まった。


前回測った場所には、杭を残していなかった。


俺の頭の中には場所がある。


門を出て、道を少し進んだところ。


でも紙には書いていない。


「前と同じ場所」


「ですから、その前と同じ場所が私には分かりません」


その通りだ。


マリーは続ける。


「だいたいこの辺りだろう、という場所で測りました」


「それでいい」


「それから二番です」


まだあるらしい。


『紐で測定具の位置を決める』


「どこからどこまで紐を伸ばすのか、最初は分かりませんでした」


俺は紙を見る。


確かに書いていない。


昨日は全員、庭で一緒にやった。


だから杭から測定具までだと知っていた。


紙を読んだから分かったわけではない。


「三番の『印を合わせて向きを揃える』も、どの印か書いてありません」


「……うん」


「四番の『決めた距離まで離れる』も、その距離が書かれておりません」


先生が顔を背けた。


笑っている。


「先生」


「失礼」


絶対笑っている。


マリーはさらに紙を見る。


「五番の三分は分かりました。六番の記録も、昨日やりましたから分かります」


「昨日やってなかったら?」


「何をどのように書くのか分からないと思います」


俺は紙を受け取った。


九個も決めた。


これで同じやり方を渡せると思った。


全然渡せていない。


紙には、俺たちがすでに知っていることが抜けている。


「マリーだからできた?」


「昨日一緒にやりましたから」


「初めて見る人なら?」


「かなり困ると思います」


なるほど。


手順を書けば渡せる。


それは間違っていない。


でも、書いた本人にしか分からない手順では意味がない。


俺は紙の余白へ書き始めた。


『杭――前回と同じ位置。場所の目印も記録する』


でも、それだけではまだ弱い。


前回の場所を知らない人には分からない。


「場所ってどうやって残す?」


先生に聞く。


「地図を使うのが簡単でしょうね」


また地図だ。


俺は昨日、門の外で描いた小さな地図を持ってきた。


屋敷。


道。


水路。


川。


林。


測った場所には点がある。


「これと一緒なら?」


マリーが見る。


「先ほどよりは分かりやすいです。ただ、この道のどの辺りなのかまでは分かりませんね」


確かに点が大きい。


実際の距離にすれば、かなりずれる。


「目印も書く」


門から何歩。


大きな石の近く。


道が少し曲がる手前。


そういうものなら場所を探せる。


でも、人によって歩幅が違う。


石は動かない。


道もすぐには変わらない。


「動かないものを使えばいい?」


「目印としてはその方が良いでしょう」


先生が答える。


俺は新しい紙を出した。


手順そのものを直す前に、今日マリーが困ったところを全部書く。


場所が分からない。


紐の使い方が分からない。


印が分からない。


距離が分からない。


記録の書き方が分からない。


並べてみると、共通している。


「知ってるつもりだった」


「何をです?」


「紙を読んだ人も、俺と同じことを知ってるって」


俺が作った紙だから、俺には全部分かる。


先生も一緒に作った。


マリーも昨日一度やった。


だから三人とも使えた。


知らない人へ渡して初めて、抜けているものが見える。


「もう一回作る」


今度は文章だけにしなかった。


杭の絵を描く。


そこから紐を伸ばし、測定具を置く位置を書く。


測定具のどの印を、どちらへ向けるのかも描く。


人が立つ場所も書く。


三分。


三回。


それから記録する項目を最初から枠にした。


『場所』

『日付』

『時間』

『天気』

『風』

『一回目』

『二回目』

『三回目』

『周囲で起きたこと』

『分からなかったこと』


「これなら?」


マリーに渡す。


今度は何も説明しない。


マリーは最初から順番に読む。


「先ほどより、かなり分かります」


「かなり?」


まだ駄目らしい。


「風はどう書けばよろしいのです?」


「強いとか弱いとか」


「どの程度から強いのです?」


また止まった。


先生がとうとう声を出して笑った。


「先生、楽しんでるでしょ」


「少しだけ」


腹が立つ。


でも俺も少し面白くなってきた。


紙一枚作るだけなのに、こんなに穴がある。


「風は……」


考える。


数字で測る道具は今ない。


なら無理に細かくしなくてもいい。


『なし・弱い・強い』


三つにする。


「普通は?」


マリーが聞く。


「弱い」


「では、葉が少し動く程度は?」


「弱い」


「服が揺れるくらいは?」


「強い?」


自信がない。


俺は庭の木を見る。


風そのものを感じた強さで決めると、人によって違う。


だったら見えるもので決める。


葉がほとんど動かない。


葉や細い枝が動く。


太い枝まで大きく動く。


三つくらいに分ける。


「これなら見て決められる」


「分かりやすいですね」


また一つ増えた。


天気も同じだ。


晴れ。


曇り。


雨。


途中で変わったら、それも書く。


細かくしすぎない。


誰でも同じように選べる方が大事だ。


昼を過ぎる頃には、最初の九行だった紙が二枚になっていた。


一枚は測り方。


もう一枚は記録するための紙。


「増えた」


「増えましたね」


でも昨日よりいい。


文字をたくさん書く必要もなくなった。


決まった場所に結果を入れればいい。


「もう一回行ってきて」


「今からですか?」


マリーが嫌そうな顔をした。


「同じ場所」


「先ほどの場所には杭を残してあります」


「ちょうどいい」


今度も俺は行かない。


新しい二枚の紙だけ渡す。


マリーは測定具を持ち、再び門の外へ出た。


戻ってきたのは一時間ほど後だった。


「どう?」


「今度は迷いませんでした」


紙を見る。


場所。


時間。


天気。


風。


三回分の結果。


全部、決めた枠の中に書かれている。


途中で荷車が一台通ったことまで、『周囲で起きたこと』に残っていた。


「これ」


俺はそこを指した。


「荷車?」


「はい。測定中に通りましたので」


俺なら書いただろうか。


たぶん書く。


でも、マリーが同じように書いたことが大事だった。


俺が見ていなかった場所で、俺が作った紙を使って、俺が後から読める記録ができた。


「先生」


「はい」


「これ、使える」


「そのようですね」


初めて少しだけ、庭の外へ自分の目が伸びた気がした。


もちろん、本当に俺が見たわけではない。


マリーが見た。


マリーが測った。


でも同じやり方で残してあるから、あとから比べられる。


俺は朝に自分で測った庭の記録を隣へ置いた。


書いた人は違う。


場所も違う。


それでも同じ形の紙に結果が並んでいる。


「次は知らない人」


俺が言うと、マリーがすぐに反応した。


「私はもうよろしいのですか?」


「マリーは知ってる人になったから」


「それは良かったです」


本当に嬉しそうだった。


先生が紙を見ながら言う。


「誰に頼むおつもりです?」


考える。


魔法に詳しい人では駄目だ。


できれば、この測定を一度も見たことがない人。


紙だけを渡して使ってもらう。


それで同じ記録が作れれば、もう少し信用できる。


俺は新しい二枚の紙を見た。


昨日まで、これはただの手順だった。


今日は少し違う。


誰かに渡すものになった。


帳面を開き、最後に書く。


『自分に分かる説明と、知らない人に分かる説明は違う』


その下に続ける。


『渡してみないと、抜けているものは分からない』


少し考えて、もう一行。


『記録の形も揃える』


これなら、集めた後に並べられる。


庭で始めた観測は、俺が一人で紙へ点を書くところから始まった。


次の点は、マリーが置いた。


それは俺が置いた点ではない。


だからこそ意味がある。


違う人が置いた点を、同じ地図の上で使えるかもしれない。


俺はマリーの記録を、今日の紙の一番上へ置いた。


初めて、自分以外の誰かから受け取った観測記録だった。

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