第四十六話 同じ測り方
次の日、俺は庭の机に道具を全部並べた。
測定具。帳面。紙。筆記具。それから、昨日持ち歩いた杭。
今日は外へ行かない。
昨日、庭の外を少し歩いただけで分かった。世界を広く見ようとするなら、先に決めておかなければならないことがある。
誰が測っても、あとから比べられるやり方だ。
「先生、いつもこれ、どうやって測ってる?」
俺が測定具を指すと、先生は少し考えた。
「地面へ置き、術式を起動して反応を確認します」
「何回?」
「目的によりますね」
「何秒待つ?」
「反応が安定するまでです」
「安定ってどれくらい?」
先生が止まった。
「……今日はそこを調べるのですね」
「うん」
今まで俺たちは、同じように測っているつもりだった。
でも、本当に同じだったのか。
測定具を置く位置。
向き。
置いてから見るまでの時間。
何回測るか。
俺が測る時と先生が測る時で、細かなところは違っていたかもしれない。
庭の中央にある杭へ移動する。
「最初から決めよう」
測定具を杭の横へ置いた。
「場所は?」
「杭からどれくらい離すか、ですね」
先生が答える。
俺は測定具一個分くらい離して置いた。
でも、それでは人によって置く場所がずれる。
「紐」
マリーに短い紐を持ってきてもらった。
杭に結び、測定具まで伸ばす。
これなら距離は同じになる。
「向きもいる」
測定具には表と裏がある。
周囲の術式も完全に同じ形ではない。向きが変われば反応が変わることは、前に試して分かっている。
杭に小さな印をつけ、測定具の印と合わせることにした。
「これで場所と向き」
帳面に書く。
次は時間。
測定具を置き、先生が起動する。
石が光った。
最初は少し揺れる。
やがて反応が落ち着いてくる。
「今?」
「まだですね」
待つ。
「今は?」
「もう少し」
「先生の感覚じゃん」
「そうですね」
それでは先生がいないと同じ測り方にならない。
時間を決める必要がある。
時計を持ってきてもらった。
「一分ごとに見る」
起動直後。
一分。
二分。
三分。
反応を書いていく。
五分まで続けた。
「二分くらいからあまり変わらない?」
「今日はそう見えますね」
今日は。
そこが大事だ。
別の日には違うかもしれない。
「三分にする?」
「なぜ三分です?」
「二分で落ち着いてるなら、少し余分に待つ」
先生が頷いた。
「悪くないでしょう」
三分。
長すぎる気もする。
百か所測ったら、それだけで三百分。
五時間だ。
移動する時間まで入れたらもっとかかる。
「長いな」
「正確さを求めれば、時間はかかります」
「一分じゃ駄目?」
「何をどの程度知りたいかによりますね」
また目的だ。
細かく調べたい時は三分。
広い場所を大まかに調べる時は一分。
そう分ける方法もある。
でも最初から二つ作ると比較が面倒になる。
「まず三分」
今は広さより、同じやり方を作る方を優先する。
次は回数。
一回だけでは、たまたま変な反応が出た時に分からない。
「三回?」
「妥当でしょうね」
三分を三回。
一か所九分。
準備も入れれば十分以上。
俺は頭の中で昨日歩いた場所を思い出した。
道。
草地。
水路。
川。
林。
五か所だけで一時間近い。
「やっぱり遅い」
「昨日も同じことを言っていましたよ」
「昨日より遅くなった」
正確にしようとしたら、もっと遅くなった。
当たり前だけど困る。
でも今はそのまま進める。
「測ってる人はどこにいる?」
先生が測定具のすぐ横に立っている。
人が近くにいるだけで反応が変わる可能性は、もう見ている。
「離れないと駄目だ」
「どこまで?」
また距離。
俺は測定具から一歩離れる。
これでは近い気がする。
二歩。
三歩。
「先生と俺で歩幅違う」
「紐を使いますか?」
また紐だ。
長い紐を用意する。
測定具から一定の距離に印をつけ、そこから観察する。
「でも遠いと見えない」
六歳の身体だ。
目も低い。
離れすぎれば測定具の細かな反応が見えなくなる。
結局、見える範囲まで近づかなければならない。
「記録箱なら離れられる」
「ええ。ただ、あちらは細かな反応を見るための道具ではありません」
一つ良くすると、一つ悪くなる。
もう驚かない。
「普通の測定具は、人が近くにいる前提?」
「基本的にはそうですね」
「じゃあ、それもこの道具の目的に入ってるんだ」
人が持って使う。
だから人の影響を完全に消すことは、最初から考えていないのかもしれない。
俺が庭でやりたい観測とは少し違う。
それでも今ある道具を使うなら、条件を揃えるしかない。
測定具から二歩ほどの距離。
でも歩幅ではなく、紐で距離を決める。
見る時だけ少し近づく。
その時間もできるだけ短くする。
「面倒ですね」
マリーが横から言った。
「うん」
「そこまでしなければ駄目なのですか?」
「分からない」
「分からないのですか?」
「必要ないかもしれない」
マリーが困った顔をした。
でも本当にそうだ。
全部決めた結果、そこまで細かくする必要はなかったと分かるかもしれない。
それなら後で減らせばいい。
今は、何が結果を変えるのか分からない。
だから一度揃えてみる。
昼前には、紙に手順ができていた。
一、杭で場所を決める。
二、紐で測定具の位置を決める。
三、印を合わせて向きを揃える。
四、測る人は決めた距離まで離れる。
五、起動して三分待つ。
六、反応を記録する。
七、三回繰り返す。
八、時間、天気、風、周囲の様子も残す。
「八個」
思ったより多い。
先生が紙を見る。
「最初としては十分でしょう」
「先生、これで測ってみて」
「今からですか?」
「うん」
俺は屋敷へ戻ることにした。
先生だけで測ってもらう。
俺が横にいたら、無意識に口を出すかもしれない。
一時間ほどして戻ると、先生の記録ができていた。
今度は先生が屋敷へ戻り、俺が同じ手順で測る。
全部終わってから、二つの記録を並べた。
「近い」
完全に同じではない。
でも以前、何も決めずに二人で測った時より、結果の違いが小さい。
「やり方を揃えたから?」
「可能性はありますね」
「もう一回やりたい」
「今日はやめておきましょう」
「なんで?」
「同じ場所を何度も測れば、時間が変わります」
あ。
またやった。
人を揃えた。
道具を揃えた。
手順を揃えた。
その代わり時間がずれた。
全部を同時には揃えられない。
「明日、順番を逆にする」
今日は先生が先で、俺が後。
明日は俺が先で、先生が後。
何日か続ければ、少しは分かる。
翌日から同じ測定を繰り返した。
俺が先の日。
先生が先の日。
天気の違う日。
風の少し強い日。
結果はやっぱり完全には一致しない。
それでも、以前より二人の記録は似ることが多くなった。
五日目。
俺は紙を並べて気づいた。
「先生」
「はい」
「これ、誰が測ったか隠しても分からないかも」
以前は俺と先生の結果に、なんとなく違いがあった。
今は記録だけ見せられたら、どちらが測ったものか当てられる気がしない。
試してみる。
マリーに紙を預け、順番を混ぜてもらった。
「どうぞ」
十枚の記録が並ぶ。
俺は一枚ずつ見た。
これは俺。
これは先生。
こっちは俺。
たぶん。
結果。
「四枚」
十枚中、四枚しか当たらなかった。
「半分より少ないですね」
マリーが嬉しそうに言う。
「マリーが混ぜたからだろ」
「混ぜるように言ったのはアルス様です」
そうだった。
でも悪い結果ではない。
むしろ、いい。
誰が測ったか分からないくらい似た記録になった。
「同じ測り方なら、人が違っても近くなる」
俺が言うと、先生は少しだけ首を振った。
「少なくとも、私とアルス様、この場所、この道具では、ですね」
危なかった。
また大きくしすぎるところだった。
「それ書く」
条件をそのまま帳面へ足す。
俺と先生。
この庭。
この測定具。
この数日。
それなら言える。
世界中の誰でも同じになるとは、まだ言えない。
「次はマリー」
「えっ」
突然名前を呼ばれたマリーが固まった。
「同じ手順で測って」
「私、魔素の測定なんてできませんよ?」
「道具を見るだけ」
「でも……」
「紙に書いてある通りでいい」
先生が笑った。
「ちょうど良いかもしれませんね」
「先生まで」
マリーは嫌そうだった。
でも翌朝、やってもらった。
杭。
紐。
向き。
距離。
三分。
三回。
俺も先生も口を出さない。
マリーは何度も紙を確認しながら測定した。
「これで合っています?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
昨日まで俺が言っていたことを、今度はマリーに言われた。
全部終わってから比べる。
俺。
先生。
マリー。
三人の記録。
「近い」
マリーの結果も、大きく外れてはいない。
もちろん違いはある。
でも、魔素の測定に慣れていないマリーでも、決めた手順なら記録を残せた。
それが一番大きかった。
「マリーでもできた」
「その言い方は失礼ではありませんか?」
「褒めてる」
「褒められた気がしません」
でも本当に褒めている。
先生のように魔法を教えられなくてもいい。
俺のように毎日庭を測っていなくてもいい。
手順を読んで、その通りに使えば記録を残せる。
それなら。
昨日考えたことが、少し現実になる。
違う人が、違う場所で、同じ方法を使う。
その結果を集める。
一人では歩けない広さを、何人もの目で見る。
俺は紙に書いた八つの手順を見る。
ただの紙だ。
魔法でもない。
新しい魔道具でもない。
でも、これがあれば俺がいなくても同じ観測を続けられるかもしれない。
「これも道具?」
俺が聞くと、先生が紙を見る。
「手順書を道具と呼ぶのであれば、そうかもしれませんね」
物ではない。
魔素も使わない。
でも人の動きを揃える。
結果を比べられるようにする。
前の世界では、こういうものは当たり前にたくさんあった気がする。
作業のやり方。
測り方。
記録の仕方。
当たり前すぎて、考えたこともなかった。
「魔道具を作らなくてもできることあるな」
「ええ。何でも魔法で解決する必要はありません」
それは少し意外だった。
魔法の世界に来たのだから、何かを解決するなら魔法を使うものだと思っていたところがある。
でも違う。
目的は魔法を使うことではない。
知りたいものを知ることだ。
そのために紙一枚で足りるなら、それでいい。
俺は八つの手順を新しい紙へ丁寧に書き直した。
最後に一つ追加する。
九、分からない時は、分からないと書く。
先生がそれを見て笑った。
「それも必要ですか?」
「必要」
無理にどれかを選ばれる方が困る。
見えなかった。
判断できなかった。
途中で人が通った。
雨が降った。
杭が抜けていた。
そういうものも、そのまま残してほしい。
「これで九個」
今度は満足した。
帳面の最後に書く。
『同じ人を増やすことはできない。でも、同じやり方は渡せる』
少し考えて、その下に続けた。
『人が変わっても使えるなら、記録は人より遠くへ行ける』
俺一人が庭を測るだけなら、この紙はいらない。
俺が全部覚えていればいい。
でも庭の外へ行くなら違う。
町。
領地。
その先。
一人では足りない。
俺は完成した九つの手順を折り、昨日描いた小さな地図の上へ置いた。
次に庭の外へ出る時は、杭だけではない。
この紙も持っていく。
そして今度は。
俺以外の誰かにも、点を一つ置いてもらおうと思った。




