第三十九話 変わらないもの
三日目の庭は、また違う形になった。
朝食を終えると、俺は昨日打った杭を順番に回った。庭の中央、木の近く、井戸、塀。そのたびに先生が測定具を置き、俺は自分でも周囲の魔素を感じる。
結果を書き込んだ紙を、一日目と二日目の紙の隣へ並べた。
「やっぱり違う」
三枚とも、線の形が少しずつ違う。
庭の中央は特に変化が大きかった。一日目にはほとんど感じなかった流れが、二日目には片側へ寄り、今日はまた別の方向へずれている。
先生が三枚の紙を見比べる。
「毎日変化していますね」
「うん。でも」
俺は木の近くにつけた印を見る。
ここも完全に同じではない。
それでも三日とも、庭の中央より似た反応をしている。
井戸の近くもそうだ。
「変わってるけど、全部が同じように変わってるわけじゃない」
先生が頷いた。
「そのようですね」
俺は木を見る。
大きな幹。
地面へ広がる根。
枝には葉が茂り、風が吹くたびに揺れている。
木そのものは動かない。
でも葉は動く。
水を吸う。
生きている。
その周りの魔素だけが、三日続けて似た特徴を残している。
「木が原因?」
「可能性はあります」
「でも、まだ三日」
「そうですね」
先生がすぐに肯定しなかった。
それがありがたい。
俺も同じだった。
三回続いた。
だから木が原因だ。
そう決めるのは簡単だ。
でも、木の下に何かあるかもしれない。地面の状態が違うのかもしれない。たまたま三日とも似た風が吹いただけかもしれない。
俺は紙の端に書いた。
『木の近く――三日とも似る』
その下へ、
『木が原因?』
と書く。
まだ疑問符は外さない。
「井戸は?」
次に見るのは井戸だった。
ここも三日間、ある程度似た反応が出ている。
井戸の中を覗く。
暗い。
ずっと下に水面が見える。
「水?」
「地下の状態も関係しているかもしれませんね」
「地下……」
見えない。
庭なら歩ける。
木なら触れる。
でも地面の下は見えない。
井戸があるということは、その下には水がある。
その水が魔素へ影響している可能性もある。
逆に、地下の魔素の流れが水に何かしている可能性だってある。
どちらも、今の俺には分からない。
「掘る?」
先生が俺を見る。
「井戸をですか?」
「庭」
「やめておきましょう」
即答だった。
「少しだけ」
「アルス様」
後ろからマリーの声がした。
振り向くと、笑っている。
笑っているのに、なぜか駄目だと分かった。
「掘らないよ」
「それがよろしいかと」
まだ何もしていない。
俺は井戸から離れた。
四日目。
五日目。
同じ場所を測った。
毎日、結果は少し違う。
最初は新しい紙を一枚ずつ使っていたが、五枚になると比べるのが面倒になった。
机の上へ全部広げる。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
四枚目。
五枚目。
同じ庭を描いた紙なのに、線は全部違う。
「見づらい」
クロムが紙の上を歩こうとしたので抱き上げる。
「もっと見づらくなるから駄目」
腕の中で身体を捻り、そのまま逃げていった。
俺は五枚を順番に見直す。
毎日違うところを見るのではなく、逆に考えてみる。
変わらなかったところはどこだ?
木の近く。
井戸の近く。
それから――。
「ここ」
塀の端。
屋敷の角に近い場所にも、弱いけれど似た傾向がある。
俺は別の紙を一枚出した。
今度は線を引かない。
庭だけを描き、五日間で似た反応が続いた場所に印をつける。
木。
井戸。
塀の端。
三か所。
「少ないな」
でも、少ないから見える。
毎日の変化ばかり追っていた時には、庭全体が動いているようにしか見えなかった。
変わらないものだけを探すと、別の形が現れる。
翌日、先生にその紙を見せた。
「これは?」
「変わりにくかった場所」
先生が五日分の紙と見比べる。
「なるほど」
「こっちは毎日の地図。こっちは、同じだったところだけ」
「同じ観測結果から、別のものを作ったのですね」
「うん」
昨日までは、どこを魔素が流れているのか知りたかった。
でも流れは毎日変わる。
だったら、変わる流れの中で変わりにくい場所を探す。
それも一つの見方になる。
「地脈って、こっちに近い?」
先生はすぐには答えなかった。
「地脈と呼ばれるものは、もっと大きな規模で扱われることが多いですね。山や川、土地そのものと結びつけて考えられます」
「庭よりずっと大きい?」
「ええ」
「じゃあこれは地脈じゃない」
「少なくとも、今の段階でそう呼ぶ必要はないでしょう」
それでいい。
名前はあとでいい。
俺が知りたいのは、名前ではなく何が起きているかだ。
「大きくしたら見えるかな」
「何をです?」
「この紙」
庭だけではなく、屋敷まで。
その次は屋敷の周り。
もっと広く。
先生は俺の考えていることに気づいたらしい。
「簡単ではありませんよ」
「なんで?」
「庭なら毎日歩いて測れます。しかし範囲を広げれば、測るだけで時間がかかります」
確かに。
今でも庭を一周するだけで、それなりに時間がかかる。
場所を増やせば、最後の場所を測る頃には時間まで変わってしまう。
同じ時間に場所だけを変える。
最初に決めた条件が守れなくなる。
「人を増やしたら?」
口にしてから、自分で問題に気づいた。
「……人が違う」
先生が頷く。
「測定具にも個体差があります」
同じ時間に十か所を測りたければ、十人と十個の測定具を使えばいい。
でも、それでは別の条件が増える。
人によって魔素の感じ方が違う。
道具にも違いがある。
だったら、それを先に比べなければならない。
俺は頭を掻いた。
「広くするだけなのに」
「広くするから難しくなるのですよ」
嫌な仕組みだ。
一つ分かると、次に進むための問題が増える。
でも。
それなら、それを調べればいい。
「先生の感じ方と、俺の感じ方を比べたい」
「私と?」
「うん。同じ場所で」
「構いませんが、同じようには感じないと思いますよ」
「それを見たい」
先生が笑った。
「では、明日にしましょう」
「今日でもできる」
「今日はもう十分測りました」
また明日になった。
俺は紙を片づける。
五日間の地図。
変わりにくい場所だけを描いた一枚。
どちらも同じ庭を見て作ったものだ。
片方には変化がある。
もう片方には、変化の中に残ったものがある。
どちらが正しいわけでもない。
見ているものが違うだけだ。
部屋へ戻って帳面を開く。
『変わるものだけを見ると、変わらないものを見落とす』
書いてから少し考える。
逆もありそうだ。
『変わらないものだけを見ると、変わるものを見落とす』
二つを並べた。
その下に、新しい問いを書く。
『同じ場所を、別の人が見たら同じに見える?』
明日は庭ではなく、人を比べる。
紙の上に残った三つの印を見ながら、俺は帳面を閉じた。
庭のことを調べていたはずなのに。
いつの間にか、測っている俺たちの方まで調べることになっていた。




