第十二話 形を保つ
火を出すのは、いったんやめた。
できないから諦めたわけではない。
その前に分からないことが多すぎると分かったからだ。
身体の中を巡らせる。
手のひらまで運ぶ。
身体の外へ出す。
今の俺ができるのは、そこまで。
なら次は、外へ出した魔素をそのまま保つ。
「今日は、それだけ?」
訓練場へ向かう途中、マリーが聞いた。
「それだけ」
「火はよろしいのですか?」
「まだいい」
「昨日はあんなにやりたそうでしたのに」
やりたい。
今でもかなりやりたい。
でも、火を出す方法だけ教えてもらえば、たぶん俺は火を出せるようになる。
それはそれで面白い。
ただ、今は別のことの方が気になっていた。
魔素そのものを、どこまで思い通りに扱えるのか。
訓練場では、先生がすでに待っていた。
「では、昨日の続きから始めましょう」
「はい」
俺は帳面を地面へ置き、右手を前に出した。
まず全身の流れを確認する。
そこから右肩、腕、手のひらへ。
急がない。
身体と外の境目を探す。
そして、ほんの少しだけ外へ。
「…………」
出た。
見えない。
光ってもいない。
でも分かる。
手のひらから指一本分くらい先まで、自分の感覚が続いている。
「そのままです」
先生の声が聞こえた。
何もしない。
ただ保つ。
一秒。
二秒。
数えている途中で、ふっと感覚が消えた。
「あ」
「今ので十分です」
俺はすぐ帳面を開いた。
『外へ出した。少し保てた。数え始めると消えた』
書いてから考える。
「数えたから消えたのかな」
「その可能性もありますね」
「別のこと考えたから?」
「魔素へ向けていた意識が弱くなったのでしょう」
なるほど。
もう一度。
今度は数えない。
手のひらの先へ魔素を出し、そこだけを見る。
さっきより長い。
でも。
「……疲れる」
身体はほとんど動かしていないのに、妙に集中力を使う。
魔素が減った、という感じとも少し違う。
細い糸を切らさないように、ずっと指先で持っているような感覚だ。
やがて、その糸がほどけるように消えた。
『二回目。数えない。前より長い。集中が疲れる』
書く。
「先生」
「はい」
「外に出した魔素って、何もしないと散る?」
「散りやすいですね」
「なんで?」
「身体の中では、身体そのものが魔素を巡らせる助けになります。外にはそれがありません」
俺は右手を見る。
身体の中には道がある。
外にはない。
だから、自分で保たなければ散る。
「じゃあ、外に道を作ればいい?」
先生が少し考えた。
「それも魔法を扱う考え方の一つです」
一つ。
やっぱり正解は一個じゃない。
「道って見える?」
「人によります。実際に光る線があるという意味ではありませんよ。流れとして捉える者もいれば、形として捉える者もいます。術式を使って固定する方法もあります」
また知らない言葉が出た。
術式。
聞きたい。
でも今は置いておく。
俺は帳面の端に『術式 あとで聞く』とだけ書いた。
「もう一回いい?」
「少し休んでからにしましょう」
素直に座る。
最近、止められる前に休めるようになってきた。
マリーが水を渡してくれる。
「成長しましたね」
「何が?」
「『もう一回』と三回言う前に座りました」
「俺をなんだと思ってるの」
「アルス様です」
答えになっているようで、なっていない。
少し離れた日陰では、クロムが前脚を舐めていた。
俺は水を飲みながら、自分の帳面を見る。
外へ出すこと自体は、少しずつできるようになっている。
問題は、その先だ。
散らさない。
位置を保つ。
そして――形。
「先生」
「今度は何でしょう」
「外に出した魔素を、丸くできます?」
「できます」
「細くは?」
「できます」
「平らにも?」
「できます」
全部できる。
俺は立ち上がった。
「見せて」
先生が右手を出した。
「魔素そのものは、アルス様にはまだ見えにくいでしょう。感じる方へ意識を向けてください」
俺は集中する。
先生の手の周囲。
最初は何も分からない。
やがて、薄く何かを感じた。
自分の魔素よりずっと追いにくい。
でも、ある。
それが手のひらの上へ集まり――まとまった。
「丸い?」
「今は球状に近づけています」
次の瞬間、感覚が伸びる。
「細くなった」
「はい」
さらに広がった。
「今度は……板?」
「薄く広げています」
すごい。
火も出ない。
風も起きない。
何も光らない。
傍から見れば、先生が手を出しているだけだ。
でも俺には、昨日の火より面白かった。
「形を変えると、使う量も変わる?」
「同じ量のまま形だけ変えることもできますし、変えることもできます」
「薄くしたら壊れやすい?」
「条件によります」
「細くしたら遠くまで届く?」
「これも条件次第です」
「丸い方が保ちやすい?」
「アルス様」
「はい」
「一度に全部は調べられません」
知ってる。
最近よく分かってきた。
疑問は、一つ答えると減るんじゃない。
増える。
俺は帳面を開いた。
丸い。
細い。
薄い。
三つ書く。
その下に、少し考えてから線を引いた。
「まず丸いのからやる」
「なぜです?」
「一個ずつじゃないと、何が違うのか分からなくなるから」
先生が笑った。
「では、やってみましょう」
俺は右手を前へ出した。
身体の中から、外へ。
そこまでは同じ。
次に、外へ出た魔素を丸くする。
丸。
頭の中には形がある。
でも。
「…………ならない」
感覚は手のひらの前で、ぼんやり広がっているだけだ。
もう少し丸く。
端を寄せる。
そう考えた瞬間、全部散った。
「難しい」
「最初はそんなものです」
俺は帳面へ書いた。
『丸くしようとした。端を寄せようとして散った』
二回目。
また散る。
三回目。
少しまとまった気がした。
でも丸いかどうかは分からない。
『少しまとまった。丸いかは不明』
ここで先生に止められた。
今日は終わり。
俺は帳面を閉じる。
火は出なかった。
風も起こしていない。
木片一つ動かしていない。
それでも昨日より、できることが一つ増えた。
いや。
できることより、分けられるものが増えた。
身体の中を動かすこと。
身体の外へ出すこと。
外で保つこと。
外で形を作ること。
昨日まで一つに見えていた「魔法」が、少しずつ別々の操作に見えてくる。
そして、別々にできるなら。
組み合わせ方も、一つじゃないはずだ。
俺は帳面を抱えて屋敷へ戻った。
まだ何の魔法も完成していない。
なのに。
完成した魔法を一つ覚えるより、ずっと多くのものを手に入れ始めている気がした。




