第九十六話 一本しかない道
翌日。
机の上には。
昨日選んだ本が置かれていた。
領地の運営。
魔素の本はない。
「今日はこっちだけ?」
「昨日、選びましたから」
先生が答える。
選んだ結果が。
今日まで続いている。
昨日だけの話ではなかった。
「魔素の本は?」
「明日以降にしましょう」
読めないわけではない。
でも。
今は領地の方を先に進める。
自分で選んだ。
だから。
少しだけ気になる。
魔素の本には。
今頃何が書かれていたのか。
選ばなかった方は。
見えないまま残る。
「選ぶと、気になるものが増える」
「後悔していますか?」
「まだ分からない」
後悔かどうかは。
選んだ直後には分からない。
今日学んでから考える。
先生が本を開く。
昨日見た地図。
町。
村。
道。
川。
森。
畑。
今日は。
その上へ小さな木片を置いた。
赤い木片が三つ。
それぞれ。
違う道の上に置かれる。
「何?」
「道が傷んだ印です」
大雨のあと。
領地の三か所で。
道が崩れた。
全部を同時には直せない。
人も。
石も。
木材も。
荷車も。
限りがある。
先に直せるのは一本。
「選ぶ?」
「はい」
まただ。
今度は本ではない。
道。
先生が紙を一枚出す。
三本の道について。
数字が書かれている。
東の街道。
一日に通る荷車。
百二十台。
南の道。
七十台。
北の山道。
十八台。
「一番多いのは東」
「そうですね」
「じゃあ東を直す」
答える。
先生は頷いた。
でも。
赤い木片を動かさない。
終わりではないらしい。
「理由は?」
「使う人が一番多いから」
「では、東の街道が使えない間、荷車はどうしますか?」
地図を見る。
東の街道の少し南に。
もう一本の細い道がある。
遠回り。
でも。
町へつながっている。
「こっちを通る」
「普段より半日ほど遅れます」
遅れる。
でも届く。
先生が南の道を指す。
「こちらは?」
川沿いの道。
その先に。
三つの村がある。
別の道もある。
ただ。
大きく回る。
「一日遅れる?」
「天候が良ければ」
雨が続けば。
川の近くは使いにくくなる。
それでも。
道はある。
最後。
北の山道。
通る荷車は十八台。
一番少ない。
その先には。
小さな村が一つ。
地図をよく見る。
線は一本だけ。
「他の道がない」
「細い獣道はあります」
「荷車は?」
「通れません」
「人は歩ける?」
「慣れた者なら」
荷物は運べない。
村で作ったものを。
町へ出せない。
町から必要なものも。
運べない。
「十八台しか通らない」
「はい」
「でも、なくなると止まる」
先生が頷く。
東は百二十台。
北は十八台。
数字だけなら。
東の方が大きい。
でも東には。
代わりの線がある。
北にはない。
「変える」
「どこを先に直しますか?」
「北」
答えた。
今度も先生は頷く。
でも。
やっぱり終わらない。
「なぜです?」
「一本しかないから」
「使う者は少ないですよ」
「少なくても、全部止まる」
北の村にとって。
十八台は。
領地全体では小さな数字。
でも。
村から出る荷車の全部かもしれない。
「百二十のうち、どれくらい止まる?」
「東は迂回できますから、完全に止まる荷車はほとんどありません」
「十八の方が大きい?」
「何を数えるかによります」
何を数えるか。
通る台数。
遅れる時間。
止まる荷車。
困る人。
不足する物。
直すための費用。
同じ三本の道でも。
数え方を変えると。
大きいものが変わる。
「最初の紙には、通る数しかなかった」
「はい」
「足りない」
「判断するには、少し足りませんね」
少し。
全部ではない。
通行量も必要。
でも。
それだけでは決められない。
俺は紙の余白へ書く。
東。
百二十。
代わりあり。
半日遅れ。
南。
七十。
代わりあり。
一日以上。
北。
十八。
荷車の代わりなし。
並べる。
最初は一列だった。
数の大きい順。
今は。
違う線が増えた。
「これなら北」
「一つの判断としては妥当です」
「正解じゃない?」
「条件が変われば、答えも変わります」
また条件。
「例えば?」
先生が東の街道の先を指す。
大きな町。
その横に。
小さな印がある。
「ここに病人が多く、薬を急いで運ぶ必要があるとしたら?」
止まる。
薬。
半日。
迂回できる。
でも。
遅れたら困る。
「東かもしれない」
「北の村には、冬を越すための塩がまだ十分にあるとしたら?」
北を急ぐ理由が。
少し弱くなる。
「先に東でもいい」
「では南の村で収穫した作物が傷みやすく、今日中に運ばなければならないとしたら?」
南になる。
地図は同じ。
道の本数も同じ。
荷車の数も同じ。
でも。
運ぶもの。
待てる時間。
村に残っている物。
人の状態。
それが変わると。
先に直す道も変わる。
「後から増やすのはずるい」
俺が言うと。
先生が笑った。
「現実では、後から分かることも多いものです」
決めたあとに。
知らなかった情報が出る。
それで。
最初の判断が悪く見えることもある。
でも。
最初から知らなかった。
「知らなかったなら仕方ない?」
「仕方がない場合もあります」
「全部?」
「いいえ」
知ろうとすれば分かったこと。
聞けば分かったこと。
記録を見れば分かったこと。
それを見ずに決めたなら。
知らなかっただけでは終われない。
「何を調べるかも決める?」
「その通りです」
決める前に。
全部は分からない。
でも。
何も調べずに決めるのとも違う。
必要そうなものを探す。
聞く。
比べる。
それでも足りないまま。
最後は選ぶ。
「大変」
「昨日は本を一冊選んだだけでしたね」
「本の方が簡単だった」
「だから、あれが最初です」
小さな選択。
失敗しても戻せる。
そこから始める。
いきなり。
三本の道を任されるわけではない。
午後。
先生と一緒に。
屋敷の倉庫へ行く。
本の中だけではなく。
実物を見るため。
木材。
縄。
工具。
補修用の石。
全部に数がある。
帳面にも書かれている。
「道を直す材料?」
「それ以外にも使います」
屋敷の修理。
橋。
柵。
農具。
同じ木材を。
いくつもの場所が必要としている。
道に使えば。
別の修理には使えない。
「足りないから選ぶ」
「足りていても、運べる量や使える人手には限りがあります」
物だけではない。
運ぶ人。
直す人。
使える時間。
雨が降る前。
冬が来る前。
条件は増える。
増やせば。
正しくなる?
多分。
そうとも限らない。
増やしすぎれば。
決められなくなる。
「どこまで見る?」
先生に聞く。
「判断が変わりそうなものからです」
全部ではない。
変わりそうなもの。
東の街道に。
代わりの道があるか。
北の村に。
塩が残っているか。
南の作物が。
いつまで持つか。
答えを変える線。
そこを見る。
部屋へ戻る。
帳面を開く。
『一番多いものを、最初に選んだ』
その下へ。
『数が少なくても、代わりがなければ止まる』
『大きさと、失った時の重さは同じではない』
次。
『条件が変われば、先に直す道も変わる』
最後に。
『全部を知るのではなく、判断を変える情報を探す』
書く。
昨日。
領地の本を選んだ。
魔素の本は読まなかった。
だから。
魔素については何も増えていない。
でも今日は。
一本しかない道を見つけた。
地図の中の。
細い線。
荷車は十八台。
数字だけなら。
一番小さい。
それでも。
消してはいけない線だった。




