第三十三話 どちらを向ける
細長い魔素を作れるようになるまで、思ったより時間がかかった。
作るだけなら、それほどでもない。
丸い塊を少し伸ばせばいい。
問題は、その形を保つことだった。
気を抜けば中央が膨らむ。
両端が縮む。
そして、俺が一年かけて慣れた丸い形へ戻っていく。
どうやら身体は、覚えたことを勝手にやろうとするらしい。
「今日はだいぶ保てていますね」
先生の言葉に、俺は手の前を見る。
細長い。
前世で言えば、太くて短い棒くらいの形だ。
まだ少し揺れているけれど、すぐ丸くなることはなくなった。
「これなら動かせる?」
「試してみますか?」
「うん」
地面には、いつもの印がある。
俺は細長い魔素の先端を、その印へ向けた。
前後に長い形。
進む方向と、長い方向が同じ。
「行くよ」
形を保つ。
そこへ移動の操作を加える。
細長い塊が前へ進んだ。
丸い時より難しい。
動かそうとすると先端が揺れ、形まで崩れそうになる。
それでも、ある程度は進んだ。
途中で少し傾き、そのまま形を失う。
「記録」
すぐ帳面を開く。
『細長い形』
『長い方向を前』
『移動できた』
『途中で向きがずれた』
『向きがずれると維持も難しくなった?』
最後には疑問符。
一回では分からない。
二回目。
同じ形を作る。
今度は、もっと向きを意識した。
前へ進ませる。
同時に、先端を正面へ向け続ける。
移動。
形。
向き。
三つを一緒に操作する。
「忙しい」
「魔法を使いながら感想を言えるなら、まだ余裕がありますね」
「じゃあ黙る」
集中する。
細長い魔素が進む。
さっきよりまっすぐだ。
地面の印を越えたところで崩れた。
俺は息を吐く。
「できた」
言ってから、自分で訂正する。
「一回できた」
先生が笑った。
「よく覚えていましたね」
忘れるわけがない。
何度も帳面に書いてきた。
何回か繰り返し、休憩する。
ここまでは予想していた。
次が今日、本当に試したかったことだ。
俺は細長い木片を取り出した。
地面へ置く。
長い方向を、進む方向へ向ける。
「今までがこれ」
木片を九十度回す。
今度は横長になる。
「次はこれ」
先生が少し考えた。
「形は変えないのですね」
「向きだけ変える」
細長いという条件は同じ。
魔素の量も、できるだけ同じにする。
変えるのは向きだけ。
これなら比較できる。
休憩を終え、位置につく。
細長い魔素を作る。
今度は横向き。
俺から見れば、一本の棒が横たわっているような形になる。
「変な感じ」
いつもと違う。
でも形そのものは作れる。
問題はここから。
前へ。
魔素を動かす。
「うわ」
すぐに傾いた。
片方の端が前へ出る。
反対側が遅れる。
そのまま斜めになり、形が崩れた。
先生を見る。
「今、俺が失敗した?」
「それを私に聞きますか?」
そうだった。
まず起きたことを見る。
俺は帳面へ書く。
『横向き』
『移動開始後、片側が先に出た』
『傾いて崩れた』
理由はまだ書かない。
二回目。
また横向き。
今度は左右の端を意識する。
同時に前へ動かす。
進んだ。
でも遅い。
少なくとも、そう感じる。
三回目も似ていた。
四回目は途中で片側が崩れた。
俺は記録を並べる。
「前向きより難しい」
書こうとして止めた。
正確には。
『今の俺には、前向きより横向きの方が移動させにくい』
これならいい。
「どうしてだと思いますか?」
先生が聞いた。
俺は細長い木片を見る。
前世の知識なら、いくつか思いつく。
空気抵抗。
前へ向けた細いものと、横へ向けたものでは、空気に当たる面積が違う。
でも。
「分からない」
先にそう答えた。
「考えていることはありそうですが」
ばれている。
「空気かなって」
「なぜです?」
俺は木片を縦に持つ。
「こっちなら、前から見たら小さい」
横向きにする。
「こっちは広い」
先生が頷く。
「なるほど」
「でも魔素が、普通の物と同じように空気に押されるか分からない」
「良いところに気づきましたね」
やっぱり。
前世の知識は答えではない。
木の棒なら空気の影響を受ける。
矢も。
石も。
でも魔素の塊が同じとは限らない。
そもそも俺が感じた「遅い」が本当に速度の違いなのかも怪しい。
横向きの方が操作に手間取ったから、そう感じただけかもしれない。
「測りたい」
「何をです?」
「速さ」
言ってから、困った。
距離は地面の印である程度比べられる。
でも時間は?
俺の感覚では駄目だ。
「時間を測る道具ってある?」
「ありますよ」
「細かく測れる?」
「用途によります」
また用途。
俺はもう笑わなかった。
最近は、この答えが出る理由が分かってきたからだ。
「これが動くくらいの短い時間」
先生は少し考えた。
「屋敷にあるものでは難しいでしょうね」
「じゃあ測れない?」
「今ここでは、正確には」
俺は帳面を見る。
なら。
今は速度を数字にしなくていい。
同じ距離を移動させて、どちらが先に届くか。
それなら比較できるかもしれない。
「先生」
「はい」
「二つ同時に動かせる?」
「できますが」
「縦と横」
先生は俺の考えに気づいたらしい。
「私が操作すれば、アルス様の操作とは条件が変わりますよ」
「あ」
先生が上手すぎる。
俺が横向きを扱いにくいことを調べたいのに、先生がやったら別の実験になる。
「じゃあ駄目だ」
「駄目ではありません」
先生は地面へ二つの木片を置いた。
「それは、別のことを調べる実験になります」
俺は先生を見る。
そうか。
俺が操作した時に向きで違いが出るのか。
先生が操作しても違いが出るのか。
それは別々の問いだ。
「やって」
「今日は見学だけですよ」
先生が手を前へ出す。
二つの細長い魔素が現れた。
一つは進行方向へ長い。
もう一つは横向き。
同じ大きさに見える。
「完全に同じ量かどうかは保証できません」
「うん」
そこも条件として残す。
先生が二つを動かした。
ほぼ同時。
二つの魔素が前へ進む。
俺は目を凝らした。
縦向き。
横向き。
どちらも進む。
「……分からない」
どっちが速い?
ほとんど同じに見える。
少なくとも、俺がやった時ほど大きな違いはない。
二つは近い位置まで進み、先生が同時に消した。
「先生は横でも普通に動かせる」
「そうですね」
俺は考える。
だったら。
俺が横向きを動かしにくかった理由を、すぐ空気のせいにはできない。
先生の操作が違う可能性もある。
魔素の性質が違う可能性もある。
俺の練度の問題かもしれない。
「分からなくなった」
「残念ですか?」
俺は首を振った。
逆だった。
「調べるものが減らなかった」
先生が笑う。
「アルス様らしい答えですね」
部屋へ戻ってから、今日の記録を整理した。
『形が同じでも、向きが違えば操作が変わることがある』
その下へ、
『俺は横向きが難しかった』
さらに、
『先生は両方動かせた』
ここが大事だ。
そして最初に考えた、
『空気抵抗?』
には大きく疑問符をつけた。
否定はしない。
確定もしない。
俺は細長い木片を机の上で動かした。
縦向き。
横向き。
木なら違いがある。
魔素では?
まだ分からない。
そもそも魔素の塊を動かす時、何が移動を邪魔しているのだろう。
空気なのか。
周囲の魔素なのか。
俺自身との距離なのか。
形を維持する操作の難しさなのか。
全部なのか。
別の何かなのか。
疑問符が増える。
クロムが机へ飛び乗ってきた。
俺は細長い木片を見て、少し考える。
猫の前へ縦向きに置く。
クロムが前足で倒した。
横向きになった。
「実験にならないな」
当然、返事はない。
今度はクロム自身を見る。
歩く時、身体は進む方向へ長い。
横向きに歩くことは、あまりない。
「お前も縦だな」
クロムが俺を見る。
そのまま身体を横へ向けた。
「いや、そういう意味じゃない」
偶然だ。
たぶん。
帳面へ戻る。
今日、一番面白かったのは、横向きが難しかったことではない。
最初に思いついた理由が、すぐ怪しくなったことだ。
空気のせい。
そう決めていたら、先生の実演を見た時に困ったはずだ。
でも最初から疑問符にしておけばいい。
違ったら捨てる。
一部だけ合っていたら残す。
まだ分からなければ、そのまま置いておく。
俺は最後に書いた。
『説明できることと、確かめたことは違う』
前世の知識があれば、説明はいくらでも思いつく。
物語からだって、仮説はいくらでも持ってこられる。
でも。
この世界で本当にそうなるかは、この世界に聞くしかない。
俺は筆を置いた。
丸。
細長い。
平たい。
形。
向き。
移動。
まだ一つずつしか触っていないのに、もう組み合わせが増え始めている。
だったら次は。
動かしているものの中だけではなく。
その周りも見てみたい。
魔素は、何もない場所を進んでいるわけではない。
この世界のどこにでも。
外の魔素があるのだから。




