↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/115

第三十七話 点をつなぐ

翌朝、俺は庭へ出る前に、紙を一枚持ってきた。


帳面ではない。もっと大きな紙だ。


「今日は何を書くんですか?」


マリーが紙を覗き込む。


「庭」


「お庭を?」


「うん」


「絵を描かれるのですか?」


「たぶん違う」


まだ自分でも、何になるのか分かっていない。


昨日まで俺が見ていたのは、一つの場所だった。同じ場所でも、朝と昼と夕方で魔素の感じ方が違う。測定具の反応も、完全には同じにならなかった。


だったら今度は逆にしてみる。


時間をできるだけ変えずに、場所を変える。


庭へ出ると、先生はすでに待っていた。その手には、昨日まで使っていた魔素測定具がある。


手のひらより少し大きな板。中央には透明な石があり、その周囲を細い術式が囲んでいる。魔素へ反応すると、石と術式が淡く光る。


数字は出ない。


だから、強いか弱いか。どちら側の術式が強く反応したか。自分で感じたものと同じか。そういうものを見る。


「今日はずいぶん大きな紙ですね」


先生も気づいた。


「庭を書こうと思って」


「庭を?」


マリーと同じ反応だった。


俺は紙を地面へ置いた。


屋敷。庭。大きな木。井戸。塀。


正確な大きさは分からない。だから、だいたいでいい。


「ここが今いるところ」


紙の上へ印をつける。


先生が少し考えてから言った。


「地図ですか?」


「地図ってほどじゃない」


道を知りたいわけじゃない。魔素がどうなっているかを見たい。


昨日、同じ場所を時間を変えて調べた。今日は同じ時間に、場所を変えて調べる。


「まずここ」


庭の中央で目を閉じる。


身体の中ではない。外側へ意識を向ける。


空気の中にある魔素。


最初の頃は、ただ「ある」としか分からなかった。今は少し違う。


濃い。薄い。流れている気がする。揺れている。


でも、それが本当に魔素の違いなのか、自分の感覚の違いなのかは分からない。


だから測定具を使う。


先生が地面の上へ置いた。中央の石が淡く光り、周囲の術式にも光が走る。


俺はそれを見て、紙に小さな丸を書く。


「次」


数歩移動する。また目を閉じる。


「……少し違う」


「どう違います?」


「こっちの方が、感じやすい」


先生が測定具を置く。さっきより少し強く見える。


でも、はっきり断言できるほどではない。


もう一度測る。


少し弱い。


三回目は、最初に近かった。


「やっぱり毎回同じじゃない」


「魔素そのものが動いていますからね」


「道具も?」


「道具にも誤差はあります」


それなら、一回だけ見て決めるのは危ない。


紙の丸の横へ小さく印をつけ、次へ進む。


庭の端。井戸の近く。木のそば。塀の近く。


感じる。測る。書く。そして、もう一度測る。


途中からマリーが暇そうになっていた。


クロムはもっと早く飽きたらしい。大きな木の根元で丸くなっている。


「クロムのところも測る」


「猫を測るのですか?」


「場所」


近づくと、クロムが片目だけ開けた。動く気はないらしい。


「ちょっとどいて」


尻尾だけが動いた。


「クロム」


動かない。


仕方がないので、少し離れた場所を測る。


目を閉じた瞬間、違いを感じた。


「あれ?」


昨日も、この木の近くでは少し違った。


木のそば。根のある場所。土。


何が原因かは分からない。


先生が測定具を置く。中央の石が光り、木に近い側の術式が少し強く反応した。


「昨日と似てる」


「そうですね」


紙を見る。


庭の中央。井戸。塀。木。それぞれに印がある。


でも、これではただ点が並んでいるだけだ。


俺は木と庭の中央の間を見る。


「ここも測りたい」


「構いませんよ」


半分くらいのところへ移動して測る。印をつける。


さらにその半分。


また測って、印をつける。


紙の上に点が増えていく。


先生が俺の手元を見ていた。


「何を探しているのです?」


「境目」


「境目?」


「木の近くと真ん中で違うなら、どこから変わるのかなって」


木の根元だけ急に違うのか。少しずつ変わるのか。それとも途中に別の場所があるのか。


測ってみる。


はっきりした線は見つからない。


木へ近づくほど、少しずつ反応が変わっているようにも見える。でも完全には揃わない。


風が吹いた。


葉が揺れる。


測定具の光も、ほんの少し揺れた。


「風?」


俺が言うと、先生は首を傾げた。


「可能性はあります」


「風が魔素を運んでる?」


「それだけでは説明できない場所もあります」


「じゃあ地面?」


「それも関係しているでしょう」


「木?」


「それもあるかもしれません」


全部ある。


困る。


俺は紙を見た。


原因を一つ探しているのに、世界の方が一つになってくれない。


風。地面。木。水。時間。天気。


そこに生き物までいる。


「これ、一個ずつ調べられないな」


先生が笑った。


「外ですからね」


その言葉で少し納得した。


部屋の中なら、かなり条件を揃えられる。同じ机。同じ木片。同じ距離。それでも完全には同じにならなかった。


外なら、もっと無理だ。


風を止められない。木を消せない。地面も動かせない。空も変えられない。


だったら。


全部を止めて調べるんじゃなくて、動いているものを動いているまま見る方法が必要になる。


俺は紙へ視線を戻した。


点がいくつもある。


一つだけなら、ただの測定結果だ。


でも並べると。


「……形に見える」


「何がです?」


「まだ分からない」


木の近くにある点。庭の中央にある点。井戸の近くにある点。


それぞれの反応を思い出しながら、似ているものをなんとなく線でつないでみる。


正しい線ではない。


本当にそこを魔素が流れているかも分からない。


ただの予想だ。


それでも、点だけを見ていた時にはなかったものが、紙の上に現れた。


「流れみたい」


先生がしゃがみ込み、しばらく紙を見る。


「面白いですね」


「あるの?」


「魔素の流れそのものは、昔から知られています」


やっぱり。


少し安心する。


自分だけが変なものを見つけたわけではない。


「地脈も?」


「もっと大きな流れを、そう呼ぶことがあります。ただ、アルス様が今描いているものと同じかどうかは分かりません」


俺は線を見る。


世界には地脈がある。それは知っている。


でも。


「大きい流れがあるなら、小さい流れもある?」


「あるかもしれません」


「地脈の近くだと、全部同じ方向に流れる?」


「そうとは限りません」


「木があったら?」


「変わるかもしれません」


「川は?」


「変わるでしょうね」


「建物は?」


先生が笑った。


「一つずつ調べましょう」


また増えた。


俺は紙の余白へ書く。


『木』

『水』

『地面』

『風』

『建物』


その下に少し考えて、


『生き物』


も足した。


クロムを見る。


まだ寝ている。


「クロムがいる時といない時も違うかな」


金色の目が開いた。


なぜか嫌そうな顔をされた気がした。


「測らないよ」


目が閉じた。


本当に猫なのか、たまに疑いたくなる。


昼が近づく頃には、紙は印だらけになっていた。


きれいな地図ではない。線も適当。測った場所も少ない。明日になれば結果が変わるかもしれない。


それでも、捨てる気にはならなかった。


一つの場所を測る。別の場所を測る。時間を変える。また測る。


それを重ねれば、いつかこの庭の魔素がどう動いているのか見えるかもしれない。


庭で見えるなら、その外も。


屋敷の周り。


森。


川。


町。


もっと遠く。


そこまで考えて、俺は紙を畳んだ。


まだ庭すら分かっていない。


順番だ。


まずは目の前から。


「明日も測る」


先生が頷く。


「同じ場所を?」


「うん。同じ場所」


昨日と今日で違うなら、今日描いたこの線も明日には違うかもしれない。


それなら、それも記録すればいい。


俺は帳面を開き、最後に一行だけ書く。


『点をつなぐと、流れに見える』


少し迷ってから、その後ろへ付け足した。


『見えるだけかもしれない』


今は、それでいい。


分からないものを、分かったことにしない。


その代わり。


分からないまま、次も見る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。