第九十七話 使わないための練習
次の日。
机の上には。
二冊の本があった。
領地の運営。
魔素の基礎。
昨日はなかった本が。
戻っている。
「今日は選び直していい?」
「はい」
先生が答える。
「昨日、領地の本を選んだのに?」
「一度選んだら、最後まで変えてはいけないとは言っていません」
変えてもいい。
ただし。
理由があるなら。
俺は二冊を見る。
領地の本は。
まだ途中。
一本しかない道の先にも。
知りたいことがある。
でも。
魔素の本も。
ずっと気になっていた。
選ばなかったことで。
前より気になっている。
「今日は魔素」
「理由は?」
「領地は昨日進んだ。こっちはまだ何も見てない」
先生が頷く。
領地の本を。
机の端へ移す。
今度は消えない。
そこに置かれたまま。
「明日は戻してもいい?」
「今日の結果を見て決めてください」
今日の結果。
本を選んだだけでは。
まだ終わらない。
読んで。
試して。
そのあとで。
次を決める。
魔素の本を開く。
最初の頁。
大きな文字が三つ。
『練』
『発』
『絶』
知っている言葉。
でも。
本の最初に並ぶと。
少し違って見える。
「どれから?」
「どれだと思いますか?」
発。
外へ出す。
魔法を使う。
一番分かりやすい。
「発」
「なぜです?」
「何か起きるから」
先生が笑う。
「では、今日は絶から始めます」
逆だった。
「何も起きない方?」
「何も起こさないための技術です」
何も起こさない。
それを。
わざわざ練習する。
先生が小さな箱を出す。
中には。
白い石が入っていた。
丸く。
手のひらに乗る大きさ。
魔石とは少し違う。
中に力が溜まっている感じはしない。
「何?」
「魔素に反応する石です」
先生が石へ指を近づける。
触れていない。
でも。
石が淡く光った。
指先から。
少しだけ魔素を出したらしい。
「強い?」
「ごく弱いものです」
先生が指を離す。
光が消える。
俺も手を近づける。
まだ何もしていない。
でも。
石の表面が。
少しだけ明るくなった。
「出してない」
「意識して発してはいませんね」
「じゃあなんで?」
「身体の外へ漏れている分に反応しています」
漏れている。
魔素は身体の中にある。
何もしなければ。
全部が中へ留まっていると思っていた。
でも。
呼吸。
熱。
匂い。
音。
人の身体から。
意識しなくても外へ出るものはある。
魔素も。
少し外へ広がっている。
「ずっと?」
「量は変わりますが」
眠っている時。
走ったあと。
怒っている時。
怖い時。
魔法を使ったあと。
身体の状態で。
外へ出る量も変わる。
「それを止める?」
「完全に閉じ込めるのではありません」
先生が言う。
無理に押さえ込むと。
身体が固くなる。
流れまで止めようとすると。
かえって不安定になる。
絶は。
魔素をなくすことではない。
身体の中の自然な流れを保ったまま。
外へ向ける働きだけを静める。
「難しい」
「まだ何もしていませんよ」
「説明が難しい」
先生がまた笑う。
石を渡される。
手のひらに乗せる。
淡く光る。
「暗くしてください」
「どうやって?」
「外へ出さないように」
やってみる。
手に力を入れる。
石を握る。
光は消えない。
むしろ。
少し強くなった。
「増えた」
「力むと、魔素も動きやすくなります」
手を緩める。
深く息をする。
身体の中を見る。
胸。
腕。
手。
そこにある流れ。
前から感じていた。
動かそうとすると。
手の方へ集まる。
今は逆。
集めない。
押し込めない。
ただ。
石へ向かう線を作らない。
光が少し弱くなる。
「消えそう」
考えた瞬間。
また明るくなった。
「戻った」
「結果を見て動かそうとしましたね」
見て。
直そうとして。
動かした。
石を暗くしようとすること自体が。
石へ意識を向けている。
意識が向くと。
魔素も向かう。
「見ない方がいい?」
「見ても構いません。動かそうとしなければ」
見る。
でも触らない。
観測する。
変えようとしない。
それなら。
よくやっている。
俺は石を見る。
光っている。
少し明るい。
魔素が手から外へ出ている。
それを。
消そうとしない。
ただ見る。
呼吸する。
手の中の流れを感じる。
石の方へ寄る流れ。
そこだけを。
追いかけない。
しばらくすると。
光が弱くなった。
さらに。
白い石が。
元の白さへ戻る。
「消えた」
声を出した瞬間。
また光った。
先生が笑う。
「今ので外へ向きました」
「喋っても駄目?」
「喋ることが悪いのではありません。意識が結果へ飛び出しました」
難しい。
何かをする時は。
結果を見る。
石を光らせるなら。
光を見る。
火をつけるなら。
火を見る。
でも絶は。
結果を見て喜んだだけで。
結果が消える。
「成功を確認すると失敗する」
「最初のうちは」
もう一度。
石を持つ。
今度は。
暗くなっても見続ける。
成功だと決めない。
ただ。
状態が変わったと見る。
光が薄くなる。
消える。
一呼吸。
二呼吸。
三呼吸。
石は暗いまま。
「そこまで」
先生が言う。
力を抜く。
石が淡く光る。
今度は。
それを失敗とは思わない。
絶をやめたから。
元の状態へ戻った。
「できた?」
「三呼吸だけですが」
「三呼吸はできた」
できなかった時間の方が長い。
でも。
三呼吸は消えた。
先生が本へ印を書く。
最初の記録。
三呼吸。
数字が出た。
洗礼では。
何も測らなかった。
今日は測る。
「ここは測る?」
「練習ですから」
目的が違う。
洗礼は。
能力を比べる場所ではない。
訓練は。
昨日の自分と比べる。
一呼吸。
三呼吸。
五呼吸。
できる時間が伸びれば。
練習の結果が見える。
「他の人とも比べる?」
「必要な時は」
「今は?」
「必要ありません」
今見るのは。
俺がどれくらい保てるか。
他の誰かが。
十呼吸できても。
俺の三呼吸は。
変わらない。
先生がもう一度。
石を手のひらへ置く。
「次は歩きながらです」
「もう?」
立つ。
石は光っている。
絶へ移る。
消える。
一歩。
光る。
「足を動かした」
「はい」
「手は動かしてない」
「身体はつながっていますから」
一か所だけを止めるのではない。
歩けば。
全身の流れが変わる。
足へ力が入る。
重心が移る。
腕が揺れる。
呼吸も少し変わる。
その変化に引かれて。
手から出る魔素も変わる。
「立ってる時と違う」
「実際に使う時は、止まっているとは限りません」
隠れる時。
魔物に気づかれたくない時。
自分の魔素を読まれたくない時。
発を止める必要がある。
その時。
座って目を閉じてはいられない。
歩く。
走る。
周囲を見る。
考える。
それでも。
外への流れを静める。
「何もしない方が難しい」
「何もしないのではありません」
先生が言う。
「使わない状態を、選んで保っています」
選ぶ。
昨日までの話と。
またつながる。
発すれば。
何かが起きる。
絶を選べば。
起こせるものを起こさない。
力がないのとは違う。
使えないのとも違う。
使わない。
その状態を。
自分で作る。
午後。
庭を歩く。
手には石。
一歩で光る。
止まると消える。
また歩く。
二歩。
三歩。
光る。
やり直す。
最初は。
足を出すたびに光った。
少しずつ。
光るまでの歩数が増える。
五歩。
七歩。
十歩。
十歩目で。
石が淡く光った。
「十歩」
先生が記録する。
三呼吸。
十歩。
小さな数字。
でも。
朝にはなかった数字。
部屋へ戻る。
帳面を開く。
『十歳になって最初の魔素訓練』
その下へ。
『発ではなく、絶から始まった』
『絶は魔素をなくすことではない』
『外へ向けない状態を、自分で選んで保つ』
次。
『何も起こさないことにも技術がいる』
最後に。
『止まって三呼吸。歩いて十歩』
書く。
派手なことは。
何も起きなかった。
石を光らせるのではなく。
光らせない練習。
火も。
風も。
大きな音もない。
それでも。
朝までの俺には。
できなかったことがある。
力を出す前に。
出さないことを覚えた。
使える力が増えたのではない。
使わないことを。
一つ選べるようになった。




