第百十一話 できるの境目
第百十一話 できるの境目
次の授業。
教室ではなかった。
学園の裏側にある。
広い訓練場。
地面は平らで。
石と土が。
場所ごとに分かれている。
端には。
木の棒。
小さな盾。
水の入った桶。
形の違う石。
何に使うのか。
まだ分からない道具が並んでいた。
ティア先生は。
教室で集めた紙の束を持っている。
「全部読んだぞ」
早い。
裏まで書いたのに。
「一番多かったのは、魔素が体の内と外にあるという答えじゃ」
黒い板はない。
先生は。
地面へ二つの丸を描く。
昨日と同じ。
内側。
外側。
「ここまでは、ほぼ全員が知っておった」
紙を一枚持ち上げる。
誰のものかは見えない。
番号だけ。
「しかし、できることの書き方は大きく違った」
感じられる。
動かせる。
集められる。
保てる。
外へ動かせる。
魔法として形にできる。
同じ意味で使っている人も。
違う意味で使っている人もいたらしい。
「そこで今日は、言葉と実際の動きを合わせる」
紙に書いた答え。
身体で起きること。
二つを比べる。
「先に言っておく。これは順位を決める時間ではない」
先生が。
訓練場を見回す。
「今できることを大きく見せても、授業が合わなくなるだけじゃ。小さく見せても同じ。困るのは自分じゃぞ」
何人かが。
視線を下げた。
昨日の紙へ。
少し多く書いた?
少なく書いた?
分からない。
俺も。
正確に書いたつもり。
でも。
言葉で正確に書けても。
実際に同じとは限らない。
「二人一組になれ」
周囲が動く。
レインは。
迷わずシリウスの隣へ行く。
「組もう」
「先に、どちらが記録するか決めたい」
「やりながらでいいだろ」
「同じ条件で比べられなくなる」
レインが笑う。
シリウスは真剣だった。
窓側では。
アイリスとリリアが目を合わせる。
「私たちは?」
リリアが聞く。
「ええ」
アイリスが頷く。
言葉は短い。
でも。
決まるまでに迷いはなかった。
俺は。
ニルを見る。
ニルもこちらを見た。
「同室だから?」
「近いから」
それだけらしい。
二人で並ぶ。
先生が最初の課題を伝える。
目を閉じる。
体の中にある魔素を感じる。
位置を変えようとせず。
今どう動いているかを見る。
「見る?」
ニルが小さく聞く。
「目で見るんじゃない」
「それは分かる」
「感じる?」
「その感じるが分からない」
最初から止まった。
ニルは。
紙にできると書かなかったらしい。
俺は目を閉じる。
呼吸。
胸。
腹。
腕。
足。
中を巡るもの。
いつもある。
意識すれば。
輪郭が少し強くなる。
「分かる?」
ニルの声。
「分かる」
「どんな?」
難しい。
温かさではない。
痛みでもない。
重さでもない。
でも。
ある。
動く。
「流れ」
「水みたいな?」
「似てるけど、水じゃない」
「じゃあ分からない」
説明できない。
感じられることと。
人へ渡せることは違う。
俺は目を開ける。
ニルは。
耳を少し後ろへ向けている。
周りの説明も聞いている。
あちこちで。
温かい。
痺れる。
風みたい。
鼓動に近い。
いろいろな言葉が出ている。
レインは。
目を閉じたまま。
片足へ重さを移した。
「止まってるより、こっちの方が分かる」
すぐ横で。
シリウスが言う。
「今は姿勢を変えない課題だ」
「変えたら分かったんだから、残せばいい」
「変える前と後を分けて残す」
同じ組でも。
見ている場所が違う。
アイリスは。
すぐには動かなかった。
周囲の声を聞いて。
リリアの呼吸を見て。
それから目を閉じる。
リリアは。
肩に力が入ったアイリスへ。
「急がなくても大丈夫」
とだけ言った。
アイリスの肩が少し下がる。
相手の変化を見てから。
自分の姿勢を整えた。
同じものを感じている?
それとも。
違うものを。
同じ魔素と呼んでいる?
手を上げたくなる。
でも。
今は課題の途中。
帳面へ書く。
『感覚を表す言葉が人によって違う』
ティア先生が歩いてくる。
背は低い。
でも。
近づくと。
訓練場の空気が少し変わる。
「どうじゃ」
「俺は分かる。ニルは分からない」
ニルの耳が動く。
「勝手に決めるな」
「分からないって言った」
「今は、だ」
今は。
ずっとではない。
一回目。
最初の条件。
「その通りじゃ」
先生が頷く。
「できなかった、ではなく。今のやり方では分からなかった。そう残せ」
俺は帳面へ足す。
『目を閉じ、静止した条件では』
先生は。
ニルを見る。
「普段、身体を動かす時に何か感じるか」
「分かりません」
「棒を持ってみよ」
ニルが。
訓練用の木の棒を取る。
いつも持っているものより短い。
一度握る。
右手。
左手。
足の位置を変える。
立ち方が。
さっきまでと違う。
「ゆっくり一度だけ動け」
ニルが。
棒を前へ出す。
速くない。
でも。
先まで揺れない。
動きの途中で。
ニルの腕と足の魔素が。
少し濃くなる。
意識している?
「今じゃ」
先生が言う。
ニルの動きが止まる。
「腕と脚で、さっきと違うところはないか」
ニルが。
同じ動きを繰り返す。
今度はもっと遅い。
耳が前を向く。
「少し」
「何がじゃ」
「力を入れる前に、何か動く」
分かった。
俺には。
最初から見えていた。
でも。
ニルは。
止まって探すより。
動いた時の変化から見つけた。
「感じられないんじゃなかった」
「静かにしすぎると分からない」
ニルが答える。
先生は紙へ何か書く。
「入口が違うだけじゃな」
入口。
内側の魔素を知る。
同じ目的。
でも。
静止から入る人。
動作から入る人。
呼吸。
音。
触れた物。
別の入口もあるかもしれない。
次の課題。
感じた魔素を。
片方の手へ集める。
外へは出さない。
手の内側に留める。
これは。
家でも何度もした。
右手。
集める。
指先。
手のひら。
手首から先。
範囲を変える。
できる。
ニルは。
棒を握ったまま試している。
「置かないの?」
「これがある方が分かる」
さっき見つけた入口を使っている。
手へ寄る量は少ない。
でも。
棒を前へ出す時に。
流れが揃う。
俺より粗い。
俺より自然。
どちらが上?
比べられない。
精度なら俺。
動きと一緒ならニル。
先生が。
次の指示を出す。
「その状態で三歩進め」
歩く。
一歩。
右手の流れが少し揺れる。
二歩。
呼吸と足へ意識が移る。
手の形が崩れる。
三歩。
集めた魔素の一部が。
元の流れへ戻った。
失敗?
完全には消えていない。
でも。
止まっていた時より弱い。
ニルを見る。
歩いている。
棒を持ったまま。
手の魔素は。
さっきより揃っている。
「ニルの方ができてる」
「何が?」
「動きながら保つの」
「お前の方が集めてた」
両方。
相手の方ができているところを見る。
先生が近くで聞いていた。
「紙ではどう書いた」
「俺は、身体の一部へ寄せるのは多くの場合できる」
「動きながら、とは書いたか」
「書いてない」
「なら条件が一つ増えたな」
できる。
の外側に。
動きながら。
という条件が増える。
「ニルは?」
「寄せるとは書いてません」
「実際は?」
ニルが棒を見る。
「少しなら、動いている時に」
「では、紙の答えより身体の答えが先へ出た」
紙が間違い?
違う。
ニルは。
できることを知らなかった。
知らなければ。
書けない。
昨日の空白は。
できないという印ではなかった。
まだ。
見つけていない場所。
先生は。
組ごとに回る。
同じ課題でも。
止める場所が違う。
手に集めるところまでの組。
歩くところまでの組。
走らず。
姿勢を変える組。
道具を持つ組。
呼吸だけを比べる組。
全員へ。
同じことをさせていない。
昨日の紙。
今の動き。
二つを使っている。
最後の課題。
手へ集めた魔素を。
身体の外側へ。
ほんの少しだけ動かす。
俺は。
手を見る。
何度も試した。
内側では動く。
境目までは来る。
でも。
外へ出たと。
はっきり言えるところまで行かない。
周りでは。
空気が揺れる。
小さな光が出る。
砂が動く。
何も見えない人もいる。
ニルの手元も。
見た目は変わらない。
でも。
魔素は。
皮膚の近くで。
行ったり戻ったりしている。
俺も動かす。
内側。
手のひら。
境目。
外側。
昨日の丸を思い出す。
線は。
考えるためのもの。
完全な壁ではない。
なら。
越える。
そう考えた瞬間。
流れが細くなる。
力を加える。
もっと細くなる。
集め直す。
今度は。
境目を意識しない。
周囲の魔素とのつながりを見る。
内側。
外側。
別ではない。
交換している。
流れを。
そのまま少し広げる。
一瞬。
手の周りが。
変わった気がした。
でも。
確かめようとすると消える。
「今」
ティア先生の声。
見ていた。
「出た?」
「断定するな」
すぐに止められた。
「では何が起きた?」
「手の周りの流れが変わった。気がする」
「どのくらいじゃ」
「一瞬」
「同じことはできるか」
もう一度。
できない。
さっきと同じように。
境目を考えず。
つながりを見ようとする。
でも。
今度は。
さっきの結果を待っている。
意識が違う。
流れも違う。
「できない」
「それでよい」
よい?
「一度だけ起きたものを、できることへ入れるな。起きなかったことにもするな」
一度。
変化があった。
でも。
再び同じにできない。
成功でも。
失敗でもない。
観測した事実だけを残す。
「条件を覚えておるか」
「全部は」
「なら次は、覚えられる数まで減らせ」
呼吸。
姿勢。
手の位置。
意識。
周囲の流れ。
一度に全部を見るから。
何が違ったか分からなくなる。
先生は。
俺の紙へ何か書いた。
番号。
名前はまだ知らないはず。
でも。
今の動きと。
昨日の答えがつながった。
「先生」
「何じゃ」
「俺の紙、分かった?」
「問いを裏まで書いた者は一人しかおらん」
分かっていた。
名前を隠しても。
書き方で分かることがある。
完全には隠せない。
「番号にした意味なかった?」
「最初に家を見ることは防げた」
全部ではない。
でも。
一つは減らせた。
先生は。
俺とニルを見る。
「おぬしらは、しばらく同じ組でよい」
「同じくらいだから?」
先生が笑う。
「違うからじゃ」
俺は。
止まっている時に細かく見える。
動くと崩れる。
ニルは。
止まると入口が見つからない。
動くと流れが揃う。
同じことをして。
違う答えが出る。
一人では。
自分の変化しか見えない。
二人なら。
同じ課題で。
別の変化が見える。
「観察しすぎるなよ」
ニルが言う。
「本人に言ってからにする」
「それならいい」
完全には嫌ではないらしい。
鐘が鳴る。
実技の終わり。
先生が全員へ言う。
「今日できなかったことを、恥じる必要はない」
訓練場が静かになる。
「ただし、できなかった条件を捨てるな。そこに次の授業がある」
俺は帳面を見る。
静止。
歩行。
道具。
呼吸。
意識。
境目。
一度だけ起きた変化。
できる。
できない。
二つに分けるには。
間が広すぎる。
まだ知らない。
一度起きた。
条件が合えばできる。
止まっていればできる。
動いている方ができる。
何度でもできる。
条件が変わってもできる。
同じ言葉の中に。
いくつもの場所がある。
学園は。
その場所を見つける。
そして。
次に進む道を変える。
俺の最初の実技は。
何かを完成させる時間ではなかった。
できると。
まだできないの間に。
どれだけ多くの境目があるのか。
それを見つける時間だった。




