第九十八話 力の通り道
翌朝。
机の上に。
二冊の本を置いた。
領地運営。
魔法基礎。
昨日と同じ。
でも今日は。
迷わなかった。
「魔法」
先生が頷く。
「理由は?」
「静流は少し見た。でも内循はまだ見てない」
外放も見ていない。
けれど。
順番なら。
次は内循だと思った。
先生は魔法基礎の本を開く。
昨日見た頁。
『内循』
『外放』
『静流』
指が。
一番上で止まる。
「では今日は、内循です」
「体の中で回す?」
「大まかには」
また。
大まか。
細かく見ると違うらしい。
先生は俺を訓練場へ連れていった。
端に。
布と革を重ねた柱が立っている。
人の胸くらいの高さ。
叩いても痛くないように。
中へ柔らかいものを詰めてある。
「これを押してください」
「叩かない?」
「最初は押します」
両手を当てる。
力を入れる。
柱は少し傾いて。
元へ戻った。
先生が足元を見る。
「次は、右腕だけに魔素を集めてください」
右腕だけ。
意識する。
胸の近くにある感覚から。
肩。
腕。
手。
右腕が少し熱い。
重いような。
軽いような。
変な感じ。
「できた」
「では同じように」
押す。
さっきより強く。
柱が傾く。
でも。
足が後ろへ滑った。
「動いた」
「何がです?」
「柱」
先生は首を横へ振る。
「アルス様が、です」
見る。
右足が。
最初の場所から半歩ずれている。
「腕は強くなった」
「そうですね」
「でも押せなかった?」
「押せてはいます。ただ、強くなった分を全て相手へ渡せていません」
全部ではない。
右腕には力がある。
でも。
足が逃げた。
地面から離れたわけではない。
なのに。
力が途中で抜けた。
「もう一度」
今度は足を踏ん張る。
右腕へ魔素。
押す。
足は滑らない。
でも。
肩が後ろへ引かれた。
柱はさっきより傾いた。
俺の肩も痛い。
「止めます」
先生が言う。
手を離す。
右肩を回す。
少し重い。
「腕だけが強いと、他が負けます」
「肩?」
「肩も。手首も。肘も。体も」
先生が俺の右手を示す。
「手だけを強くして、もっと強く打てばどうなります?」
考える。
手は壊れない。
でも。
手首が曲がる。
肘へ力が来る。
肩へも。
「弱いところが壊れる?」
「その可能性があります」
強くした場所が。
一番安全。
その隣が危ない。
少し変だ。
でも分かる。
一本の縄を引く時。
一か所だけ太くしても。
細い場所が切れる。
「全部強くする?」
「最初から全身へ大量に流すのは勧めません」
「どうして?」
「どこへ、どれだけ必要か分からないまま増やすことになるからです」
昨日と同じ。
力を使う前に。
使わない状態を覚えた。
今日は。
増やす前に。
通る場所を見る。
先生が柱の前に立つ。
「力は、手から始まると思いますか?」
「押すのは手」
「では、片足を浮かせて押してみてください」
左足で立つ。
右足を浮かせる。
両手で押す。
力を入れた瞬間。
体が後ろへ傾いた。
先生に支えられる。
「押せない」
「手は同じです」
でも。
足元が違う。
先生が地面を指す。
「まず、地面があります」
次に。
俺の足。
膝。
腰。
腹。
胸。
肩。
腕。
手。
順番に指す。
「地面から受けた力を、ここまでつなげます」
「地面の力?」
「立っているだけでも、体は地面を押しています。地面も体を支えています」
前の俺なら。
地面が押すのは変だと思ったかもしれない。
でも。
荷車。
橋。
柱。
重さを受けるものには。
必ず返すものがある。
「道みたい」
口に出た。
先生が聞く。
「何の道です?」
「力の通り道」
足から。
脚。
腰。
体。
肩。
腕。
手。
どこかがずれれば。
そこで力が逃げる。
前に見た街道とは違う。
人も荷物も通らない。
でも。
入口と出口だけを見ても足りないところは似ている。
「内循は、その道に魔素を通す?」
「近いですね」
ただ流せばいいわけではない。
動きに合わせる。
必要な場所へ。
必要な時に。
必要な量だけ。
「全部を同じ強さにしない?」
「はい」
立って押すなら。
足元と腰は支える。
体は崩れないように保つ。
肩と腕は。
前へ力を渡す。
役割が違う。
同じ体でも。
同じ量ではない。
先生が構える。
片足を少し後ろへ。
膝を固めすぎない。
腰はまっすぐ。
両手を柱へ当てる。
「最初は魔素なしで、形だけです」
俺も真似する。
押す。
「腕だけで押さない」
直される。
足で地面を押す。
膝。
腰。
体。
肩。
腕。
順番に考える。
考えすぎると。
動きが止まる。
「遅い」
「最初はそれで構いません」
もう一度。
足。
脚。
腰。
体。
肩。
腕。
手。
柱が傾く。
足は滑らない。
肩も引かれない。
「今の方が楽」
「力が小さくなったからではありません」
「逃げなかった?」
「先ほどよりは」
先ほどよりは。
まだ全部ではない。
何度も押す。
足の向きが違うと。
膝がねじれる。
腰が遅れると。
腕だけが先に出る。
肩へ力を入れすぎると。
体が固まり。
押し続けられない。
一つ直すと。
別の場所が気になる。
「体、多い」
先生が笑う。
「昨日より観測する場所が増えましたね」
昨日は。
外へ漏れる魔素だけ。
今日は。
足から手まで。
全部。
少し休む。
水を飲む。
右肩の重さは消えていた。
「次は魔素を使います」
構える。
でも先生が止める。
「右腕だけではありません」
「足から?」
「最初は、足と腰と体。それから肩と腕へ」
目を閉じる。
魔素を感じる。
静流。
外へ向けない。
そのまま。
体の内側へ意識を向ける。
足。
何も感じない。
もう一度。
足の裏。
地面に触れている場所。
そこから脚へ。
魔素を強く集めるのではなく。
細い流れをつなぐ。
腰。
体。
肩。
腕。
手。
「押します」
動く。
足で地面を押す。
同時に。
内側の流れを。
手まで切らさない。
柱が傾いた。
さっきより深く。
俺の足は。
同じ場所にある。
肩も痛くない。
でも。
途中で腹の辺りが抜けた。
「今、消えた」
「どこで?」
「ここ」
腹を指す。
先生が記録する。
「分かったなら、次はそこです」
失敗。
でも。
場所が分かる失敗。
もう一度。
足。
脚。
腰。
腹。
胸。
肩。
腕。
手。
押す。
今度は。
腰で流れが止まった。
次は。
肩へ集めすぎた。
次は。
手に届く前に息を止めた。
「呼吸も?」
「体の動きですから」
また増えた。
足。
脚。
腰。
体。
肩。
腕。
手。
呼吸。
多い。
でも。
一度に全部を完璧にする必要はない。
一つずつ。
切れた場所を見つける。
つなぎ直す。
何度目か。
押す。
柱が大きく傾き。
ゆっくり戻った。
足は動いていない。
肩も。
手首も痛くない。
息も止まっていない。
「今のは?」
先生が帳面を見る。
「今日の中では、一番です」
一番。
完成ではない。
今日の中で。
それでいい。
俺は自分の手を見る。
最初と同じ手。
大きくなっていない。
硬くもなっていない。
でも。
手だけで押した時より。
強く押せた。
「手が強くなったんじゃない」
「はい」
「体がつながった」
先生が頷く。
「内循は、単に一部を強くする技術ではありません」
魔素を体内へ巡らせる。
動きに合わせる。
支える場所。
伝える場所。
受ける場所。
それぞれを。
切れないようにつなぐ。
「強い点を作るんじゃない」
「それだけでは足りません」
点。
線。
昨日まで見ていた道が。
また頭に浮かぶ。
遠い村まで。
最後の細い道が切れれば。
荷物は届かない。
体も。
手だけ強くても。
途中が切れれば。
力は届かない。
同じではない。
でも。
考え方は使える。
午後。
部屋へ戻る。
帳面を開く。
『内循』
その下へ。
『一か所を強くすることと、体全体で力を使うことは違う』
次。
『力は手から始まらない』
『地面、足、脚、腰、体、肩、腕、手へ通る』
少し考える。
『強い場所が一つあっても、途中が切れれば力は届かない』
最後に。
『弱い場所を残したまま、一部だけを強くすると、そこへ負担が集まる』
頁を見返す。
道の話みたいになった。
でも。
今日は道を調べたわけではない。
自分の体を押しただけ。
体の中にも。
通り道がある。
目では見えない。
地図にも載らない。
けれど。
どこで切れたかは。
動けば分かる。
手を開く。
閉じる。
今度は。
手だけを見ない。
足の裏から。
手の先までを意識する。
力は。
一番強い場所で決まるのではない。
通り道が。
最後までつながっているかで変わる。
今日。
俺は初めて。
自分の中にある道を見つけた。




