第四十一話 そこにいるだけで
翌日、俺は先生を見るところから始めた。
庭の中央。昨日と同じ杭の前に先生が立っている。
「今日は測らないのですか?」
「もう測ってる」
「私を?」
「先生がいる時の庭」
先生が少しだけ眉を上げた。
昨日、俺と先生では同じ場所でも魔素の感じ方が違った。最初は単純に、人によって感じ方が違うのだと思った。
でも、それだけとは限らない。
俺たちの身体にも魔素がある。身体の中を巡り、魔法を使えば外へ出る。
だったら何もしていない時は?
身体の中だけで、きれいに全部収まっているのだろうか。
「先生、そこにいて」
「何もしなくてよろしいのですか?」
「何もしないで」
先生を杭の前に残し、俺は少し離れた。
測定具も使わない。
まず自分で感じる。
先生の周りにある魔素。
庭の中央に普段あるものと、少し違う気がする。
でも先生がいると分かって見ているから、そう感じているだけかもしれない。
「次、先生どいて」
先生が数歩離れる。
同じ場所を見る。
「……違う気がする」
「気がする、ですか」
「うん」
これでは弱い。
先生がいると知っている。
それだけで俺の感じ方が変わるかもしれない。
俺は少し考えた。
「目を閉じてやる」
「私が移動したか分からないようにするのですね」
「うん」
俺は杭から少し離れた場所に立ち、目を閉じた。
「先生、いるかいないか決めて」
「分かりました」
足音がする。
すぐ止まった。
いるのか。
いないのか。
分からない。
周囲の魔素へ意識を向ける。
少し強い。
いや。
近くに何かある感じがする。
「いる」
目を開ける。
先生は杭の前に立っていた。
「当たりです」
「もう一回」
今度は足音が二回聞こえた。
わざとかもしれない。
感じる。
さっきより弱い。
「いない」
目を開ける。
先生は少し離れた場所にいた。
二回当たった。
嬉しくなりかけて、止める。
まだ二回だ。
「十回やる」
先生が苦笑した。
「やはりそうなりますか」
十回やった。
全部は当たらなかった。
七回。
三回は外した。
「微妙」
「偶然よりは多そうにも見えますが、十回では何とも言えませんね」
先生が俺の言いたかったことを先に言った。
「もう十回」
「今日はこれだけで終わりそうですね」
「いいよ」
結局、二十回やった。
結果は十四回。
さっきと同じくらいだ。
当たる時もあれば、外れる時もある。
先生が近くにいる時の方が、何かを感じることが多い。でも、それが本当に先生自身の魔素なのかは分からない。
次に測定具を使った。
今度は俺が結果を見ない。
先生が杭の近くにいる場合と、離れている場合。それぞれ測って、結果だけを別の紙へ記録してもらう。
全部終わってから紙を見る。
「違う」
先生が近くにいる時の方が、測定具の反応が少し強いことが多かった。
毎回ではない。
差がほとんどない時もある。
逆になった時もある。
それでも、何も起きていないようには見えない。
「先生、魔法使ってないよね?」
「使っていません」
「身体強化も?」
「意識しては使っていません」
意識しては。
そこが気になった。
「意識してない魔素は?」
先生が考える。
「身体の中では常に循環していますよ」
「外には出ない?」
「まったく出ない、とは言えませんね」
やっぱり。
生き物は魔素を持っている。
それはもう知っている。
身体の中を魔素が巡っていることも知っている。
なら、生き物がいるだけで周囲の魔素へ何らかの影響を与えていてもおかしくない。
「クロム」
少し離れた木の下にいた黒猫が顔を上げた。
次はあれだ。
「アルス様」
「猫でも試したい」
「クロムが協力してくれれば、ですが」
問題はそこだった。
先生なら「そこに立って」で済む。
クロムには通じない。
いや、言葉はかなり分かっているような気がする。
でも従うかどうかは別だ。
俺はクロムを抱き上げ、杭の横へ連れていった。
「ここにいて」
地面へ下ろす。
クロムは俺を見る。
一歩。
二歩。
そのまま歩いていく。
「クロム」
止まった。
振り返る。
「そこ」
戻ってこない。
「魚を用意しましょうか?」
マリーが言った。
「それだと魚も一緒に測ることになる」
「そこまで気にします?」
「気になる」
魚にも魔素がある。
死んだ魚でも何か残っているかもしれない。
せっかく猫だけを見たいのに、条件を増やしたくない。
仕方がないので、クロムが自分から止まるのを待った。
やがて木の根元で座った。
「そこでいい」
場所を変える。
今まで測っていた杭ではないが、クロムがいる時といない時を比べればいい。
測定具を少し離れた場所へ置く。
反応を記録する。
クロムが動く。
また測る。
戻ってきた。
測る。
「……分かりにくい」
先生の時ほど差が見えない。
身体が小さいからかもしれない。
猫だから違うのかもしれない。
単に場所が悪いのかもしれない。
クロムが普通の猫ではない可能性も――。
そこまで考えて止めた。
最後のは今のところ、ただの疑いだ。
帳面には書かない。
「人を増やしたい」
「今度は何人です?」
「まずマリー」
「私ですか?」
マリーが自分を指差した。
「そこに立って」
「はい」
素直だ。
先生より扱いやすい。
同じように何度か測る。
結果は先生の時とは少し違ったが、マリーがいる時にも測定具の反応が変化することがあった。
次は俺。
自分では測定具の結果が見えてしまうので、先生に記録してもらう。
杭のそばに立つ。
離れる。
立つ。
離れる。
何度か繰り返す。
「どう?」
「変化はあります」
「先生と同じ?」
「同じではありませんね」
俺は先生の紙を見る。
先生。
マリー。
俺。
三人とも、近くにいる時といない時で測定具の反応に違いが出ることがある。
でも変わり方は同じではない。
「人によって周りへの影響も違う?」
「可能性はありますね」
先生が答える。
まだ可能性。
それでいい。
「じゃあ昨日の比較……」
昨日、俺と先生が同じ場所を見て、結果が違った。
俺はそれを「見る人が違うから、見え方が違う」と考えた。
でも。
それだけじゃないかもしれない。
俺がそこへ立った時と、先生がそこへ立った時。
そもそも同じ場所ではなくなっていた可能性がある。
「測る人が、測る場所を変えてる?」
口にすると、先生が黙った。
しばらくして測定具を見る。
「少なくとも、その可能性を無視することはできませんね」
面倒だ。
ものすごく面倒だ。
俺は地面へ座った。
「同じ条件にできないじゃん」
人が近づけば変わる。
測るためには人が近づく。
つまり、測ろうとした時点で何かが変わるかもしれない。
「離れて測れない?」
「方法はありますが、この測定具では難しいですね」
「魔法なら?」
「遠くの魔素を感知する技術はあります。ただし、それも術者が魔素を伸ばしたり、術式を介したりします」
また混ざる。
知りたいものへ触ろうとすると、触ったものが変わる。
俺はしばらく庭を眺めた。
風が吹く。
木の葉が揺れる。
クロムが歩く。
マリーがいる。
先生がいる。
俺もいる。
庭だけを測っているつもりだった。
でも最初から、俺たちも庭の一部だったのかもしれない。
「誰もいない時を測りたい」
「それは難しいですね。測る人が必要ですから」
先生が答えた。
でも不可能とは言わなかった。
測定具だけ置いて、人が離れる。
あとで結果を見る。
今の道具ではできない。
だったら、そういう道具があればいい。
「勝手に記録する道具ってある?」
「ありますよ」
「あるの?」
思わず立ち上がった。
「用途によります。温度や魔素反応などを一定時間残す魔道具は存在します。ただ、アルス様が望むほど細かく記録できるものとなると、私は知りません」
十分だった。
存在するなら見てみたい。
作り方も。
何を記録できるのかも。
何が記録できないのかも。
俺は帳面を開く。
『人がいるだけで、周囲の測定結果が変わる可能性』
その下に、
『見る人が違うだけではなく、見られる側も変わっている?』
と書いた。
まだ疑問符は外さない。
最後にもう一つ。
『人がいなくても記録できる道具を調べる』
書き終えて顔を上げる。
庭を調べ始めた時、俺はもっと簡単に考えていた。
場所ごとの魔素を測る。
紙に書く。
線でつなぐ。
それで地図になると思っていた。
実際には、時間で変わる。
見る人で変わる。
道具でも変わる。
そして今度は、見る人がそこにいること自体でも変わるかもしれない。
世界は、こっちが観察しやすいようにはできていないらしい。
でも。
だから面白い。
誰もいない庭がどうなっているのか。
今度はそれを見てみたい。




