第二十九話 動かす
次の練習でも、俺は同じ板を持っていった。
地面に置き、線へ足を合わせる。
先生が用意してくれた棒も、前回と同じ場所へ立てた。
紐を伸ばして距離を確認する。
「ずいぶん手慣れてきましたね」
「準備だけは」
魔法はまだ大したことをしていない。
右手へ魔素を集め、身体の外へ出す。
小さな塊にして、その場へ保つ。
それだけだ。
でも前回よりは、結果がそろうようになってきた。
一回目。
小さな魔素の塊が手の先に浮かぶ。
少し揺れる。
数秒保って、消す。
二回目。
ほぼ同じ大きさ。
位置も近い。
三回目は少し形が崩れた。
俺は帳面へ記録する。
「前より同じになった」
「そうですね」
先生も頷いた。
「まだ揺れはありますが、最初の頃よりずっと安定しています」
派手さはない。
火も出ない。
風も起きない。
ただ、見えにくい魔素の塊を同じ場所へ作っているだけだ。
それでも嬉しかった。
偶然一回できたものではない。
俺がやれば、だいたい同じ結果になる。
「じゃあ」
俺は帳面を閉じた。
「今日は一個だけ変える」
先生が俺を見る。
「何を?」
俺は手の先を指した。
「これを動かす」
以前にも一度、似たことは試した。
丸くした魔素を飛ばそうと想像した。
結果はほとんど動かなかった。
そのあと、塊の中に流れを作ることで少しだけ移動させることには成功している。
でも、あの時は何もそろえていなかった。
魔素の量も。
形も。
位置も。
自分の姿勢も。
だから今日は、最初からやり直す。
「どこへ動かしますか?」
先生に聞かれ、俺は前を見る。
「まっすぐ」
「どのくらい?」
そこで止まった。
まっすぐだけでは足りない。
「紐、もう一本ある?」
先生が笑った。
「ございますよ」
俺たちは地面に紐を伸ばした。
俺の立つ場所から、正面へ。
さらに途中へ小さな木片を置く。
目標はそこまで。
距離は短い。
大人なら一歩も必要ないくらいだ。
「これなら分かる」
魔素が動いたかどうか。
どこまで動いたか。
少なくとも、自分の感覚だけに頼るよりは比較しやすい。
位置につく。
右手へ魔素を集める。
外へ出す。
形を保つ。
ここまでは前回と同じ。
問題はここからだ。
「動け」
何も起きない。
先生を見る。
「今、何をしました?」
「動くように想像した」
「それだけですか?」
「うん」
予想通りだった。
想像だけでは動かない。
第十三話で一度やっている。
それを確認したかった。
帳面へ書く。
『形を作る』
『動くように想像する』
『ほぼ動かない』
「次」
今度は、以前試した方法を使う。
魔素の塊の中に流れを作る。
後ろから前へ。
押すというより、流す。
塊が揺れた。
少しだけ前へずれる。
「あ」
すぐに崩れた。
木片までは届いていない。
でも動いた。
「今度は動きましたね」
「うん」
嬉しい。
でも、まだ成功とは書かない。
何が起きたかだけを書く。
『内部に前方向の流れ』
『少し前へ移動』
『途中で形が崩れた』
俺は二つを見比べる。
変えたのは、内部の流れ。
少なくとも今日の二回では、それがある時だけ動いた。
「もう一回」
三回目。
同じように塊を作る。
流れを作る。
今度は横へずれた。
「まっすぐじゃない」
「動きましたが、方向が違いましたね」
帳面へ書く。
四回目。
今度はほとんど動かず、形だけ崩れた。
「むずかしい」
動かすこと自体はできそうだ。
でも。
動かしたい方向へ、同じように動かす。
それは別の問題らしい。
休憩しながら、俺は地面の紐を見る。
「先生」
「はい」
「魔素を前に動かす方法って、もうあるよね?」
「もちろんあります」
即答だった。
魔法が存在する世界なのだから当然だ。
火を飛ばす。
水を飛ばす。
風を起こす。
物を動かす。
俺が今やっている程度の操作を、人類が誰も知らないはずがない。
「どうやるの?」
「知りたいですか?」
「うん」
先生は少し考えてから、俺の隣へ立った。
「では、一つだけお見せしましょう」
右手を前へ出す。
小さな魔素の塊ができた。
俺のものより形がきれいだ。
次の瞬間。
それが前へ滑った。
速くはない。
地面に伸ばした紐に沿うように、ほとんどぶれずに進む。
木片のところまで行き、その手前で消えた。
「おお」
思わず声が出た。
「もう一回」
「見るところは分かりましたか?」
俺は止まる。
ただ見るだけでは駄目だ。
何を見る?
形。
動き。
速さ。
それから。
「動く前と、動いてる時の魔素の流れ」
先生が頷いた。
「では、よく見てください」
二回目。
俺は集中した。
塊ができる。
先生の身体から流れた魔素が、その形を作る。
そして動く。
「……後ろから押してる?」
「そう感じましたか?」
「違う?」
「間違いではありません。ただ、それだけでもありません」
先生はもう一度作った。
今度は動かさない。
「形を維持する操作と、移動させる操作を同時に行っています」
俺は先生の手元を見る。
「俺、動かす時に形が崩れた」
「動かす方へ意識を取られていますからね」
なるほど。
一つできるようになったから、次を足した。
でも次を足した瞬間、最初のものまで崩れている。
「二つ同時にやる?」
「そうです」
難しくなるわけだ。
休憩を終え、もう一度試す。
塊を作る。
形を保つ。
その操作をやめない。
そのまま、前方向への流れを加える。
二つ。
頭の中で分ける。
形を保つ。
動かす。
塊が前へずれた。
崩れそうになる。
保つ。
さらに少し動く。
そして消えた。
木片には届かなかった。
でも。
「今の」
俺は先生を見る。
「一番まっすぐでしたね」
やった。
たった数十センチ。
しかも途中で消えた。
それでも、前の四回とは明らかに違う。
俺はすぐ帳面へ書いた。
『形を保つ操作を続ける』
『同時に移動させる』
『前方向への移動が安定した?』
最後には疑問符をつける。
一回だけだから。
その後、二回試した。
一回は途中で崩れた。
もう一回は、さっきと似たところまで進んだ。
まだ木片には届かない。
「今日はここまでにしましょう」
先生が言った。
「あと一回」
「疲労という条件を忘れましたか?」
忘れてはいない。
忘れたことにしたかった。
「……終わります」
先生が笑った。
片づけながら、俺は地面の木片を見る。
届かなかった。
次は届かせたい。
その次は、もっと遠くへ。
そう考えたところで、自分で止めた。
遠くへ飛ばす前に。
同じ距離を何度も飛ばせるようにする。
第28話で決めたばかりだ。
「先生」
「何でしょう?」
「速くするのもできる?」
「できますよ」
「曲げるのは?」
「方法はあります」
「途中で止めるのは?」
「できます」
「回すのは?」
先生が俺を見る。
「今日は終わりです」
「聞くだけ」
「質問も含めてです」
駄目らしい。
でも十分だった。
動かせる。
速さも変えられる。
方向も変えられる。
回すことも、おそらくできる。
俺の頭の中で、いくつもの組み合わせが生まれ始める。
前世の知識も勝手に出てくる。
圧力。
回転。
加速。
抵抗。
そして、物語の中で見た無数の魔法。
でも。
それらがこの世界で本当に使えるとは限らない。
だから一つずつ試せばいい。
部屋へ戻り、今日の記録を整理した。
『形を作る』
その下へ矢印を引く。
『形を保つ』
そこからもう一本。
『動かす』
並べてみると分かりやすい。
俺は今まで、「魔法を使う」という一つのこととして見ていた。
でも実際には、その中にいくつもの操作がある。
作る。
保つ。
動かす。
速くするなら、さらに何かが増えるのだろう。
方向を変えるなら、また別の操作がいるかもしれない。
「分けられるんだな」
複雑なものでも。
一つずつにすれば、調べられる。
俺は新しいページを開いた。
『魔法』
そこから線を何本も伸ばす。
『量』
『形』
『維持』
『方向』
『移動』
『速さ』
少し考えて、
『回転?』
も加えた。
まだ試していないから疑問符つきだ。
さらに余白を残す。
たぶん、これだけではない。
クロムが机へ上がってきた。
今日は帳面ではなく、その横に置いた木片の匂いを嗅いでいる。
練習で目標にした木片だ。
「今日はそこまで届かなかった」
クロムが前足で木片を触った。
ころん、と転がる。
「そういう動かし方じゃない」
クロムは知らん顔をしている。
俺は木片を元へ戻した。
魔素を動かすこと自体は、新しい発見ではない。
先生は普通にできた。
この世界には、それを使った魔法がいくらでもある。
でも。
俺が知りたいのは、できるかどうかだけではない。
何をしたら動いたのか。
何を変えたら、結果がどう変わるのか。
それを一つずつ分けていけば。
いつか、まだ誰も組み合わせていない形も見つかるかもしれない。
俺は最後に一行書いた。
『一つの魔法を、一つの操作だと思わない』
そして、その下には何も書かなかった。
余白はかなり広く残してある。
これから増える気がしていた。




